「やはりか……」
私は衛星軌道上の船から、奴の様子をずっと観察していた。
──だが、あの星に放り出しても、奴がやることはまるで変わらなかった。
いや、正確に言えば、装備を得たことでより洗練され、そして
奴は巨大な獣を見つけると、嬉々としてスピアを構え、正面から突っ込んでいった。普通のヤウジャなら、まずは狡猾に立ち回り、罠を仕掛け、確実に仕留める算段を立てる。だが奴は違った。ただ殴り殺す。突き刺す。引き裂く。血飛沫を浴びながら、倒した獲物をそのまま喰らった。
「……狂っているのか」
私は思わずそう呟いてしまった。
リストブレイドを使う時も、奴は突き刺すというより殴るようにして殺す。刃の意味を理解しているのか怪しい。だが確実に殺せる。食える。奴にとってはそれで十分らしい。
この極限環境に生える植物のほとんどは即死級の毒を持っている。マスクならそれを判別できるが、奴は構うことなく口にした。
案の定、痙攣して地面を転げ回り、泡を吹いて倒れる。私は「これで終わりか」と思うのだが、暫くすると立ち上がり、また肉と共にその植物を食い始めるのだ。
「なんなんだ!?あの生命力は……」
私はモニター越しに叫んでいた。理解できない。普通なら死んでいる。だが奴は違う。毒を喰らい、倒れ、それでも起き上がり、再びそれを食い、鍛錬を続ける。
そう──鍛錬。
奴はこの星に放り込まれても、あの奇妙な鍛錬を欠かさなかった。
大地に身体を伏せ、腕を突いて身体を上下させる動き。腰を沈めて立ち上がる動き。岩を担ぎ上げ、何度も持ち上げる動き。最初に見たときは狂気にしか思えなかったが、それを続けるうちに奴の肉体はますます膨れ上がり、もはや「成長」という言葉では収まらない域に至っていた。
「ヤウジャの文化にない……だが、強くなるのは事実か」
私は悔しいような、誇らしいような気持ちで奴を見続けた。
──そして、奴は恐ろしい事をしでかした。
「あっ!!!アイツ!!!」
私は思わず操縦席から身を乗り出した。
奴は、私の与えたスピアに獲物の肉を突き刺し、偶然発生していた火で炙り始めたのだ。
「なんたる冒涜……!
ヤウジャは血と生肉を好む。獲物の生の旨味を味わうのが至高だ。火で焼くなど下等な真似。だが、奴は平然と肉を焼き、匂いを楽しみ、そして頬張った。俺のスピアで!!!!
………次の瞬間──奴の顔が歓喜に歪んだ。
「うっめぇぇぇぇぇ!!!」
声にならぬ雄叫びと共に肉を貪るその様に、私は全身の毛穴が逆立つのを感じた。
なんだ、あの幸福そうな顔は。
私は血の匂いにこそ名誉を感じる。だが奴は、焼けた肉の匂いに歓喜している。私のスピアを使って……!
「愚弄しているのか……それとも……」
私は両手で頭を抱えた。これまでヤウジャの誰一人として踏み込まなかった領域。焼くという行為。それを奴は自然に行い、そして新たな強さを得ていく。私のスピアで……
私は震えた。怒りか、畏怖か、喜びか……分からなかった。
だが一つだけ確かなことがあった。
──奴は、私の理解を超えている。
エイペックス。頂点の名を冠するに相応しい存在。
「私は……正しい道を歩ませているのか?」
私は初めて、自らの教育に迷いを感じた。
だが、同時に胸の奥底で沸き立つ声があった。
──見たい。この先を見たい。
奴がどこまで行くのか、見届けたい。
「やれ……もっと見せろ。私に、未来を」
私は震える手で操縦席の肘掛けを握り締めた。
そして数ヶ月が経った。
「やっぱこいつは規格外だ。おかしい、何かがおかしい」
私は船の中で呟いていた。
灼熱と極寒の星──この環境はヤウジャですら滅多に足を踏み入れることがない。昼は太陽が二つ照り付け、皮膚すら焦がす熱で大地が揺らめく。夜は氷の刃のような風が吹き荒れ、全てを凍て付かせる。私ですら長期滞在は不可能だ。
だが奴は、その中でも悠然と動いていた。
灼熱の時──奴は狩った獲物の皮を剥ぎ取り、それを骨と枝で作った骨組みに張り巡らせ、風を生み出す奇妙な道具を作り上げた。それを全力で仰ぎ、皮膚が焼け爛れる直前で冷気を得ていたのだ。誰に教わったわけでもなく、奴は思いつきでそれをやった。
極寒の時──奴は巨大な獣を狩り、その腹を切り裂き、中に潜り込んで暖を取った。肉の蒸気で体温を守り、血の匂いを纏ったまま眠る。普通なら腐敗や病を恐れて避ける行為だが、奴にとってはただの「寝床」でしかなかった。
「化け物か……」
私は息を呑んだ。
その日々は淡々と続いていたが、ある日のことだった。
「いってええええええええ!!!」
突然、船内に響く悲鳴。奴の声だ。私は即座に飛び起きた。
「な、なんだ!?!?」
慌てて操縦席に座り、モニターを展開する。映像には血を流しのたうち回る奴の姿が映し出されていた。頭部から滴る鮮血。目を凝らすと、奴の手には血濡れの触手が握られていた。
「……ドレッドか」
私はようやく理解した。
ドレッドが抜けたのだ。
ヤウジャにとってドレッドは誇りでもある。だが成長の過程で稀に一本が抜け落ちることがある。それは肉の根元から引きちぎられるように抜けるため、尋常ならざる激痛を伴う。
「通りで叫ぶわけだ……」
奴は地を転げ回り、血に濡れた手を空に振り上げていた。これまで幾多の獲物を仕留め、毒草を食い、灼熱と極寒に耐えた奴が、初めてと言っていいほど悶絶していた。
私はその姿を見て、不覚にも同情した。
「痛いだろうな……」
過去の記憶が蘇る。私も若い頃、初めてドレッドが抜けた時、あまりの痛みに悶絶し、オリオンに嗤われたことがあった。
──だが奴は違った。
痛みに叫び、血を撒き散らしながらも、奴はその抜けたドレッドをしっかりと掴み締めていたのだ。まるで戦利品のように。
「やっぱり……お前は規格外だ」
私はモニター越しに呟いた。
普通なら痛みを紛らわせるために投げ捨てるものを、奴は握りしめている。あの目を見ろ。血に濡れ、顔を歪め、それでも誇らしげだ。
奴は苦悶の中でも何かを掴もうとしている。自らの身体から抜け落ちたものすら、己の糧にしようとしている。
そして一年、二年と過ぎ、四年、五年と時は流れた。
奴は更に成長していた。
既にその体躯は私を優に越し、嘗て夢の中で見た巨躯のヤウジャ、未来から現れたあの「エイペックス」に迫るほどになっていた。
「フッ」
思わず笑みが零れた。
「だがしかし、凄まじいな」
奴はただ腕を振るうだけで巨大な生物を昏倒させ、大地を獣のように駆け抜け、脚の速い捕食者を一瞬で狩り倒す。あのしなやかな跳躍、地を割るような着地、獲物が逃げ出す間すら与えぬ速さ。
それでいて奴は奇妙なことをする。
毒草をふんだんに巻きつけた肉をスピアに突き刺し、枝で作った支えに置き、回しながら焼き始める。火に炙られ、毒素が煙と共に抜け落ち、焦げた匂いが辺りに漂う。私はその光景をモニター越しに見ながら頭を抱えた。
「……誰がそんなことを教えた」
私はため息を吐きつつも、内心は感嘆していた。毒の知識すら己で学び、焼き払う術を編み出したのだ。
灼熱時には獲物の死骸を幾つも持ち上げ、大地を走り抜ける。火照る大気を振り払いながら、己の筋肉を更に鍛え抜く。極寒時には凍り付いた湖を叩き割り、氷を砕き泳ぐ。牙を立てる原生生物をそのまま水中で絞め殺し、引き上げては貪る。
「……これはもう私の理解を越えている」
私は呟いた。
私は長き年月を生き、無数の獲物を狩ってきた。だがここまで野蛮で、ここまで合理的で、ここまで強靭な存在を見たことはない。
「こいつはダメかもしれん」
私の胸にそんな声が響いた。
もはや私では御しきれない。私は教育係の立場であり、奴を導く者であるはずだ。だがその実、奴は既に私の手を離れ、自らの道を突き進んでいる。
図体は巨大だが、まるで子供のように無邪気で陽気だ。灼熱に笑い、極寒に歌い、毒を喰らって転げ回り、また立ち上がって肉を頬張る。そんな愚かしいほどの純粋さを持ちながら、同時に頂点捕食者としての風格を纏っていた。
──私は思い出していた。
あの日、未来に期待ジュースを飲み、夢に見た巨躯のヤウジャ。スピアで巨大な獲物を貫き、拳でゼノモーフを砕く姿。
「……あれは」
私はモニターに映る奴を見て、心の奥で震えた。
あの夢は私の未来ではなかった。私が創り出す未来。私が育てる存在。私が鍛え、導くことで現れる「頂点」──それが今、目の前にいる。
「エイペックス……」
私は静かに名を呼んだ。
陽気で、純真で、野蛮で、そして何より強い。
こいつこそがヤウジャの未来を変える存在かもしれない。
私はふと笑みを浮かべた。
「やはり私は………………正しい未来を見ている」
奴は大地を駆ける。火を焚き、肉を焼き、血を浴び、そして笑う。
純粋無垢なその姿に、私は底知れぬ畏怖と、確かな誇りを同時に感じていた。
そして約束の日が訪れた。
奴が十四歳となったその時、私は船を大地に降ろし、迎えに行った。
「ハッ!やっと来たかよ!待ちくたびれたっすよ!」
声が響いた先に、奴はいた。
自らよりも巨大な獲物の死骸の上に仁王立ちし、片肩にスピアを担ぎながら私を待ち構えていたのだ。
私は思わず足を止めた。
その姿はもはや幼子ではない。王者の風格。そこにいるだけで、あらゆる生物が本能的に恐怖し、逃げ出すか、あるいは跪いて許しを乞いたくなるような気配。
恐ろしい。怖い。心臓が強く鳴り、臆病な本性が再び顔を出そうとする。だが同時に、私はその気配に魅せられてもいた。
──あの日、未来に期待ジュースを飲み、夢に見た巨躯のヤウジャ。
まさにその姿が今、私の目の前にある。
「よく生き延びた。いくぞ」
私は努めて淡々と告げた。感情を押し殺し、表情を崩さぬように。
奴を引っ張ることは、もはやできない。奴は私の掌から大きくはみ出した存在だ。だが奴は不思議と従順に、狩った獲物を引き摺りながら船へと乗り込んだ。もう少し大きかったら船に乗らなかった。
……ただし、船のハッチをくぐる姿を見て、私は思わず目を細めた。
「おい……お前、ちょっと大きくなりすぎではないか?」
船内の通路が狭く感じるほどだ。いや、私の船は決して小さくはない。だが奴の体格は既に私と同等か、それ以上にまで成長しているのだ。
「今度こそ帰れる!?」
奴は笑顔でそう言った。
「さぁ……」
私は曖昧に答える。
「え?マジ?」
奴の顔に落胆が浮かぶ。
ここで「帰れる」と明言してしまえば、奴は緊張の糸を切ってしまうだろう。かといって「帰れない」と告げれば、面倒を起こす可能性がある。だから私は何も言わず、曖昧な返答で誤魔化した。
奴には、もう一つ星を用意してある。
それが最後の試練だ。
そこを生き延びれば、私の教育は終わりを迎える。
私は操縦席に座りながら、ちらりと後ろを振り返る。
奴は獲物の死骸を船内に引き込み、嬉々として肉を捌き始めていた。血飛沫を浴びた顔で、子供のように無邪気に笑っている。
その笑顔に、私は胸を締め付けられる。
「……未来はすでに形を取り始めているのかもしれんな」
私は静かに呟き、航路を新たな試練の星へと向けた。
奴が向かう次なる星は、私が最後に課す試練に相応しい星だ。
その名を【タンハー=タスンモー】。ヤウジャの間では怪物星と呼ばれ、語るだけで狩人たちが思わず息を呑むほどの名を持つ。
そこには人間が存在している。人間がいるということは、かつてエンジニアの生命循環の儀式が執り行われた証である。しかしその儀式は完全ではなく、血と触媒の化学反応は予定調和を外れ、別のものを生み出した。
それが――【龍】。
龍は一種ではない。四脚に大きな翼を持つ爬虫類型が基本だが、それ以外にも馬のような体躯、獣のような形態を持つ種が存在し、それぞれが強大で、獰猛で、そして畏怖を孕んでいる。
その力を目の当たりにした者はほとんど生きて帰らぬ。生き延びた者は口を揃えてこう語るのだ。「龍こそがこの宇宙で最も神に近い存在だ」と。
私はかつて大聖堂の地下、大祭壇に並ぶ骨を見たことがある。青白い一角を持ち、時折稲光を放つ馬のような怪物の頭蓋。あれもこの星で狩られたものだ。私が若き頃、その荘厳さに息を呑み、そして自らの矮小さを痛感した。
「……そこに奴を置く」
私は操縦席に座り、航路を確認した。
エイペックスは船の後方で、相変わらず飄々と肉を捌いている。スピアを片手に肉を突き刺し、焔で炙り、何やら意味不明な歌を口ずさみながら食っている。まったく緊張の欠片も見えない。
だが、だからこそ良い。
この星は甘さを許さぬ。灼熱と極寒の星を生き延びた奴であっても、ここで命を落とす可能性は高い。人間と巨大怪物が共存する環境――そこに潜む理不尽は、獣よりも人間よりも、遥かに苛烈で容赦がない。
「成人の儀式の直前まで、奴をこの星に置いてやる」
私は独りごちる。
未来に期待ジュースを飲んで夢に見た巨躯のヤウジャ。あの未来は幻ではない。私が導き、教育し、試練を与え、この星で生き延びさせることで、確実にその未来を創り出す。
あの臆病なアビサルが死に、ゴンジとなったのはこの日のためだ。
「エイペックス……」
心の中で名を呼ぶ。
奴の未来は私の未来。私が歩んだ深淵は、今度は奴が覗き込み、超えていかねばならぬ。
船は音もなく宇宙を渡る。星図の先に青く輝く球体――【タンハー=タスンモー】が近づいてくる。
これが最後の試練だ。