ディストピア惑星管理シミュレーション【Humus《フムス》】 作:幕霧 映(マクギリス・バエル)
──自己憐憫。
自分自身を憐れみ、慈しむ。という感情。
時としてそれは、的外れな被害者意識であり……
また時として、自身をいたわるために必要な、心の防衛作用でもあるだろう。
人間の感情というものは、その多くが
色欲も、向上心も、自己憐憫も。
どれもが進化によって脳が獲得した形質である以上、自然での生存や社会生活にとって、ひとしく有意義にはたらくものではある。
問題は
善意しか持たない存在も、悪意しか持たない存在も、やはり怪物だ。
呼び名こそ『神』か『悪魔』かで変わるのかもしれないけど、本質的には変わらない。
そのはざまでの揺らぎこそ、人の心の
ぼくは、画面の向こう。『自己憐憫の思徒』を取り囲んで物珍しそうに見ている住民たち……と。
いまにも飛びかからんばかりに肩をいからせている、『向上心の思徒』を見た。
ほとんどの住民たちは『色欲の思徒』がここに来た際のような、目に見える影響は受けていないようだ。
……色欲の思徒が、向上心の思徒の口を借りて言ってきた言葉を、思い出す。
『
ならば、今こうして住民たちが完全に平静を保てているのも、もしかすると……
『向上心』と『自己憐憫』の波形が、たがいに打ち消しあっている結果なのかもしれない。
もとより、
基本方針として、コミュニティ運営にさしつかえない思徒ならば、受け入れるつもりではあったけれど。
相互作用によって、彼女たちのもたらす『向上心』と『自己憐憫』が、より節度あるものになるのならば、ぼく個人としても受け入れを渋る理由はない。
ぼくは、所在なさげに体重をかける足を変えながら、自分の指先をいじっている自己憐憫の思徒へと語り掛ける。
【自己憐憫の思徒。】
【あなたの当コミュニティへの滞在は、許可されますが……】
【これからここで生活していくにあたって、なにか希望などはありますか?】
『あ、は、はい!』
『……あの、そのお、ワタシぃ……』
『こう……あんまし、おっきな声じゃ、言いにくいんすけどお……へへ……』
『こ、ここって、わりと集団生活っていうか、みんなで協力して仕事しながら、頑張っていくみたいな場所ですよねえ……』
もじもじしながらそう聞いてきた彼女に、答える。
【ここに身を置く方々には、日に一定の資材収集をおねがいしています】
『っすよねえ……』
『あのお、色欲さまから、管理者氏は優しいってきいてて……』
『あの人、いっつも笑ってるみたいな顔してるのに、目だけ死ぬほど怒ってて超怖いんだけど、管理者氏の話するときはほんとにうれしそうで……』
『だからあ、怒んないで、聞いてほしいんすけどお……』
【………………】
やけに回りくどい言い方をしていた自己憐憫の思徒だったが、やがて顔を上げると。
決意と覚悟に満ちた凛々しい顔で、こう叫んだ。
『わ、ワタシ、働きたくないです!』
『ぜったい! ぜったい!!!』
『あと、集団生活とかもぜったいムリなんでえ、個室もっ……羽毛のお布団も………』
『あ、あと、食後には──』
『なにを言うかキサマ!!!』
早口で要求を並び立てていた自己憐憫の思徒だったが。
後ろから走ってきた向上心の思徒にとびつかれ、地面に引き倒されてしまった。
『わああ!!』
『このっ……甘ったれるんじゃない!!!
そんな要求を通してたまるか!!!』
『い、言うだけタダだよ、向上心ちゃん!!
ワタシだってぜんぶ通るとは思ってなくて!
たくさん言っといて、ひとつふたつ通ったらオイシイなってだけで!!!』
『その心根が気に食わないと言っている!!!
ちょうどいい機会だっ。ここで、叩き直してやる!!!』
『………い、言わせておけばっ……!
や、やってやる。思徒としての格は、ワタシのほうが上なんだ……!
ファイッ………………!!!』
ふたりの思徒は、取っ組み合って地面をごろごろ転がりながら、激しく言い争いをはじめてしまった。
【………………】
住民たちも、ぼくも。
金髪の幼い天使と緑髪の天使の喧嘩を、眺めているしかなかった。
──────────────────────────────
住民数:78人→79人 ※クラス
──────────────────────────────
『うう……ぐううう……重たいい……』
『キサマは、更生するまでは、わたしと同じ屋根の下で徹底的に指導してやるからな!!
ほら、腰を入れて運べ!!!
ほかの人の半分の重さもないぞ!!!』
『ひ、ひどい……あんまりだよおお……』
『ぷっぷー!』と、
どうやら、思徒同士の喧嘩は、向上心の思徒が一方的に勝利したようだった。
いまは、顔を腫らした自己憐憫の思徒が、傷一つない向上心の思徒に見張られながら、資材を積んだ荷車を引いているのが見える。
……期せずして、思徒としての格の差が、戦闘能力の差に直結しないということが分かった。
ある意味で、有意義な検証につながったと言えなくもないだろう。
さて。
自己憐憫の思徒の受け入れは済んだことだし。
これでぼくも……次の仕事に移ることができる。
……現地組織『旧魔王軍・第9師団』と接触している、クリープスパイダー10号機の件だ。
ぼくは、スパイダー10号機のカメラ・アイが映す先の光景を、モニタ越しに見た。
荒涼とした、死の荒野の中で……
細かい傷がいたる場所に刻まれた、『歴戦』を一目で察することができる装備の一団と、鋼鉄の蜘蛛が対峙している。
一目でわかる。極めて練度の高い『正規軍』だ。
もっとも今は、帰属する国家を失っているようだが。
彼ら──『旧魔王軍・第9師団』はどうやら、野営の最中にクリープスパイダー10号機と遭遇したらしく……
背後のキャンプを守るように陣形を組みながら、剣呑な空気を放っている。
ぼくは彼らと対話をすべく、クリープ・スパイダーの操作をマニュアルに切り替え、マイクをつなげた。
【……はじめまして。】
クリープ・スパイダーが発声すると同時、頭に角が生えた彼らの警戒が、一気に高まるのが伝わってきた。
それを確認しながら、ぼくはお決まりの文句を続ける。
【ぼくは、アダリン社の、惑星管理者。】
【あなたがたの、敵ではありません】
【対話を、望みます──】