「うおおおおお!!」
戦場に響くウォークライ。
大地すら揺らさんばかりの猛烈な雄叫びと共に大剣を大上段に構え、オークロードが褪せ人へと迫る。
出し惜しみなどするつもりは無い。
目の前の男を相手に、様子見など不要だとオークロードは理解していたからだ。
大剣が振り下ろされる。
今の彼はオークの戦士として頂点に在ると言って良いだろう。
或いは、オークの英雄であるアナトリアすらも凌駕する程の力。
そんなオークロードから放たれる渾身の一撃とは、それだけで文字通りに必殺の一撃。
大剣が大地に叩きつけられる。
地震かと見紛う程の揺れと共に大地が裂け、爆発する。
圧倒的なまでの破壊を齎したオークロードだが、その一撃が無為に終わった事を悟る。
大剣を振り下ろした先に、褪せ人の姿は無い。
その姿を探せば、既に褪せ人はオークロードの懐に潜り込み、その無防備な胴へ向けて黒鉄の大槌の一撃を放っていた。
地面を抉りながら放たれる大槌の振り上げ。
それはオークロードの腹部を強かに打ち据えた。
「ぐ……!」
オークロードの巨体が僅かに浮き上がる。そして、大槌の軌跡をなぞるように黄金の光が噴出し、その肉体を聖性で焼く。
だが、それだけだった。
ダメージは軽微。純粋な筋肉の鎧、それが褪せ人の大槌の衝撃を受け止めていた。
オークロード、その身体は岩より分厚い。
褪せ人が兜の下、僅かにその眉を顰める。
ダーク王子による暗黒の波動の影響下では、明らかに威力が足りていない。
このまま削り倒すのは至難だと、そう判断せざるを得なかった。
オークロードが体勢を整える前に、褪せ人は距離を取る。
そして、武器を持ち替えた。
大盾も不要。現状、あの大剣の一撃を受け止めるのはリスクが高過ぎる。
純粋な削り合いが難しいのならば、アプローチを変える必要がある。
それは異形の大鉈であった。
ねじくれた角をその刃に並び立てた、忌み子達を虐殺する為の得物。
それを二本、褪せ人は両手に握り締める。
「ほう?」
オークロードが興味深げに褪せ人の握る武器を見遣る。
一見しておどろおどろしいものではあるが、武器として使うには些か不向きに見えた。
言ってしまえば、見せしめの武器。これから殺す何者かを威圧するような意図を感じさせる。だが、それは少なくともオークではないだろう。
「ふん、面白い。何をするつもりか、見せてみろ!」
目の前の男が無意味な事をする筈もない。それは強者に対する無条件の信頼であった。
オークロードは再び大剣を構え、突貫していく。
再びの激突。振るわれる大剣を潜り抜け、褪せ人が両手に持った大鉈を振るう。
一見して褪せ人が終始一方的に有利な展開をしているように見えて、しかしそれは薄氷の上でしかない。
褪せ人の与えるダメージは微々たるものであり、対してオークロードの振るう一撃は当たればそれだけで此処までの展開を容易く覆すもの。
当然、オークロードもそれを理解している。
故に、彼は苛立つこともなくただ待っていた。褪せ人の集中、それがほんの僅かでも乱れるその瞬間を。
互いに極限の集中力の中、戦いが続く。
褪せ人に攻撃は当たらず、オークロードへの攻撃は決定打に欠ける。
千日手、誰もがそう考えた戦いに、遂に変化が訪れる。
「ガァッ!?」
膝を突いたのは、オークロード。
原因は出血。忌み潰しの大鉈によってつけられた不揃いの傷から流れる血が、遂に決壊したのだ。
噴き出す血液が大地を濡らす。
これを狙っていたのかと、オークロードが顔を歪める。純粋な攻撃では埒が開かない。故にこうして出血を強いていたのだ。
動きを止めたオークロード、それを見逃す褪せ人では無い。
疾走し、オークロードへ向けて跳躍すると、両の手に持った忌み潰しの大鉈をその身体に叩き付けた。
「ぐおおおお!?」
幾ら今の褪せ人が弱体化しているといえども、渾身の力で振るわれる二本の大鉈は決して無視出来るものではありはしない。
オークロードは両手を地面につき、辛うじて倒れ込む事だけは避ける。
——そして、笑った。
この時を待っていたのは、褪せ人だけではない。
大振りの攻撃によって見せたあの男の隙。これをただひたすらに待っていたのだ。
痛む身体を無視して強引に上体を起こすと、未だ武器を引き戻せていない褪せ人へと横薙ぎに大剣を振るう。
「おおおお!!」
殆ど腕の力だけで振るわれるそれ、しかしオークロードとしての肉体は、それすらも強烈な一撃として繰り出す事を可能としていた。
「ガッ……!?」
無防備な褪せ人の胴を薙ぎ、吹き飛ばす。
褪せ人は大鉈を取り落とし、そのまま大地を転がっていく。
そして、すぐさま立ち上がった。
兜のスリットから血が流れ出す。恐らくは吐血、胴の鎧が凹んでいる事から内臓をやられたのだろう。
「ククッ、やはりまだ立つか。そうでなくてはな!」
少なくないダメージを与えたにも関わらず、目の前の男から弱った様子は見られない。
だが、それで良い。それこそが、かつて戦場で見たあの男なのだから。
互いにダメージは甚大。
しかし、オークロードにとっては此処からが本番である。
彼もまた、傷つき、追い詰められる事によってその力を高めるオークの基本的な性質を持ち合わせているのだから。
褪せ人が新たに聖印を握り締め、祈祷を発動させる。
雷を束ね槍を成し、投擲する。そして、雷の槍に追従するように雷撃がオークロードへと迫った。
今のオークロードを前に、接近戦を挑むのはリスクが高い。それ故の選択だった。
「やはりそう来るか、当然だな。手負いのオーク程恐ろしいものは無い。お前は良く分かっている。だが——」
オークは雷の槍に耐えながら、大剣を振り上げる。
両者の距離は未だ開いており、決して彼の大剣の間合いではない。
だが、それは彼がただのオークであればの話である。
「——刃を飛ばせるのはお前だけではないぞ」
大剣が振り下ろされる。
空気を裂き、大地を砕かんばかりの大剣から、真空の刃が飛ばされる。
純粋な物理による斬撃。原理としては褪せ人の用いる戦技の一つ、孤月斬りに近いか。
褪せ人が斬撃に気付き、ローリングで躱すも、すぐさま次が飛来する。
無尽蔵とすら思わせるオークロードの体力から繰り出される無数の斬撃。それがオークロードの奥の手であった。
並のオークには出来ない芸当。
しかし、オークロードに進化し、褪せ人という存在を知った彼はそれを可能とした。
如何にしてあの男を斬るか。ただそれだけを考えた。そうして気づけば刃は飛んでいた。
褪せ人の背後、森の木々が両断されるのを感じた。
遠距離ですら、致死の一撃。
常の褪せ人ですら手を抜けぬ程の相手に、弱体化した状態で戦いを強いられている。
何処までも不利な状況。
取れる手段として、時間を稼ぎ、王子がダーク王子を倒すのを待つという選択肢が思い浮かぶ。
ある意味で妥当な選択肢だろう。重要なのはダーク王子を倒す事であり、この戦いは大勢に影響しない。
王子ならば、勝つだろう。故に、それを信じて目の前のオークの足止めに徹するのも、立派な戦術ではある。
——だが、それは余りに無粋。
斬撃を避けながら、褪せ人は武具を握る。
手に持つのはグレートソード。
身の丈を超える鉄塊、並の筋力では持つ事すら叶わぬそれを構える。
そんなグレートソードに刻まれた意匠は魔術に長けたカーリア王家のもの。普通のグレートソードではない。
かつての己が満足に振るえなかったその大剣は、神の楔と死氷の亜神の加護によって、褪せ人の手でも十分に振るえるものとなっていた。
姿勢を低く屈め、グレートソードを構える。
剣身に冷たい魔力が宿り、周囲の空気を凍りつかせる。
そして、オークロードへと跳躍した。
飛来する斬撃を回転と共に避ける。斬撃の一つが褪せ人の身体を掠め、肉を抉るもその勢いは衰えない。
そして、オークロードへと肉薄した褪せ人はその胴にグレートソードを突き立てる。
まるで狼を思わせる褪せ人の素早さに、オークロードは対応が遅れる。
「ぐお……!」
今の褪せ人では、オークロードの身体を貫く事は叶わない。だが、十分であった。
触れたものを瞬時に凍結させる程の魔力を帯びた剣身がオークの肉体を傷つけ、その臓腑を凍り付かせる。
そして、十分に溜まった魔力を引き抜くと同時に爆発させた。
「ぐあぁぁぁ!!」
魔力の爆発がオークロードを包み込み、全身を冷たい魔力が襲う。
凍傷を受け、大きく体力を減らしたオークロード。
しかし、それでもなお剣を構え、前を見据えようとして——今まさに剣を振り下ろさんと構える褪せ人が目に入った。
「動け……俺の身体……! これからもっと、面白く……!」
凍りつき、体力も限界に達したオークロードの身体は、その意思に反して動かない。
そして、トドメの一撃が放たれた。
グレートソードがオークロードを袈裟斬りにする。
噴き出す血液が褪せ人の身体を赤く染め上げた。
倒れ伏すオークロード。
勝敗は明らか、最早立ち上がる事すら叶わないだろう。
だが、その顔はどこまでも晴れやかなもの。
「ククッ、これ程お膳立てされて結局敵わなかったか……」
ダーク王子の力を借りて、こうして一騎討ちの状況を作り出して、それでもなお届かなかった。
オークロードは笑う。
己は間違えていなかった。己が最期まで憧れたその男は、これ程に強いのだから。
褪せ人がゆっくり歩み寄ってくるのを感じ、其方へと目を向ける。
オークロードが口を開く。
「魔王なんかに負けるなよ、英雄。俺の憧れたお前は、間違いなく最強なのだから」
「無論、負けるつもりはない」
言葉少なに言葉を返す褪せ人にオークロードは笑うと、視線を外し、眼を閉じる。
「良い戦いだった……だが、もし叶うのならば、俺はお前と——」
満足のいく戦い、そしてほんの僅かに生まれてしまった未練。それを言い終わるより早く、オークロードの肉体が崩壊していく。
褪せ人はその様を最後まで見届け、そしてゆっくりと歩き出した。
暗黒の波動は未だ現在。勝敗はまだ決していない。
アイギス神殿の階段を上がろうとして、立ち止まる。
ふと、己の懐の何かが震えている事に気付く。
それは、かつて聖なる森で使って以来であった霊呼びの鈴であった。
褪せ人が霊呼びの鈴を手にし、そして振り返った。
先程までオークが倒れていた所に、何かが積もっていた。
それは、狭間の地で見知ったもの。
「満足したのでは無かったのか」
褪せ人が一人呟く。
随分と強欲だと褪せ人は思った。先程の満足げな最期は一体何だったというのか。
褪せ人が遺灰へと歩み寄るとそれを掬い取り、袋に詰めると懐に仕舞い込む。
「——良いだろう。ついてくるというのならば拒みはしない」
そう呟くと、再びアイギス神殿へと歩みを進める。
共に戦うのが望みならば、叶えてやろう。
褪せ人がアイギス神殿を見上げる。
あちらの戦いもそう遠くないうちに終わるだろう。
それを予感し、先を進むのであった。
アイギス神殿の奥、ダーク王子と王子が一進一退の攻防を繰り広げる。
互いの剣が交差し、火花を散らしながらせめぎ合う。
実力はどこまでも拮抗していた。
ダーク王子が暗黒の波動で弱体化を図るも、王子は神器の力によってその広がった差を埋める。
実力は拮抗しているが、その戦い方は対象的であった。
王子が二つの神器と、神獣の武具を使いあらゆる手段で相手を攻めるのに対して、ダーク王子は質実剛健。暗黒の波動という強烈な弱体能力で相手を弱らせ、その剣一本で斬り伏せる。
光と闇、鏡写しの二人ではあるが、それでも歩んできた道は違う。
それがこの戦いで如実に現れていた。
ダーク王子が王子の攻撃を受け止め、反撃の一撃を躱されながらも思考する。
限界が近い。今こうしている間にも刻一刻と己の命の砂が零れ落ちているのを自覚する。
ダークアンナの癒しが必死に繋ぎ止めてはいるが、長くはないだろう。
対して、王子の方は未だ余裕がある。
神器の力を制御し、己の限界を見切った上で制御してみせていた。
「こうでなくてはな、オリジナル!」
ダーク王子が叫ぶ。
己の原型、それが強い事は何よりも嬉しかった。
光であるこの男が強く輝く程に、それと拮抗する己という影はより暗く、強く存在感を刻み込める。
王子もまた、目の前の男との戦いが楽しかった。
純粋なのだ、この男は。
ただ己という影を世界に刻みつける為に、ただ己の力を証明する為に、そんな想いが一撃一撃に込められている。
顔は似ている。己を殺す為に生み出されたコピーなのは事実だろう。
だが、決してこの男は偽物なんかではない。
「アイギスの神器よ……!」
王子が神器へ呼びかけ、その力を解放する。
それは、ダーク王子の身体が限界に近付いている事を悟ったが故の選択。
この男の最期を、時間切れなどというつまらない終わりにさせたくはない。
そんな想いの表れだった。
「闇よ……!」
王子の想いに、ダーク王子もまた応える。
己の闇、その全てを引き出し力を解放する。
次で終わらせる。己という存在を証明するべく、ダーク王子は剣を構え、肉薄する。
「はあぁぁぁ!」
「おおぉぉぉ!」
互いの渾身の一撃。
あらゆるしがらみを捨て去ったそれがぶつかり合い、交差する。
決着の時。
「カハッ……」
膝を突いたのは、ダーク王子の方だった。
鎧が砕け、その身の内に一閃が走る。
王子の方もまた、深い傷を負うも、それでも倒れることはなかった。
「ダーク王子様!」
「良い、一人で立てる」
ダークアンナが駆け寄り、助け起こそうとするのを手で制し、剣を杖に立ち上がる。
つまらない意地なのは承知の上。それでもこの女の前では、最期まで意地を張っていたかった。
王子がダーク王子へと口を開く。
「俺の勝ちだ」
「あぁ、そうだ。お前の勝ちだ」
己の全てを出し切り、なお届かなかったのだ。己の敗北を認める他ない。
決着を見計らったようにして、褪せ人が此方へと向かってくる。
全身を血で染め、鎧も破損が見られる。相当な激戦だった事が伺えた。
あの男が来たという事は、オークロードは敗れたのか。オークロードは、満足して逝けたのだろうか。
そこまで思考し、視線を外すとダーク王子は王子へと歩み寄り、無言で己の剣を差し出した。
その意図を察した王子もまた無言でそれを受け取る。
「世界を頼んだぞ、オリジナル」
光と影、対の二人が目指す願いは同じもの。
故に、ダーク王子は憂いなく世界を託す事が出来る。
「あぁ、任せろ」
この男に言うべき事はそれだけだった。
力強く返す王子の言葉にダーク王子は笑うと、ダークアンナの方へと向き直る。
己の望みは全て伝えた。
後の時間は、この女の為に使おう。
ダーク王子がダークアンナへと口を開く。
「少し、歩かないか。俺が手に入れる筈だったこの蒼空と緑の広がる世界を、お前と歩きたい」
「はい、何処までもお供いたします」
そう言って、ダーク王子の隣をダークアンナが歩く。
その道を妨げる者は誰も居なかった。
アイギス神殿を出て、外を見遣る。
暗黒の波動が消えた事により、勝敗を決したのを悟ったのだろう。
王国軍も、魔物達も、誰もが戦うのをやめていた。
蒼空の下、ただ二人が歩いていく。
「……我が主、偉大なるダーク王子様。この戦いは……貴方の生は良きものでしたか?」
ダークアンナがふと、ダーク王子にそう尋ねた。
果たしてこの短い生は、この男の心を満たすに足るものだったのだろうか。
「ハハハッ、どうだろうな。お前が長生きするのならば、いつか教えてやろう」
そんなダークアンナの疑問に、ダーク王子は笑い声を上げる。
王子に負け、望みは果たせなかった。だが、それでも満たされているのは事実。
だが、心残りはあるのだ。愛しき女を残すこと。ならばせめて、この女にだけはこの蒼空の下で生きていて欲しい。
ダーク王子の言葉にはそんな意味が込められていた。
己は闇の王、悪たる者である。ならば、これくらいの我儘は許されよう。
残り少ない時間を、ダークアンナと他愛無い事を話しながら進む。
少しでも、この世界を目に焼き付けておきたかった。
そして、その時が遂に訪れる。
「限界、か」
ダーク王子がゆっくりとその場に膝を突く。
それをダークアンナが抱き留めると、静かに自身の膝の上にダーク王子の頭を乗せた。
「悪くはない、な……」
蒼空の下、ダークアンナの微笑む顔が見える。
愛する女に抱かれて眠るのだ。願いは叶わなかったが、それでもこの終わりは望外であった。
ダーク王子が静かに瞳を閉じる。そして、どこまでも安らかな顔で、動かなくなった。
「お眠りください。我が主、偉大なる闇の王、ダーク王子様。——私の、大好きな人」
何処までも優しいその言葉が、ダーク王子の聞く最後の声であった。
鬱蒼とした森の奥に、その墓所はあった。
人々の記憶から忘れ去られたその地は、ただ死に魅入られた小柄なリッチの手によって人知れず管理されていた。
そんな静かで小さな墓所に、新たに一つ墓が加わった。
小さく、飾り気のないその墓は、時折女や魔物がやって来ては丁寧に手入れをし、去っていく。
それは、その墓の主が余程愛されているのだと窺い知れるもの。
そんな小さな墓の側に、黒い剣が突き立っていた。
それは、王子が鍛治職人に作らせた特注の剣だった。
黒い剣身に闇色の宝玉を埋め込んだそれは、一目で名剣と分かるもの。
何故、手向けに剣を選んだのか。それを王子は誰にも語らなかった。或いは、予感があったのだろう。
その剣には、小さく一つの言葉が刻まれていた。
——戦友へ、と