シャディアがまぁまぁ大事な情報を持ってるばかりに……
グリモワールを取り戻し、王国へ帰還した褪せ人はアイリーン達と共に王子の執務室へと集まっていた。
「——報告は以上となります」
アイリーンがグリモワールに関する出来事、その顛末について語り終える。
その報告を受け、王子が思わず苦笑いする。
「相変わらず、濃い内容だ」
グリモワールを取り戻すまでに、ララネやシャディアとの遭遇、キメリエスの降臨、そして悪魔召喚士ヴェルティとゼパリエッテ。
よくもまぁ一夜にしてこうも複数のエンカウントを引き起こせるものだと王子をして思う。
個人的には魔神との戦いの辺りは詳しく聞きたいところであるが、一先ずは我慢。また酒場にでも連れ出して教えてもらおうと考える。
そしてその話を自身の部下の偵察兵にして天才作家である少女に流すのだ。
するとどうだろう、そんな天才作家の類稀なる編集能力によって、驚く程に完璧な英雄譚が出来上がるのである。
数々の曰くつきの武器や情け容赦のない戦いっぷりがマイルドになったそれは、今や王国内ではベストセラーとなり、多くの者に親しまれている。
愛読している者達の中には、そのモデルが誰かという事に少なからず気付いてはいるが、それは公然の秘密となっている。
知らぬは本人ばかり、とはいえ、世俗にまるで興味のないこの男がそれに気付くことは無いのだろうが。
そこまで考え、思考が横に逸れたのに気付き、王子は気を取り直したように口を開いた。
「一つずつ片付けていこうか」
先ずはグリモワールについて。
これは一先ずはアスバールの下で預かる運びとなった。
王国でも問題は無かったのだが、人の手に渡るよりは亜神の手元で管理される方が安全であろうという判断からである。
王子としても、安全に管理が為されるというのであれば王国の管理下かどうかに拘るつもりも無い。
ヴェルティに関しては王国の預かりとなった。
医務室で一応の診察をしたところ、受け答えに問題はなかった。少なくとも表面上は。
彼女自身は教団と直接の関わりは無く、グリモワールと報酬に釣られてあそこに居たらしい。
危険な魔導書を使用した事については相応の処分が下されるだろうが、彼女の悪魔に関する知識は有用であった。
故に王子は王国の管理の下、研究にその頭脳を費やしてもらおうと考えている。
彼女自身、グリモワールを失った事は痛手ではあったものの、研究が続けられるならば王国の下でも構わなかった為に、そう悪い結果にはならないだろう。
「次は……ララネという少女についてか」
グリモワールに関しての問題に一応の結論を出し、次の話題は突如現れた妖糸使いの少女、ララネへと移る。
今現在、彼女はこの場には居ない。彼女のやっていることを考えれば、公権力との接触などデメリットしか無いのだろう。故に彼女自身、王国に所属するつもりはないらしい。
「個人的には何とかしてやりたいが……」
王子としては、幼い少女がそのような所業を成している事自体に忸怩たる思いを抱く。
彼女は法で裁けぬ悪を裁いている。それそのものを正しいとは決して思いはしないが、彼女をそうさせてしまった何かがあるのは違いなかった。
為政者として、彼女のような存在を生み出してはならない。改めて、王子は心の中で誓いを立てた。
「彼女については、褪せ人も気にかけてやって欲しい」
「……私に出来る事など無いだろう」
王子に言われ、兜の下で褪せ人は眉を顰める。
他人を気にかけるなど、己に出来るはずもない。ましてや不幸な少女に寄り添えなどと以ての外であった。
そんな褪せ人の返答に、しかし王子は言葉を重ねる。
何も難しい事は無い。彼女のような存在は、近くに誰かが居ればそれだけで救いになることがあるのだ。
「暇な時でいい、彼女が何かするのならついて行ってほしい。無論、その際の報酬は出す」
「良いのか、それで」
王子のそれは、彼女の行いを黙認するということである。
果たして為政者として、それは正しいのか。
褪せ人の問いに、王子は椅子に深くもたれかかると、静かに答える。
「良くはないだろうな。だが、彼女は止まらないだろう。ならば、少しでも彼女の重荷を軽くしてやるのが俺の務めだ」
「お人好しめ」
彼女は別に王国の生まれではない。彼女のような存在を生み出したのは、王国ではないのだ。
この男が負うべき責任ではないというのに、それでも背負おうとしている。
ならば、多少はこの男の顔を立ててやらなくもない。
褪せ人は王子の頼みに応えてやる事にした。
「……良いだろう」
「悪いな」
褪せ人が静かに頷く。暇な時なら、付き合ってやっても良いだろう。
それで問題が解決するわけではない。
しかし、少なくとも孤独な彼女が背負う荷は減るだろうと王子は思った。
「次は——」
「——私の話で構わないな?」
王子が次の話に移ろうとして、今まで黙っていたシャディアが口を開く。
ある意味で今回最も重要な話題が、彼女についてであった。
「魔王とケラウノスを滅ぼす手立てがあるということだったが……」
「事実だ、協力してくれるというのならばその手段について教えよう」
褪せ人が王子を見ると、静かに頷いた。
協力も何もない。元より彼女の目的は王国と褪せ人のそれに合致しているのだ。
その手段があるというのならば、協力を断る理由などありはしない。
王子達から協力について快諾を得たシャディアは、その方法について語り出す。
「——神殺しの聖槍、ケラウノスを滅ぼす唯一の手段だ」
真なる神は、その力を封じる事は出来ても、殺す事は出来ない。
ケラウノスがアダマスを肉体から切り離し、封印したのもそれが理由だろう。
あの女神の長姉が、妹に情けをかけたとは考え難い。
しかし、そんな死なぬ筈の神を殺す事が出来るのが神殺しの槍であった。
その名は聖槍グングニル。
かつて何者かによって創造され、人が神に対抗する唯一の手段として授けられたものである。
「そんなものが……」
「最早忘れ去られた古代の遺跡。そこで代々守護者に守られながら、その槍は安置されている」
アイギスのお膝元である王国も知らない遺跡。そして帝国が動いていない事から彼らも知らないのだろう。
そんなものを知っているこの女は果たして何者だというのか。
そんな褪せ人の疑問に、シャディアは疑うのも当然であると理解を示すとともに、自身について語り始めた。
「……私はかつて、英雄王と共に魔王を討つ戦いに参加していた」
「千年戦争の当事者だと……!?」
これにはさしもの王子も驚かざるを得なかった。
不死であるとは聞いていたが、よもや千年戦争の生き証人だなどとは思わなかった。
そこからの話は彼女自身が不死となった契機についてである。
千年戦争において、英雄王達に封印された魔王。
かつてその器として選ばれ、肉体を奪われたのが彼女の兄であった。
英雄王と彼に付き従う英傑、そして女神達の奮闘によって魔王は封じられ、彼女の兄の魂は解放された。
しかし、彼女自身は器との血の繋がりによって魔王の力の余波を受け、望まぬ不死の身体を得る事となる。
「そして私は誓ったのだ、私達兄妹の運命を狂わせた魔王を必ずこの手で殺すのだと」
そう言ってシャディアは語りを終える。
その目には強い復讐への決意が見て取れた。
褪せ人から見ても、嘘を言っているようには見えなかった。
ある程度の疑念が晴れたと判断したシャディアが、再びグングニルへと話を戻す。
「……グングニルは聖槍とはつくものの人が持てる物ではない。巨大な装置のようなものだ」
曰く、グングニルとは武器ではなく、一種の巨大な魔道具のようなもの。
ひとたび起動すれば、対象となった神の力を奪い去る事が出来るのだという。
「……これを使い、ケラウノスの力を奪う。そうなれば、不滅の神を我々人間がこの手で殺せるようになる」
「魔王はどうするつもりだ」
王子から聞いた話では魔王はケラウノスの手によって制御されており、その力を抑えられている可能性があるという。
であれば、順序を考えればケラウノスよりも先に魔王を討つべきだろう。
わざわざ飼われている獣を野に放つ必要はないはずだ。
「魔王もまた、不滅の存在。それはかつて英雄王と女神アイギスをして封じる事しか出来なかった事から分かるはずだ」
「魔王もグングニルを使うつもりか?」
王子の問いに、しかしシャディアはかぶりを振る。
グングニル自体は効果があるだろう。しかし、神の力を奪い去る神器がそう何度も短いスパンで使えるとは考えにくい。
しかし、グングニルを使うべきは魔王よりケラウノスである。
あれは真なる神。ともすれば完全なる魔王よりもなお強大な、天の雷である。
「ケラウノスを殺せば魔王はその制御を離れ、真の力を取り戻すだろう。だが、その際に必ず力の揺らぎが生じ、短い期間だが弱体化する。そこを狙い、奴を討つ」
魔王は圧倒的な力で千年戦争において数々の国を滅ぼした。
しかし、そんな魔王自身は数々の要因で弱体化している。
ケラウノスを滅ぼせばその力が一部戻る事になるだろうが、それでも膨大な力を制御する為に相応の時間を要すのだという。
「……いずれにせよ、魔王もケラウノスも此方を滅ぼすべく動いているのだ。これ以上後手に回る訳にはいかないか」
まずはグングニルの確保だろう。そしてケラウノスを討つ。
グングニルを確保する上で、ケラウノスはなりふり構わず妨害に来るだろうが、寧ろ都合が良いというもの。
「内容が内容だけに、全てを鵜呑みにするわけにもいかない。此方でも裏を取るための時間が欲しい」
「構わない、王国の書庫ならばグングニルに関して言及されているものも少なからずあるだろう。私も協力する」
彼女の情報は間違いなく有用なもの。その全てが事実であれば、人類の勝利に大きく前進する事となる。
それ故に、事は慎重に運ぶ必要があった。あまり時間もかけられないが、それでも人を費やす価値はある。
「検討事項はこんなところか、作戦開始までは今しばらくある。褪せ人の方はそれまでの間王国に待機していて欲しい。お前には間違いなく働いてもらう事になるからな」
「良いだろう」
王子の指示に否やは無かった。
聖槍グングニル、この世界における人が神を弑する為の武器。
結局、この世界でもやる事は変わらなかった。
人の為、神を殺す。そういう運命なのだろう。
仮にグングニルが機能しないのであれば、それはそれでやりようはある。
この世界にとって唯一の方法であっても、己にとってはそうではない。
神を殺す術は、己とて持ち合わせているのだ。
「やっと大事な話が終わったのね、アタシ待ちくたびれちゃったわ!」
重要な案件は終わり、残されたのは彼女の処遇だけである。
なし崩し的についてきてしまったとはいえ、彼女はメフィスト達同様に人に極めて友好的な魔神である。
王子としては共に戦ってもらえるとありがたいと感じていた。
「ゼパリエッテよ。よろしくね、王子様」
「よく来てくれた、褪せ人から話は聞いている。もし可能なら、我々と共に戦ってくれるとありがたい」
王子の単刀直入な申し出、そんな王子の言葉に、彼女は二つ返事で快諾した。
「勿論、オッケーよ♪」
曰く、王国をいたく気に入ったらしい。
ここに来て数日、デーモンでありながら、非常に友好的な彼女は早くも王国の者達にも受け入れられているようであった。
「それでね、今日は貴方達にお近づきの印として贈り物を持ってきたの」
そう言って彼女は懐から二本の小瓶を取り出すと机の上に置いた。
中には桃色の液体が入っている。
褪せ人が興味深そうに見遣る中、王子は僅かに訝しみながらゼパリエッテへと尋ねる。
「これは……?」
「媚薬よ♪」
果たしてゼパリエッテの持ち込んできた贈り物とは、媚薬であった。
曰く、王子が恋人全員を相手にしてなお活力が有り余るだろうという強力なもの。最早劇薬である。
「聞けば、貴方達は随分とモテモテみたいじゃない? 特に王子様は毎晩のように女の子とイニシエーションしているとか」
「どこでそれを……!?」
イニシエーションという単語に露骨なまでに狼狽える王子。
あの男にとって聞かれたくない何かがあるらしい。
焦る王子の傍らで褪せ人は小瓶を摘むと中の液体をまじまじと眺める。
用途はどうあれ、己には馴染みの無いものである。
秩序も理性も崩壊した彼の地で、最早そのような行為に及ぶような事態が極めて稀であった。
そして、そんな世界で殺し殺されでしか生きる道を知らない褪せ人には全くの無縁なものである。
この世界は魔王によって危機に陥ってこそいるが、それは決して狭間の地のように壊れきっている訳ではない。
人々の営みはいまだ健在であり、生きているのだ。
ならば、このようなものが世に出回ることもあるのだろう。
それは決して悪い事ではない。
「……凄いな、媚薬を見てそんな感想が出るのか」
「彼の周りは苦労するわね……」
何処か呆れたような目で此方を見る二人。
そんな二人をよそに、褪せ人は小瓶を眺めるのをやめると、そのまま懐にしまった。
「受け取るのか!?」
「贈り物と聞いた」
意外そうに目を丸くする王子に、褪せ人は端的に答える。
毒薬だろうがガラス片だろうが、貰えるなら貰うのが狭間の地の流儀である。
使い道は今のところ思い浮かばないが、生きることに疲れたのならば、或いは飲む事もあるだろう。
王子にゼパリエッテを押し付け、褪せ人は王都にある邸宅に帰還した。
部屋の中に人の気配はなく、久しく縁のなかった静けさが褪せ人を包み込んだ。
こうして一人になるのはいつぶりだったか。
最近はどうにも周りが騒がしい事に慣れてしまっている。
シャディアの情報の裏付けが取れるまでは適当な依頼を見繕う事になるだろう。
そんな事を考えながら、褪せ人は廊下を歩き、しかし途中で足を止めた。
「——やっぱり気付くんだ。流石だね、おじさん」
薄暗い廊下、褪せ人の背後にララネが現れる。
悪戯に成功したような笑みで此方を見る少女に、褪せ人は問うた。
「何の用だ」
「私の事、王国に報告したんでしょ? どうなったのかなって」
王国がララネをどうするつもりなのかを聞きたいらしい。
王国の対応次第では、彼女の活動に支障をきたす。気になるのも当然ではあった。
「特に何も、強いて言うのならばお前についていってやれと」
「ふーん、話には聞いていたけど随分と甘いんだね、王国って」
それに関しては全くの同意ではあった。
とはいえ、褪せ人がその方針に口を出すつもりは無い。
少なくとも褪せ人の知る限りでは、その判断が間違いに繋がったことはないのだから。
「まぁ、良いか。これからはおじさんが手伝ってくれるんでしょ?」
「都合がついた時だけだ」
「良いよそれで、悪い奴らはいっぱい居るからね」
彼女の過去に何があったのかは知らない。
しかし、そんな彼女が此方に向かって笑いかけるその目は、どこまでも暗く濁っていた。
「悪いやつは全員消さないとね——これ以上、誰も泣かないように」
小さくそう言って、ララネは背を向けて玄関の方へと歩くと、最後に振り向いた。
「じゃあ、何かあったら呼ぶね? おじさんはさ、私にあんまり興味ないから気楽なんだ」
ララネの行いに怒るでもなく、同情するでもなく、ただただ事実を事実としてしか受け止めていない褪せ人を、しかしララネは気に入っていた。
此方に踏み込むでもなく、頼めばついてきてくれて、しかも強い。
こんなに都合の良い男が居るだろうか。
「後さ、防犯はちゃんとした方が良いよ——悪い子に襲われちゃうかもだからさ」
悪戯っぽく笑い、そう言い残すとララネは今度こそ去っていった。
悪を滅ぼす。
途方もない使命に身を投じる彼女が、褪せ人はそう嫌いではなかった。
念願のセレンを手に入れたぞ!
……ヨシ!