ディストピア惑星管理シミュレーション【Humus《フムス》】 作:幕霧 映(マクギリス・バエル)
【──
【
(管制AIが、緊急事態をがなり立てる。)
(アラートのビープ音にあなたは目元をひそめ、愛想のない表情をさらに険しくして神経を尖らせる。)
(あなたはなにかを抑え込もうとするように、服の胸元を拳で強く強く握りしめた。)
【
【同盟中の勢力が存在する、現地国家ジョグスィンへと接近しています。】
【──弊社管理コミュニティへ接近中の敵影は、オルドビス・エネルギー社員、
【──ジョグスィン保安監督局本部ビルへ襲撃中の敵影は、オルドビス・エネルギー社員、
【両者ともに、現時点の住民たちの対応能力を、遥かに超えたレベルの脅威です。】
【彼らの目的は、アダリン社の排除および……】
【
【以下、留意事項──】
【:識別名"サルガッソー"を追跡する、現地組織"群青学派"の構成員が、確認されています。】
【:アダリン社レベル
【:現地
一方、抜刀時に精神と肉体に多大な負荷がかかる《爪》の性質ゆえに、パフォーマンスが非常に不安定です。】
(あなたはモニタの向こうに広がる集落を見た。)
(次に、ジョグスィンの"クリープ・スパイダー"の操作画面に視線をすべらせ。)
(そして最後にその向こう、いくつもの脅威と死を孕み、茫洋と広がる荒野に目をやった。)
【……管理者様。】
【上記のあらゆる材料と可能性を考慮し、最小限の人的・物的犠牲で
(あなたの瞳は冷淡で、そこに熱はない)
(恐れも、憤怒も、
(あなたの心が揺らぐことはない)
(それを禁じているからだ)
(あなたは歴戦の管理者)
(自分が惑星の現地住民に肩入れする資格などないことを、あなたは自身の経験から理解している)
(管理業務は、つつがなく遂行されるだろう。)
【──この難局を、切り抜けてください。】
-ジョグスィン保安監督局 本部ビル-
崩壊した、保安監督局ビルの廊下。
"クリープ・スパイダー"とリェンが、側頭部に歯車を生やしたオルドビス・エネルギー社員──"ラブ・ハウンド"と対峙していた。
「もしもし……ええ、"サルガッソー"。
あなたはアダリン社の拠点の周辺で、連中を見張りつつ圧力をかけ続けておいて。
本丸を畳み掛けるのは、わたしたちふたりでいきましょう。
わたしはこの都市で、"建国帝"の実子を確保してから、そちらへ向かうから』
"ラブ・ハウンド"は、側頭部から突き出たダイヤルを、手癖のようにカチカチといじりながら。
耳に手を当てて、仲間と通信しているようだった。
「……敵前で、のんきに電話とはな。
舐め過ぎだ。さすがに、頭にくる。」
つま先をとんとんと地面に打ち付けながら、いらついた様子のリェンに。
隣の"クリープ・スパイダー"が、平坦な声で答える。
【リェン。今ぼくたちが対峙しているのは、正真正銘のオルドビス・エネルギー社員です。
これまでの、武装化されただけの現地住民とはわけ違います。】
「……そこまでなのか」
【あなたと"クリープ・スパイダー"では、100%歯が立たないと断言できる程度には。】
「その計算に──《
リェンは、腰の刀に指をかけて、覚悟を決めた表情で言った。
【……彼らの武装でもっとも厄介なものは、常時周囲2メートル前後に展開されているエネルギーアーマー、『
内蔵されたAIがフルオートで対象を解析。
超高熱の力場と、鉄壁の粒子壁を使い分け。
ありとあらゆる攻撃行為を、"フィルタリング"してしまう。】
「……」
【ですがおそらく、彼らの『濾紙』のAIはまだ、新物質である
フィルタリング機能にも、不全をきたすはずです。】
「つまり、
【可能性があるとすれば。】
「……それが聞ければ、十分だ。
攻撃が通じさえするなら、あの人は──父さまは、きっとなんとかする……」
そう言ったリェンは、《
彼女の瞳の中に、緋色の華がチカチカと明滅する。
「父さま……力を──」
「──待て。リェン・ルゥオ。ここは
【……"布武王"?】
しかし背後から、武道着を纏った二足歩行の雄獅子──"布武王"に肩を掴まれ。リェンは、《
当惑した様子のリェンに、"布武王"は命令する。
「君は、今すぐ地下室まで降りて、"濫觴王"を連れて逃げろ。
……君と"濫觴王"は、
このジョグスィンの未来そのものだ。
絶対に、死なせるわけにはいかない。
捨て石には僕が適任だ」
"布武王"は、その太い首を鳴らしながら。
"ラブ・ハウンド"を睨みつけ、リェンの前に歩み出た。
「──あの女は、僕と"クリープ・スパイダー"で食い止めよう」
彼はするどい鉤爪で、着ていた武道着の上半身をびりびりと破り捨て。
無数の古傷が刻まれた、筋骨隆々の毛皮を晒した。
【"布武王"……言っておきますが。
あなたでは、彼女に指先ひとつ触れられませんよ。】
「うん。君が言うなら、そうなのだろうね。
……しかし、"管理者"よ。
たとえ、勝ちを拾うのが不可能に近い相手であっても、足を止めさせる方法というのはそれなりにあるものだ。
それが、兵法というものだ」
「たとえば、こんなふうに……」
"布武王"は数秒かけて深く息を吸い込むと。
「──"獅子哮"!!!」
"ラブ・ハウンド"めがけて、獣のような咆哮をした。
大気を震わせるような咆哮が、音響兵器さながら、指向性を持って"ラブ・ハウンド"に襲いかかる。
彼女は、顔をしかめて耳を塞いでいた。
「……うるっさいわね。人が通信してるときに。
ああ、耳がキンキンする……あ、あ、あ、あああ……」
"ラブ・ハウンド"は、カチカチと側頭部のダイヤルを回しながら。
うっとおしそうに"布武王"を見る。
"布武王"は、「……うわあ、あんまり効いてないね……若い魔族ぐらいなら、浴びせるだけで内臓シッチャカメッチャカにできるんだけど……」と呟きながら。
リェンを、視界の端で捉えた。
「……急げ、リェン・ルゥオ。
僕と"クリープ・スパイダー"ふたりが時間稼ぎに徹しても、そう長くは持たないだろう。」
「……局長」
「行け。命令だ。
必ず、あの娘とふたりで生き延びろ。」
リェンは、自分を守るように立ちふさがる"布武王"と"クリープ・スパイダー"を交互に見たあと。
「……分かりました。かならず」
そう言って、階段を飛び降りるように降りて。
"濫觴王"が幽閉されている、地下室へと急いだ。
「フウウウ……本気で体を動かすのは、久しぶりだ。」
リェンを見送った"布武王"は、本性を現したように牙を剥き、獰猛にわらった。
「しかも相手は、異邦からの侵略者ときた。
クク……ジョグスィン草創の折、
【……死にますよ。
あなたは貴重な同盟者なので、生き残ってくれた方が、アダリン社としては有益なのですが……】
「"管理者"、僕はね。
後先を考えたりとか、策謀を巡らせたりとか、あんまり得意じゃないんだ。
最近なんて、君のとこに送った諜報員がすぐバレてしまったし。
向いてないんだよ、そういうの」
"布武王"が、構えを取る。
「近ごろは利口ぶっていたけれど……やはり、僕は武人だ。
死をいとわず強者に喰らいつき、散る。
そういう役回りが、嫌いじゃないんだ。
……リェンを供物に
そんなまだるっこしい現実に、ない頭をひねるぐらいなら──
最後にひと暴れして死ねる方が、お気楽ってもんさ」
【理解できませんね。】
"クリープ・スパイダー"の言葉に、獅子は「だろうね。」と愉快そうに返した。
「ぬうん……!」
"布武王"が、勢いよく地面に脚を踏み込む。
すると、その衝撃がビルの廊下に伝播していき、崩れた壁と天井の瓦礫が"ラブ・ハウンド"へと襲いかかった。。
だが、彼女に降り注いだはずの瓦礫は。
"ラブ・ハウンド"の周囲に到達した途端、どろどろに融解し。
滝が巨岩に割られるように、彼女を中心とした球形の空間を、流れ落ちていってしまう。
その異様な光景に目をひそめつつも、溶け流れ落ちる瓦礫を見て『濾紙』の有効範囲を把握した"布武王"は。
「──さあ、ともに死地へいこうか。"管理者"。」
鉄の蜘蛛とともに、"ラブ・ハウンド"へと襲いかかった。
※
「はぁ、はぁ……」
"布武王"と"クリープ・スパイダー"に背を向けたリェンは、全力で地下へと階段を降りていた。
上階からは、建物が崩落するような振動と、金属が引きちぎられるような凄まじい金切り音が。
断続的に、届いてくる。
子どもの頃から世話を焼いてくれていた、今の上司と。
いつも私に憎まれ口を叩いてくるあの鉄の蜘蛛が。
"オルドビス・エネルギー社"の社員とやり合っている。
……もう、生きた彼らには会えないかもしれない。
そう考えると、リェンの胸の奥に重いものがこみ上げたが、それを必死に飲み下して、地下へと急ぐ。
「……リェン。」
「はぁ……っ。緊急事態だ。今すぐ、逃げないといけない。」
自分の前に現れたリェンを見た"濫觴王"は。
上階の衝撃音から何かしらの異常を察しているようで、ガラス張りの部屋の中で立っていた。
「──わたしは、逃げない。リェンだけで逃げて。」
「……なにを、言ってるんだ」
「ここを襲撃している人たちの狙いは、わたしなんでしょう?」
"濫觴王"は、リェンにそう言った。
「わたしに、あなたが命がけで守る価値なんて無いわ。
……そんなことをするぐらいなら、リェンには自分の人生を生きてほしいの。
わたしはずっと、あなたの足枷になる自分が、憎くて仕方がなかったの……」
「……このジョグスィンと、あなたを守るのが、私の人生の意味だよ」
「それは、リェンではなく、"建国帝"の目的でしょう」
「ちがう。ちがうよ……」
ふるふると首を横に振って、リェンは否定する。
「これは、あの人の意志じゃない。
あの人に拾われた、ごみ溜め産まれの小娘が……《
ずっとひとりだった私に、あの人は……父を、妹を。
家族を、くれたんだ。」
リェンは確固たる声色で、そう断言して。
"濫觴王"を連れ出すために、彼女が幽閉されたガラス張りを破壊しようと近づく。
「──"コルク・ボウラー"」
「っ……!?」
だが、その時。
地下の天井を溶かす極大の光柱が、リェンの背後に突き立った。
そして、それによりできた円形の穴から、オルドビス・エネルギー社員が。
"ラブ・ハウンド"が、降り立ってくる。
──上階からこの地下七階までのフロアを全てぶち抜いて、追ってきたのだ。
リェンは、相手のあまりの規格外ぶりに開口する。
「ええ。"サルガッソー"。
……建国帝の実子──
すぐに確保する。」
そして、仲間に通信で報告をしている、その女の右腕には。
「──ぁ。」
八本の脚を全てひきちぎられ、銅色の配線がむき出しになった"クリープ・スパイダー"の頭部が……
無造作に、ぶらさがっていた。
「……管理者」
完全に破壊され、目から光を失った、同居人の姿を見て。
「管理者……おい……」
リェンの口から、か細く震えた声が漏れた。
彼女の心臓が、痛いほど速く拍動している。
──悲しいね、リェン?
──友だちだと、思ってたのにね
──リェンの大切なものは、みんなお前の指からすり抜けていってしまうね……
リェンの頭に、優しい声が響く。
「う、う……父さま……」
──人生は、泣きたくなることばかりだ……
──俺が、代わってあげる
《
「父さま……」
「耳を貸さないで、リェン!」
"濫觴王"の叫びは、耳に届かず。
なにかに操られるようにして、リェンの指が《
──さっさと俺に体を渡せ、リェン
──さっさと、さっさと、さっさと
──ジョグスィンの夷狄を殺せ
──我々のジョグスィンは、続かなければならない
「…………はい、父さま」
リェンは《
彼女の瞳に、緋色の華が咲き誇った。
【……"ラブ・ハウンド798"へ警告】
【解析不可のエネルギー反応を検知】
【『濾紙』のフィルタリング機能が不全をきたす可能性を留意し、対応せよ。】
「……ふーん」
"ラブ・ハウンド"は、サポートAIからの警告に怪訝な顔をして、足を止めた。
彼女の視線の先にあるのは、名も知らぬ現地住民の左手に握られた、緋色の刀剣だ。
「解析不可エネルギー……なるほど。
あの実体ブレードに、
ふんふんと、興味深そうに頷いた後に。
「──欲しいわね。」
"ラブ・ハウンド"は、唇をつり上げた。
"緋色の華"以外にも、
「……リェン。どうして、泣いているんだ?」
一方。"ラブ・ハウンド"の視線の先、瞳に緋色の華を咲かせた女は。
自分の頬を濡らしている涙を、指先でぬぐい。
呆然としている。
そして、自分の目の前にいる"ラブ・ハウンド"を睨みつけると。
リェンは──彼女の体を動かす"建国帝"は、緋色の刀を虚空に薙いだ。
すると、"ラブ・ハウンド"の周囲に、四本の斬撃が刻まれる。
だが、万物を溶断するはずの斬撃は彼女を傷つけることはなく。
平然と、"ラブ・ハウンド"はそこに立っていた。
半透明の球形が"ラブ・ハウンド"の周囲に発生して、彼女を傷ひとつなく守っている。
建国帝は、その光景にぎょっと目を見開く。
「粒子壁、損耗率2.8%……なるほど。凄まじい火力。
旧式
『濾紙』のAIが最適化されていないとは言え、さすが
向こう3年分のノルマはラクに達成できそうじゃない……」
「……何者だよ? お前。」
「見ての通り、しがないサラリーマンだけど?」
そう返しながら、"ラブ・ハウンド"は。
建国帝に、手のひらを向けた。
【──対象の敵対行動を検知。】
【
【ラブ・ハウンド798の、攻撃用兵装のロックを解除。】
「あなたには、すでに
これを、使える。」
彼女が全身に纏っているエネルギー力場の一部が、腕に集まっていき。
そして、次の瞬間──爆発的熱量でもって、撃ち出される。
「"コルク・ボウラー"」
「っ──!」
建国帝が反射的に横へ飛び退く。
すると、彼が立っていた場所を。
先ほどフロアをつらぬいた光の柱が、通り過ぎた。
地下室の壁を焼き溶かし、先が見えないほど深い、直径2メートルほどのトンネルが出来上がる。
建国帝は、頬に冷や汗を伝わせる。
「……やっばぁ。なんてもんぶっぱなしてんの。
頭に歯車ぶっ刺さったおねえさん。」
ふたたび腕にエネルギーをチャージし始める"ラブ・ハウンド"を前に。
建国帝は、ひどい頭痛に呻きつつ側頭部をおさえた。
彼の頭には、ふたつの声が響いている。
ジョグスィンの存続と繁栄のみを妄執のように唱え続ける、
その声に従い、命の椅子を明け渡そうとしている義理の娘、リェンの声。
そのふたつが、ひたすら脳内に反響していた。
「……死ぬ少し前の俺は、
その頃のイカれて大暴れしてた俺の思考が、ここら一帯の魔力粒子に刻まれちまってる、ってとこか……」
「遺言はおしまい?」
そう聞いてくる”ラブ・ハウンド”に、建国帝は心底から憔悴しきった声で返す。
「……いやあ、お姉さん。
時の為政者が黄泉がえりなんて、するもんじゃないね。
自分の晩節の汚さってやつを、こうも見せつけられる……」
「あっそう──”コルク・ボウラー”」
恒星がごとき熱量が、”ラブ・ハウンド”の手のひらに収束し、撃ち出されようとしたその時──。
「ヴ、ォォォォッ!!!」
「わわっ。まだ生きてたの。しぶといな。」
──天井に穿たれた大穴から降下してきた、満身創痍の雄獅子。
”布武王”が足場を揺るがし、熱線の軌道をそらした。
「
建国帝がそう叫ぶのもつかの間、布武王は壁を爪で引きはがしながら剛腕で投げつけ、”ラブ・ハウンド”の視界を遮ると、咆哮を何度も食らわせて彼女に両耳をふさがせた。
「でかした──」
その隙を見るや、建国帝は《
異分子と結びつきプラズマ化した魔力粒子は、巨大な刃となって”ラブ・ハウンド”に直撃する。
手ごたえはあった。
自らの生前、一振りで一軍を薙ぎ払った全盛期と比較して、遜色ない一撃。
「……粒子壁、損耗率21.5%。
やってくれたわね……このあとは、アダリン社が控えてるってのに。」
「化け物が……」
──だが、女は、土埃の向こうから悠然と歩み出てきた。
「おあそびは、もうやめね──座標指定・”ダウンオッシュ”」
女がため息交じりにそう言い、立ちすくんでいた布武王に指先を向けると。
瞬間、数百Gの重力場が、見えないプレス機のように圧しかかり。
彼はひしゃげて肉塊と化した。
「
「はい。おつかれさま。……座標指定──」
「──待ちなさい!」
その時。これまで沈黙を守っていた少女、濫觴王が叫んだ。
彼女の小さな手には、戦闘の余波で割れたガラス張りの破片が握られており……
それは、彼女自身の首筋にあてがわれていた。
”ラブ・ハウンド”は、面倒そうに唇をゆがめた。
「あなたの目的は、わたしなんでしょ……!
リェンに手を出したら、首を切ってしんでやるから!」
「大丈夫、安心して?
あなたもそこのブレード使いも、一生弊社のモルモットだから。
二匹とも、
「……っ、このっ、外道……!」
濫觴王の細い首筋にガラスの刃が食い込み、ぷつぷつと血のしずくが浮かんだ。
歯を食いしばり、瞳孔がひらく。
彼女にとってこれは脅しではなかった。
「──やめろ……
……やめて。そんなこと、しないで……」
その光景を見た建国帝の瞳から、緋色の華の虹彩が消えかける。
代わりにその唇から漏れたか細い声は、体の持ち主であるリェンのものだった。
「……リェン。お願い。
わたしのことも、父さまのことも忘れて……
自分自身のための、人生を生きて。」
──ぶつり。
けして、劇的ではなかった。
少女は最後まで穏やかに笑って、大切な人の未来を
ガラス片は少女の首の太い血管に切り込みを入れ、傷口から噴水の様に鮮血をほとばしらせた。
「ぁ」
濫觴王の体が崩れ落ちる。
とっさに手を伸ばしたリェンよりも早く、舌打ちしながら動いた”ラブ・ハウンド”よりも早く。
少女の体は、だくだくと広がっていく血だまりに沈んだ。
そこからは、瞬く間に、生命の拍動は消え失せ──
「──ぁ、あああァァァッ!!!」
リェンの絶叫とともに、大気中の魔力粒子が彼女に結集していく。
瞳は異常に明滅し、そこに人間としての意識はないように見えた。
【──"ラブ・ハウンド798"へ警告】
【解析不可エネルギーの異常活性を検知】
【エネルギー増大中、エネルギー増大中】
【数十秒後に、”濾紙”の許容限界に近似する熱量に達すると推定──!】
「っ……なんですって……?」
"ラブ・ハウンド"は目を見開いた。
おかしい──目の前の現地住民に、何が起こっている?
異分子が、なにか異常な力をこの女に与えている──
リェンの周囲に集まった魔力粒子は、目視できるほどの濃度に達し。
花の意匠の戦装束にも見えるそれは、
もし”濾紙”がなければ、"ラブ・ハウンド"は生体部分が蒸発して絶命しているであろう程の煉獄のさなかで、リェンは──いや、
足元を融解させながら、一歩を踏み出そうとする。
【──。】
だが、その地獄に飛びいる一つの影があった。
文字通り人間離れした体躯の騎士は、リェンの放つ灼熱を意に介さず背後から彼女に近づき──熱源である《
「なっ……」
そしてジュウウウ、と自身を焼き焦がすのも意に介さず、切っ先を"ラブ・ハウンド"に向けて突進する。
「
【……】
騎士は、”濾紙”の有効射程をミリ単位で把握しているとしか思えない間合いの詰め方で、"ラブ・ハウンド"に肉薄し──
人間の関節可動域を超越した剣技で《
「チィッ……! 攻撃用兵装のロック解除! 早くしなさいポンコツ!」
騎士の猛攻に、たまらず距離をとる"ラブ・ハウンド"。
星外勢力共通の弱点だ──
(こいつ、セオリーがわかってる……厄介ね……)
舌打ちしながら"ラブ・ハウンド"は、緋色に燃える刀剣を片手に悠然とたたずむ騎士を見据え──た、その時。
彼女の頭に、通信の着信が入った。
相棒の”サルガッソー”からだ。
アダリン社の周辺を見張らせているはずの彼からの着信に、怪訝な顔になりながらも回線を開く。
『ザ──ザザッ……』
「なによ、サルガッソー……こっちは少し手間取ってるの。そんなに暇なら応援に来てくれない?
荒事はあなたの方がずっと得意だしさ……」
サルガッソーからの返事はない。
回線の向こうから聞こえてくるのは、くぐもったノイズ音ばかりだ。
「サルガッソー……?」
『……ラ、ブ……逃げろ……』
『この、アダリン社、は』
『ふつうじゃ、ない……』
「はあ……? ちょっと、どういう……っ」
『屑鉄の、流星だ……』
『まさかあの怪物が、アダリン社の……』
「まって、」
返事の代わりに回線から返ってきたのは──通信途絶を意味する砂嵐音だった。
「サルガッソーっ……サルガッソー? ねえ、返事をして!
あ、あ、あ、やだ、やだやだやだっ……」
【──おや……お仲間が、どうかされましたか?】
そこで初めて、騎士が言葉を発した。
わざとらしい、慇懃な口ぶりだった。
「アダリン社……! 彼に、なにをした!」
【ぼくの口からは、とても言えませんね。
そんなに心配なら、様子を見に行ってみては?】
「……くそっ!」
"ラブ・ハウンド"は悪態を吐き捨て、自分が空けた大穴を駆け上がって騎士の前から去っていった。
騎士は、彼女の反応が感知範囲外に消えたのを確認してから、背後のリェンの方に振り向いた。
【……仲間思いの個体で助かりました。
この機体に連中の”濾紙”を削れる武装は搭載されていませんので、徹底抗戦されては厳しい戦いになったでしょう。】
そうつぶやく騎士のカメラ・アイに映るのは、凄惨きわまる光景だった。
原型を失うほどひしゃげた雄獅子、自ら首筋を掻き切った少女──そして、頭を抱えて涙を流し、嘔吐のようなうめき声を上げ続けるリェン・ルゥオ。
【リェン】
騎士の呼びかけに、リェンは応じない。
ただひたすら”俺”と”私”の一人称が定まらない妄言を吐き出し続ける、廃人のような状態にリェンは成り果てていた。
【……】
騎士を操る者にとっても、それは見慣れたものだった。
そして、身をもって知っているものだった。
──大切な人を、手が届く距離で喪った者の姿。
ゆえに、理解してもいる。
喪ったものを数えることは、決してしてはならないのだと。
それをすると、他のことがひとつも、できなくなってしまうから。
その重さで、二度と立ち上がれなくなってしまうから。
【リェン、立ってください。
……ほら。いいものを、見せてあげますから】
「…………なに、を……わたしには、もう、なにも……」
騎士は持っていた《
そして、手ごろな壁を見繕うと──そこに、いつか撮影したある映像を投影した。
──────────────
(クリープ・スパイダーがリェンの手に叩かれる音。)
【……リェン、酔いすぎです。いつか、あなたが泥酔している時の映像を撮影して素面の時に見せるので、覚悟しておいてください。】
『……んぁあー? うるさいおまえはほんとうるしゃいっ……てか、酔ってないしねわたし! おしゃけ強いのでっへへへ!!! 』
【…………】
『んえっ……んえええ!? わたしの部屋にでっかい蜘蛛がいるぞー!? きもー! んぁははははは!』
『♪(名状しがたい、"部屋にでかい蜘蛛がいる"の即興ソングを七分間にわたり熱唱)』
『ごせいちょー、ありがとー! ……はくしゅして! はくしゅしてくださーい!』
【……今日のは……今日の酔い方は、特にひどい……】
──────────────
「……な、なっ……」
映像が終わる頃には、リェンは顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせていた。
泥酔してあられもない姿をさらす自分は、思わず正気に戻ってしまうほど見るに絶えないものだった。
【少しは、元気が出ましたか?
個人の見解ですが、あなたに湿っぽいのは似合いませんよ】
「……ふっ、ふ……!」
肩をわなわな震わせて、涙目になりながら、リェンは騎士の肩を拳で殴った。
「ふざっ……ふざけるなっ! 管理者おまえっ!
わ、わたしがこんなっ、死にそうなくらい辛いときに、こんな恥ずかしいもの見せてっ……
私をどうしたいんだよっ……
ううううううううううううう……!!!」
リェンは、騎士の胸に顔をぐりぐりと押し付けて、ずぴずぴとすすり泣く。
「おまえ以外、みんないなくなってしまった……!」
【ぼくも、いずれいなくなります。仕事なので。】
「そんなこと言うなよぉぉぉ……」
ぎゅううう、と機体を抱きしめてくる、リェンの頭に。
騎士は一瞬、手を乗せようとするような素振りをしたあとに、それをやめた。
その代わりに、彼女の背中を何度か軽く叩いた。
【……それでも、あなたが立ち直るまでは、近くにいられると思います。
あなたは強いので、すぐに歩き出せるでしょう。
今を過去のものにして、まっすぐ立てるようになります。
……ぼくとは、ちがって…………】
そう呟きながら、騎士は──管理者は、首をもたげてどこか遠くの空を見上げた。
……さて。
もうひと仕事だ。
【『アダリン社自走式惑星探査ユニット"ワンダラー・ナイト"』】
アダリン社の惑星探査ユニット、その
極めて優れた精密性と"クリープ・スパイダー"よりも高度な自己判断ルーチンを持ち、現地惑星の文明社会への潜入において真価を発揮する。
機体の4割を構築する『可塑性重金属粒子』の配列変更により、基礎となる騎士形態からある程度の変形・擬態が可能であり、それは本懐である潜入能力のみならず、戦闘面での対応力の高さにも寄与している。
人型ゆえに、建築構造体の端材から作った武器を装備したり、現地惑星で調達したり等、とにかくあらゆる状況に順応可能な事が最大の強みと言える。
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