今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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神討つ英雄

ケラウノスが褪せ人に向けて雷を放つ。

予備動作もなく、視線を向けただけで放たれるその一撃は真っ直ぐに褪せ人へと飛来する。

神としての力を奪われ、その力は大きく弱体化していようとも依然としてその雷撃は脅威。

 

そんな一撃を褪せ人は横にローリングする事で躱し、そしてケラウノスに向かって駆け出した。

握るのは大盾、そして死のルーンが封じられた黒き剣。

運命の死を解き放たれ、最早残滓しか残されていないその剣は、それでもなお濃密な死の気配に満ちた代物。

 

「ッ! ガリウス!」

 

接近する褪せ人に、ケラウノスは己の僕である魔王へと指示を下す。

忌々しい事に、ガリウスの動きが悪い。自身が討たれる事で枷が外れるのだから、それも当然の事ではあるが。

 

ケラウノスの指示で漸く魔王が動き出す。

剣を構え、褪せ人の一撃を受けんとするそれに、褪せ人はケラウノスから魔王へと目標を変え、その剣を振るった。

 

剣と剣がぶつかり合い、金属同士が甲高い音を立てる。

 

「ほう……」

 

己とぶつかり、鍔迫り合いが成立している事に魔王は僅かに関心の声を上げる。

悪くはない、流石に女神アイギスの呼び出した戦士といったところ。

些かに興が乗った魔王は鍔迫り合いの剣を押し込むべく力を込める。

 

剣同士が擦れ、ギチギチと不快な音を立てる。

そんな二人へと、王子と皇帝が駆け出した。

 

それぞれの神器が光を放つ。

彼らの背後には二柱の女神が居る。

彼女達に戦う力は最早ありはしないが、その加護を受けた神器は、常よりもさらに力を増していた。

 

褪せ人と拮抗し、隙を晒している魔王へと皇帝が大剣を振るう。

未だ力を取り戻していない魔王には無視できない一撃に、魔王は鍔迫り合いの状況から素早く背後へと跳んだ。

宙へと舞い、魔王は褪せ人達へ向けて斬撃を放つ。

しかし、そんな魔王の一撃はアイギスの神器を構えた王子によって容易く防がれた。

 

両者の距離が離れる。

思い通りにいかない状況に、ケラウノスは歯噛みした。

力を失った自身と魔王に、三人の英雄は拮抗している。

増援として呼んだ天使達もまた、彼ら人間の仲間達によって押さえられ、此方の応援には来られていない。

 

取るに足らない人間に、此方が押されている。

その事がケラウノスには我慢ならなかった。

 

「愚かな、無駄な足掻きでこの私に手間をかけさせるとは……!」

 

怒りにより、ケラウノスの力が増す。雷霆が彼女の周囲を迸り、その怒りが嵐の如く吹き荒れる。

 

「まだ力が増すのか」

 

「追い詰めている証左だ、問題ない」

 

皇帝の呟きに、褪せ人が冷静に返す。

女神の感情に呼応するように吹き荒れる力は、それだけ彼女が平静でいられていない証左でもあった。

ついに余裕が剥がれた女神に、確かに追い詰めているのだと褪せ人は手応えを感じる。

 

「頼もしいものだ」

 

「全くだ」

 

皇帝の笑みに、王子もまた、笑みを浮かべて返す。

どれ程の状況に置かれようとも常の調子を崩さないこの男にどれほど救われてきたか、負けてはいられないと王子はケラウノスへと駆け出した。

 

吹き荒れる雷が王子達へと襲い掛かる。

その悉くが致死の一撃。受ければただでは済まないだろう。

 

だが——

 

「何故……何故当たらない!?」

 

——当たらない。

 

ケラウノスの雷に予備動作は無く、絶えず吹き荒れている。にも関わらず、まるで当たらないそれに、ケラウノスが苛立ちを露わにする。

 

「他ならぬお前が言っていただろう、戦士でもなく、魔術師でもないのだと」

 

——ならば神の力を奪われ、何者でもなくなったお前の攻撃は当たりはしない。

 

褪せ人の言葉に、ケラウノスは屈辱に顔を歪める。

実際、彼女の攻撃は素直過ぎた。

視線を向けただけで放たれる雷撃は脅威だが、しかしそれは、彼女の視線の動きに注意を払えば容易く読めるものでもある。

 

彼女はその圧倒的な力で君臨していたが故に、戦場における駆け引きなど無縁のもの。

吹き荒れる雷は僅かに彼らの身体を掠める程度に留まり、致命的な傷を与えるには至らない。

 

魔王もまた、三人を相手に有効打を打ててはいなかった。

剣を振るい、しかし防がれ、躱され、反撃を受ける。

ケラウノスへの一撃だけは防いではいるものの、それも時間の問題と言う他無かった。

 

「あり得ない……この私が……」

 

屈辱であった。

何処で知り得たのか聖槍グングニルを持ち出そうとした人間を絶望に沈めんと攻め入り、返り討ちに遭っている。

これ程無様な事があるだろうか。

 

「——良いでしょう」

 

ケラウノスの周囲から雷が消える。

先程まで吹き荒れていたそれが止んだ事で、ピラミッド内は異様なまでに静けさに包まれる。

周囲で仲間達が天使を相手に立ち回る声が、今は遠く感じられた。

 

「あくまで足掻き続けるというのならば——」

 

先程の嵐のように吹き荒れていた彼女の怒りは嘘のように凪いでいた。

しかしそれは、決して彼女が諦めたわけではない。

 

「——越えてみせよ、この一撃を!」

 

ケラウノスが己の全ての力を一撃に込める。

大気を震わせ、膨大なまでの力が収束していく。

 

あくまで人が世界を諦めないというのならば、これは試練である。

神としての力を奪われようとも、彼女の有り様は変わらない。

力の大小ではなく、その在り方こそが神なのだと彼女の姿が言葉より雄弁にそれを示していた。

 

「アイギスの神器よ……!」

 

「アダマスよ、俺に力を……!」

 

王子と皇帝が神器の力を解放する。

膨大なまでの力をその身に宿し、ケラウノスの一撃を迎え撃たんと二人は構える。

 

そして、破壊の奔流が解き放たれた。

触れるもの全てを消失させる破壊の雷。

それは神としての矜持。

今、この瞬間、ケラウノスはかつての滅びの雷撃を再現してみせた。

 

「おぉぉぉ!!」

 

「はあぁぁぁ!!」

 

雄叫びを上げ、二人がその破壊の一撃を受け止める。

滅びの一撃を正面から受けながら、しかし二人は消滅しなかった。

背後にいる者達へと届かせまいと、全身にその余波を浴びながらも前へと進む。

 

「……」

 

そんな英雄の姿に、ケラウノスの心は穏やかであった。

かつて、千年前のあの時も、こうして人の光に滅び以外の可能性を見出したのだったか。

 

「何故、貴方達のような者が今更になって出てくるのでしょうね……」

 

千年前も、そして今も、こうして己の前に出てくる時には遅いのだ。

もっと早くに現れてくれれば、人の愚かさに嘆く事も無かったというのに。

 

「——人は過ちを繰り返す、きっとこの先もそうなのだろう」

 

破壊の奔流の中、王子が言葉を紡ぎ出す。

きっとケラウノスの嘆きも間違いではない。人の世界は、他ならぬ人によって悲劇に満ちている。彼女が手を下さずとも、いずれはディアボロスのように、自分達の手で破滅の引き金を引いたのだろう。

 

一歩、また一歩と前へ進み、ケラウノスを見つめる王子の目はどこまでも真摯なものであった。

 

「——だが、それでも俺はその先で人が手を取り合える事を信じている」

 

たとえ人がどれほど愚かであろうとも、それは歩みを止める理由にはなりはしない。

真に人が滅ぶのは、前へ進む事を諦めた時だと、そう思うが故に。

 

破壊の奔流が途切れる。

ケラウノスの全力は、英雄達から光を消すには至らなかった。

王子達の背後、褪せ人が黒き剣を構え、前に出る。

 

「……ならば、精々足掻く事です。愚かさの果てに、光ある未来があるというのならば」

 

ケラウノスに抵抗はない。

全てを出し切り、答えを聞いた。

ならば見せてもらおう、人の足掻きを、その先の光を。

 

褪せ人が黒き剣の力を解放する。

運命の死、その残滓が赤黒い光となり剣に宿る。

そして、その剣をケラウノスへと突き立てた。

 

「カハッ……」

 

「姉様……」

 

腹部に剣を突き立てられ、全身に死が巡る中、ケラウノスは最後に自身の妹達を見遣る。

アイギスもアダマスも、ケラウノスの死を悲しみを帯びた目で見つめていた。

馬鹿な妹達だ。これほどの仕打ちを受けてなお、そんな目で自身を見るなどと。

 

かつては三女神揃って人を導こうと誓い合った。

しかし、いつしかその誓いは分かたれ、互いに殺し合う事しか出来なくなった。

ケラウノスの割り当てられた役割が、それを許さなかったのだ。

 

ケラウノスの身体が淡い光になり消えていく。

神性は失われ、不滅ではなくなった上に褪せ人の死の一撃を受けたのだ。

死は免れず、その身を消滅させる。

 

「私を殺したところで、終わりではありませんよ……後悔も絶望も許しません……貴方達で……未来を……」

 

最後にそう言い残し、ケラウノスは遂に消滅した。

 

「やったのか……? 我輩は漸く……ケラウノスを、祖国の仇を……!」

 

「待て! まだ終わりではない!」

 

喜びに打ち震えるデシウスを、シャディアが強い口調で咎める。

その視線の先には魔王。

ケラウノスが討たれ、その枷が外れた事によって膨大な力が溢れ出していた。

しかし、シャディアの思惑通りにその力は不安定。

討つならここしかない。彼女にとっては、ここからが本番なのだ。

槍を構え、魔王へと突貫する。

魔王がそれを避ける気配はない。

 

「終わりだガリウス! 我ら兄妹の運命を狂わせた罪、その身で贖ってもらうぞ!」

 

悲願の成就、それが目の前にあるのだ。

脇目も振らず、シャディアはその槍に全霊の魔力を込めると魔王の心臓目掛けて必殺の一撃を放った。

その一撃は、千年余りを生きた彼女にとって最高の一撃だったと記憶している。

 

 

 

しかし、その槍の一撃は魔王の心臓には届かなかった。

 

「なッ!? 馬鹿な、何故……!?」

 

シャディアの目が驚愕に見開かれる。

間違いなく魔王を殺し得る一撃だった。

先程までの戦いから、魔王の現時点での力量は把握している。

その上で力が不安定になる瞬間を狙ったのだ。

 

にも関わらず槍は魔王の肉体には届かず、障壁によって防がれている。

 

「……やはり予の弱体化を知っていたか」

 

魔王が静かに口を開く。

そこには先程まであった力の揺らぎなどまるで存在していなかった。

 

「予が何の対策も無く此処に来たとでも思ったのか?」

 

「馬鹿な、一体どうやって……!?」

 

しかし、その答えは返されない。

無造作に剣を振るう。

その一撃はシャディアを容易く両断し、死に至らしめた。

 

ずるりと零れ落ちたシャディアを見遣る事もなく魔王は歩みを進める。

 

今、この時より魔王はその力を完全に覚醒させたのだ。

 

「くっ……!」

 

作戦の失敗を悟り、王子は顔を歪ませる。

魔王が一時的な弱体化への対策を施しているなど、想定外であった。

 

「王子、これは一体……!?」

 

「これは……面倒な事になってるわね」

 

ケラウノスの死により、周囲の天使が撤退し、戦っていたイリス達が集まってくる。

目の前に迫る圧倒的な力の存在に、さしものアブグルントも常の笑みは鳴りを潜め、僅かに狼狽していた。

 

神器の使用によって王子と皇帝は限界である。

ケラウノスの破壊の奔流は、二人をして防ぐのが漸くだった。余力など残せようはずもない。

 

それでも魔王を止めるべく、立ちあがろうとする二人。

それを手で制し、褪せ人が前へ出た。

 

「作戦は失敗した、此処は退け」

 

「退けって言ったってお前……」

 

「私が時間を稼ぐ」

 

武器を構え、褪せ人は常の如く言ってのける。

今、この状況で動けるのは褪せ人だけである。

 

王子と皇帝は最早動けず、他の者では足手纏いにしかならない。

故に、褪せ人しか居ないのだ。

 

「無茶です! いくら褪せ人様だからって、それなら私も……!」

 

「王子」

 

幾ら褪せ人でも今回ばかりは無理であると、イリスは叫ぶ。

ならばせめて自分も残ると、そう主張しようとして褪せ人が口を開く。

その視線の先で王子もまた、覚悟を決める。

残ろうとするイリスを抱え、王子はピラミッドより脱出を決意する。

 

「離してください! 離して!」

 

「褪せ人、死ぬんじゃないぞ」

 

王子の腕の中、抵抗するイリスを抱え、走り去る。

その様子を見て、他の仲間達も褪せ人を置いて撤退を始めた。

最後まで残ったアブグルントが褪せ人の背に向けて声を掛ける。

 

「ねぇ」

 

「……」

 

「死んだら許さないから」

 

常とは異なる声音で掛けられたそれに、何が込められていたのかは分からない。

あの女悪魔を理解できる時が来るのだろうか、そんな事を考えながら褪せ人は魔王へと向き直った。

 

「別れは済んだか?」

 

どうやら、態々此方を待っていたらしい。

褪せ人が無言で武器を構える。手に持つのは大盾と大槌。

そんな褪せ人に、魔王は口を開く。

 

「愚神ケラウノスの誅殺、大義であった。予は寛大である、武器を降ろし、予に仕えるのであれば、これまでの行いの全てを許そう」

 

殺すには惜しい。魔王は戯れではなく、本気で褪せ人を引き入れるつもりであった。

この男は己の目的を阻む最大の障害であり、同時に配下につけばこれ以上ない武器となる。

忌々しくも反抗してくるだろう亜神達を滅ぼすのにも、この男は使える。

 

しかし、そんな魔王の言葉に褪せ人は一切の言葉は返さなかった。

無言で大槌を手に、前へと進む。

その答えは明白だった。

 

「くくっ、そうか、残念だ」

 

誘いを断られ、しかし魔王は笑う。

女神アイギスの最後の足掻き。それを手駒にできればどれほど愉快かと考えたが、その程度で折れる存在をあの女神が態々呼び寄せる筈もない。

 

ただ殺す。

言葉なくそう示す褪せ人の態度は、魔王をして心地良いものであった。

 

「では、お前の死を以て予の復活、その凱旋を知らしめるとしよう」

 

その言葉が合図であった。

魔王の剣が褪せ人へと迫る。

先程までの魔王とはまるで違う、常人では視認する事すらかなわぬ速度で振るわれるそれに、褪せ人は大盾を以て受け止める。

 

構えもなく、無造作に振るわれたそれは、しかし容易く褪せ人を吹き飛ばした。

重装の褪せ人を容易く浮かせ、追撃とばかりに斬撃を放つ。

その一撃もまた、安易に受けてはならないもの。

褪せ人は着地と共にローリングによって回避すると、祈祷を発動した。

 

褪せ人の手に黒き剣、その幻影が生じる。

赤黒い輝きを放つそれを、回転と共に魔王へ向けて振るった。

 

「ほう……!」

 

その剣の性質を見て取った魔王が声を上げる。

その幻影に塗り固められた死は、魔王といえど危険なもの。

薙ぎ払われる剣を後ろに跳ぶことで回避する。

しかし——

 

「くっ!」

 

——幻影の剣より、死の斬撃が放たれる。

 

飛来する死の刃を、魔王はその剣を以て受け止める。

斬撃を受け止め、攻撃を防ぐ。しかし、死の刃の本領はそこにはない。

 

「これは……!」

 

全身を焼き焦がすような感覚に、魔王が眉を顰める。

死のルーン、それは死なぬ筈の神ですら蝕み、死へと至らしめる法則の力である。

褪せ人の振るうそれは完全なものではない。

しかし、それでも魔王の命を確実に削り得るもの。

 

「面白い! 英雄王以来か、予に傷をつけた人間は!」

 

己が傷つけられた事実に魔王が笑い、その剣を振るう。

己の命に届き得る力を振るう異界の戦士に、歓喜したのだ。

物質界を滅ぼすのに、何の障害も無いなどと、そんなつまらない事はない。

今、目の前の男は英雄王に並ぶ好敵手になり得るではないか。

 

速さも、威力も桁外れのそれを、褪せ人は紙一重で躱し、受け流し、そのごく短い間隙に攻撃を加えていく。

 

しかし、魔王は圧倒的だった。

一撃を振るい、祈祷を放ってもまるで倒れる気配はない。

効いていない訳ではない、単純に、魔王の持つ生命力が膨大なのだ。

かつて、英雄王が魔王を殺せずに封印したのも頷ける。

死のルーンの力も、一度警戒された今、再度当てるのは困難を極めた。

 

戦いの均衡は徐々に崩れていく、褪せ人の身体に傷が増え、躱しきれない事が増えている。

魔王は、この期に及んで力を増してきているのだ。

 

「悪くはなかったが、ここまでか」

 

全身に傷を負い、血みどろになった褪せ人を見遣る。

成程、英雄としては最上の男だった。惜しむらくはこの男が一人だった事だろう。

かつての英雄王のように、仲間を引き連れてこの身に挑んでいたならば、恐らくはこの身に刃を届かせる事が出来たはずだ。

 

「良く戦い抜いた。お前の奮闘は、予に敬意を抱かせるに値する」

 

だが、それもここまでだ。

魔王はトドメを刺すべく褪せ人へと歩み寄る。

その間もこの男は此方を見遣ったまま、動く気配はない。

剣を握り、褪せ人へと剣の届く距離まで近付き、そこで異変に気付く。

 

——この男の目は、まだ諦めてはいない。

 

「これは……!」

 

魔王が飛び退くと、褪せ人の周囲に朱い光が迸った。

宙に浮き、その周囲から沸き立つように夥しい数の何かが羽ばたいている。

それは、朱い蝶であった。

視界いっぱいに羽ばたき、広がっていくそれは、古き神話において、腐敗の女神の翼より滾れ落ちた破片である。

 

「何だ……これは……!?」

 

朱い蝶は褪せ人を中心に周囲へと広がっていく。

それはどこか幻想的な光景。しかし、相対する魔王には不吉な象徴としてしか映らなかった。

 

今、この男は何か悍ましいものを解き放とうとしている。

 

褪せ人を止めるべく、魔王が剣を構えて突貫する。

しかし全てが遅かった。

 

褪せ人が指を鳴らす。

この男らしからぬ所作で行われたそれは、祈祷の発動条件であった。

周囲の朱い蝶がそれを皮切りに一斉に輝きを放つ。

 

そして、その全てが爆発を引き起こした。

朱い閃光がピラミッド内部を照らし、褪せ人と魔王を巻き込んでいく。

 

「ぐっ、おぉぉぉ!!」

 

その一撃に魔王が呻き、背後へと跳ぶと、その範囲から半ば強引に抜け出した。

体勢を整え、前方に充満する朱い霧を睨みつける。

諦めの悪い戦士にトドメを刺そうと剣を振りかぶり、しかしそこで己の身体に異常が起きている事に気づく。

 

「何をした……!?」

 

全身が痛み、呼吸が乱れる。

 

毒か。

だが生半可な毒であれば魔王であるこの身を蝕むなど不可能に近い。

 

やはり、これを引き起こしたのは朱い霧だろう。

あれは間違いなく危険なものだ。ともすれば魔界の瘴気などと比較にもならない程に、物質界と魔界双方に滅びすら齎しかねない。

 

霧が晴れた先、そこに褪せ人は居た。

またも全身を朱く輝せ、その身にはこれまた朱い花弁が表出する。

先程の蝶よりもなお濃密な気配を漂わせ、褪せ人は魔王へ向けて突貫した。

 

それを魔王は斬撃を放つ事で迎え撃つ。

迫り来る致死の斬撃に、しかし褪せ人はそれを意に介さなかった。

全身を刻まれ、致命的な傷を負いながらも、ただ魔王へと突き進む。

そして、魔王の胴へと拳を叩きつけると、その身に大輪の花を咲かせた。

 

「馬鹿な……! ぐおぉぉぉ!」

 

全身に走る痛みに耐えながら、褪せ人はまるでかつての破砕戦争の焼き直しのようだと感じた。

 

大輪の花が咲き、周囲に朱き腐敗を撒き散らす。

二度にわたる腐敗の蓄積は、決定的に魔王を蝕んだ。

強烈な爆発に魔王は吹き飛び、そして壁へと激突する。

起き上がる気配は、無かった。

 

褪せ人がふらつく身体を大槌で支える。

賭けであった。圧倒的な格上を殺す手段、それを確実にぶつける為に全力を賭した。

結果として、それは成功したのだろう。

全身から血を垂れ流し、内臓も傷ついているのか、込み上げる血を吐き捨てる。

最早祈祷で回復する余裕もなかった。

 

ともすれば倒れ伏しそうな身体に鞭を打ち、魔王の下へと向かう。

トドメを刺さなければならない、あれはまだ生きている。

 

武器を杖に、緩慢な足取りで倒れ伏す魔王へと向かう。

 

未だ息はある、殺さねばならない。

黒き剣を握ると、褪せ人はそれを振りかぶった。

 

「——悪いけど、今、魔王を殺される訳にはいかないんだ」

 

しかし、褪せ人の刃が振り下ろされる事は無かった。

剣を取り落とし、己の胸元を見遣る。

 

魔法の刃が、己の身体を貫いていた。

 

突然の不意打ちに褪せ人が膝をつく。

そして、魔王のそばに歩み寄る下手人へと目を向けた。

 

それは、青みがかった銀髪の少女であった。

纏う雰囲気は、アスバールと同じ神気を宿したもの。

それが意味する事はただ一つ。

 

「亜神、か……」

 

「正解だよ、英雄」

 

褪せ人の言葉に、その亜神は肯定を示す。

そして、倒れ伏す魔王を見ながら、口を開いた。

 

「計算外だよ、表舞台に出るのはもっと後になる筈だったんだ。まさか魔王がたった一人の人間に殺されかけるだなんてね」

 

世界を滅ぼす魔王が、ただ一人の英雄に敗北する。

それはこの亜神にとって看過することの出来ない事態であった。

 

「恨んでくれて構わないよ、嫌われるのは慣れているからね」

 

魔王と亜神の足元に転移陣が展開される。

逃げられる、それを止めようと褪せ人が最早限界を迎えた身体をさらに動かそうとして、しかし亜神による追撃に倒れ伏す。

 

「……此方も手段を選ぶつもりはないからね。たとえ救いたい者達に憎まれようとも、ぼくはぼくの使命を果たさせてもらうよ」

 

褪せ人には、何を言っているのかまるで理解できない言葉。

しかし、この亜神もまた、ただならぬ覚悟を抱いているということだけは分かった。

 

 

 

 

転移陣が発動し、魔王と亜神がその場から消える。

残されたのは、褪せ人ただ一人であった。

 

ケラウノス、そして魔王との戦闘の余波によりピラミッドが崩れ落ちる。

その中で、褪せ人は己の命が潰えるのを感じていた。

 

この地に来てからずっと感じていたことがある。

恐らくは、己はもう不死では無いのだろう。

 

大いなる意志は最早おらず、女王たるマリカの意志も他ならぬ己の手で排した。

最早褪せ人に祝福を与えるものはいない。

 

仮にマリカが生きていたとして、狭間の地の外に生きる己に、彼女は祝福を授けるだろうか。

 

故に褪せ人に『次』は無い。

使命は果たされず、己の旅路はここで終わる。

 

「くくっ」

 

そこまで考えて、思わず笑みが溢れた。

あれ程望んでいた終わりが近付いているのにも関わらず、今、己は死ぬ事を惜しいと感じているのだ。

 

王国での生活は悪くなかった。

騒がしい日々ではあったが、決して煩わしいものではなかった。

男達と酒を酌み交わし、騒がしい妖怪や悪魔達と暮らす事を、心の何処かで、好ましく思っていたのだろう。

彼ら彼女らの出会いは、燃え尽きた己に、少なからず火を灯していたのだ。

 

「好きに生き、理不尽に死ぬ」

 

しかしこの終わりは理不尽ではあれど、悪いものではないと褪せ人は思う。

 

己が居らずとも王子は魔王を討ち果たすだろう。

後に託せる者が居る。それは、彼の地では決してあり得ない事であった。

 

強烈な眠気に襲われる。

命が零れ落ち、最早限界が近いのだろう。

幾度も経験した終わりだが、これで最期なのだと思うと、それすらも名残惜しかった。

 

瞼が落ち、視界いっぱいに闇が広がる。

褪せ人は、その心地良い闇に身を任せ、その意識を沈めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——何を終わった気になっている。我はまだ、お前の理想を見せてもらっていないぞ」

 

褪せ人の意識が落ちる直前、そんな声を聞いた気がした。




まだやる事はあるので生きてもらいます。
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