「あ、ロゼ! 思ったより、早く来たね!」
「まぁ! 早めに来たつもりだったのだけれど、ナヴィアに先を越されちゃったわ〜」
昨日、めちゃくちゃ傷ついた……というか現在進行形で傷ついてるロゼだが。
すっかり、ナヴィアさんと会う約束をしてるのを忘れてたよ! 歩くとめちゃくちゃ傷口開いて痛いよ! てか、ナヴィアさんと会うと、正体バレそうで緊張して逆に精神が削られていくよ!
なんで昨日の私、ナヴィアさんと約束しちゃったんだろ……。夜も忙しいって分かってたはずなんだけど。
私はじわじわと広がっていく傷口の痛みを堪えながら、バスケットから袋に入れてあるクッキーを取り出した。
流石に手ぶらは良くないか、と思って持ってきたやつである。
「私、クッキーを焼いてきたの。お土産として、貰ってくれないかしら?」
「わぁ、美味しそうなクッキー、あんがとね! それと、奇遇だね! 実はあたしもマカロンを作ってきたの! あたしのも、お土産として持ち帰ってよ!」
私のは、壁炉の家のみんな用に焼いたクッキーのあまりなので、ちょっと申し訳ないが、ナヴィアさんのマカロンを受け取る。
可愛い顔が書いてあるマカロンだ。私は思わず、にっこり笑ってしまった。
「まぁ! 可愛い顔ね〜! 私、マカロンはうまく作れないから、とっても尊敬するわ〜!」
「えへへ、あんがと! ロゼさえ良ければ、今度あたしが教えてあげよっか?」
「ふふ、ありがとう。今度一緒に作りましょ〜」
……はっ! しまった、つい次の約束まで取り付けてしまった。今、大怪我してるところだというのに。
ナヴィアさんが、話し上手すぎるのだ。うん、私は悪くないぞ。決して、乗せられたわけではない!
ナヴィアさんと話しながら、少しだけ歩いたところで、突然ナヴィアさんが立ち止まった。ここが、ナヴィアさんのおすすめのレストランなのだろうか。
「あたしがおすすめのレストランって言うのは、ここの事!」
ナヴィアさんが指したのは、フォンテーヌで有名なホテルだ。確かに、あの中にレストランがあることは、知っていた。けど、お高い雰囲気だし、一生行くことなんてないんだろうな、なんて思っていたレストランだ。
ナヴィアさんって、着てる服も高そうだし、部下の人からも「ボス」とか呼ばれてるし、やっぱりお金持ちなのかなぁ。「棘薔薇の会」のことは、そんなに詳しくはないから、よくわからないけど。
「ロゼは、何が食べたい? なんでも、好きなだけ食べていいからね!」
「ふふ……ありがとう。でも、私、少食だから、そんなには食べれないのよ〜。なるべく量が少ないものを食べたいわ〜」
私はおっとりといつも通り笑いながら、痛む傷口と胃に内心眉を顰めた。
そう、リネットにつけられた傷も凄く痛いのだが、昨日は元素を使いすぎて、胃もめちゃくちゃ燃えて痛いのだ。
本当は大して少食ではないが、今日ばかりは本当に食欲が湧かない。
でも、レストランの人に席に案内して貰って座ると、少し痛みが楽になった。これなら、なんとか食事くらいは取れそうだ。
「ナヴィアは、よくここに来るの?」
「この店は、あたしが小さかった頃に、パパと何回も来たことがあるんだ。でも、大きくなってからは、あんまり来てなくってね……口に合うといいんだけど」
ナヴィアさんに聞いてみたら、そんなに行くわけじゃないらしい。
それにしても、パパかー。今世の私は、一応捨て子だから、親という存在をそもそも忘れてた。サーカスの人たちは、いい人だったし。私は結構恵まれた環境で育ったから、捨て子というのはなんだか違和感がある。
「あら、お父様とはもう行ってないのね〜」
「…………あたしのパパは、死んだから、もう一緒には行けないんだ」
「えっ、あっ、ご、ごめんなさい。聞いちゃダメなことを、聞いちゃったわね〜」
適当に聞いたやつが、まさかの地雷!!
ナヴィアさんのお父さん死んでたよ! こ、こういう時どうすればいいの? 空気が気まずすぎる。
そういえば、ナヴィアさんのお父さんの……かーれ……なんとかさん──えっと、あ、そうだ! カーレスさんが、犯罪をしたわけでもないのに死んだ、みたいな噂を裏情報で、聞いた気もする。不義のカーレス、なんて巷では呼ばれているようだが。
「ううん、大丈夫! あたしのパパは、冤罪にかけられて死んだ……。だからあたしは、本当の犯人を、絶対に見つけたいの!」
「……ふぅん。カーレスさんと言えば……連続少女失踪事件?」
冤罪、のところで突然頭に思い浮かんだのは、「連続少女失踪事件」だ。確か、カーレスさんは、その事件に巻き込まれた、みたいな噂も聞いたことがある。ただの噂だから、信憑性はないけれど。
連続少女失踪事件は、裏世界で動いている私にとって、割とよく聞くワードだ。
ここまで大きな事件なのだ。私の調べているロシと、関連性が深い可能性も、少しある。そう思って、調べるか迷っていたところだから、結構この事件には詳しい。
私が突然、関係のない単語を口にしたから、驚いたのだろう。ナヴィアさんは、一瞬迷ったように、目を横に逸らして、それから私に聞いてきた。
「え、ロゼは、連続少女失踪事件について、詳しいの?」
「えぇ、知っているわ。最近よく聞くわね〜。突然少女が失踪する事件でしょう? その事件だけど、一つの事件で、死んだ現場には水があったのよ。それはつまり水との関連性も紐づけられ……。
あ、ご、ごめんなさい〜。つ、つい熱く語っちゃったわ〜」
や、やっべー。つい口を滑らせた。カーレスさんの死とロシの繋がりを、ちょっとだけ考察していたのが、口に出てしまった。私は、本当に怪盗に向いていない性格だと、我ながら思う。
そして、それが裏目に出たらしい。ナヴィアさんが、私の方へ身を乗り出してきた。
「あんた、連続少女失踪事件に詳しいんだね! もし興味があるなら、あたしと一緒に事件を解決しない!?」
「え……あ……う、え?」
ナヴィアさんは、大慌てな私をよそに、嬉しそうに私の手を握った。ぱぁぁ、という効果音が鳴りそうなほど、ナヴィアさんが顔を輝かせている。
手をまた握られたが、次は、手を跳ね除けることはしなかった。ナヴィアさんへの警戒が、無意識のうちに解けてきたせいだろう。それはともかく、怪盗と服屋のバイトとナヴィアさんの手伝いの三つを同時進行するのは、流石の私でも無理だ。私は、誘いを断ろうと思ったが、気が弱すぎて断れない。
「あ、う、うん……。そうなのねー。あ、ははは……い、いいわねー。一緒に解決しましょー。…………そんなに時間はないから、手伝えることは、少ないかもだけど」
「わぁ! ほんとに!? あんがと! まさか、ロゼが仲間になってくれるなんてね!」
うう……ただでさえ大忙しなのに、つい引き受けちゃったよ。だって、ナヴィアさん、あんなに目がキラキラしてるんだよ! 断れるわけないじゃん……。
あ、でもロシの調査と同時進行もできなくはないか。部下に調べて貰ったら、私はいつも通り千織屋で働きつつ怪盗としても動けるし。
「後で詳しい話は一緒に……。あ、料理がきたね。この話は後にした方がいい?」
「えぇ、そうね〜。ナヴィア、これからよろしくね〜」
私はそこまで話してから、不味いことに気づいた。
ナヴィアさんと「薔薇の怪盗」はよく遭遇する。そして、多分これからは、ナヴィアさんと「ロゼ」も話すことになる。
正体バレた時、気まずくないか? 怪盗として戦う時も、私が剣を向けるのを躊躇しそうで怖い……。躊躇したせいで、昨日みたいに大怪我を負ったら、ロシの調査がなかなか進まないから、あまり良くない展開じゃないか?
でも、今更断るなんてできない。優柔不断な自分がちょっと嫌になる。
考え込みながら、私は運ばれてきたパスタをフォークに巻いて、食べ始める。
胃が痛くて食欲は湧かないが、とても美味しいパスタだ。普段なら、こんなものを食べれただけでも、大喜びなところである。
「どう? 美味しい?」
「えぇ、こんなに美味しいパスタは、食べたことがないわ〜!」
「よかった! 話が戻るけど、ロゼの両親は? 千織屋にきた二人は、あんたの兄妹なの?」
おー、微妙なところを聞いてきたな。
私はパスタを飲み込んでから、うまく言葉を選びながら、話すことにした。
捨て子って素直に言ったら、気まずいだろうしなー。サーカスに居たってことも、お父様に伝わったら不味いから言えないし。どうやって誤魔化そう。
「リネとリネットは、本物のきょうだいじゃないの。私は、ファデュイとして動いているわけではないのに、あそこに置いて貰っている……居候みたいなものね。それから、私の両親は────その、えーっと、死んでる」
「え……」
ちょっと雑すぎたか? ナヴィアさんのお父さんが死んでるなら、私も死んでる設定にしよっかなー、って思ったんだけど。
想像以上にナヴィアさんが、驚いている。失敗したかもしれない。
「それって、あんたの両親も免罪をかけられたってこと? それにロゼは、ファデュイだったの?」
「確かに、私は一応ファデュイよ〜。エージェントではないけれど。
そして、私の両親は、私が────。その、ごめんなさい、今のは忘れて。うまく話せそうにないから」
やべっ、私は咄嗟に嘘が思いつかないぞ。
私が物心がつく前に捨てられて、サーカスで育ちましたー、なんて言ったら「なんであんたは病弱なフリしてるの? サーカスでパフォーマンスしてるのに、運動できないのはおかしくない?」って聞かれそうだし。とにかく、下手なことを話す前に、黙るしかなかったのだ。ナヴィアさんも、変なところで話を切られて、気分を害したところだろう。申し訳ない。
「ごめんなさい、ファデュイと手を組むなんて、いやよね〜」
「ううん、ファデュイが全員悪い人とは、限らないでしょ? それに、あんたは入らずを得ない事情がありそうだし」
確かに、壁炉の家はそもそも、執行官のお父様──召使が経営している孤児院だ。
壁炉の家に居ておいて、ファデュイとの関わりを完全に断ち切るのは、不可能に近い。私がエージェントになっていないのも、「病弱」という嘘をついているからであり、本来ならみんなファデュイとして働くことになる。
「昨日千織屋に来た二人とは、仲が良さそうだったね! 二人も、ファデュイなの?」
「あ、え、えぇ。そうね────。二人はファデュイで、私と違ってエージェントでもあるわー」
千織屋に来た二人、とはリネとリネットのことだろう。
私は、突然言われた「仲が良さそう」と言うワードに反応して、一瞬目を逸らした。
私は、昨日リネを傷つけた。それなのに、「仲がいい」なんて言う資格はあるのだろうか。今は友好的に接して貰ってるけど、きっと正体がバレたらそうはいかない。私は昨日のように敵意を向けられるだろう────。
私は昨日の二人の冷たい目を思い出して、小さく震えた。
私、二人を救済したら、メロピデ要塞に行くことは決めてるんだし、きっともう二度と会うことはなくなるだろうけど……。もし、メロピデ要塞から出れても、壁炉の家のみんなには会わずに、ひっそりと暮らそう。
そんなくだらないことを考えながら、最後の一口を食べ終えた。パスタ一人前でも、傷が痛んであまりにも辛い。
そういえば、ちょっと傷口の周りが冷たい気がする。私は嫌な予感がして、恐る恐る自分の服を見る。
「…………ははは」
傷口のあるとこが赤いんですけどー!?
私は、頭を抱えた。包帯は結構厳重に巻いたつもりなんだけど、包帯がもしかしてズレたんだろうか。ど、どどどど、どうしよう。私が今着てる服は、真っ白だ。一目で怪我をしているとバレてしまう。
「ロゼ? どうかしたの?」
「いいえ、なんでもないわ〜。そ、そろそろご飯も食べ終えたことだし、解散にしないかしら〜」
私は、持っていたバスケットで、咄嗟に血の滲んでいる部分を隠した。ナヴィアさんが「そうだねー」なんて言いながら立ち上がったところで、私も続いて席を立つ。
「────あ、や、やべっ……」
けれど、貧血なのだろう。立った途端、視界がぐらぐらと揺れ始める。まるで地震が起きているようだ。
私はまともに立てなくなり、その場に座り込んでしまった。思ったより、大きな音を立てて、私は座り込んだらしい。ナヴィアさんが駆け寄ってきたのを、ぼんやりと認識する。
「ロゼ……!? あんた、どうしたの、その怪我!」
「……あ。ど、どうしよう……。ば、バレちゃった。わ、私……」
揺れる視界の中、ナヴィアさんに怪我をしていることが、バレてしまったことを理解する。
ナヴィアさんがもし、リネたちに私が怪我をしていることを言ったら──私は、確実に「薔薇の怪盗」であると、判明する。そうしたら、リネたちの命は救えない。
私は縋り付くように、ナヴィアさんの手を握った。
「お願い……! ごめんなさい、このことは、誰にも言わないで……! 本当に、お願い……」
「どうして!? こんな大怪我なのに……」
「お願い……。本当に、お願いだ。見逃して欲しい。何も、聞かないで欲しい。わがままなのは、分かってる。でも、どうか見逃してくれないか」
ナヴィアさんは困惑した顔で、頷いた。
それから、私たちは気まずい空気の中、次に会う日だけを約束してから解散した。私は痛みと眩暈に耐えながら、新しい服と包帯を買って、着替えてから壁路の家に帰った。
──ナヴィアさんが、口外しないことを、願いながら。
「……おやおやまぁ、ナヴィア嬢。君がそこまで気を散らすなんて、珍しいじゃないか」
「ちょっと、離して! あんたは黙っててよ!」
薔薇の怪盗は、ナヴィア片手で背負いながら、元素だけで華麗にマシナリーを倒していく。
絶対に捕まえたい敵が目の前にいる。けれど、ナヴィアが暴れたら、怪盗諸共ナヴィアも死ぬ。だから、暴れられないのだ。ナヴィアは、歯痒い思いを打ち消すように、軽く唇を噛む。
普段敵対しているはずなのに、こんな状況になったのにも、もちろん理由がある。
ナヴィアは、あれから────ロゼと二人で初めて会った日からずっと、ロゼについて思い悩んでいた。
何度かロゼと「連続少女失踪事件」について話すために、会っているが、最初に二人で会った時のような、明らかにおかしな様子を見せることはなかった。
けれど、明らかにロゼは何か複雑な事情を抱えていることは間違いがない。
ロゼのきょうだいだと言う、双子。あの双子の、ロゼへの過保護は異常なほどだ。
さらに、最初に会った時に手を跳ね除け、おかしなほどに震えて怯えていたのも、普通ではない反応だった。けれど、そこまでならナヴィアがここまで思い悩むことはなかっただろう。
問題は、二回目に出会った時の、ロゼだ。
双子と仲が良いのか聞けば、怯えたように目を逸らし、親のことを聞けば、まるで自分が親を殺したかのような、闇深い表情をした上に、大怪我をなぜか隠そうとしていた。
あの大怪我は、一体何なのか。なぜ、隠す必要があるのか。何もかも、わからなかった。
ナヴィアに不自然に怯え、双子が彼女に過保護なのは、おそらく彼女が虐待をされていたからだろう。
そして、その親は──ロゼが、殺したのではないか。
ナヴィアは、そう考えていた。あの不自然な、間。そして、「私が……」で止められた言葉。「両親が」ではなく、「私が」。ロゼが、両親の死に関与していることは、おそらく間違いない。
けれど、ロゼが虐待をされていて、両親を殺した、と言う仮説を立ててなお、怪我を隠そうとする理由はわからなかった。
ナヴィアは、怪我を隠そうとした理由が気になって仕方がなかった。直接ロゼに聞こうにも、この前のロゼの必死な様子からして、おそらく何も答えてくれない。
ロゼは、優しい人物だ。この数ヶ月を共に過ごして、ナヴィアはそう思っている。だからこそ、ロゼについて、不思議なほどに知りたくなるのだ。
そんなこんなで、ナヴィアは怪盗と戦う時や仕事中ですら、ロゼについて深く考えるようになってしまった。
そして、今回は別の犯罪者を追っていたところ、考え事をしていたせいで、攻撃を受けてしまったのだ。攻撃を受けたのは、不幸にも足で、逃げ出したくても逃げ出せそうになかった。そこで偶然現れたのが、怪盗である。
ナヴィアを攻撃してくるかと思ったが、怪盗は、なぜかナヴィアを助けるために背負いながら戦い始め、そして今に至る。
「おやおや、まだ考え事かい、ナヴィア嬢」
「……そうだけど、下ろしてよ。もう、敵は倒したでしょ?」
「君がそう言うのなら、仰せのままに」
怪盗は無駄に恭しい仕草で、ナヴィアを自分の背から下ろした。
怪盗は、ナヴィアを自分から攻撃するつもりはないらしい。そういえば、怪盗が昔「俺の美学に反する」とか何とか言ってた気もする、とナヴィアは思い出した。
そんなふうに手加減をされるのも、捕まえたいと思っている怪盗に、助けられるのも、あまりに悔しい。
ナヴィアがそう思ったのを、怪盗はすぐに分かったらしい。仮面をしている顔で唯一見えている、口元を緩めた。
「悔しいかい?」
「……あんたに助けられるのは、悔しいに決まってる」
「ふふ、そうか」
ナヴィアが、心底悔しそうな声を出して言えば、怪盗はどこまでも穏やかに笑った。
きっと仮面の中の目を細めて笑っていることだろう、とナヴィアは思う。初めて、怪盗の顔が知りたいと思った。
「なら、もっと俺を追い続けてくれ。そうしていたら──きっと俺は君に甘くなってしまうことだろう。君になら、捕まってもいいと、そう思えるだろう。
それで、君の手で俺を触れられそうだと、そう思ったら……」
怪盗はそこで言葉を一度止め、ナヴィアの手を、またうやうやしく手に取った。
怪盗は、優しい声で、ナヴィアに願うように言う。
「俺を、捕まえて」
怪盗は、そこで話を終えようとしたらしい。
けれど、何を思ったのか、優しい声で、でもどこか泣きそうな声で、怪盗は言葉を付け足す。
「そして、どうか──────
俺を、助けてくれ」
ナヴィアは、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。この怪盗は、やけにナヴィアに捕まえさせたがる。
まるで、本当はこんなことをやりたいわけではないかのように。
「いつでも、待ってるから」
怪盗は、ふんわりと笑った。口元しか見えないけれど、何だか既視感のある笑みだった。ナヴィアは思わず、怪盗に手を伸ばす。この笑顔を、どこかで見たことがある。ナヴィアは、よく、この笑顔を見ている。そう思った。
けれど、怪盗は瞬きをして隙に、青い炎だけを残して、消え去っていた。
ナヴィアの伸ばした手は、虚しく空を切った。
「ロゼ、どうかしたの?」
えーっと……今は、ロゼだから、俺じゃなくて、私か。うん、合ってる。
キャラ演じ過ぎて、どれがどれだかわからなくなってきちゃった。
あ、別に傷ついてるとか、そんなのじゃない。あれから数ヶ月経つが、俺……あ、違った。私のメンタルはすっかり安定している。
その理由は────もちろん、リネとリネットと、フレミネだ!
あれから三人が、さらに、美味しいレストランに連れて行ってくれたり、素敵なマジックを見せてくれたり……まぁ、色々してくれたのだ!
そのおかげで、私はすっかりメンタルが復活。いや、逆にメンタルが有り余ってて、毎日怪盗をしても平気そうなくらいには、よくなっている。
そんな今、私は夜遅くにリネットと一緒に、内緒でお茶会をしている。
つい、夜遅くになると、怪盗をやり続けている弊害か、自分が「俺」なのか「私」なのかわからなくなってくるせいで、ぼーっとしてしまった。
リネットを、心配させてしまったらしい。
「ごめんなさい、ぼーっとしちゃってたわ〜。私、寝ぼけているのかしら〜」
「眠いなら、もう解散にする?」
「ふふ、大丈夫よ〜!」
私はふんわり笑いながら、首を横に振った。リネットは、紅茶を飲みながら、安心したようにそっと頷く。
私は、クッキーを摘んで一つ口に入れた。甘い味が、口いっぱいに広がる。私の胃は、最近怪我もあって怪盗の仕事をなるべく控えていたおかげで、快調だ。ナヴィアさんを慌てて助けた時は、結構元素を使ってキツかったのだが、それ以外はほとんど元素を使っていない。
「ロゼ、私はここに居ていいのかな」
「ええ!? 急に、どうしたの〜!? え、えっと、お菓子! お菓子を食べて元気を出して!」
リネットのいきなりの爆弾発言に、私は取り乱した。それはもう、取り乱しすぎて、大量のクッキーやマカロンやらを、リネットに差し出してしまった。
リネットは慌てた私を見て、わずかに口角を上げた。けれど、すぐに暗い顔をした。
「私が足手纏いだから、リネは怪我をした。それなのに……私は何も怪我なんてしてない」
「リネット」
完全に怪盗の件を引きずってるじゃないですかやだー。
私は慌てて、何が励ます言葉を考えて、下手ながらそれを口に出した。
「リネットの家はここよ。帰ってきてはならない家なんて、ひとつもないもの〜。──いいえ……違うわね。帰ってきてはならない家など、あってはならない。
少なくとも、あなたを愛するきょうだいが居る限りは、あなたはここに居て欲しいわ。だって、リネットをなくした壁炉の家なんて、寂しいもの」
私はふわりと笑った。リネットは、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「じゃあ、ロゼは」
今度は、私が瞬きをする番のようだ。じゃあ、私は? 一体どういう意味だろうか。
「ロゼは、私のきょうだいだと思ってる?」
「……ふふ」
私はクスッと笑ってから、紅茶を飲んだ。なんだ、そんなことか。
「リネットがそう聞いてくれて、嬉しいわ。ええ……本当に、嬉しい。だって、私はリネットが大好きだもの」
もちろん、恋愛的な意味ではなく、家族愛、みたいな意味で。
けれど、私はどうせすぐに壁炉の家を出て、メロピデ要塞へ行く。私はリネットときょうだいでは、なくなる。
だからあえて曖昧に返した。そう返すしか、なかった。嘘は、なるべくつきたくなかったから。
「なんだか、恥ずかしくなってきたわ〜! それよりも、ほら、リネの調子は良さそうかしら〜? 私はリネットほど、リネのことがわからないもの〜」
「……リネの怪我は、治った。だから、明日あたり、またファデュイの仕事に行く」
「そうなのね〜。…………リネット、心配なの?」
静かに、リネットは私にそう告げた。その目は、不安げにどこか揺れている。私はひとめで、リネットが不安なことに気づいた。
「……また、あの怪盗と遭遇しないかが、心配。彼は、強かった。ファトゥスを除いて、私たちが出会った、誰よりも」
「そう。リネットは、怪盗が憎い?」
私は思わずリネットに、そう聞いてしまった。きっと後悔するとは、分かっていたけど、好奇心が優った。
「──少し」
おそらく、本心よりも控えめな表現だった。なぜか、こちらの表情を伺うような、そんな仕草で、リネットはそう言った。
私は、乾いた唇を舌で舐めた。リネットはそんな私の動作を見て、一度だけ瞬きをした。
「……ひとつだけ、言ってもいい?」
「うん」
私は、慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと話す。
……なんか、直感なんだけど、リネットに私が怪盗じゃないか、疑われてる気がした。だから、可能性を徹底的に潰すために、あえて話を逸らさないことにする。
「私は、その怪盗に会ったことがある」
「…………え?」
う、嘘ではない。私はある意味毎日怪盗に会ってるし! ──本当は、誤魔化すのは忍びない。けど、友人から見せてもらったリネとリネットの立ち絵に、明らかに二人の見た目が近づいてきた。そろそろメインストーリーみたいなのが、始まりそうな時期なのだ。今、バレるのは良くない。
「──そして、私は怪盗を許せない。私がここまで許せないと思った人物は、彼以外に居ないわ。そのくらい、私は彼を憎んでいる。
だって、彼は、自分の欲のためだけに動いているの。全てに飢えているのね。……美しいものを幾ら手に入れたとしても、彼は満足できないのよ」
うんうん、これも嘘はついてない。私は、リネとリネットを傷つけた自分を許すつもりはない。それに、リネとリネットの救済をして、もっと二人の幸せな姿を見たいという、個人的な欲のために動いているのだ。どんなにモラを手に入れたとしても、命に勝るものはなし! 二人を助けないと、私は満足できない!
リネットは、珍しく怒りの表情を見せた私に驚いているのだろう。ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「ロゼは、彼に何かをされたの?」
「────まだされたわけではない。でも、彼は私の人生の全てを変えることになる。私は、きっと彼のせいで、これまでの生活を送ることは不可能になるでしょう。彼のあまりに強欲な願いに、巻き込まれて」
これも、嘘じゃない。私は、怪盗の正体がバレたら、メロピデ要塞に行くつもりだし、二度と壁炉の家のみんなには会わないつもりだ。これまでの生活は、二度と帰ってこないことだろう。
リネットは、意味がわからなかったらしい。不思議そうに、首を傾げた。
「……どういうこと?」
「いずれ、分かるわ〜。──彼のショーが終わる、その時に……ね」
そこまで言って、私はしまった、と思った。
今、夜なせいで気分がすっかり怪盗になっている。
今の言い回し、絶対ロゼはしないじゃん! ついいつも通り、特に中身はないのにミステリアス風に言っちゃったよ!
てか、ショーってなんなんだろ? 自分で言っておいて、謎である。……私はどうして自分の考察をしてるんだ?
「ふ、ふふ……。す、少し、話し過ぎちゃったかしらぁ〜。はははは……」
私は、明らかに話し過ぎだったのを誤魔化そうとしたが、我ながらめちゃくちゃ誤魔化すのが下手だ。
リネットは、訝しげにこちらを見ている。そして、いかにも慎重、と言った様子で口を開く。
「ロゼは……」
「………………な、何ー?」
え、「ロゼは、怪盗なの?」とか言わないよね? 私はバクバクと音を立てる心臓を押さえ込むように、腕を組んだ。
リネットは、真面目な顔で、私に聞く。
「ロゼは……星殺しの少女って、知ってる?」
「えっ誰それ」
全く予想外な、関係ないことを聞かれて、私は問いに問いで返した。
ロゼのおっとりキャラが完全崩壊しそうである。いや、マジで誰なの、その人。初耳だ。裏世界のことを色々知ってる私でも、その人の話は聞いたことすらないんだけど?
「……なら、いい。変なこと言って、ごめん。もう遅いし、寝よう」
「え、あ、うん。……えぇ?」
気になるところで、話を止められた。
まさに、誰よその女! って問い詰めたところで、逃げられるような……そんな気分である。
私は紅茶を飲み干して、席を立つ。カフェインを摂取したせいか、眠くなくて、どう頑張っても寝れなそうだ。それなのに、なんだか緊張したせいか、全身が疲れている。
部屋に戻った私は、倒れるように、ベッドに飛び込んだ。
「星なんとかの少女って誰だよ……」
ポツンと呟いた言葉は、部屋の中の静寂に溶けていく。
眠くなかったはずなのに、怪盗の活動をしているせいで起きている、寝不足のせいか、どんどんと眠たくなってしまった。
私は、暗闇の中、炎元素を操って、青い炎を掌に出す。
「──俺、境界線が薄くなってるな。こんなのじゃ、ダメだ……。もっと、徹底しないと」
私はひとり、溶けそうなくらいに小さい大きさで、呟いた。
今、自分が「怪盗」なのか。それとも、「ロゼ」なのか。はたまた、ただの「私」なのか。
人格の境界線が溶けていくような気がした。気がついたら自分が消えてなくなってしまいそうだ。
「──今日は、寒いな。早く寝よう」
本当はさっきまで大して寒くなかったのに、気づけばガタガタと震えていた。
私は、目を閉じる。もう、何も感じないように、何も考えないように。そっと、そっと事実から目を背けて、そうして生き続け、私の欲望を叶えるために。
「……俺が、みんなを助けるんだ」
俺が意識を落としかけた、その時、パタパタと鳥の羽音がした。
私は一気に意識を覚醒させ、そしてベッドから勢いよく立ち上がる。
なんだ、ゆっくりしようと思っていたのに、来てしまったのか。
「さて、今日のお困りの犯罪さんは一体どなたなんだい?」
私は鳥から手紙を受け取り、開いた。部下が、丁度いいタイミングを見計らってくれたらしい。なんと、驚いたことにその人は、私が追おうとしていた人物。
原始胎海の水の研究をしていて、人体実験まで行っているらしい、真っ黒な人。なるべく関わりたくないけど、どんな人か、会って調べる分には問題ない。
私は急いで怪盗の服を着て、すぐにワープをした。そして、彼に向かって微笑んで見せたのだった。
「──さて、マーセルさん。何かお困りかい?」
次話から魔神任務の本編に入ります。