バギーは箒に跨り飛んでいった少女に、少年時代わずかばかり面倒を見ていた幼女の面影をみた。
名前も見た目も同じで、昔馴染みと言っていたのだからきっとそうなのだろう。それにしては幼い気もしたが、能力者ならば大抵の違和感にも納得がいく。なんでもできる能力とやらは見た目すらどうとでもしてしまうのだろうと。
だがしかし、その力を使った結果がこれなのかとおもわず目を細めた。
地獄と呼ぶにふさわしいこの現状。まだ見ぬ場所は此処より酷いものなのだろうか。
眼球をグルリと動かし辺りを見やれば、己の能力に似た姿をしている死屍累々。もしくは綺麗に細切れにされている肉片に、わずかに崩れただけだと思わせる形状を保っている遺体。よく見れば賽の目上に切り分けられているそれからかは、ジワリと血が滲んでいた。
死を逃れた奴でさえ己の一部だったものを抱えて蠢いて、どうしてなんでと口にする始末。鼻につくのは濃い鉄錆の香りと、形容し難い死臭。糞尿の混ざったその異臭に、どれだけの者が吐き戻しただろうか。いくら海賊だと呼ばれる集団とて、海軍だとて、此処まで悲惨な戦場を経験したことがある者は多くはないだろう。
「──コレを、アイツがねェ?」
信じられないが、目の前で起きた事を否定する術はない。いつぞやの、自身が知る気弱な少女はもういないのだと理解するしかない。
甘ったるい蜂蜜を固めたような琥珀色の瞳は憎悪に彩られ、小柄なその身体は幾多の命を蹴散らしたのだろう赤に染まり。オニキスのような黒髪も、悍ましいほど血を浴びたせいか曇って見えた。彼女は滴り落ちる赤を気にすることもなく淡々と惨劇を繰り返し、その命を刈り取る。
時には大太刀で首を跳ね上げ、命の懇願も聞き入れずそこにいただけてただ殺す。暴虐の限りを尽くした姿は多くの海兵に恐怖を与えた。
バギーでさえ、目の前の海兵からボロリと内臓が零れ落ちる瞬間を見てしまった時は思わず声を上げたものだ。
そしてそいつが死にたくないと縋ってこようものならその手を振り解き、拒絶すること自体悪いとは思いやない。治療できる範囲内の怪我ならまだしも、臓物を飛び散らして顔がズレているモノに縋られれば、大抵の者はその異常な光景に恐怖する。
想像絶する死に様をみた海賊達は彼女から距離を取ろうとはしたが、海賊に対しては石ころを見る瞳で治療を施していた為そこまで恐怖心が育つことはなかった。
お礼をいえば色のない声音でついでだからとだけ返して、その行為に善意もなければ悪意もない。その"ついで"を受け取ったのは下っ端だけではなく、インペルダウンを脱獄してきた囚人にも、あの白ひげエドワード・ニューゲートにも等しく注がれたのである。
故に、海兵からの印象は著しく悪くなったとも云えるだろう。
今の今まで手配書すらなかった少女。
海賊王の子、ポートガス・D・エースと革命家ドラゴンの子、モンキー・D・ルフィを兄とする少女。
ミルーはあまりにも強すぎた。そして残虐すぎた。
あの泣き虫の幼女にいった何が起こりこうなってしまったのだと首を傾げるも、思い出以上の事をバギーは知らない。
もしそれを知っている人間がいるとしたのならば、それは僅かばかり敵意を込めた目でバギーを見てくるシャンクスだけなのだろうと諦めにも似た何かを感じる。
「バギー、随分とあの子と親しいみたいだな?」
「はぁ?! 何いってやがる!会ったのさえあの時以来だわ!!?」
「ほぅ?」
バギーの話など信じていないであろうシャンクスの瞳は仄暗く、その色は少女は向けるモノではない。そこで漸く彼女の言っていた言葉の意味を正しくバギーは理解した。
思い返せばミルーが居なくなって一番動揺していたのは誰でもないシャンクスであった。最後の最後まで、それこそロジャー海賊団が解散した後でさえシャンクスは彼女を探すのだと呟いていたことをバギーは知っている。執着と名付けるには毒々しい思いの果てに、シャンクスがどう変わってしまったか知りたくはないが、彼女にとってそれは度し難いモノであったのであろう。
彼女の話はこの後ゆっくり聞こうと、一方的な約束をつけたシャンクスに不穏な空気を感じたバギーはそそくさとその場を後にする。
もしもう一度あの子に会えた暁にはお前も苦労してるんだなと慰めてやってもいいと、この場にいない少女へと十数年ぶりに兄貴風を吹かせた。
マリンフォードで起こった後の世に頂上戦争と呼ばれるそれが赤髪海賊団、シャンクスの出現で終わりを迎えて数刻後。ポーラータンク号はゆっくりと浮上していた。
その潜水艦と並走している船は海軍のものであったが、乗っていたのはボア・ハンコックとインペルダウンの囚人達である。
「ルフィ達の容体はどうなのじゃ……!」
「よくおれ達がここに浮上してくるってわかったな。海軍がまだ追跡してきたのかと思ってキモを冷やしたよ」
ハンコックはルフィの容態を聞き、それに答えたのクルーの一人のシロクマのベポ。そして施術を終えたばかりのトラファルガー・ローである。
「麦わら屋の方はダメージの蓄積がひでェが死ぬほどではない。……問題なのはもう一人の方だ」
「……ルフィの、兄上だな?」
その答えに顔を顰めるハンコックであったが、不意にポーラータンク号にポタポタと何が垂れ落ちて来るのに気がついた。嫌になるくらい晴れているというに雨でも降ってきたのかと上空を見上げれば、そこには人が落下してくるではないか。
「ッ何奴!」
「おっと、すいません。ルフィとエースの妹ですこんにちわ。二人の容体をお聞きしても?」
トンっと、軽い足音を立てて合わられたのは怪我人二人と同じくマリンフォードにいた少女。黒髪に琥珀色の目をした一見か弱そうな少女であったが、その見た目と似つかわしくない程の血生臭い匂いが鼻につく。
世間話をするように紡がれた言葉には抑揚がなく、表情も固まったまま。さながら感情の抜け落ちた人形のようだとハンコックは認識した。
思い返して見れば彼女は確かにあの場でエースを庇い戦っていたと記憶している。また同時にその戦い方があまりにも悲惨なものであったとも。
「お前……妹、だったのか。アイツらの」
「そうですが何か。それで容体は?」
妹と知っても尚怪訝そうに顔を顰めたハンコックとは違い、ローはいまだにピクリとも表情を変えない彼女を何故が懐かしそうに眺めた。そして深々と息を吐き出して、同様の説明を彼女へ施したのである。
だが、ローには知り得ない誤算が一つあった。
「一度心臓は止まったが──」
「ギャアァァァァアア!!!?」
「うっせぇ!!?」
「だってキャプテン!こいつ今首斬ろうとしたァァアアア!」
咄嗟に止めたから未遂で済んだけど!
そうハートの海賊団クルーの一人、ペンギンと呼ばれた男が彼女の右手を押さえて叫んだ。
確かに彼女の手にはいつ取り出したかわからない短刀が握られており、ようやく感情のこもった目でこちらを見ている。たとえその感情は憎しみといったものでも、無であるよりマシだとローには思えた。
「はなせ、死ねないだろ」
「死ぬなんて言わないで!」
「エースが死んだら、生きてる意味ねェの」
「どうしてとそういうこと言うわけ!?」
「──よく聞け。一度心臓は止まったが、蘇生したに決まってるだろ。おれは医者だ、そう簡単に死なせてなんてやらねェ」
「……じゃぁ、エースは、いきてる?」
「生きてる。麦わら屋もな」
今のところは。と言わなかったのはローのなけなしの優しさでもある。
きっと目の前の少女はそれを聞けば落胆し、自死する可能性もあると踏んだのだ。
「いきて、る。えーすも、るふぃも、いきてる」
「あぁ、そうだ。お前がおれに任せてくれたからだ」
「──いきてる」
何度も生きてると呟いて、その言葉の意味を飲み込んだ彼女の瞳にはようやく光が灯る。遅れてじわりと溢れ出た雫はゆっくりと頬をつたい落ちていく。
その涙を見たローを含めたハートのクルー四人は、どうしようもなく懐かしい記憶を呼び起こした。まだ彼らが少年と呼ばれる年の頃出会った、一人の女の子と在りし日の日々。宵闇のような黒髪と満月に似た瞳からはいつでも涙が流れ落ち、口癖は『お家に帰りたい』と子供らしいもの。あまりにも泣くものだから共に過ごしていた四人はいつの間にか兄になった気でもいて、かつ彼女は彼らの恩人とも呼べる人でもあり。このまま彼女が帰れなくとも、一緒に生きていければいいと思っていた。たがある日突然、あっさりと知らぬ間にいなくなってしまった少女でもあったのだ。
記憶の奥底に残っていた燻りが今こうして目の前に現れ、こうも思わぬところで再会を果たせるものだと思わず歓喜の笑みを溢してしまうのは悪いことではないだろう。
ローがマリンフォードでルフィ達を助けたのには深い意味はなかった。ただ自分が医者であったから、大切な人を失いかけたことがあったから。理由なんてそんなもので十分で。まさかその場に恩人と呼べる少女がいるとは思っているはずもなく。
あの時ルフィ達を助ける選択をした己を、一目見ただけで彼女があの時の『ミルー』だと理解した己を褒めてやりたい。巡り巡って、恩人の手助けをできるのであればそれは大義と呼ばずなんと呼ぶ。
ローは目の前でグズグズと泣き出す少女に手を伸ばして触れて涙を拭うと同時に、首筋に深々と刻まれている傷跡に息をのむ。
そういえば彼女がここに現れた時一体何が頭上から落ちてきたのだと頭を働かせ、足ものにできたか小さなシミを見つけた。それは誰しもがよく知っているもので、それの原因は彼女にあったのだ。
「──怪我してるなら早く言えッ!」
自分より一回りは違う少女の身体を抱えれば、ベッタリと誰の血かわからないものが付着する。それを汚いとも思うよりも先に、低下しているであろう体温が気にかかった。
「ベポ!おれは"ミルー"の処置にまわる!今後のことはてめェらで話つけとけ!」
「アイアイキャプテン!」
「そやつがルフィの妹ならば!ちゃんと手当するのじゃぞ!」
「言われなくても分かってる!」
麦わらのルフィの妹である前に、自分達の恩人であり妹分である少女をこのままにして置けるわけはない。
「コイツはまた懲りもなく──」
そして何よりローは理解してしまっている。
ベポと呼ばれるシロクマやペンギン、シャチと違い彼女の能力の一部を知っている故に。
何度も何度もその身を呈して、恩人を救われた故に。
「
それは運命の悪戯が、はたまた能力の一端なのか。ローと救われた"恩人"には繰り返された記憶の一部が存在していたのである。故にミルーが何をしでかしたか把握し、ルフィとエースの命に執着したのにも腑に落ちた。
だからこそ救わねばならない。
何度も死んだ漸く辿り着いた先が今なのならば、彼女の努力を無駄にはできない。
「今度こそ、おれがお前を助けてやれる」
あの時の借りを返すのは今なのだと、ローは腕の中で泣いている少女を強く抱きしめ走った。
漸く、過去の回収が始まるよー。