出発は二日後だ。
二日後に地球の軌道上で待機し、エンジニアを迎える――それが今回の任務の大まかな流れだ。
地球という星の存在は、今回の護衛任務を言い渡された時に初めて知った。広域航路の記録にもほとんど載っていない未開の惑星。水と岩、そして植物しかないという。ウルフ曰く、生命の兆しは未だなく、空気もプレデターが長時間活動するには少し薄いらしい。つまり俺からすれば、行く意味の薄い辺境の石ころみたいな星だ。
……で、そのウルフが、なぜかまだ俺の隣を歩いている。
さっきまでエルダーの部屋で一緒に任務を聞いていたのは分かるが、こうして母星の街中まで一緒に歩く理由はないだろう。しかも、さっきからほとんど喋らず、時々思い出したように意味の分からない独り言を言う。
「ゼノモーフの掃除は楽しいし、報酬もいいけど……こういうのも悪くないね」
横でウルフが、まるで珍しい果物でも見つけたかのように小さく頷きながら呟く。
どこがだよ。全然悪くないわけないだろ。お前、今から行くのはエンジニアの護衛だぞ?しかも“生命循環の儀式”とやらの真っ只中だ。失敗すれば全滅、下手すれば俺たちの星ごと吹き飛ばされるかもしれないんだぞ?
……あぁ、やっぱりこいつ、まともじゃない。
俺は黙って歩き続けた。アヌ族の街の石畳は、昼の強い陽射しでじんわりと温まり、装甲越しにも熱を感じる。周囲では武器を担いだ狩人たちが行き交い、修理屋や食料屋の呼び声が飛び交っている。平和な母星の日常の一部だ。こういう光景を見ると、出発前に少しでも目に焼き付けておきたいと思う反面、二日後にはこの景色が遠ざかってしまうことに少しだけ寂しさを覚える。
「ねぇアビサル」
不意にウルフが俺の名前を呼んだ。その声には妙に柔らかい響きがあって、反射的に警戒心が薄れる。こういうところが危ない。
「……なんだ」
「君はエンジニアのことをどう思ってる?」
あぁ、面倒くさい質問きた。俺は無言のまま前を向いて歩き続けたが、ウルフは気にせず続ける。
「僕はね、あの種族は完璧だと思うんだ。美しいし、強いし、役割に忠実だ。自分たちが何のために存在するのかを完全に理解している。僕らヤウジャとは違うよ」
……言ってることは分からなくもないが、賛同はできない。俺は一度、あのエンジニアを遠目に見たことがある。あの無機質な目、全身から漂う無慈悲さ――あんなもの、敬うより先に距離を取りたい対象だ。
「俺は関わりたくない。それだけだ」
短く答えると、ウルフは小さく笑った。
「そう言うと思ったよ」
なにが「思ったよ」だ。やっぱりこいつは何を考えているのか分からない。
大聖堂前の広場を抜け、俺たちは別方向へと足を向ける分かれ道に差し掛かった。ここでようやく、この妙に懐っこい掃除屋とも別れられる――そう思った瞬間、ウルフは軽く手を上げて言った。
「じゃあ、また二日後。船のドックで」
勝手に約束するな!と心の中で叫びつつ、俺は黙って背を向けた。背中にウルフの視線を感じるが、振り返る気はない。
二日後、俺はあいつと一緒に地球へ向かう。面倒なことになる予感しかしない。
そそくさとウルフから距離を取り、俺は広場を抜けて真っ直ぐ食事処へ向かった。母星に帰還してから何も食わずに報告に行ったせいで、腹の奥から空虚な痛みが込み上げてくる。胃袋が鳴る音は、鎧の内側でもはっきり響いて不快だ。
「ガナトスでも食うか」
小さく呟く。思考は既に獲物の味を想像し始め、唾液が喉に溜まる。
広場を横切ると、空気が変わる。鉄で組まれた低く平坦な建物群が並び、そこは食事処が集中する区域だ。骨を積み上げた看板や、血の滴る皮を干した装飾が目印になる。空気には濃厚な鉄臭が漂い、鼻腔の奥に生暖かく張り付く。
「血が滴ってて美味そうだ」
目的のガナトス屋に着く。厚い鉄扉を押し開けると、湿った生臭さと血の匂いが一気に押し寄せ、身体が自然に反応して喉が鳴った。
中には数人のプレデターが席に腰掛け、
ガナトス――四脚で荒野を走り回る爬虫類。外皮は硬く、脚力は鋭いが、捕まえてしまえば恐れるほどの反撃はしてこない。大きさは手のひらに収まる小型から、人間の胴ほどある中型、そして大型種まで様々だ。俺たちは片手で掴める中型以下をよく食う。ユィタ=プライムでは最も数が多い生物で、捕食者にとっては最も手軽で栄養価の高い獲物でもある。
幼少期の俺は臆病だったが、ガナトスを捕まえる時だけは別だった。腹が減れば恐怖など後回しになる。群れで走るガナトスを追い、尾を掴んで地面に叩きつける。暴れる脚を踏みつけ、首を捻じ折る――それが遊びであり、食事の始まりでもあった。
店の奥には檻が並び、そこから時折、甲高い鳴き声と尾の打ち付ける音が聞こえる。ガナトス屋で出されるものはすべて
俺はカウンターに歩み寄り、無言で店主と目を合わせる。
「中型を一つ、血はそのままで」
店主は短く頷くと、檻から暴れるガナトスを引きずり出した。獲物は牙を剥き、尾を振るって抵抗するが、店主の腕は熟練している。片手で首根っこを掴み、もう片方の手で口を押さえ、そのまま俺の前の石台に叩きつけた。
振動が台から腕を通じて伝わる。拘束を解かれた口がパクパクと動くが、すでに爪で四肢は押さえ込まれ、逃げ場はない。
俺は両手でガナトスを持ち上げ、顎を大きく開いた。歯が皮膚を破り、温かい血が舌に広がる。鉄の味、濃密な旨味、そして獲物がまだ生きているがゆえの僅かな痙攣が腕に伝わる感触――これこそがプレデターの食事だ。
一噛みごとに骨が砕け、肉が裂け、血が喉へ流れ込む。息継ぎの合間に鼻で吸い込む生臭さが、さらに食欲を煽る。腹の奥がじんわりと熱くなり、緊張していた身体が少しずつ解けていくのが分かる。
「やっぱり、これだな」
小さく呟く。戦いの後にしか味わえない、この生の充足感。栄養だけではない、生き物としての本能が満たされていく感覚だ。
ガナトスは半分ほどで動かなくなった。残りの肉と内臓を平らげ、骨だけを台に置く。周囲のプレデターたちも似たような光景で、血で濡れた手を舐めながら満足げに立ち上がる者もいれば、二匹目に手を伸ばす者もいる。
腹は満たされたが、頭の奥では二日後の任務のことがちらつく。地球、エンジニア、そしてウルフ――面倒事の匂いしかしない。
だが今は、その不安さえ血の味と共に喉へ流し込んでしまおう。
「大将、何か飲み物をくれ」
俺はガナトスの骨を台に置き、血で濡れた手を軽く舐めながら声を掛けた。腹は満たされたが、喉の奥に残る濃い鉄臭さを流し込みたくなる。
「ダル、バガ、ドナがあるがどうする?」
カウンターの奥で、店主が素早く手を拭いながら振り向く。背後の棚には鉄製の容器が並び、どれも封が固く閉ざされている。中身が何であれ、ただの水ではない。
「……バガにしよう」
「あいよ」
バガ――ガナトスの腹に溜まる水を抽出し、発酵や濾過を経て作られる飲み物だ。色は淡く、透明感があるが、その実かなり癖のある味を持つ。ガナトスが生きている間に吸収する鉱物や微細な生物の成分が混じっており、それが発酵で変化し、独特の香りを放つのだ。
店主は器用に片手で鉄容器を傾け、背の低い石のカップに注いでいく。注ぎ口から立ち上る香りは、血とは違う生臭さと、どこか土の匂いを思わせる重みを持っていた。
「ほらよ」
俺はカップを受け取り、口元に近づける。冷たさが唇に触れ、次の瞬間、強烈な鉱物臭が鼻を突き抜けた。だが嫌な匂いではない。戦場帰りの身体に染み込むような、安心感のある香りだ。
一口飲むと、舌の上で水と血が混ざり合ったような塩気が広がる。喉を通るときには軽い熱を伴い、胃の奥でじわりと温かくなる。この感覚は戦後の静けさを身体に染み渡らせる儀式のようなものだ。
「……ふぅ」
カップを置き、軽く息を吐く。外では遠くから鍛冶場の金属を打つ音や、訓練場の咆哮が聞こえてくる。母星の日常だ。戦いと狩りの合間にしか味わえない、束の間の平穏。
思わず、カップを再び持ち上げて一気に飲み干した。バガの強い後味が舌に残り、内臓の奥で燃えるような熱を感じる。戦場の緊張とは別種の、不穏な熱だ。
「……お代わりだ」
食事を終えて店を出た俺は、冷えた夜気を吸い込みながら母星の街を歩いた。
足取りは自然と、いつもの帰り道を辿る。
家――と呼んでいるが、実際には掘っ立て小屋だ。鉄板と木材を組み合わせただけの簡素な造りで、雨風を凌ぐ以外の機能はない。だが、それで十分だった。
この小屋を作ったのは俺ではない。オリオンだ。
選別後、奴に引き取られた俺は、ここを拠点として暮らすことになった。
もっとも、「暮らす」といっても成人までの大半はオリオンと共に宇宙を巡り、様々な星で鍛錬を積んでいた。砂嵐が吹き荒れる惑星の荒野、毒霧に包まれた密林、そして氷塊の大地――どの星でも、死ぬ寸前まで叩き込まれるのが日常だった。
成人の儀式を終えてからは、この小屋に戻り、一応の拠点とした。
自分の船に住むこともできるが、それは母星以外での話だ。母星に帰ってまで船の狭い空間に閉じこもる理由はない。船は戦場や任務のための道具であって、休息の場所ではないのだ。
街の灯りは少ない。高い建物はほとんどなく、鉄と石を組み合わせた平坦な構造物が並ぶ。
遠くでは鍛冶場の火花が夜空を赤く染め、低く唸る風の音と混じり合って耳に届く。
この景色は、俺が物心ついた時からほとんど変わらない。狩りの合間に戻ってくれば、ここに同じ空気がある。
だが、今夜は妙に静かだ。
いつもなら夜でも鍛錬場から雄叫びや金属音が響いてくるのに、今日はそれが遠く、薄い。街全体が息を潜めているように感じられる。
……考えすぎかもしれない。
だが、二日後に待つ任務のことを思えば、こんな沈黙もただの偶然には思えない。
小屋に近づくと、軋むような金属音を立てて扉が風に揺れた。中は暗く、灯りはつけていない。
俺は腰の装具から光源を取り出し、室内を照らす。
狭い空間には最低限の寝台と、武器の手入れ台が一つ。壁には過去の任務で得た戦利品が掛けられている。
ザラクのものも、その一つになるはずだったが……爆発で跡形もなく吹き飛んだ。
寝台に腰を下ろし、息を吐く。
ここに座ると、不思議と身体から力が抜ける。鍛錬や任務の最中には決して見せない、臆病な本来の自分が少しだけ顔を出す。
だが、そんな時間も長くは続かない。次の任務が迫っている以上、休息は一瞬だ。
「……ふぅ」
武器を一つ手に取り、光の下で刃を確認する。明日には整備を済ませ、荷をまとめなければならない。
二日後、俺は再び船に乗り、未知の星へ向かう――エンジニアという、もっとも関わりたくない存在と共に。
小屋の外では、風が砂を巻き上げ、夜の静けさを切り裂いていった。
大聖堂の地下――その奥に広がるのは、選ばれたアヌ族の狩人しか足を踏み入れられない大祭壇だった。
壁面には歴代の偉大な狩人たちが残した武具や戦利品が並び、古の戦の痕跡が荘厳な空気を纏わせている。天井から吊るされた巨大な獣骨は、かつて星間を震撼させた怪物の証であり、そこに刻まれた傷は幾百年の歴史を物語っていた。
中央の円卓に向かい合うようにして、エルダーとオリオンが腰を下ろしている。二人の間には湯気を立てる黒い飲み物が置かれ、その香りが部屋の空気に溶け込んでいた。
「……オリオン、本当にアビサルを行かせるつもりか?」
エルダーの声は低く、重かった。
「これまでの任務達成状況や狩人としての素質に問題はない。しかし、まだ若い。護衛対象がエンジニアという時点で、失敗は許されん。取り消しはきかんぞ?」
オリオンは腕を組んだまま、迷いのない声音で答えた。
「構いません。奴はまだ成長できる。……いや、成長させなければならない。そのためには、より深い闇に潜らせる必要があります」
エルダーはしばし黙し、卓上の杯を手に取った。光沢のある液面が、地下の燭光を受けて揺らめく。
「……うむ」
短く唸るように返し、杯を傾ける。苦味と熱が口内を満たし、思考を研ぎ澄ませるようだった。
オリオンは続けた。
「それを言えば、プライム族のウルフとやらも若いでしょう。掃除屋という役目を背負ってはいるが、年は浅い」
エルダーは杯を置き、ゆっくりと頷く。
「あぁ……確かに若い。まだ百年も生きてはおらん。だが、奴は史上最年少で掃除屋となった傑物よ」
その口調には、わずかに感心の色が混じっていた。
オリオンは、卓上に置かれた古びた戦斧へと視線を移す。その刃には無数の刻み傷が走り、血のような黒い染みが残っている。誰が、どの戦場で振るったのか――その詳細はもう伝承の彼方だ。
「……掃除屋、か」
オリオンが呟く。
「そうだ。掃除屋とは主にゼノモーフ関連の後始末を担う者たち。繁殖の芽を摘み、痕跡を消し、時には同胞をも葬る」
エルダーの声が、大祭壇の静寂に溶ける。
「掃除屋になるためには、常軌を逸した試練を生き延びなければならん。そして最後に、単身でプレトリアンを討伐する――これが条件だ」
その言葉に、オリオンの視線が鋭さを増す。プレトリアンはゼノモーフの中でも王族に近い存在、群れを統率する怪物だ。成熟した個体を単身で狩ることは、常人ならばまず不可能だ。
「……なるほど」
オリオンは短く返すが、その瞳には複雑な光が宿っていた。ウルフが持つ力と経験、それをアビサルと同じ任務に組み込む意味――その裏を読もうとする思考が、沈黙の奥で回っている。
エルダーは卓上の杯を再び手に取り、視線を落とした。
「この任務は、単なる護衛ではない。儀式の場は創造と破壊の境界……そこに立つ者は、全てを見届け、必要ならば
その声音は、まるで未来を試すかのように響いた。
オリオンは深く息を吐き、やがて頷く。
「……承知しました」
そして二人の間に沈黙が落ちる。
大祭壇の壁に刻まれた古の傷跡が、燭光の揺らめきに合わせて、まるで呼吸をしているかのように見えた。