深夜一時、鎮守府正面玄関にタクシーが停車する。
「お疲れ様でした。料金は三千七百円になります」
「ではこれを。お釣りはいらないので、何か飲み物でも買って飲んで下さい」
「こりゃあ、どうもすみません。へへっ」
タクシーの運転手は千円札四枚を受け取ると、少し煙草の臭いのする息を吐きながら、黄ばんだ歯を見せて笑う。
「こちらこそ、遅い時間にありがとう」
お礼を言って降車した白い制服の男性は、この鎮守府の提督である。
いつもなら鎮守府配備の車を使うのだが、今回の出張では会議の後にアルコールが提供される懇親会が開催されるため、公共交通機関を利用したのだ。
何事もなければ二十一時には鎮守府に戻れたはずなのだが、帰りの新幹線が架線故障により遅延し、いつもより帰りが遅くなってしまった。
「ふう。乗り継ぎは多いし、混雑する電車はやはり疲れる」
提督は門扉の前でそう独り言ちると、重い足を引き摺りながら執務室へと向かった。
「指示したとおり先に休んだようだな」
真っ暗な執務室に人の気配はない。
提督は秘書艦の大淀がいないことを確認すると、手探りで部屋の電気を点ける。
次にLED照明の眩しさに目を細めながら、メモ書きがびっしりと書かれた会議資料を机の上に投げ置いて、ソファーに座り深い溜息をついた。
チッ、チッ、チッ、チッ
壁掛け時計の音が微かに響く、静まりかえった深夜の執務室。
帰りの新幹線で居眠りしていたこともあり、目が冴えていた提督は、本日行われた次の大規模作戦会議の内容を頭の中で振り返ってみる。
「君の鎮守府の所属艦娘は練度が低い艦娘が多い。その子らを使えば轟沈しても戦力に影響はないだろう? 今回は君の鎮守府が囮艦隊をするべきだ」
「いや、私のところは前回の作戦で三名が轟沈し、士気が低下している。艦娘たちの冷たい視線に晒される俺の立場も考えろ」
「捨て艦戦法なんてどこもやっているだろう。今さら何を言っているのだ」
まだ着任して数年程度の提督たちが、艦娘轟沈必至の囮作戦を請け負う鎮守府の役割分担を始めていた。
艦娘たちを、『損耗しても無限に補充が可能な兵器』として扱うことが前提の考え方に疑問を感じていた提督は、彼らのやり取りに一石を投じる。
「……艦娘たちは捨て駒ではない。囮艦隊という艦隊運用は止めるべきだ」
提督が吐き捨てた言葉に、経験が浅い提督たちは一瞬静まりかえるが、
「貴様の鎮守府の艦娘は全員練度が高く、囮艦隊として使うには惜しい。だから毎回囮作戦の対象外とされているが、自分に関係ないからと綺麗事を言うのはやめろ。それ以上言うのであれば貴様の鎮守府から囮艦隊を選抜してもいいんだぞ?」
「……くっ」
提督は上官の言葉には逆らえず、固めた拳を机の下で震わせることしか出来なかったのである。
彼らの態度と発言内容を諫めても、囮作戦の実施そのものを覆すことが出来なかった自分のふがいなさを思い出してイライラしてきた提督は、無意識に腕を組み、貧乏ゆすりを始めた。
「轟沈必至の囮作戦……轟沈……轟沈、か……」
艦娘の轟沈。それは魂の死を意味する。
まったく同じ顔の、同じ艦名を持つ艦が再び顕現しても、沈んだ艦娘とは違う。
なぜなら沈む前の記憶が一切ないからだ。
艦娘として過ごした期間――それぞれが後天的に得た経験や知識、取り巻く環境で艦娘たちの性格や個性は異なる。
気が弱い長門がいたり、勇ましい松輪が海防艦のリーダーになっている鎮守府などもあり、千差万別に育っていく。
実在した軍艦から別たれた艦魂は唯一無二であり、プログラムや設計書どおりに動く兵器とは違うのだ。
顕現した艦娘が轟沈するということは、彼女らの魂の死なのだ、と提督は考える。
――提督が鎮守府に着任してから十年経つ。
当初は深海棲艦の戦力もそれほど強くなかったが、敵の戦力が増強され、戦いが苛烈になるにつれて、艦娘たちの練度向上や、装備の改修などの戦力を整えるために奔走してきた。
そんな日々を彼女たちとともに過ごすうち、人間と変わりがないことに気付く。
人と同じように悲しい時には泣き、楽しい時には笑う。
そんな彼女たちを間近で見てきた自分だからこそ、絶対に轟沈艦など出すつもりもない。今までもそしてこれからも。
そう心に誓ったのだ。
そこまで考えて、提督はふと、人と艦娘の生き方の違いについて思いを馳せた。
人は自分の意思で未来を選択出来る。
限りなく広がる可能性を、自らの意思で選べる自由が生まれながらにある。
だが、艦娘はどうだろう?
彼女らがこの世に顕現した目的は人類を守ることだ。
それは、原初の艦娘といえる吹雪たちが、人類と初めてエンカウントしたときに自ら語ったことで分かっている。
「私たちは深海棲艦から人類を守るためにこの世に生を受けました。だから命じて下さい。深海棲艦を滅せよ、と」
鋼鉄の船だったときも、そして新たに生を受け艦娘となってからも人のために戦い、そして散っていく兵器として扱われる艦娘という存在。
人と同じように考えて歩んで生ける足があるのに……。
それが、そんなことが、彼女たちが生まれてきた意味なのだとしたらあまりにも悲しい……。
いつか自分が出世し、今の艦隊運用を変えられる地位に就いたとしたら、彼女たちに新たな未来を選択出来るようにしてあげることは出来るのだろうか?
彼女らが幸せだと思える境遇を与えてあげることは出来るのだろうか?
――そんなことを、どれだけ考え続けていたのだろう。
「コンコン」
唐突に執務室の扉をノックする音が聞こえた。
訝しがりながらも、提督は入室の許可を与える。
「……どうぞ」
「陽炎です。執務室に灯りが見えたものですから、ご報告に伺いました」
「ああ……そういえば今日の夜間哨戒任務を命じていたのだったな、お疲れさま」
「はい。本日は潜水艦を一隻探知。追尾して撃沈しました。なお……」
提督は、先ほど考えていた艦娘たちの幸せについて思考を巡らせたままだった。
そのため陽炎の報告内容が耳に入らず、空返事をしてしまっていた。
「……失礼します」
提督が上の空であることを感じ取った陽炎が、報告を中断し踵を返して退室する。
その後ろ姿に提督の思考は現実へと引き戻されるが、後の祭りである。
「しまったな。少し考えすぎてしまった……」
せっかく報告してくれていたのに。
目の前にいた少女の話も真剣に聞くことが出来ない自分が、何が彼女たちの幸せを考える、だ。
提督は肩を落として深いため息をついた。
「コンコン」
しばらくして再び陽炎が執務室を訪れる。
「司令。何かお悩みでしょうか? 様子がおかしかったもので」
陽炎は、丁度良い温度のホットミルクが入った大きめのマグカップを提督に差し出すと、自らはワンサイズ小さなイチゴの絵柄が入ったマグカップを手に持ち、提督の隣に座る。
「気を遣わせてしまったかな。ありがとう陽炎……うん、美味い!」
提督がホットミルクをひと口飲んだのを確認した陽炎は、自らもコクリコクリとホットミルクを口にする。美味しそうに味わう陽炎を見ていると何ら人と変わらない。
轟沈艦を出さないように艦隊指揮を執ってはいるが、いつか沈んでしまうかもしれない彼女たちと親しくなりすぎないようにしてきたつもりが、今はこんなにも距離が近い。
意識していないつもりだったが、彼女たちといると心が安らぐ。
ずっと前からそれを気付いていながら、気づかない振りをし続けていた。
それが歯がゆくて、そしてそんな彼女らを戦場へと送り出さねばならないことが、つらい。
「陽炎……」
「何ですか、司令?」
残っていたホットミルクを一気に飲み干した提督は、陽炎に尋ねる。
「人と艦娘の違いとは何なのだろうな……」
一瞬、提督の目を見据え、ホットミルクを一口飲み下した陽炎は、少し考えたあと冷たい声で答えた。
「そうですね。轟沈しても同じ艦娘が顕現する。いわば量産可能な使い捨ての兵器。といったところでしょうか」
提督を見据えたままの陽炎の瞳は、深淵のような漆黒色に変わり、冷たい光を放っている。
「う……」
提督は一瞬たじろぐが、陽炎の表情はすぐにパッと明るくなった。
「でも、今の生活は楽しいですよ。自分の意思で好きなものを食べて、休日にお出かけも出来ます。あなたの元で働けて良かったと、心からそう思います」
「だが、人類を守るためとはいえ、君たちを戦場に送ることが私の仕事だ。深海棲艦との殺し合いを続ける以上、いつ死ぬかも分からないんだぞ……それではあまりにも悲しい。悲しい存在じゃないか……」
提督の言葉を受けて五秒ほど考えた陽炎は、ほどなくして立ち上がると、部屋の中をくるくると歩く。
踊るように、軽やかに。
「司令。私たちが今の世に顕現した理由は人類を守ることです。その意味も目的も決まっています。飛び交う砲弾や、足元に迫る魚雷を躱し、勝利を掴んで帰投することに生きがいを感じているのは事実です。でもそれだけじゃない。信頼する人や仲間たちと共に生き、歩んでいく。それが何よりも幸せなんです。あなたが笑顔でいてくれることに幸せを感じるんです」
「本当にそんなことでいいのか?」
「そうですよ。だから私たちのことを、もっと構って下さいね」
「……」
それでも浮かない表情が消えない提督の心に寄り添うように、陽炎は再び提督の隣に座る。
「司令。幸せってね、無理に作り出すものではないと思うんです。当たり前の日常を当たり前のように生きていけること。それでいいじゃないですか。司令は深く考えすぎなんですよ。幸せの定義なんて人それぞれ。いえ、艦娘それぞれです! 私たちの幸せは私たち自身が決めます」
「……陽炎は、思ったよりも大人、なんだな」
「当たり前です! 艦としての経験、存在した期間、海の底に在り続けた年月。司令なんかよりも、ずっとずっと大人なんですよ。私たちは」
提督は陽炎の言葉に大きく頷くと「すまない」と頭を下げた。
それは、彼女たち艦娘の存在自体を不幸だと決めつけていたことに対する謝罪の気持ちからくるものだった。
外観年齢から艦娘たちを自分たち人類よりも幼く、格下に見ていたことに提督は心から恥じた。
「頭を上げて下さい、司令。そんな風にいつも私たちのことを考えてくれるあなたのことが、みんな大好きなんですよ」
陽炎の小さな手が提督の頭をふんわりと撫でる。
慈しむように、優しく、何度も。
それでも俯いたままの提督の様子をみた陽炎は、突然立ち上がると滑るように執務室のドアを開けた。
「あっ! えへへ」
扉の外には、陽炎と一緒に哨戒任務を命じた黒潮たちがいた。
盗み聞きがばれて、バツが悪い様子の黒潮らは全員が執務室の外から顔だけ覗かせると、
「司令! いつもありがとね!」と弾んだ声で嬉しそうに笑う。
そして、バタバタと逃げるように去って行く姉妹たちの足音を聞きながら、陽炎は提督の目を優しく見つめる。
「司令の想いは、あの子たちにもしっかりと伝わってる。皆、今を幸せに生きているし、あなたを信頼しています。だから安心してね」
時刻は深夜二時。
時報を告げる壁掛け時計の音を聞きながら、安堵の溜息をついた提督が立ちあがる。
「ありがとう陽炎。すまないがもう少しだけ話をしないか? これまでのこと、そしてこれからのことを。レモンティーでも飲みながら、な」
「はいっ!」
そう答えた陽炎の顔には、輝くような笑顔が浮かんでいた。
完