王都の邸宅。
褪せ人が霊呼びの鈴と小さな袋に包まれたオークロードの遺灰を卓の上に置いた。
それをへリューズがしげしげと眺め、そして白魚のような手で霊呼びの鈴を手に取る。
「……成程、異界の魔道具ですのであまり詳しい事は言えませんが、遺灰を触媒にして魂を呼び起こし霊体を召喚する。つまりは一種の降霊術のようなものでしょうか」
へリューズが暫く眺めた後、そう推測を口にした。
一目で霊呼びの鈴について看破し、その効果を言い当てる。
流石は冥界の亜神といったところか。
「えへ……褒められると照れてしまいますね」
褪せ人の言葉に、だらしなく頬を緩める。
どうにも見た目の艶やかさに反して幼さを感じさせる。
「これは、使えるのか」
そんな彼女に、褪せ人は抱えていた懸念を口にした。
遺灰による霊体の召喚。非常に強力で使い勝手の良いものではあるのだが、相応に条件がある。
その条件が、還魂碑と呼ばれる存在であった。
霊体の召喚出来る場所に必ず還魂碑があり、その範囲でのみ、霊体の召喚を行える。
しかし、この異界に還魂碑は存在せず、一部の例外を除いて遺灰の使用は出来なかった。
ならば、このオークロードの遺灰はどうなるのか。
「んー…、恐らくは大丈夫かと。この世界でそれを使いたいのでしたら冥界から死者を呼び起こし、召喚する事になるでしょうから、それこそ冥界の亜神が側に居れば正しく降霊する事は可能でしょう」
彼女の見立てでは、自らが還魂碑の代わりを果たせるかもしれないということだった。
もし、それが事実ならば非常に有用な情報である。
ただし、やはりと言うべきか、狭間の地の遺灰を召喚するのは難しいだろうとの事だった。
聖なる森での出来事は特別だったのだろうと彼女は語る。世界を超えて死者を降ろすのは、それこそ冥界の王でもないと出来ないだろう、と。
いずれにせよ、彼女が居ればこの世界由来の遺灰を召喚出来る。
この情報には何よりも価値があった。
「えへへぇ……ますます離れる理由がなくなりましたね?」
嬉しそうにそう言うへリューズ。
そして、そんな二人のやり取りを面白くなさそうに見つめていたタラニアが口を開く。
「二人とも何か距離が近くないかい?」
先程のやり取り自体は非常に興味深いものであった。
だが、どうにも目の前の二人の距離感が気になって話に集中出来ないでいたのだ。
褪せ人の首に手を回し、まるで寄り添うように背中に身体を預けていた。
「あら? そうなのでしょうか?」
「そうだよ!」
思わぬ事を言われたとばかりに目を瞬かせるへリューズと息巻くタラニア。
聞けば、目の前の亜神は長い間独り引き篭もり続けていたせいか、どうにも人との距離感がおかしいらしい。
それは、特にお気に入りと化した褪せ人に対して顕著であった。
正直、それだけならばタラニアも何も言わなかった。
カゴメなんかも似たような事をしているし、何だったら彼女の方がよほど計算高い。
だが、それでも無視できない理由があった。
褪せ人の背に押し当てられるへリューズの双丘。
柔らかそうなその豊満さが、形を変えて密着している。
「むぐぐ……!」
それを見て、タラニアの中の危機感が膨れ上がっていく。
豊満な体の美女が、まるで童女のような無防備さでその身体を密着させているのだ。これでどうにかならない男がいるのだろうか。
現状、褪せ人がそれを気にした様子はない。
だが、彼とて男である。亜神の色香に惑わされる可能性は十分にあった。
「……褪せ人君のすけべ」
「何……?」
半ば八つ当たり気味なタラニアの罵倒に、褪せ人は漸く彼女が何を言いたいのかを察する。
褪せ人がその視線を追い、へリューズに離れるように促す。名残惜しそうにしながらも、へリューズは大人しく身を引いた。
タラニアが己の胸元を見下ろす。そこに丘などありはしない。なだらかな平野が広がるばかりである。
最近はあまり褪せ人と過ごす時間も少ない。
彼女は王国所属の傭兵として各地で遠征について行っているのに対し、目の前の男は同じ傭兵を名乗りながら魔界やら何やらと気ままに動く事が許されている。
そこにアスバールやへリューズの登場である。
——故に、これは気の迷いであった。
意を決したようにタラニアは椅子から立ち上がると、回り込んで褪せ人の方へと向かう。
「……えい」
そして、褪せ人の腕に抱きついてみせた。
予想通りに岩のように硬い腕に、精一杯身体を押し付ける。
しばしの沈黙。褪せ人が無表情に僅かな困惑を浮かべてタラニアを見遣る。
「……何がしたい」
「そ、そういう冷静なやつが一番心にクるからやめろー!」
色々衝動的な行為であったが故に、冷静な返しが胸に刺さる。
顔を真っ赤に染めながらも、しかし身体を離そうとはしなかった。
そんなタラニアをへリューズが微笑ましげに眺めていた。
「うぅ……冷静になったら恥ずかしくなってきた」
しばらくして、再び元の席に戻ったタラニアは顔を朱に染め、俯いていた。
褪せ人がそんなタラニアの様子を訝しげに見つめるが、何も言わない。
人間誰しも、奇行に走りたくなることはある。
吸ってはいけないと言われた蜜を4度も吸ったり、会って数日の巫女に毒薬を飲ませたり……それと比べれば可愛いものだった。
「……凄い失礼な事を考えていないかい?」
「気のせいだ」
半目で睨むタラニアに言葉を返す。
タラニアは暫く睨んで、やがて溜め息をつくと、口を開いた。
「まぁ、いいや。褪せ人君は王子から次の話は聞いているのかい?」
褪せ人の今後の動きについて、タラニアが尋ねる。
それについては、ある程度の情報は聞いている。
「華の国だろう」
「やっぱり、話は聞いていたようだね」
華の国。
白の帝国と並ぶ大国であり、長い歴史と独自の文化が根付いた国である。
古くから武人の聖地であり、仙人と呼ばれる人を外れた者達の修行の場でもあった。
その地に破滅の力が在るという。詳細は未だ聞けていないが、褪せ人も同行を求められた。
「そういえば、褪せ人君は華の国に行ったことはないんだったかな?」
「無いな」
タラニアの言葉に、褪せ人が頷く。
今までは王国と白の帝国、そして魔界が主な行動範囲であり、其方の方へ行く事は無かった。
「じゃあ、今度行ったらオススメのお店を紹介してあげるよ。あの国も中々美食が多いからね」
「楽しみにしておこう」
タラニアの得意げな様子を見ながら、褪せ人は言葉を返す。
華の国、伝え聞くその地は魔物達の襲撃で惨憺たる有様だという。
今回の遠征、一筋縄ではいかないだろうと、褪せ人は思うのであった。
王城の執務室——王国の主だった者が集められたその部屋に褪せ人も居た。
正面には王子。そして、見慣れぬ女の姿。
王子が全員が揃ったのを見計らい、口を開く。
「今回の作戦は華の国への遠征。目標は破滅の力の入手である」
その言葉に続いて、アンナが卓に地図を広げ、指差しながら説明を始める。
「華の国にて、破滅の力が存在する可能性が非常に高い場所が分かりました。今回はその地に向かい、調査の上、破滅の力を確保する事が目的となります」
「確定ではなく、可能性?」
「それについては、私から説明しましょう」
タラニアの問いに答えたのは、王子の側に居た見慣れぬ女であった。
天球儀を片手に持つ、銀髪の娘が前に出る。
彼女は褪せ人達へと向き直り、どこか得意げな様子で自己紹介を始めた。
「私はソラス、占星術師です」
「……」
得意げな自己紹介、しかし返ってきたのは静寂であった。
余程知名度に自信があったのだろう。だが、褪せ人は異界の人間であるが故にその名を知らず、他の面々の中にはその名を知るものも居たが、それは余りにも荒唐無稽な話であるが故に、その可能性は真っ先に否定されていた。
想定と違う反応に、ソラスは首を傾げながら言葉を続ける。
「あれ、ご存知ありませんか? 占星術師のソラスといえばかつての千年戦争で英雄王と共に——」
「自分で解説してちゃ世話ねぇだろ」
「もー! アトナテス!」
自分で自分の解説を始めようとしたソラスに、アトナテスが呆れたように口を挟む。
この男と親しげな様子から、ある程度は察する事が出来た。
アトナテスが彼女について改めて紹介を始める。
「占星術師のソラス。かつて俺達と共に千年戦争を戦った英傑、その一人だ」
「まさか、本物……?」
「ふふふ、本物ですよー♪」
驚くタラニアに、茶目っ気たっぷりに返すソラス。
伝説の英傑というには、随分と気さくな娘だと、褪せ人は思った。
「それで、可能性というのは」
話が脇に逸れそうになっている為に、褪せ人が口を開く。
伝説の英傑について気にならない訳では無いが、それでも今重要なのはそこではない。
「おっと、そうでしたね。可能性というのは、私が占星術を用いて占った結果、彼の地に大きな力が眠っているという事が分かったのです」
「つまり、占いの結果だと」
「あ、もしかして疑ってますね?」
ソラスの言葉に、褪せ人は何も言わない。
正直に言えば、疑っていた。
この世界の者達にとっては、英雄王と共に戦った偉大なる英傑、それ故に多大な信頼を寄せているのだろう。
しかし、褪せ人にとってはそうではない。
占いの結果が曖昧なのもあって、信用しきるには難しいと言わざるを得なかった。
「む、最もな意見ではありますね……では、試しに貴方自身を占って見せましょうか」
そんな褪せ人の意見に一定の理解を示しつつも、ソラスとしても自身の占星術には自信がある。
故に、信用を得る為にも褪せ人を占ってみせようと申し出る。
「好きにしろ」
褪せ人は端的に答える。
信用は出来ずとも、華の国には行くつもりであった。
どの道他に行く宛は無く、疑問を持つのは単に己が異界の人間であるからである。
しかし、占星術というものに興味があるのも事実。占ってくれるというのならば、否やは無かった。
褪せ人の了承を受け、ソラスが天球儀を掲げ、占いを始める。
「星の声が聞こえます……これは……流星、でしょうか? いえ、ですが……星々の向こう、そこに広がる暗い闇が……」
「……何か様子がおかしくないか?」
アトナテスが口を開く。
褪せ人を対象に星を詠み始めたソラスの様子がおかしい。
普段の彼女とはまるで違う様子で、どこか鬼気迫る姿で占いを続ける。
「暗黒の星々……偉大なる星団……」
「なぁこれ絶対止めた方が……」
猛烈に嫌な予感がする。褪せ人を介して、何か良からぬものが見えている。そう思わずには居られなかった。
見守っていた面々もどこか異様な空気に、戸惑いを隠せない。
そして、突然顔を上げたソラスが叫び声をあげた。
「分かりました! 宇宙は空にあります!!」
「褪せ人!」
「わっ、一体何を……モゴー!?」
明らかに正気を失ったソラスを見て、王子が褪せ人へと呼び掛ける。
それを受けた褪せ人がソラスの口に発狂の苔薬をねじ込んだ。
咳き込んだ末、漸く正気を取り戻したソラスへと、王子が告げた。
「……とりあえず、褪せ人を占うのは禁止で」
「はい……」
王子の言葉に、苦々しく頷くソラス。
それを見ながら、今回ばかりは己は悪くないと、そう思う褪せ人であった。
華の国への遠征。その道中、褪せ人達は荒れ果てた道を進む。
「……想像以上に酷い有様ですね」
アスバールが、褪せ人の隣で口を開く。
ここに来るまでに、幾つもの焼けた村々を目にした。
そのいずれも、生きている人間の姿はなく、ただただ朽ちた建物が風に晒されているばかりであった。
「いくら何でも荒れすぎじゃないかい? 華王は一体何をやって……」
「居ないわよ、華王」
眉を顰めて現状に嘆くタラニアの言葉に、アブグルントが割って入る。
その言葉に、褪せ人がアブグルントへと目を向けた。
「どういう事だ」
「現在、今代の華王の行方が分からなくなっているの。噂に寄れば、敵を前にして逃げ出したらしいわね」
現在、華の国が混乱の只中にある原因の一つは、王族の不在であった。
現華王が敵を前にして逃げ出した——そんな噂がまことしやかに囁かれ、現体制に対する不信が広まっている。結果、統制が失われ、荒れた村々も放置されている有様であった。
「……アイツに限って、敵を前に逃げ出すとは思えないんだがな」
そんなアブグルントの言葉に、王子は神妙な面持ちで呟いた。
「知り合いか」
「華の国とは古くから国交があってな……現華王はまぁ、妹分のようなものだった」
会ったのはお互い小さい頃だがな、そう言って王子が懐かしむように目を細める。
現華王、褪せ人が聞く限りは紛れもない善王であったらしい。
武にも長け、ひとたび戦場に出れば、兵達を率いて無双を誇ったのだという。
その話が本当であれば、確かに敵を前に逃げ出したというのは信じ難くはある。
しかし、真実がどうであれ、民達が逃げ出したと捉えている以上、それを覆すのは難しいだろう。
「まぁ、居ない王の事を話しても仕方がない。今はただ、俺達に出来ることをしよう」
気を取り直したように王子は言う。
現状、華の国もトップ不在の混乱の渦中にあるとはいえ、仙人や諸勢力の尽力により、かろうじて魔物達の侵攻を凌いでいる状況であった。
華の国の惨状に思うところはある。だが、今回の目的はそこにない以上、少しでも早く目的を達成する事を優先すべきであった。
山道をしばらく進んだ後、その日は陽が沈む前に野営の準備へと入った。
周囲で兵士が天幕の準備を進める中、褪せ人はトレントに跨り、周囲の探索へと向かう。
新天地である。何はともあれ、周囲に何があるのかを見て回りたくなるのは自然な事であった。
「おっ、いつものやつですね! アタシもついていきますよ!」
そんな褪せ人を見つけたカゴメがいつものようにトレントへと飛び乗るのを確認して、褪せ人はトレントを駆けさせるのであった。
「こうしてると、魔界で二人だった事を思い出しますねー」
しばらく山道を駆け、周囲を探索していると、カゴメが懐かしそうにそんな事を言う。
確かに魔界に初めて赴いた時は、こうしてトレントに跨り、二人で探索に赴いていたのだったか。
思えば、最近は随分と周りが騒がしくなったものである。
「そういえば、何か褪せ人にくっつくのが流行ってると聞きました!」
「お前はいつも通りだろう」
「えへへー」
他愛のない会話をしながら、トレントを駆けさせる。
しばらくして、小さな、焼け焦げた廃墟に辿り着いた。
元はただの民家だったのだろうか。壁は焼け落ち、住居としての体をなしていない。
今日はここを探索して、王子達の下へと戻ろうかと、そう考えてトレントから降りたその時であった。
何かの気配がある。
燃え盛る炎を背負った四足の獣が、廃墟の前で何かを掘り返している。
明らかに、ただの獣ではない。
「妖虎ですね、あれ」
カゴメが言う。
妖と化した虎――妖虎。今は背を向けて地面を掘っているが、そのまま放置するには近すぎる距離だった。
「んー…どうしますか?」
褪せ人は答えず、無言で大槌を構える。
野営地も近い。魔物である以上、見過ごす選択肢はなかった。
妖虎もこちらに気づいたのか、振り向いて獰猛に舌なめずりをすると、獲物を見つけた獣のように飛びかかってきた。
妖虎も、相応に力のある魔物である。しかし、今回ばかりは相手が悪かった。
その頭を黒鉄の大槌が叩きつける。肉が潰れる音と共に、妖虎は吹き飛び、地面に転がる。
起き上がろうとしたところに、二撃目、三撃目が容赦なく振り下ろされ、地面が鮮やかな赤に染まる。
やがて、妖虎は痙攣を残して動かなくなった。
淡々とそれを処理した褪せ人は、妖虎が掘っていた場所に目を向ける。
「うーん……お墓、ですかね?」
それは、簡素な墓だった。
二つ。木板が突き刺されただけの、粗末な作り。
かき集めた小さな花が供えられていたが、それも妖虎によって踏みにじられている。
掘り返された穴はまだ浅く、遺体までは到達していないようだった。
妖虎の目的は、恐らくこの遺体を喰らうことだったのだろう。
しばしの沈黙の後、褪せ人は掘り返された墓を埋め戻し始めた。
散々に墓荒らしをしてきた身の上で言うことでもないが、みだりに死者の眠りを妨げる事もないだろう。死氷の亜神の機嫌を損ねるつもりもない。
カゴメの手伝いもあり、それ程時間も掛からずに埋め終わる。
そして、褪せ人はその二つの墓へと、実態なく燃える花を一輪ずつ添えた。
霊炎花という、墓地に咲く花である。
褪せ人に花の知識などありはしないが、この花が墓地に添えられているのは良く見たものである。
気休めだが、踏み潰された花の代わりにはなるだろう。
それを添えたのは、言ってしまえば気まぐれであった。
墓でやることを終え、褪せ人が廃墟の探索を始める。
「帰るぞ」
「はい!」
予想通り、廃墟にはめぼしいものは何も無かった。
廃墟の探索もそこそこに、褪せ人はトレントにカゴメを乗せると、王子達の下へと戻るべく、駆けさせる。
「……」
そんな褪せ人達を、一人の少女がじっと見つめるのであった。