ディストピア惑星管理シミュレーション【Humus《フムス》】 作:幕霧 映(マクギリス・バエル)
向上心、という言葉に、ぼくはあまり良いイメージを持っていない。
なぜなら向上心というのは大抵、"野心"や"出世欲"とセットであり。
それらはいつも『蹴落とし合い』や『足の引っ張り合い』などの、組織にとって非・合理的な結果をもたらすからだ。
……で。
ぼくの視線の先、自信たっぷりに胸を張っている向上心の
彼女はどうだろうか?
彼女がつかさどる……いや。彼女をつかさどる"向上心"とやらが、"野心"や"出世欲"といったものを含んでいる場合。
この集落に置くことはできない。
ゆくゆく問題の種になることは見え透いているからだ。
だけれど、もしも彼女が純粋な"向上心"のみをもたらす存在であれば?
数日前、部長とした会話を思い出す。
"
"思徒"を有効に扱うことができれば、住民たちの生産性やモチベーション、精神衛生の改善に繋げることができるかもしれない。
"色欲の
彼女は、その場に立っているだけで住民たちの意識を朦朧とさせるほどの力を持っていたからだ。
けど、目の前の"向上心の
彼女の横に気まずそうに立っている"先生"にも、後ろの方で物珍しそうに見ている他の住民たちにも、目に見えた影響はない。
"
ぼくはそんな仮説を立てながら、"向上心"との会話を始める。
【はじめまして、向上心の
【先ほど、"色欲の思徒"からの紹介で、この集落までやってきたと言うようなことを仰っていましたが。】
【彼女とは、どういった関係で?】
淡々と告げられるぼくの質問に、"向上心の
『"色欲の姉ぇ"のことだなっ!』
『姉ぇは、わたしのセンパイだっ!』
『今のわたしよりも、
『わはーっ!』
『だがっ、いつかは超えてみせるぞっ!』
【あなたよりも"ずっとすごい"とは?】
【
『管理者氏っ!』
『この世界は、
『楽しいこと、嬉しいこと、もっとあかるい明日のことっ』
『考えられる人は、とても少ないっ!』
『わはーっ…………』
『だからっ、"向上心"の
『姉ぇぐらいになると、その場にいるだけでみんなをたちまち"色欲"!って感じの気分にさせられるがっ!』
『わたしはまだっ、そこまで凄くないっ!』
『今はまだ、なっ!』
「……なるほどね。」
彼女の話をまとめると。
その力の大きさも、この世界の人々が抱いている感情の強さで決まるということになる。
今の《フムス》は、人々が"向上心"を抱けるような環境にない。
だから、その化身たる彼女の力も、"色欲の
「どうしようか……」
左手を顎先に当て、ぼくは思考する。
……
彼女を実験的にこの集落に置いても、大きな問題が起こる可能性は低いからだ。
そう、あくまで"実験的導入"である。
管理コミュニティへの
「よし……決めた」
ぼくは、"向上心の
彼女に、この集落への滞在を許可してみることにした。
この試みに関して、リスクよりベネフィットの方が大きいと判断したのだ。
……だけれど、その前に。
もう一つ、彼女に聞かなければならないことがある。
【最後に、もうひとつよろしいでしょうか。】
『かまわないぞっ!』
【先ほど仰っていた……"あなたの目的"とはなんですか?】
ぼくがそう聞くと、向上心の
やや顔を横に向け、『ふっふっふー……』と不敵な笑みを浮かべたあと。
『よくぞ聞いてくれたっ、管理者氏!』と声高に叫びながら、天高くを指さした。
『夢はでっかく宇宙進出、だっ!』
『この星のみんなをもっと元気にしてっ、もっとすごくなったわたしは!』
『わっはーーーっ!!!』
『全宇宙の応援団長にっ、なるのだぁ!』
『"ぷっぷー!"』
【……がんばってください】
黄金のラッパを吹き鳴らし。
うざったいぐらいに明るい声で、未来への希望を語る彼女の姿を。
ぼくは、眩しいものを見る時のように、細めた目で見ていた。
……願わくば、彼女がこの先も。
純粋な"向上心"の持ち主であり続けられるようにと、思いながら。
「……へえ。」
"向上心の
現在ぼくは、住民たちの状態が表示されたモニターを見て。
意図せず驚嘆の表情を浮かべていた。
「生産性が15%増加、にも関わらず、ストレス値は減少傾向か……」
まだ一日しか経過していないので、確かなことは言えないけれど。
今のところ、向上心の
住民たちの表情が、昨日までよりも活力に満ち溢れているのがわかる。
今までよりも少しだけ、明日に期待するようになった……そんな顔だ。
……だけれど。
これらの効果が全て、彼女の持つ
一考の余地があると、ぼくは考えていた。
『皆の衆っ! がんばれっ!』
『がんばるとどうなるかっ、教えてやろうか!』
『ご飯が美味しくなるっ、ぐっすり眠れるっ、今日よりステキな明日がやってくるっ!』
『わはーっ!!!』
『よりよい明日へ、進軍せよ!』
『"ぷっぷー!"』
元気いっぱいにラッパを吹き鳴らしながら、集落を歩き回り。
舌っ足らずの言葉で、ひたすらに明るい未来についての演説を続ける彼女の姿は……。
たとえ彼女が
「……とにかく、観察を続けるとしようか。」
ぼくは、この現状に関する新しい考察を、レポートにまとめながら。
モニターの黒い液晶に反射した、自分の顔を見た。
いつもの無表情だ。我ながら、表情筋が機能を停止していると思う。
「…………」
周囲に誰もいないのは、分かっているのだけど。
それでもなんとなく周りを確認してから、ぼくは両手で自分の頬を持ち上げて。
「……わはーっ。」
ぎこちない笑顔を、作ってみた。
『…………なにをしている、管理者。』
その瞬間、真横の空中に"シュンッ"とホログラムの部長が現れ。
得体の知れないものを見るような顔で、ぼくを見てくる。
「…………」
『おい、ホログラムに拳を振りかぶっても無駄だぞ。
周りの機材が壊れるからやめろ。
……どうした管理者? おい、どうした! 落ち着け!』
【現時点で保護した住民数39人】
【住民幸福度:50%】
【レベルIII相当の戦闘能力を持った住民が一人います】
【住民たちは、管理者様に対して、敬意を抱いています】
【"クリープ・スパイダー"1号機が、保護した難民を連れて帰還しました。】
【管理業務を続けてください】