今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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ちょっとチャレンジ
この手の描写が初めてなのでおっかなびっくり


深淵への導き

——オリュンポス

 

かつて創造神が世界を生み出す為に作り上げた原初の実験場。

神々が座す天界の、そのさらに奥にて構えるその居城は、かつての機能を失い、ただ静かに地上を見下ろしていた。

 

「——なぁ、ケラウノスが死んだぜ」

 

そのオリュンポスの頂上にて、声が響く。

その声の主は女であった。赤い羽飾りが特徴的な兜を被るそれは、戦士の装い。

聞く者に勇ましさを感じさせる声が向く先には、玉座があった。

創造神にのみ座す事を許されていたそこに、しかし堂々と君臨する者が居た。

 

「——そうか」

 

この世界に残された唯一の真なる神、その死が伝えられたにも関わらず、返ってきたその声はどこまでも落ち着いていた。

その事に、女は肩を竦めながら呆れを示す。

 

「なんだよ、全部あんたの思い通りってか?」

 

「いや、これでも驚いている。聖槍を用いたとはいえ、我が雷の簒奪者を人の身で討ち滅ぼすとは」

 

その言葉に嘘はない。ケラウノスの雷が、どれほどのものかは他ならぬ己が知っている。

それを人の身でありながら乗り越える者がいるのは、彼をして予想外の出来事であった。

 

「だったら、何で笑ってるんだ?」

 

——故に、女の指摘は亜神にも予想出来ないものだった。

 

「余が、笑っている?」

 

言われ、無意識に自身の顔を手でなぞる。

 

「……それは勘違いというものだ。矮小なる人が、神を討つなどと不遜に過ぎる、不愉快だ」

 

しかし亜神はそんな女の指摘を否定した。

人の身で神を討つなど不愉快極まる。眉を顰めこそすれ、笑みを浮かべるなど以ての外であった。

 

「まぁ、あんたがそう言うんなら別に良いさ」

 

女も、それ以上追求するつもりは無かった。

いずれにせよ、やる事は変わらない。

 

「——そろそろ動くんだろ?」

 

「そうだな、ケラウノスが斃れたというのなら、余が引き継いでやらねばな」

 

空々しくそんな事を嘯く亜神に、女は呆れたように声を上げる。

 

「よく言うぜ、ケラウノスが世界を滅ぼしていたら、あんたが殺すつもりだったくせに」

 

引き継ぐなどと、この亜神が他者に世界を委ねる筈がない。伊達に長い付き合いでは無かった。

真なる神と、力を奪われ亜神に堕とされたこの男。

本来ならば、勝てるはずもない。それだけの差が、神と亜神の間にはある筈なのだ。

 

だが、それでもこの男は例外だった。

創造神ですら奪えなかったこの男の真の権能、それは他の全てを差し引いてなお余りあるものだと彼女は知っていたからだ。

そんな亜神へと女は再び問い掛ける。

 

「魔王はどうするんだ?」

 

ケラウノスが倒れ、魔王は力を取り戻した。

加えて、そこにとある亜神の暗躍がある事も知っている。

放置すれば間違いなく厄介な事になる。

しかし、この亜神はそれすらも意に介さない。

 

「あれが上手く事を運べば、遠からずぶつかるだろう。それまでは放っておく」

 

「おいおい、あのクソガキの好きにさせるのか? 悪い癖だぜ、それ」

 

「——神とは座して待ち、不遜なる挑戦者を待つものだ」

 

それはこの亜神の持つ絶対の矜持であった。

定められた滅びを避けるべく足掻く者をあらかじめ潰すのは容易である。

しかし、それは神たる者の行いではない。

磨き続けた刃をこの身に届かせることが出来るのであれば、それを賞賛し、その上で手折ってやろう。

 

それはあらゆるものを等しく塵芥であると断じるこの男が、唯一敵対者にのみ向ける最大の敬意であった。

 

その言葉に、女はそれ以上何も言わなかった。

矜持ならば仕方がない。その上でこの男が倒れることがあれば、それはその程度という事だろう。

無論、彼女はこの亜神が魔王に負けるとは思ってもいないが。

 

「……あんたの導く世界は、誰も泣かないで済むんだよな」

 

確認するような女の言葉を、亜神は肯定した。

 

「約束しよう、愚かなる塵芥を、余はそれでも愛している。安寧と停滞に満ちた世界で、人はその意志を手放し、平和を享受するのだ」

 

その言葉に嘘はない。創造神の被造物である人を、この亜神が愛しているのも事実なのだ。

たとえそれが、籠の中の鳥を愛でるようなものであったとしても。

 

亜神の言葉に、女は決意を固めた。

己の真の望みに蓋をして、人の安寧の為に戦うのだと。

 

「信じるぜ、ひい爺さん——いや、亜神ディアス」

 

——亜神ディアス

 

世界が生まれ出るより前から存在し、しかし創造神より亜神に堕とされたその男は、ただ神たる信念の下、動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沈んでいた意識が浮上する感覚。

最早訪れる事は無いとさえ思っていたそれを感じながら、褪せ人は目を開けた。

 

上体を起こし、周囲を観察する。

ピラミッドではない。白く、清潔感の漂う部屋。

褪せ人も幾度かは訪れた事がある故に覚えがあった。ここは王国の医務室だろう。

窓から差し込む月明かりから、今は夜らしい。

 

己は結局、死に損なったらしい。

あの後、王子達はどうなったのか。

 

「——目が覚めたのね」

 

ベッドから降り、装備を探そうとしたところで、不意に声がかかる。

アブグルントだった。

最初からそこに居たのだろう。

灯り一つない、ただ月明かりだけの暗い部屋の中、彼女は静かに立っていた。

青と金の左右異なる色彩の瞳が、闇の中でただ妖しく輝きを放つ。

そんなアブグルントに、褪せ人は現状を把握すべく、問いを投げ掛ける。

 

「あれからどうなった」

 

「脱出が終わってしばらく、ピラミッドが崩壊したわ。貴方の安否を確認しようと王子様達が戻ろうとして、助け出された」

 

問いに答えながら、アブグルントが此方へと歩み寄ってくる。

己を助けたのは、恐らくは意識を失う前に聞いたあの声の主だろう。

何者か、それを問うべく口を開く。

 

「私は、一体誰に——」

 

しかし、その言葉を言い終えるよりも早く、褪せ人はアブグルントによって起こした上体を押し倒される。

褪せ人の上で馬乗りになった彼女からは敵意は感じない。

故に、褪せ人は純粋に戸惑っていた。

 

「何のつもりだ」

 

「貴方は変わったわ」

 

褪せ人の問いに、しかし返ってきたのは要領の得ない言葉。

褪せ人の胸元をなぞりながら、アブグルントが言葉を紡ぐ。

 

「使命の為に邁進する、それ以外は些事だとばかりに突き進む貴方に、私は魅入られた」

 

それは深淵の底から仰ぎ見るには強い光だった。

王子のような暖かく、誰もを受け入れるそれとは違う、ただ突き進み、立ち塞がるもの全てを焼き尽くさんばかりの光。

これを深淵の底に落とせればどれほど美しいだろう。

そうして彼女はその光に手を出し、灼かれたのだ。

 

「今の貴方から、使命以外の執着が見える」

 

いつだってこの男を見ていた。

故に、その変化を見逃す彼女ではない。

 

「知ってる? 人が闇に堕ちるのは、いつだって何かを欲してる時なの」

 

それは人によって千差万別である。

しかし、そのいずれもを彼女は見てきた。

 

富、名声、或いは愛情、復讐。

彼女にしてみればそれら全てに貴賤は無い。

最終的にそれらを求め、暗い深淵に堕ちるのだから同じだと彼女は断じられる。

 

「その執着はどうすれば深まるのかしら?」

 

欲か、愛か、それとももっと別の何かなのか。

彼女はそれを知りたかった。それはきっと、この男が堕ちるきっかけになるはずだから。

 

「貴方の全部が知りたいの。全部って言ったら全部よ」

 

己の上に跨り、顔を近づけて囁くアブグルントに、褪せ人はどうするべきか考えあぐねていた。

敵意はなく、どこか要領を得ない抽象的な言葉の羅列。

死にかけ、目覚めてすぐの出来事に、褪せ人をして混乱するのは無理もなかった。

しかし、そんな褪せ人の姿にアブグルントは手を止めない。

寧ろその瞳は妖しげに輝きを増し、笑みを深めていた。

 

「今から起きる事に貴方は何の責任も感じる必要は無いわ。ただ私が知りたいだけ。貴方はそれを受け入れてくれれば良い」

 

それはまさしく悪魔の囁きだった。

 

彼女とて分かっているのだ。

無口なこの男が、何だかんだと言いながらも情が無いわけではない事を知っているのだから。

 

故にこれは楔だった。

もし、この男が堕ちるきっかけが自分だったら、それはきっと素晴らしい事だろう。その下地作りである。

今まで堕ちた後の者達はまるで興味が湧かなかったが、もしそうなれば、最後まで愛でてやるのも悪くはない。

 

褪せ人の上で、ゆっくりと体勢を変える。

この男はその手の事をまるで知らないだろう。

だが問題はない。悪魔の手筈、何も知らぬ無垢を汚すには、丁度良かった。

 

「貴方は何もしなくて良いわ、だからそのまま——」

 

「——そこまでですよ、深潭の魔将」

 

しかし、そんな彼女の企みに邪魔が入る。

部屋の扉を開き、アスバールが入ってくる。

笑みを浮かべている彼女だが、その目は笑っていなかった。

闇の中で、赤と青、金と青の瞳が交差する。

 

「……少々無粋ではないかしら? これから起こる事は貴方にも分かっていたでしょう?」

 

「目覚めたばかりの殿方に畳み掛けて、混乱のうちに甘言を弄して及ぼうとしていなければ、私も止めませんでしたが」

 

ご丁寧に魔法で鍵まで掛けて、用意周到な事だ。

しかし亜神を舐めてもらっては困る。この程度の鍵を破壊するのは造作も無かった。

 

そんなアスバールの言葉に、アブグルントは口を開く。

 

「そういう貴方は、こんな夜更けに王城の医務室に何の用があったのかしら?」

 

これが褪せ人の邸宅ならまだ理解は出来た。

しかし、ここは王城にある医務室で、それも深夜である。

よくもまぁ都合良く来たものだとアブグルントが指摘する。

 

「うっ……それは、ですね……」

 

その指摘に今度はアスバールが目を泳がせる番だった。

このタイミングで来た事自体は偶々だった。

それはそれとして夜中眠っている褪せ人の寝顔やらなんやらを眺めるつもりだったなどと言えようはずも無い。

 

「……」

 

そんな二人のやりとりを見ながら、褪せ人はいい加減降りて貰えないだろうかと考えていた。

己の事を話しながら、己自身が蚊帳の外に置かれている。

 

それそのものは良いとして、鎧を探しに行かなければならない。

申し訳程度に羽織らされている病衣は褪せ人には酷く心許ないのだ。

 

「……興が削がれたわ。今回はここまでにしましょうか」

 

アブグルントが褪せ人から離れる。

先程までの妖しげな雰囲気は立ち消え、いつものように薄い笑みを浮かべる姿があった。

 

「王子様達を呼んできてあげるわ。なんだかんだで、心配してたみたいだしね」

 

そう言ってアブグルントは去っていくのを見送り、アスバールが小さく呟いた。

 

「油断出来ませんね……」

 

流石にデーモン、その辺りの手練手管に長けていた。

今回のように隙を見せれば、瞬く間に絡め取られるのだろう。

良く見張っておかねばならない。ヤハールとロタンにも言い含めておこう。

アスバールは内心でそう心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

褪せ人の目覚めの報告に、王子を筆頭に、すぐさま多くの者達が集まった。

鎧を探そうと立ち上がった褪せ人を何とか押し留めつつ、全員が安堵の表情を浮かべた。

 

褪せ人は意識を失った後について、アブグルントから聞き損ねた事を尋ねる。

 

「私は誰に助けられた」

 

「お前を助けたのは……ディアボロスだ」

 

「何……?」

 

ディアボロス、あの漆黒の巨人は既に褪せ人の手によって破壊された筈だった。

 

「どういう訳か、まだ生きていたらしい。敵対の意思はもう無いとのことだ」

 

あの戦いの後、ディアボロスの中で何かしらの答えが出たようだった。敵対の意思はなく、これからは王国に協力するつもりだという。

褪せ人によって傷つけられたコアが未だ直り切っていないらしく、現在は王都の外にて待機していた。

 

「……今度は俺達が聞く番だ。魔王は、どうなった」

 

「取り逃がした。少なくない手傷は与えたが……」

 

恐らく魔王の身体には朱い腐敗が残っているだろう。

この世界には未だアレについての治療法は確立されていない。

己が与えたそれは、所詮は苔や祈祷で治る程度のもの故に絶対の信頼を置く事は出来ないが、それでも易々とは治るものではない。

あれは世界を殺す毒であるが故に。

 

「朱い……腐敗、ですか……?」

 

イリスが聞き慣れない単語に疑問を示す。

褪せ人が端的にそれについて説明する。

 

停滞した世界の淀み。神の血を引いた英雄すら侵し、大地を腐らせ緩やかに滅びへと導く毒である。

 

「……そんなものを振り撒いて大丈夫なのか?」

 

「恐らくは、問題ないだろう。広まるようなら焼いてしまえばいい」

 

魔王を討つ為とは言え、それ程に強力な毒を撒いた事実を放って置くわけにはいかなかった。

そんな王子の問いに、しかし褪せ人は問題はないだろうと考える。

 

この地に腐敗の女神は居ない。

あれが狭間の地に蔓延したのは、かの神による干渉が大きく影響しているのは間違いないのだ。

咲いたエオニアの大輪が沼を作り、ゆっくりと地上を侵していった。

ケイリッドの惨状はあの神人だからこそ引き起こせたものだろう。

 

しかし、己が使う祈祷にはそこまでの力は無い。

使い続ければ問題は出るだろうが、ピラミッド内で使った程度ならばすぐに霧散し、立ち消える。

今、魔王は腐り続ける己の身体に苦しんでいるところだろう。

 

「ふむ、興味深いね。停滞した世界に対する毒か……ちょっとピラミッドに行ってサンプルを採ってこようかな」

 

「だ、駄目ですよ!? 今の話を聞いてどうしてそんな結論が出るんですか!?」

 

真顔でそんなことを言い放つトリシャに、イリスが思わず止めに入る。

どこの世界でも魔術師という生き物は探究に余念が無いと、褪せ人は彼女を見て思った。

 

「魔王がこのまま終わるとも思えない。何とかして手を打ちたいが」

 

「むぅ……頑張りどころですが、居場所も何も分からないと頑張れませんね……」

 

カゴメの言葉に、褪せ人も同意を示す。

瀕死の魔王の居場所は徹底的に秘されるだろう。

此方からそれを探るのは困難に近かった。

 

「だが、その朱い腐敗とやらの治療をするのならば相手も動かざるを得ない。我々が狙うとすれば、そこだ」

 

シャディアが口を開く。

朱い腐敗がこの世界既存の方法で治療出来るとは思えない。ならば魔王軍はその治療法を模索すべく動き出すだろう。

そのシャディアの言葉に、アスバールが手を挙げた。

 

「一つ、朱い腐敗を治療出来るかもしれない場所を知っています」

 

「どこだ」

 

「——世界樹です」

 

世界樹。

物質界の中心に根を張る巨大な樹木の事である。

伝承では創造神より創られ、天界と物質界を繋ぐ役割があったとされるが、それについては定かではない。

現在はエルフや獣人などの多くの種族が集落を築いており、国に属さない独自の勢力として存在している。

 

「世界樹の持つ生命力を利用すれば、朱い腐敗に関して何らかの治療を講じる事は出来るかもしれません」

 

実際にそれが可能かは定かではない。

しかし、最も確実性が高いのは世界樹だろうとアスバールは踏んでいた。

ならば、魔王軍が何らかの形で干渉する可能性は高い。

 

「他に候補が無い以上、世界樹に向かうしか無いか……」

 

王子が考え込む。

現状、動きようがないのだ。

魔王の状態が不明な以上、ただ手をこまねいているわけにもいかない。

 

「次の目標は世界樹。仮に何もなくとも、世界樹の部族達に協力を取り付け、魔王討伐への布石とする」

 

王子の一言に、全員が頷く。

とりあえずの方針は決まった、ならば問題はない。

褪せ人が立ち上がり、医務室から出ようとしたところを笑みを浮かべたイリスが立ち塞がる。

 

「褪せ人様は傷を癒しましょう、ね?」

 

有無を言わさぬ凄みを感じさせるそれに、褪せ人が僅かに考え、大人しく従う事にした。

気が急いていたのは否定出来ない。世界樹への遠征が始まるまでは、身体を休める事に努めるのであった。




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