皇帝と王子が駆け出す。それを迎え撃つは業火の如く燃え盛る魔力と化した魔王。
「夥しい程の魔力の放出……これでは魔法攻撃は通用しません!」
背後から聞こえるソラスの言葉に、王子と皇帝が剣を構える。問題はない。魔力が通らないのなら物理で攻めるまでのこと。
魔王へ肉薄する二人に対して、魔王は両手を掲げる。放たれるのは、漆黒の太陽。
膨大な魔力によって編み出されたそれが、あらゆるものを塗り潰し、迫る。
空間を軋ませるその一撃に、皇帝がアダマスの神器を振るい、斬撃を放つ。
三女神の力を注がれた皇帝によって放たれたその斬撃は、漆黒の太陽を両断。そして、続け様に放たれた斬撃の嵐が細切れに斬り裂き、霧散させた。
魔王の攻撃は終わらない。さらに黒い魔力塊が放たれる。その数は十を優に超える。
「ちっ……!」
皇帝の眉間に皺が刻まれる。再び神器を構え直そうとした時、背後から銀に輝く月が飛来した。
「魔術……!?」
アスバールが目を見開く。あれは褪せ人が用いる祈祷の類ではない。
魔力と杖を用いた、人類の探求の証。その中でも特に極まったものであると、亜神であるアスバールは看破した。
褪せ人は己が使う事は無いだろうと考えていた杖を握り、魔術を行使する。
三女神の力が褪せ人の潜在能力、あり得たかもしれない可能性を引き出していた。
全てを飲み込まんとする闇を、淡く輝く月が照らす。
「駄目だ、届かねぇ!」
アトナテスが叫ぶ。このままぶつかれば褪せ人の放った魔術などなす術なく飲み込まれる。誰もがそう思った。
だが、輝く満月、見る者を魅了するそれは、途上にある漆黒の太陽にぶつかるとそれを消滅させた。
破壊の魔力を受け止めてなお、月の光に翳りはない。
「ほう……!」
その様を見て魔王が感心したような声を上げる。まさか拮抗すらしないとは。
単純な力の大小ではない。深き叡智の輝きを、その魔術は感じさせた。
褪せ人が再び杖を掲げ、宙に浮く。身体を丸め、膨大な魔力が形を成す。
放たれるのは冷たく暗い、神秘の月——暗月が闇の中、魔王へと迫る。
二つの月が魔王へと向かう。淡く輝く双月が、闇を静かに照らし空を舞う。
幻想的ですらあるその光景。しかし、それを前にして魔王は嗤う。
「無駄だ! そこの女が言ったように、今の予に魔術など効きはしない!」
己の攻撃を打ち消す程の力を持つ月。だが、魔王はその月が魔力によって編み出されたものであると看破していた。ならば、今の己に通用するものではない。
女王の満月が、魔王へと辿り着くと、輝きと共に爆ぜる。銀月の魔力が周囲へ解き放たれ、魔王をも巻き込む。
それは魔王の予想した通り、己を傷付けるには至らない。
だが、褪せ人は動じない。それで良い、この魔術は次へと繋げる布石。
膨大な魔力によって守られた魔王の表情に一瞬の違和感が走る。
「……!? 成程、これは……」
魔力への護り。それに綻びが生じた。原因は先程の満月である事は明らか。最初からこれが狙いかと褪せ人を見遣る。
放たれた月はこれで終わりではない。暗く、冷たい暗月が魔王の眼前へと迫り、再び爆ぜた。
「ぐっ……! フハハッ! まさかこの姿の予に魔術を通すとはな!」
二撃目のそれは、魔法に対する耐性を弱体化させられた魔王に確かなダメージを与えた。
魔王の身を冷たい魔力が蝕み、そして魔法への護りにさらに亀裂を生じさせる。
「ケラウノスの神器よ……!」
褪せ人によって生じた綻び。それを見逃す王子達ではない。
ケラウノスの神器がその力を解き放つ。放たれるは神の雷。
「ハハハハハッ! 良いぞ、まだまだこの程度ではなかろう!?」
神の雷を浴びながら、魔王は笑う。
効いていないわけではない。寧ろ、己に手傷を負わせるほどの相手であるということに歓喜していた。
魔力を放出する。見る者に怖気を感じさせる程に濃密なそれが、大気を震わせ魔王の周囲を満たす。
大規模な攻撃の前兆。それを見ながら、褪せ人は杖を構えた。
暗い星空を思わせる魔力が、杖の先端に集まり光が満ちる。
「滅びるがいい……!」
魔王がその力を解き放つ。極大の闇が全てを喰らいつくさんとばかりに褪せ人へと迫る。
それと同時に褪せ人もまた、その力を解き放った。
放たれるは、極大の彗星。
魔術の到達点、その深淵たる星空は真っ直ぐに魔王の放った闇とぶつかり、拮抗する。
「……!」
褪せ人の身の内、女神から与えられた膨大な魔力が湯水の如く消費されていくのを感じる。
この状態にあってなお伝説の魔術が並大抵の人間には扱えるものではないという事を物語っていた。
この拮抗状態が続けば、押し負けるのは褪せ人の方だろう。だが、それは長くは続かない。
「——隙だらけだ」
魔王の懐に潜り込んだのは白の皇帝。
帝国の象徴たる神器を構え、その力を解き放つ。
今や彼の身の内にはアダマス本人の力が宿っている。神器の力、それをこれ以上なく十全に振るっていた。
「フッ……!」
放つは斬撃。女神の力が込められたそれは、魔王の身を容易く斬り裂いた。
闇の魔力が、血のように噴き出し霧散する。
「ガァッ……!?」
明確なダメージに、魔王の炎の如き姿が揺らぐ。拮抗が僅かに崩れ、そこをさらに王子が追撃する。
「雷霆よ……!」
放たれた無数の雷が魔王に殺到。破壊の限りを尽くす。魔力の耐性が崩れた今、それは決して無視できるものではない。
拮抗は——ついに崩れ去る。
迫るは暗黒の彗星。星々の深淵。
「ぐっ……おおおぉぉ!!」
暗黒の彗星に飲み込まれ、魔力の身体が悲鳴を上げる。
「やった!!」
それを見た仲間の誰かが声を上げる。
圧倒的なまでの破壊の光景、誰もが勝利を確信した。
だが——
「——面白い、予の力に匹敵するか」
滅びの彗星が過ぎ去った後、そこに居たのは異形の人型。
三対六枚の翼に闇色の体躯。赤黒い大剣を片手に携えたそれは、まさに神話に語られた魔王の姿。
「良かろう、予の真なる姿、それを見る事を許す」
魔王が剣を構える。
ここにきて、魔王はその全てを出し切る事を決めた。矮小なる人類を、不倶戴天の敵であると認めるに至った。
「どこまで手が届くのか、お前達の全存在を賭けてかかってこい……!!」
先程と比較してなお上回る存在感。吹き荒れる魔力の嵐の中、王子と皇帝、褪せ人が対峙する。
「まさかまだ上があるとはな」
「格好つけているが、それ程に追い詰めているということだ」
王子の言葉に、皇帝が静かに返す。本気を引き出させたのだ。後はそれを超えるだけである。
「違いない」
王子が笑うと、アイギスの神器へと装備を変える。出し惜しみは不要、この戦いに全てを賭け、その力を引き出す。
「アイギスの神器よ……!」
「力を貸せ、アダマスの神器よ」
王子と皇帝、それぞれから膨大なまでの魔力が溢れ出す。神器を介して、女神自身が王子と皇帝の後押しをする。
「……」
褪せ人もまた、静かに武器を構える。その手に杖は無く、代わりに握られるのは原初の雷、さざれ石の刺剣。
これもまた、竜王の力を宿した武器である。
最初に飛び出したのは褪せ人。刺剣を構え、魔王へと迫る。
「さぁ、次は何を見せてくれる!?」
またしても武器を変えた褪せ人に、魔王が期待を込めて剣を振るう。力の差を、圧倒的なまでの手札の数で埋める。魔王とて、一瞬たりとも油断は出来ない。
放つは斬撃。赤黒い刀身から繰り出されるそれは、ひとたび触れればたちどころに両断されるだろう。
しかし、褪せ人がそれに当たる事はない。竜王の岩剣、その力を解き放つと、その身を雷雲に変え斬撃を躱す。
「ほう……!」
己の一撃が躱されたことに、魔王はさしたる驚きは無かった。この男ならば、この程度はやってのけるだろう。
赤い雷雲は駆ける速度をそのままに魔王へと迫る。
そして、魔王へ向けて渾身の突きを放った。赤い、原初の雷を纏った剣身が魔王の胸へと迫る。
魔王が剣でそれを受け止める。凄まじいまでの衝撃音が響き渡り、大気を揺らす。
攻撃を防ぎ、しかし魔王の顔が苦痛に歪む。
「くっ……この威力、ケラウノスか!」
魔王が剣を振り、褪せ人を振り払う。大剣を握る右手が、赤い雷に焼かれ傷を負っていた。
魔王たる己を、防御の上から焼き焦がす程の威力。ケラウノスが肩入れしているのは明らかであった。
褪せ人へとカウンターを放とうとして、しかし入れ替わるようにして前に出た王子と皇帝に中断する。
「アイツばかり気に掛けていて良いのか?」
その言葉に、左手を掲げる事で答える。魔王とて彼らに意識を向けていなかった訳ではない。掲げた掌に魔力が集まり、魔力弾として放つ。
「防げるか!? 女神の信徒共よ!」
絶大な威力を誇るそれは、皇帝と王子へと真っ直ぐに突き進む。それを前にして、王子が皇帝よりも前に出る。
構えるのはアイギスの神器。
放たれた魔力弾を前に、構えた盾がぶつかり合う。そして、それは見事に防ぎ切った。
アイギスの盾に、一切の傷は見当たらない。
「これも防ぐか! 神器の継承者、英雄王の末裔よ!」
魔王がますます笑みを深める。英雄王の時代でも、これ程に己と渡り合う相手は居なかった。
数多の英傑、そして英雄王と女神を相手にするよりも、目の前の三人を相手にする方が余程追い詰められている。
面白い。何よりも、女神の呼び出したあの男。
無数の手数を誇り、そしてその全てが己を殺し得るという規格外。だが、それ以上に強き意思こそが、あの男を強者たらしめている。
ピラミッドで相対した時も、あの男はただの一度も諦めの意思を見せなかった。
どれ程の死線を潜り抜ければ、その境地に到達できるというのか。魔王をして、それは想像することすらかなわない。
戦いは続く。
褪せ人が手数で圧倒し、皇帝が斬り込み、王子が防ぐ。そして、そんな三人に対し、魔王も一歩も退くことなく渡り合う。
人智を超えた、まさに神話もかくやといった有様に、周囲の仲間達は手出し出来ない。
褪せ人の姿が再び竜へと変じる。先の竜王ではない。だが、その姿は決してその竜王に勝るとも劣らない。
竜王の超越した存在感とは異なる、ただただ純粋なまでの暴力。
見るものに恐怖を与える暴虐の竜が咆哮する。
強烈な熱風が放たれ、爆ぜる。焼き尽くさんばかりの火柱と落雷が周囲に撒き散らされ、魔王を吹き飛ばす。
吹き飛んだ魔王へと追撃とばかりに放たれるのは古き雷。
赤き雷を槍に纏わせ、その力を解き放つ。
これもまた、大古竜と称された竜が用いる得物の一つであった。
その様子を、ただただ呆然と見上げるソラス。
「……彼女が見たら、彼をどう思うでしょうね」
「彼女……? あぁ、アイツか。……間違いなく気に入るだろうな」
ソラスの言葉にアトナテスが訝しげな顔を浮かべ、すぐさま誰を指したのかを理解する。
圧倒的な力を持つ竜。その力を一端でも用いるという事は、あの男はそれらを打ち倒したのだろう。
当然、この世界と彼の世界では事情は異なる。だが、竜という絶対強者を打ち倒した英雄を、最後の竜にして最初の竜人たる彼女が酷く気に入るのは想像に難くなかった。
吹き飛んだ魔王が体勢を整える。その身は無数の傷が刻まれ、焼け焦げている。満身創痍。しかし、それは相手も同じ。
決着は近い。それを察して魔王が笑う。そして、勝負を決するべく己の全霊を剣へと込めた。
「——英雄よ、我が全霊の一撃、見事受け止めてみせよ!!」
剣より放たれるは赤黒い斬撃。禍々しい魔力の込められたそれは、まさに世界を終わらせるに相応しいものだった。
避ける事も、防ぐ事もかなわない。
だが、それを前にしても三人が退くことはない。
褪せ人が剣を構える。
手に持つは神の遺剣。死なぬ筈の神、その身を剣と成した神殺しの象徴。
剣身に黄金の光が宿り、それを抜き放つ。黄金の光が波となって広がり、魔王の渾身の一撃とぶつかり合う。
「これで終わらせる……!」
拮抗する両者の一撃。そこに皇帝がアダマスの神器を解放。渾身の斬撃を加える。
赤と黒の斬撃が砕かれ、黄金の波が飲み込んだ。
「ククク——ハハハハハッ!!」
黄金の光を前に、魔王は哄笑する。全身を聖性に焼かれながら、それでも声を上げて笑う。
黄金の光の向こう、駆けるのは一人の男。その姿に、かつて己を封じた英雄王の姿が重なる。
「悲劇を終わらせる——その誓いを果たす時が来た」
王子が剣を構え、魔王へと肉薄する。
最早その身は焼かれ、躱すことも、防ぐ事もかなわない。
文字通りの最後の一撃。それが迫っている事を魔王は悟った。
「これが……これが人の力か……この世界の、願いの力だというのか」
剣が振り抜かれる。それは魔王の胴を斬り裂き、その核を決定的に破壊した。
魔力が血のように噴き出し、魔王がその場で崩れ落ちる。
「……あぁ……予の、魂が……予の力の形が崩れていく……」
破滅の力が滾れ落ち、自身の魂が砕けていくのを感じる。真の滅び。英雄王すら成せなかったそれが引き起こされているのを理解した。
崩壊する自身をただ見つめる男へと問い掛ける。
「お前は……お前達は何者だ。あの男ですら……予には届かなかったというのに」
英雄王の末裔、神器の継承者。そんな肩書きを聞きたいわけではない。
己を打ち倒した男達。ただただそれを知りたかった。
「……ただの王子だ。ただ、仲間と共に歩み続ける者だ」
静かに返された王子の答え、それを深く魂に刻み付ける。最早その魂すら砕け散ろうとしているが、それでもそうせざるを得なかった。
「そう、か……。最早二度と会うことはないだろうが……お前達の事は決して……忘れ、まい」
これ以上言葉を紡ぐ事は出来なかった。答えを聞き、どこか満足そうな表情を浮かべ、やがて魔王の身体は完全に崩壊した。
「……魔王の魔力、完全に消滅!」
「やったの……? 本当に……?」
先程の激戦が嘘のような静寂の中、仲間達が口を開く。
あの暴力的なまでの魔力は嘘のように消え去っていた。それが、魔王がこの世に居ないという事を雄弁に物語る。
「ああ、全部終わった。魔王は、もう居ない」
王子の言葉に、仲間達が湧き上がった。
近くのものと喜びを分かち合い、それを成した王子達へと賞賛を送る。
「褪せ人ー!!」
カゴメが褪せ人に真っ直ぐ駆け寄ると、その勢いのまま抱きついた。
鎧に激突する勢いでぶつかるカゴメだが、まるで気にした様子はない。傷ひとつないのは流石に妖怪といったところか。
「やりましたね! 今まで、良く頑張りましたね!!」
我が事のように喜ぶ彼女の姿に褪せ人が戸惑うも、一先ずは好きなようにさせる事とした。
そんな二人を、微笑ましげに見つめるアスバール。そして、褪せ人へと口を開く。
「遂に、成し遂げたのですね」
「……そうだな。随分と長い道のりだった」
女神に呼び出され、燃え尽きた灰に使命の火が灯された。
ここに至るまでの道のりは並大抵のものではなかったが。それでも使命は果たされた。
遠くを見遣り、物思いに耽る褪せ人に、アブグルントが笑みを浮かべて言葉を投げかける。
「ふふ、まさか、もうやる事は終わったとでも思っているのかしら?」
「それは困ります。貴方にはこれからの魔界で色々とやってもらう事があるんですから」
アブグルントの言葉に、アスバールが応じる。
まだまだ終わらせるつもりはない。魔王の脅威が去ろうとも、世界は未だ混乱の只中である。平和になったとは言い難い。
まだまだやる事が山積みなのだ。勝手に満足されては困る。
「まだまだ頑張れる事はありますからね! アタシ達と一緒に、無限に頑張りましょうね!」
「人を焚き付けた責任もありますからね。背負うと言った手前、勝手にどこかへ行こうだなんて許しませんよ」
「ステージはまだまだ続く。君も僕も、英雄譚は始まったばかりだろう?」
カゴメが嬉しそうに笑い、フーロンが半目で睨みながら釘を刺す。
タラニアもまた、この先の未来を思い描いているようだった。
周囲で勝手に話が進んでいることに褪せ人は物言いたげな表情を浮かべ、いつもの事かとすぐさま諦めた。
「ふふ、彼の終わりはまだ遠いようですね」
周りを囲まれ、その兜の下の顔に疲れを滲ませた褪せ人の姿に、へリューズが微笑む。
まだこの男は死すべき運命にない。彼を必要とする者が居る限り、その火が消える事は無いだろう。
それならそれで構わない。その歩みを見守っていたいのは、自分とて同じなのだから。
「褪せ人様、帰りましょう——王国に」
イリスが優しげな笑みと共に手を差し出す。この先も、彼の周りには様々な苦難が待ち受けているのだろう。だが、今はただ帰るべき場所があるのだと、そう伝えたかった。
褪せ人は差し出された手を見て逡巡し、やがてその手を取る。
「……そうだな。こんな私にも、まだやれる事はある」
燃え尽きるにはまだ早い。求められる限りは、それに応え続けよう。
誰に言うことなくそう誓い、その歩みを進める。
——まだ終わらない。この世界が歩みを止めぬ限り、英雄の物語もまた続いていく。
魔王決着。
次回魔王編エピローグです。