時計の長針と短針の二つが、揃って「12」になる少し手前と言う程の夜中の横須賀鎮守府の執務室のソファで、三好提督は一人考えに耽っていた。
つい二時間程前に艦隊総司令部の置かれる市ヶ谷から戻ったばかりの彼の頭の中では、総司令部で話し合われた会議の内容の事を思い返していた。
今度に実施される大規模な深海棲艦に対する攻勢作戦。その作戦に当たって、佐世保、呉、横須賀、舞鶴、大湊の何れの基地の艦娘艦隊が囮部隊として深海棲艦からの攻撃を誘引、いわば体のいい「被害担当部隊」となるか。それについて五大基地の提督が、艦隊総司令官や大勢の幕僚らと共に協議していたのだ。
攻撃を引き受ける「被害担当部隊」、当然ながら最悪のケースである轟沈による戦死も想定の範疇として考慮されている。艦娘艦隊が被る事になる被害すらも計算の内に居れた作戦計画。敵に与える損害と味方の被害の全てを計算の中に収めた合理的で、控え目に言って嫌悪感の溢れる作戦計画だ。
艦娘を兵器として、如何に合理的かつ有効に、無駄の無い運用を行い、効率的に深海棲艦に対して勝利を収めるか。その考えの中に艦娘の命の重さは一切考慮されていない。
「この作戦において最も重要なのはいかに効率よく敵を殲滅し、如何に合理的に敵拠点を撃滅できるかにあります」
そう熱弁する作戦幕僚とそれに聞き入る各基地の提督や幕僚達の姿を見て、三好は一人胸中で違和感を覚えていた。
今度の攻勢作戦で攻め込む先の深海棲艦の防備は極めて強固である事は、三好を始め提督や幕僚達の間でも周知されている。正直な話、犠牲が出る可能性はどうしても否定できない。
犠牲が生じる可能性大、とも説明した作戦幕僚の言葉に三好は初めて、部下である艦娘達と自分達人間の違いについて考えさせられた。
人は生れて来る事に決められた目的は無い。好きなように生きて好きな様に自分の人生を飾れる。自分が生きたいと思った生き方を自分で脚色しながら人生における分岐点を選んで行ける。
一方で艦娘はどうだ。深海棲艦がある日突然現れてから、艦娘も何処からから現れて来て、人類の為に戦い、人類の生存の為に協力をしてくれている。時にはその命を散らしながら。提督たちからの指示に疑いも、反論も述べる事なく忠実に任務を実行してくれる艦娘達。
「悲しいな……」
そう呟く三好からすれば艦娘達の人生と言うものは何とも哀れなものだと思う。生まれた時から歩む運命は決まっており、その人生において選択する余地は殆どない。起点から終点までの間、一切の分岐点の無い一本道のようなレールの上を、ひたすら走るだけの人生の様だ。
そんな只自分の様な大人たちが事前に敷いたレールの上を走るだけの人生の中で、どうすれば彼女達に幸せになって貰えばいいのか?
煙草を口に咥えてライターで火を付け、煙を吸い、溜息と共に吐き出しながら三好はちりちりと煙草の葉先を燃やす小さな炎を見つめる。子を持つ父親ならこう言う時何か思いつく事もあるのかも知れない。子供たちに様々な知識を教え込む教師だったら、何か諭す文言が思いついたかもしれない。だが三好は一介の、海軍の提督に過ぎない。
帰りは遅くなると事前に通達していたから秘書艦の艦娘も既に寝ているだけに、相談相手も無く三好は一人煙草を無意識に吸いながら長々と考え込む。だが思考はその場をぐるぐると回るだけで、結論には一向に至れない。
「生まれてこの方、俺はずっと何をしてたんだろうな……」
肩と袖に輝く中将の階級章を意識しながら、今の階級に上って来るまでの間、何をしていたのかと自分の人生にすら嫌な気分を思い始めた時、ドアをノックする音がした。
副官だろうか? と思いつつ煙草を消して「入れ」とだけ返す。
夜中と言う事もあり、静かにドアを開けて入って来たのは陽炎型駆逐艦娘の長女の陽炎だった。
「起きてたのね」
「君こそ、まだ起きていたのか?」
「私は今夜は夜間哨戒の仕事があったから。寝てるかなと思ったら、執務室に明かりがついてたから様子を見にも兼ねて来たの。今の内に夜間哨戒の報告を聞く?」
「……ああ……そうしよう……」
あとで報告書にまとめてくれれば別にそれで良いのだが、陽炎はその場で夜間哨戒の報告を述べる。会敵も無く静かな夜の海を仲間と共に巡ってただけ、とあって報告する内容も至って平凡なものになった。
「……1130に浦賀水道を通過。民間船二隻と邂逅し、これを……司令? 司令? 聞いてる?」
「……あ、ああ、聞いてた」
「本当に?」
報告している間、深く悩み詰めている様子の三好の態度に気が付いていた陽炎は彼の目を見て問う。じろりと見つめ返して来る陽炎に、率直に聞いてなかったことを詫びようと三好が何か言いいかけた時、陽炎はコツコツと靴音を鳴らして部屋を出て行った。
ぱたんと静かな音を立て閉まるドアに三好は大きく溜息を吐く。怒らせてしまったかな、ときちんと話を聞いていなかった自分を恥じていると、数分後陽炎はホットミルクの入ったマグカップを二つ持って戻って来た。
マグカップ持ってソファの隣へと座る陽炎の姿を見ると、本当に人と変わらない、そっくりだと三好は思う。艦娘は兵器だ。だからこそ、三好は感情移入し過ぎない様、仲良くし過ぎない様にしていたが、今では随分と距離感も縮まっていた。相棒、女房と呼べる訳では無いにせよ、心許せる存在である事は確かだ。そう言う日常の一つと化している陽炎の存在、いや隷下の艦娘達と言う女子供を常日頃、危険と隣り合わせの最前線に送り出す事に対する引け目と、辛さを次第に感じていた。この思いを抱え続けていたら、いつかその思いに潰されてしまいそうな気がした。
「陽炎」
「なに?」
いつもの明朗快活な声はなく、落ち着いた声で陽炎は答える。その彼女に三好は包み隠さずに己の中で抱く最大の疑問をぶつけた。
「人間と艦娘の違いって何なのか、お前にはわかるか?」
その疑問に陽炎はホットミルクを一口飲みながら考え込む。
「艦娘は轟沈して死んでも、新しい個体を量産できる機械の殺し屋よ」
ひどく冷めた声と視線で陽炎は三好を見つめ返す。『機械の殺し屋』と語る様に、温かみの無い無情な殺戮の機械の様に思えて来る狐色の瞳に冷たさを感じた三好が、眉間とこめかみに冷や汗を浮かべると、冷たさを吹き消した陽炎が明るさを取り戻した表情になって続けた。
「例え作られた存在でも、私は私のやりたいことを選んで生きているわ。私達艦娘は人類を護っているし、私は司令の為に役に立てる事が嬉しいわ。他には……相手の命を奪う事に充実感を覚える事もあるわね」
その答えに三好はまさしく艦娘は人類の都合のいいように作られた存在の証明であり、人の役に立つ事でしか成り立たない悲しい存在だと思った、
「悲しい存在だな、それは……」
複雑な表情を浮かべて言う三好に、陽炎はうーんと難しい表情をして悩むが、五秒程度で楽しそうに勢いよく立ち上がって、部屋の中をぐるりと歩く。
「生み出された理由、生きる目的は最初から決まっているかも知れないけど、本人が幸せであるならそれでいいと思うわ。ここでは日々の食事も寝る所も、戦いに必要な物資も揃っている。なにより私達の隣に司令が笑顔でいてくれることが何よりの幸せよ。
それから……私は司令が構ってくれる時も嬉しいわ」
「俺は……君の言う、君の望む『幸せ』を作ってやればいいのか?」
未だに悩みをその顔に浮かべたままの三好を見た陽炎は彼の隣に素早く戻る。
「無理に作り出した幸せより、幸せが少なくとも『作られていない』自然な日々が一番よ。アンタは深く重く考え過ぎなのよ、不幸か幸福か、を。それにアンタ一人で私達艦娘の幸福と不幸を決めつけないで頂戴。幸せの尺は個々人によって違うものよ」
そう語る陽炎の言葉に三好は無意識のうちに、艦娘達を自分より下に、守るべきか弱い存在だと思い込んでいた事に気が付かされる。見た目は幼くても精神は大人と大差ない。多くの艦娘の上に立つ者でありながら、その外見で決めつけてていた自分が恥ずかしかった。
大きなため息を漏らす三好の頭を撫でながら、陽炎は優しく、温もりのある声で言う。
「私達の事を司令がちゃんと常に考えてくれてるのは、私はとても嬉しいわ」
「ああ……」
それでも尚沈んでいる声を返す三好を見た陽炎は、閉められているドアへと足音を消して寄ると、ドアを開けた。ドアの向こうには陽炎と一緒に哨戒に出ていた艦娘達が盗み聞きしていた。
艦娘達は盗み聞きを怒られると思ったかの様に、焦りながらも三好への感謝の言葉を伝えてから走り去った。
「最初っからずーっとドアの向こうで聞いてたのよね、あの子達。それでも、皆に好かれてて良かったわね」
「ああ、そうだな」
苦笑交じりに言う陽炎に三好提督は初めて安堵の溜息を洩らした。
「じゃ、今日はお休み~」
「ああ、いい夢を」
扉の向こうへと姿を消した陽炎と話して、胸がすっきりした気がした三好は彼女が置いて行ったマグカップの自分の分を飲み干した。