護衛任務が終わってから暫く経った。俺は今、大聖堂のエレベーターに乗っている。まぁ、いつものことだ。
静かに軋む音を立てながら上昇するエレベーターの中で、俺は無意識にガントレットの操作盤に視線を落とした。何度繰り返したか分からない任務の報告、そしてまた次の指令。俺にとっては日常だが、やはり気が重い。なぜなら、次に呼ばれた理由はほぼ間違いなく決まっているからだ。
目的の階に到着し、重厚な扉が開く。吐き出される冷たい空気が肌に触れ、無意識に眉を寄せた。ここに呼ばれる理由は一つしかない。バッドブラッドの狩猟だ。確定事項と言っていい。
「正直、バッドブラッド出過ぎじゃねーか……」
思わず小声で呟いた。どいつもこいつも掟を破りやがって。俺たちが必死こいてその後始末をしているってのに、どうして後を絶たないんだか。掟を破るということは誇りを捨てるということだ。そんな連中を俺が狩るのは当然の役目ではあるが……その度に身を削るような感覚を覚える。俺の身にもなってくれ。
「はぁ〜……」
自然と溜息が出る。思えばこの数ヶ月、ろくに休む暇もなかった。エンジニアの件にしてもそうだ。奴らとの接触は想像以上に精神を削った。命を賭けて戦ったわけでもないのに、心が摩耗する感覚は戦場以上だった。あの飲み物の儀式だって、未だに意味が分からない。結局俺たちは何をさせられたんだ?
そんな思考を巡らせながら廊下を歩き、エルダーの部屋に辿り着いた。重厚な扉を押し開けると、やはりそこにいたのはエルダーとオリオン。いつものセットだ。
「アビサル、到着しました」
形式的な言葉を述べる。オリオンがこちらを一瞥し、顎で軽く頷いた。エルダーは椅子に腰掛けていた。これまた珍しい光景だ。普段は街を見下ろして立っている姿が常なのに。よほどの気分転換か、それとも体調でも崩したのか。いや、あのエルダーに限ってそれはないか。
「うむ、いつもご苦労」
低く響く声に、俺は内心で身構える。どうせまたバッドブラッドの討伐命令だろう。俺がここに呼ばれる理由はそれしかないのだから。
「何の用で?」
自分でも投げやりな声音になっているのが分かる。だが仕方がない。過去に何度同じ展開を繰り返したことか。聞く前から答えが分かっている問いほど面倒なものはない。
「うむ、最近お前はよくやっている」
エルダーはそう言い、俺の顔をじっと見つめてきた。その眼差しは厳しくも温かい。そういうところが余計に苦手だ。褒められるとどう反応していいか分からない。
「バッドブラッドの件然り、エンジニアの件然り、見事な働きであった」
やめろ。そんなに真剣に褒めるな。背筋がむず痒くなる。俺は素直に「はい」とも言えず、ただ曖昧に頷いた。
「そこでだ……」
その一言に背筋が凍る。嫌な予感が全身を走り抜けた。まるで獲物を見つけたゼノモーフに睨まれている時のような感覚。間違いない、面倒事が降ってくる。俺の本能がそう告げている。今すぐこの部屋から逃げ出したい衝動に駆られる。だが逃げられるわけがない。
「どうだ?少し休暇を取ってみるか?」
………………。
耳を疑った。休暇?今、なんて言った?休暇……?だと?俺は自分の聴覚を疑った。ガントレットのログを確認したくなった。いや、間違いなくそう言った。休暇を取れ、と。
「……は?」
思わず間抜けな声が出た。いや、仕方ないだろう。休暇なんて言葉、この大聖堂で聞くとは思わなかった。いや、この俺に向かってエルダーが言うなんて、誰が想像できる?そんなものは夢物語だ。掟を破ったバッドブラッドを狩ることはあっても、俺が休暇をもらうなんて未来は想定外だ。
「どうした?顔色が変わったぞ?」
エルダーが不思議そうに首を傾げる。その仕草ですら威厳に満ちていて、俺は余計に混乱した。隣のオリオンが小さく笑ったのが見えた。チクショウ、俺をからかってやがるな。わざと黙って楽しんでやがる。
「い、いえ……その……」
言葉が詰まる。狩りの最中、どんな獰猛な獣を前にしても冷静に対処してきた俺が、ただの言葉一つに動揺している。情けない。だがこれは不意打ちだ。仕方ない。休暇なんて言葉は、俺にとっては武器より鋭い刃だ。
「最近の働きを見て、少し骨休めを与えるのも悪くはないと考えたのだ」
エルダーの声音は穏やかだった。その意図が本心なのか、それとも何か裏があるのかは分からない。だが、少なくとも敵意はない。ただ俺を気遣っているように思える。
「……休暇、ですか」
自分の口からその言葉を繰り返してみる。妙な響きだ。俺には似合わない言葉のように思える。だが同時に、胸の奥に小さな灯がともるのを感じた。休暇。狩りも戦いもない日々。そんなものが本当に訪れるのだろうか。
「そうだ。もちろん強制ではない。だが、お前がここで休むことを選ぶならば、それはそれで一つの立派な決断だ」
エルダーの瞳が俺を射抜く。逃げ場のない眼差しに、俺はただ立ち尽くすしかなかった。
しかし俺は間髪入れず宣言した。
「や、休ませていただきます……!!!」
「お、おう」
その場にいたエルダーの顔がわずかに驚きに歪んだのを、俺は見逃さなかった。だが構わない。俺は本気だ。来る日も来る日もバッドブラッド狩り。気がつけば血と臓腑にまみれ、掟を守らぬ同胞を何十と屠ってきた。さすがに心が擦り切れてくる。戦いに明け暮れる毎日の果てに、ふと脳裏に浮かんだのは「もしかして俺自身がバッドブラッドになりかけているんじゃないか」という危険な思考だった。そんな自分に恐怖すら覚えた。だからこそ今、目の前に差し出された休暇の提案に、迷う余地などなかった。
「休む!休むぞ!絶対に休む!」
胸中で繰り返し叫ぶ。俺の全身が求めていたのは狩猟の興奮でも、勝利の栄光でもなく、ただひと時の安息だった。
エルダーが少し咳払いをして言葉を続けた。
「では一週間の休暇を与える。しかし……何か事があれば、呼び出しには必ず応じてもらう。分かっているな?」
「了解!!!!」
力強く返答し、俺はすぐさま踵を返した。オリオンの視線が背中に突き刺さるが、気にしている暇はない。何か言われる前にさっさと部屋を出るのが得策だ。もし余計なことを言われて説教を食らったら、せっかくの休暇が重苦しいものに変わってしまう。そんなのは御免だ。
俺はそのまま駆け足で大聖堂を抜け出し、愛機が待つドックへ向かう。
「よし……!」
胸の内で高揚が弾ける。今の俺を誰も止められやしない。オリオン?エルダー?そんなの知らん!俺はもう決めたのだ。
向かう先はただ一つ。
宇宙最強の娯楽星――タウ・ヴォランティス!!!
そこに決まっているだろうが!
あの星を知らぬ者はいない。全銀河から富豪も傭兵も、科学者も貴族も、名もなき放浪者ですら集う夢の惑星。星全体が巨大な歓楽街であり、暴力も掟もそこでは無意味とされる。戦いに明け暮れた俺にとって、これ以上の休息場所など存在しない。
船のドックに到着した俺は、整備係に慌ただしく声をかけた。
「燃料と補給物資は揃っているか!?」
「え、ええ!昨日点検したばかりですし、いつでも出航可能です!」
「よし!すぐに出る!」
驚いた顔の整備係を置き去りにしてタラップを駆け上がり、コックピットに飛び込む。起動シーケンスを叩き込みながら、思わず笑みが漏れた。狩猟のためにこの船を使うときは心が重い。だが休暇のために操縦桿を握るのは、なんと軽やかなことか。
「行くぞ、タウ・ヴォランティス!」
座標を入力し、ハイパージャンプの準備を進める。目の前に広がる操縦パネルの光がやけに鮮やかに見えた。今までの灰色の日々が嘘のように感じられる。
だが同時に、胸の奥底に一抹の不安が燻っていた。
本当に休暇を楽しめるのか?俺のような狩人に、休息の日々は似合わないのではないか?あるいは、タウ・ヴォランティスでさえも新たな試練が俺を待ち構えているのではないか?
いや、考えるのはやめだ。どうせ未来に何が待っていようと、俺は休む。楽しむ。飲む。食う。そして笑う!それでいい。それだけでいい。
ジャンプのカウントダウンが始まる。
「……三、二、一」
宇宙の闇に白光が走り、船体が震える。俺の身体も心も、一瞬にして星々の彼方へと飛ばされた。
タウ・ヴォランティス。銀河の狂宴の中心。俺の一週間の休暇は、そこから始まる。
タウ・ヴォランティス――この星は宇宙最強の娯楽星として名高い。煌びやかな光に覆われ、昼も夜もない。カジノのネオン、音楽ホールの轟音、無数のホログラム広告が空に舞い踊り、まるで星そのものが生き物のように蠢いていた。そこに集うのはありとあらゆる種族。人類もいれば、鱗に覆われた爬虫類型異星人も、巨大な昆虫のような外骨格種族も、気体生命体さえも特殊な容器に収められて徘徊している。誰もが富と快楽を求め、そして同時に騙し、盗み、裏切る。混沌の坩堝、それがこの惑星の真の姿だった。
しかし、そんな騒乱と歓楽に彩られた街角で、静かに、そして着実に、よからぬ兆しが芽吹き始めていた。
ある日、とある街の広場。人混みをかき分け、一隻の中古宇宙船がドスンと着陸した。煙を吹き上げるその船から降りてきたのは、見るからに胡散臭い商人風の異星人だった。長い鼻を左右に揺らし、背中には妙な布でぐるぐるに巻かれた長方形の荷物を背負っている。
「さぁさぁ寄ってらっしゃい!無限のエネルギーだぞ!!」
耳障りなほど甲高い声で彼は叫んだ。人々がざわめきながら近づく。娯楽星でエネルギーの話を持ち出すこと自体が胡散臭い。だが好奇心こそがこの街を動かす燃料だ。
「無限のエネルギーだぁ?なんだそりゃ……」
「また偽物だろう。前回は“永遠に回る風車”とかいう壊れた扇風機だったじゃねぇか」
「黙れ!今度のは本物だ!」
異星人は布を引き剥がした。姿を現したのは、二股に分かれた角が螺旋を描くようにねじれた奇妙な巨大な《黒い物体》。金属でも石でもない、何か有機的で不気味な質感。表面には文字とも模様ともつかぬ刻印がびっしりと彫られていた。それは見た者の目に奇妙な錯覚を起こさせ、じっと見続けると吸い込まれそうな感覚を与える。
「これが……無限のエネルギー……?」
群衆の一人が呟く。だがすぐ横から別の声が飛んだ。
「はっ!ただの黒いマグロの刺身じゃねぇか!」
笑いが起こる。しかし異星人は怯まず、胸を張って言い放った。
「違う!これは俺が辺境宙域から命懸けで持ち帰った至宝だ!端子をぶっ刺した瞬間、俺の船は無限に動き続けた!燃料も補給も不要!これさえあれば銀河の果てまでただで行ける!俺はこれで辺境から帰ってきたんだよ!」
人々が再びざわつく。娯楽の街に生きる者は皆、得体の知れぬものを愛する。だが同時に、それが破滅を招くことも知っている。
「お、おい……本当に大丈夫なのか?そいつ……」
「どう見てもヤバそうだぞ。触れたら呪われるんじゃねぇのか……?」
しかし一部の者の目は、好奇心と欲望に爛々と輝いていた。
「もし本当なら……俺たち、この腐った娯楽漬けの人生から抜け出せるんじゃないか?」
「いや、それどころか……この星ごと買い占められるかもな」
囁きが囁きを呼び、黒い物体は瞬く間に群衆の中心へと祭り上げられていく。異星人は得意げに鼻を鳴らし、さらに声を張り上げた。
「さぁ、欲しければ競り合え!一番高く積んだ者に、この無限のエネルギーを譲ってやる!」
歓楽街のど真ん中で始まった即席の競売。煌びやかな光に照らされながら、黒い物体は妖しく輝き、まるで誰かに選ばれるのを待っているかのように蠢いていた。
だがその光景を遠くから見ていた者は、震える声で呟いた。
「あれは……絶対に触れてはいけない……」
その住人はこの街で長く生き延びてきた老獣人であった。数十年前、辺境宙域の噂で耳にした“黒い遺物”の話。触れた者が狂い、街が滅び、文明すら飲み込んだという伝説。老獣人の毛並みは逆立ち、心臓は早鐘のように鳴っていた。
だが、欲望に囚われた群衆の耳には、その声は届かなかった。
タウ・ヴォランティス――銀河最強の娯楽星。その地の片隅で、破滅の種が静かに蒔かれたのだった。
黒マグロからピピって電波を受信したんですよ。