『オルクセン王国史 二次創作』風と共に駆ける   作:長谷浩市

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後編

 『第3コーナーを回って競り合いが続きます!馬群がギュッとかたまり、最後の力比べが始まろうとしています!』

 

 さぁ勝負の時間だ。馬の首がグッと下がり、ストライド(歩幅)を大きくしていく。耳朶に響く風を切り裂く音が、より鋭いものへと変わった。

 

 コーナーでは必然的に遠心力が大きくかかり、コースの外へ外へと馬体が持っていかれてしまう。馬場の状態を見て、荒れていない外側のコースへと進路を選択する事もできるが、あまりに大回りをしてしまうとそれだけの距離をロスしてしまう。

 

 逆に馬群の内側に入ればどうか、そうすれば距離のロスは限りなくゼロに近づけられるが、その分、前の馬に進路をふさがれ二進も三進もいかなくなる場合があるし、前の馬が蹄鉄で踏み込んだ馬場は、外側よりもはるかに“荒れている”。

 

 エヴァルトの選択は、内側にも入れず、かといって大きく外側にも持ち出さず、最後の最後で抜け出すことの出来る、針の穴ほどの僅かな空間を進ませることだった。騎手の妙技はそのわずかな判断を、瞬時に馬に伝えられるところにある。

 

 

 

 戦争が終わり故国に帰還してからは、馬に乗る機会もうんと減った。心にぽっかりと穴が開いたかのように過ごしていたエヴァルトにとって、もう既に軍にいる理由はほとんど残されていなかった。時代は騎兵から、発動機と装甲の時代へと移り変わり、その役割をだんだんと縮小させていっていたし、冬になれば痛む傷跡も彼を軍から退けるだけの理由になった。

 

 退役はスムーズに認められた。年金は出されたし、いくつか貰った勲章での増額で、食べるには困らないだろうと見立てだ。去っていくときの荷物は多くはなかった。使い古した軍用行李一つと、亡き愛馬の(たてがみ)を収めたロケットを首から下げて、彼は軍を去った。

 

 生まれ故郷に小さな部屋を借りて、酒浸りの生活になるのには時間はかからなかった。時たま実家から人が来て様子を確認に来ることもあったが、けんもほろろに追い返すことばかりしていた。

 

 思い出すのは、朝露に濡れた森を、冷たい風吹きすさぶ荒野を、照らされた夕焼けに彩られた河畔を共に駆け抜けた相棒の事ばかりだった。また、走りたい。君の背に乗ることは出来なくなってしまったけれど、またあの日のように風の様に走ってみたい。酔いが回るたびにそう強く思ってしまうばかりだった。

 

 そんなある日、いつものように目を通していた新聞の広告欄に載せられた、とある求人募集の記事。いつも通り朝からウィスキーのボトルを開け始めていたエヴァルトはその記事の中にあった一文に、酒精が喉を通りすぎるものとは別の熱さを、胸で感じていた。

 

 “騎手募集”

 

 その文言を見た時に、子どもの頃のように胸が高鳴った。どんな別れがあろうとも、どれだけ打ちのめされてしまおうとも、結局彼は根っからの馬乗りだった。

 

 飲んでいたウィスキーはすぐに流しに投げ捨ててしまった。派手な音を立てて瓶が割れるが、そんなこと気にもならなかった。すぐに抽斗から便箋を取り出した。

 

 不意で無為な日々を過ごし続けていた彼には、実家である商家からは手代を勤めないかとの誘いがあった。いずれは番頭にもなれる地位だ。

 

 同じように陸軍からも復帰の誘いがあった。かつての戦友たちが手を回してくれていたらしく、軍学校の助教にポストを空けておくとも言われた。

 

 しかし、エヴァルトはそれらすべてを丁重に断り、ただ一通の志願書だけを手に、かつて幾度となく訪れたヴァルターベルクへと足を延ばしていた。

 

 

 

 その計画は持ち上がったのは、戦争が終わってしばらく経っての事だった。

 

 機械化が進む社会において、それまで大量に必要とされていた軍馬が余剰となり始めており、それらの再就職先をどうするか、そして何より、国内に幾つもある牧場を筆頭にした馬産事業をどうしていくかといった問題が起きていた。

 

 その解決策の一つとして競馬場の開設がおこなわれることとなった。場所はヴァルターベルク。広大な騎兵の演習場があったこの場所は正に適所と言えただろう。隣国キャメロットを手本に、障害馬術、繋駕速歩、オルクセンの気風に合わせた輓曳競馬(ばんえいけいば)、そして何よりの目玉はただ純粋にその足の速さのみ競う、平地競争。

 

 エヴァルトが新聞広告を目にしたのは、まさにその時だった。

 

 どんなじゃじゃ馬だろうが断ることなく丁寧に乗り、そして無事に馬を連れて帰ってきてくれると評判になるのに、そう時間はかからなかった。

 

 やがて、そんな彼に一頭の馬の騎乗依頼が舞い込んだ。最初は他の騎手に依頼があったというが、調教の時から振り落とされ、てんで言うことを聞かない問題児だという。

 

 勿論断る理由も無く、顔合わせをと預けられている厩舎に出向いたとき、彼は言葉を失った。その隆々とした生来の筋肉は競争に特化したサラブレッドと言うよりも軍馬を連想させ、吸い込まれそうなほどに美しい闇夜に近い漆黒の馬体、そして何よりもこちらをまっすぐ射抜いてくるような力強い目に、彼はかつての愛馬を思い出していた。

 

 “(シュトルム)”と名付けられた響きも、エヴァルトを奮い立たせた。

 

 かつての相棒、あの悪戯っ子とは違い、彼は気位の高い馬だった。餌一つ気に入らなければ飼い葉桶を叩き落とし、気に入らぬ馬が馬場に出ていればテコでも動こうとしないような、担当の厩務員泣かせな馬だった。

 

 エヴァルトはそんな彼にとことん付き合った。噛みつかれようと、蹴られようと、日が昇る前から日が落ちた後まで。

 

 先に根負けしたのは、シュトルムが先だった。いくら痛めつけてもあきらめないエヴァルトを渋々ながら受け入れ始めた。

 

 そして迎えた、デビュー戦。結果は一着だったが、内容は散々だった。ただ能力だけで、力だけで押し切った勝利。

 

 第二戦は、少しマシになった。手綱に応えるそぶりは見せてくれて、辛勝した。

 

 第三戦は、惨敗した。完全に折り合いを欠いて早めにスタミナを消費し尽くしてしまった。だけれど、この敗北はこの人馬を大きく変えた。何よりもシュトルム味わった初めての敗北、それがよほど悔しかったのだろう、真面目に、調教に挑んでくれるよういなっていた。エヴァルトも可能な限りそれに答えた。

 

 そして、勝負の日を迎える。前夜は開催も危ぶまれるかと思うほどの雨が降った。この季節に似合わない冷たい雨だった。

 

 「勝とうな、君ならやれるさ」

 

 温かいコーヒーを飲み、馬房でうつらうつらと休んでいる愛馬を見守りながら、エヴァルトはそう呟いた。それは自分にも言い聞かせる様な響きを含んでいた。心のどこかで、シュトルムを勝たせることが、かつての愛馬への手向けになっている様な、そんな気さえしていた。

 

 

 

 

 『最終コーナーを回って直線向いた!間を抜いてシュトルム!シュトルム先頭!』

 

 最終コーナーを回る。横一斉に馬たちが広がった。そんな間隙を突いて、エヴァルトが操るシュトルムが先頭に飛び出した。

 

 鞭を入れる必要はなかった。馬が持つ、その広大な視野角の中に、右手に持った鞭を僅かばかり見せるだけで愛馬は答えてくれる。ギアが一段、そしてまた一段と上っていくのが感じられる。蹴りだす足の力強さが背筋を通して、エヴァルトの握る手綱を震えさせる。

 

 スタンド前の直線を駆けてゆく。もはや音は感じなくなっていた。風切り音も、スタンドの歓声も、今までほんの傍で走っていた他馬の息遣いも何も、ただ無音の中を一人と一匹だけが走っているように感じた。

 

 もうすぐレースも終わる。そんな時に、たった一つだけ聞こえてくるものがあった。シュトルムについて来ようとするような、地面を叩くリズム良い蹄鉄の音。エヴァルトはほんの少しだけ首を振りあたりを見回す。彼らに付いて来られているものなどいないはずだった。事実、影一つ彼らに追いつくものはいなかった。

 

 それでも音は彼の傍を走っていた。すぐに思い出した。この懐かしい音。忘れられるはずのない、楽しそうに荒野を闊歩する、あのいたずらっ子の足音。それは興奮が生み出した幻聴なのかもしれない。そうだったとしても、そんなことはエヴァルトにとっては些事だった。

 

 あの日、泣くことが出来なかった日、看取ることが出来なかった日、ちゃんと別れが言えなかった日、君に聞きたかったことが沢山あった。君は楽しかっただろうか、君は嬉しかっただろうか、僕を背に、あのどこか寂寥とした空気の中を、友として駆けた日々は。

 

 答えるかのように、並んだ足音は嬉しさを増してスピードを上げた。エヴァルトの胸から下がるロケットがキラリと揺れていた。

 

 『三馬身、四馬身、まだまだ差を広げていく……!』

 

 幾重にも重なった馬蹄の音も、興奮した実況も、熱狂の歓声も、万雷の拍手も、すべてが混じる様に、溶け合う様に、ゴール板を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、王宮ではいつものように王妃が、その伴侶たるオルクセン国王と共に、しっかりと折り目の付いた、アイロンのかかっている新聞に目を通していた

 

 ある記事に目を通していた時に、王妃はクスリと笑い、見ていた新聞を王にも手渡す。随分と嬉しそうだね、と王も記事を読み進める。王もまた愉快そうに頬を緩めた。

 

 そこには、男泣きに泣きながら相棒の首筋を抱きしめる一人の牡と、優勝レイを掛けられ、号泣する相棒の傍らにそっと立ち、不思議そうな目で見ている一匹の馬が写っていた。

 

 男の首から下げられたロケットが夏の日差しに煌めき、暖かな光が人馬を照らしていた。

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