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るんるん気分でタウ・ヴォランティスのある宙域に到着した。
視界の先には、ひときわ強い輝きを放つ惑星が浮かんでいた。まるで恒星の一部を切り抜いて無理やり都市にしたかのような光。天然のものではない。街から放たれる膨大な人工光が惑星全体を照らし出し、その輝きは宇宙空間を漂う無数の人工衛星や宇宙船の船腹に反射していた。惑星を取り巻く軌道は賑わい、ありとあらゆる文明の船がひしめき合う。銀河全域から人々を引き寄せる娯楽星――その盛況ぶりが一目で分かる。
「ウホッ!何しようかな」
思わず変な声が出てしまった。俺は誰に聞かせるでもなく独りごちる。
なんせ数世紀ぶりの休みだ。
成人を迎えてから、まともな休みを取った記憶がない。いや、迎える前からすでに休んでいなかった気がする。戦いに備えた訓練、出発前の準備、終わればすぐ次の任務。二日後、三日後に次の出発が待っている日々で、休息なんて言葉は絵空事だった。休んだら最後、体が鈍り、任務に出ればあっさり殺される。だから常に気を張り続け、休むことなど許されなかった。
だが今回は違う。
「ふふ……一週間、か」
口元が自然に緩む。エルダーから与えられた休暇は、わずか七日間とはいえ俺にとっては永遠にも思える贅沢な時間だ。最初の何日かは何もせず寝転び、ただ時間を浪費するだけでいい。残りは気の向くまま、適当に遊べばいい。そんな甘美な未来を想像するだけで胸が高鳴る。
船の計器が惑星周辺の交通量を警告する。表示される航路はすべて渋滞しており、順番を待つための長蛇の列が軌道をぐるぐる取り巻いていた。
「やれやれ、さすが宇宙最強の娯楽星だな」
通信チャンネルからは、世界各地の言語が飛び交っている。順番を巡って喧嘩する声、違法に割り込みを試みて撃退される声、娯楽星を宣伝する観光案内まで雑多に混じっていた。どれもが喧騒で、俺の耳にはむしろ心地良かった。戦場とは違う。ここに漂っているのは死の匂いではなく、欲望と熱気だ。
「……ふっ」
自然と笑いが漏れる。こんなに気が軽くなるのは久々だ。
船を渋滞の列に並ばせながら、俺は惑星を眺める。煌びやかな光に照らされた表層は宝石のように輝き、都市全体がひとつの巨大な娯楽装置であることを主張している。あの中には何があるのか。無数の酒場、格闘場、カジノ、売りに出された宝石や遺物。異種族の歓楽街、違法の実験施設……あらゆる可能性がぎゅうぎゅうに詰め込まれた惑星。
「まずは……やっぱり、飲みだな」
無意識に口から言葉が漏れる。飲み比べ、食い比べ、そして心ゆくまで眠る。戦場の中で冷たい血や腐臭ばかり嗅いできた俺にとって、温かい飯と酒はこれ以上ない贅沢だ。
船内の反射ガラスに自分の顔が映る。どこか子供のように浮かれている表情だった。戦士としての仮面を脱ぎ捨て、ただ一人の旅人としてこの星に降り立とうとしている。
「さて……祭りの始まりだ」
そう呟いた俺の船は、ゆっくりとタウ・ヴォランティスの軌道上へ進み、歓楽と混沌の渦の中へと飲み込まれていった。
宇宙港に船をつけた俺は早速街へと繰り出した。
通路を抜けた先には、これでもかとばかりに光り輝く大通りが広がっていた。無数のネオン、宙空に浮かぶホログラム広告、通りを埋め尽くす異星種族の群れ。声と声が重なり合い、笑い声と怒号が入り乱れ、あらゆる言語がぶつかり合って耳を刺激する。ここは戦場ではないのに、鼓膜に突き刺さる音量は戦場と大差がない。それでも耳に残る余韻は死の匂いではなく、欲望と熱気の香りだった。
「……?」
しかし、そんな喧騒の中で、俺の臆病センサーがビンビンに反応していた。胸の奥で冷たい汗が滴り落ちる感覚。すぐ逃げろ、引き返せと心の中の臆病な俺が叫んでいる。笑顔を浮かべる群衆に危険の兆候は見られない。通りを歩く人々は誰もが上機嫌で、歓楽に身を任せていた。だが俺の感覚は、無意識に何かを嗅ぎ取っていた。
「なんだ……この違和感」
強いて言うなら、変なマークを身につけている者が多い。服の胸元、袖、背中。あるいは額にまで刻まれている。あのマーク……まるでマグロの刺身を縦に割いて捻ったような形だ。黒々とした二股の線が螺旋を描き、まるで渦のように絡み合っている。
俺はそのマークを見た瞬間、なぜか胃の奥が重くなるのを感じた。
「……マグロか」
そう呟いて、俺はふと部族連盟のデータベースを思い出した。マグロというのは海の惑星オールザシーで獲れる巨大な魚だ。全長は軽く数メートルを超え、鋭い体躯で海を突き進む。記録映像で見たことはあるが、実際に狩ったことも食ったこともない。あの猛スピードで泳ぐ獲物を仕留めるのは至難の業で、ヤウジャの中でも誉れ高き狩猟とされるらしい。
もっとも、俺には関係のない話だ。なぜなら――
「泳ぐの、苦手なんだよな……」
冗談半分にそう呟いて肩を竦める。俺の不得意分野である海なんぞに潜れば、たちまち溺れて終わりだ。そんなものを狩りに行こうとは露ほども思わない。
それより今は――
「まぁいいか……」
俺は鼻をひくつかせ、漂う匂いに意識を切り替えた。宙に漂うのは香辛料の刺激、美味そうな血の匂い、酒精の甘やかな香気。それらが渾然一体となって、胃袋を鷲掴みにしてくる。
「とりあえず血の滴る良い肉(生)が食いたい」
休暇最初の一発目は決まっている。焼きも煮もいらない。生だ。狩場では敵の血や肉片を浴びることはあっても、じっくりと生肉を味わうことは少ない。ここならば、命の危険もなく、安心して食らえる。
「金はある。ありすぎて困るくらいだ」
口元に笑みが浮かぶ。これまで命を懸けて稼いできた褒美が、通帳に積み上がっている。カジノに行こうが、格闘場に賭けようが、今の俺は何をしても困らないだろう。
だが――街の雑踏の中にちらつく「刺身マーク」だけは気にかかっていた。あの異様な模様を纏った者たちは、どこか浮かれながらも瞳の奥に妙な光を宿している気がする。ほんの一瞬、俺を見た彼らの視線が鋭く、そして奇妙に揃っていたように見えたのだ。
臆病な俺が警告をやめない。
「……くそ、せっかくの休暇だぞ。気にするな」
頭を振って雑念を払う。俺は目的を忘れない。まずは肉だ。血の滴る赤身を胃袋に叩き込み、酒で喉を焼き尽くす。それから考えればいい。
タウ・ヴォランティスの街は、まるで巨大な獲物の腹の中にいるようだった。光と喧騒に包まれ、欲望が渦巻く混沌の都市。その中に、俺は確かな違和感を抱えながらも、一歩一歩足を踏み入れていった。
一方、アビサルが肉を求めて街へ繰り出した頃。
彼のいる歓楽街から少し離れた場所、タウ・ヴォランティスの中枢にある大広場では、新興宗教の信徒たちが集結していた。大広場は普段、商人や観光客で賑わう場所だが、この日ばかりは熱狂と異様な雰囲気に包まれていた。
その宗教の名は――ユニオンマーク。
彼らが信奉するのは、無限のエネルギーを齎すとされる黒い遺物《ザ・マーカー》。二股の角が螺旋を描くように捻じれたその物体は、まるで悪夢を凝縮したような禍々しさを纏っており、表面には解読不能な紋様がびっしりと刻まれていた。模様は生き物のようにうごめき、光を受けるたびに浮き沈みする。誰も触れられぬはずの硬質な黒い表面が、脈動しているかのように微かに震えていた。
「崇めよ!讃えよ!そして目の当たりにせよ!」
高台に登った男が声を張り上げた。その衣は黒と赤の布で編まれ、胸元には例の刺身を裂いたようなマークが刻まれている。彼の眼は狂気に満ちているようでありながら、不思議と理性を残していた。理知的な響きを持ちながらも、熱に浮かされたような言葉を吐くその姿は、信徒の心を捉えて離さない。
「このザ・マーカーはただの石ではない!無限の命を紡ぎ、無限の力を供する聖なる心臓だ!見よ、異星の科学者たちも解き明かせぬ真理を、我らが先んじて手に入れたのだ!」
集まった群衆の誰もが、うっとりとした表情で頷いていた。彼らの身体にはマークが刻まれている。衣服に縫い付ける者もいれば、皮膚に焼き付ける者もいる。中には血で描かれた者すらいた。その熱狂の中で、ただ一つ共通しているのは、全員が広場に鎮座する《ザ・マーカー》を見て震えているということだった。
彼らの瞳は、畏怖と感動、そして絶対的な心酔で満ちていた。
「これは救済だ!無限のエネルギーは遍く種族を救い、飢えも渇きも病も打ち払う!死すら超越するだろう!このタウ・ヴォランティスから、宇宙は一つに統べられるのだ!」
高台の男が両手を広げると、信徒たちは一斉に膝をつき、地面に額をこすりつけた。その動作は滑稽なほどに統率されていた。誰一人として逆らうことなく、誰一人として疑問を挟むことなく。
「崇めよ……讃えよ……!」
低く、しかし確かに広場全体に響き渡る祈りの声。合唱のように、いや、波のように。
その瞬間、大広場に鎮座する黒い遺物《ザ・マーカー》が、静かに――鼓動を始めた。
「……ッ!」
最初は幻聴かと思うほど微かな音だった。だが次第に「ドクン、ドクン」と低い脈動が広場の石畳を伝い、空気を震わせていく。信徒たちは歓喜の声を上げ、さらに深く額を地面へと押し付けた。
その黒い塊は、生きていた。
街の中心、大広場の空を覆うほどの異様な熱狂が、タウ・ヴォランティス全域へと広がり始めていた。
そして跪いていた信徒のひとりが、ふと顔を上げた。
その目は黒々とした瞳孔が一瞬きらめき、次の瞬間にはぐるりと裏返り、真っ白な眼球をむき出しにした。白目を剥いたその顔は、まるで自我を失ったかのように硬直し、次いでだらりと開いた口から唾液が滴り落ちた。
周囲の者たちが怪訝そうに彼を見た。だが次の瞬間、その男は凄まじい速さで隣に跪いていた信徒の肩口へ噛みついた。
「ぐあああっ!?」
肉が裂け、血が飛び散る。肩に食らいつかれた信徒は悲鳴を上げ、振りほどこうとしたが、歯は食い込んだまま離れない。やがて喉元に食らいつかれると、引き裂かれた頸動脈から真っ赤な血が噴き出した。
「アアアアアアアアアアアアア!!!」
白目を剥いた男は絶叫し、両手で引きちぎった肉片を吐き出すように地に叩きつける。その叫びが合図となった。
大広場に集う数千人の信徒たちが一斉に立ち上がり、隣にいる者へ、前にいる者へ、後ろにいる者へ、無差別に襲いかかった。祈りを捧げていた者たちが、突如として猛獣に変じたのだ。
「な、なんだあああああ!?!?」
群衆の外れからその様子を見ていた通行人は、恐怖の声を上げて後ずさった。普段は平和と享楽に満ちたこの街の中心で、信徒同士が噛み合い、引き裂き合い、血と悲鳴が広がっていく。
だが、それはまだ序章に過ぎなかった。
地面に倒れた者たち――首を噛み切られた者、胴を裂かれた者、四肢を喰いちぎられた者。彼らの死体が痙攣を始めたのだ。
「……ひっ!? 死んで……動いてる……!!」
倒れていた死体が背を反らせ、骨がきしむ音とともに肉が引き裂かれる。やがて胸部が内側から膨れ上がり、骨が弾け飛んだ。血と臓物が雨のように飛び散り、その中から新たな存在が這い出してくる。
腕のようで腕でない異形の突起、鋭く伸びた骨の刃、うねるように動く背骨。
「ギィィィィィィキエエエエエエエエエエエエーーーイ!!!」
それはネクロモーフだった。
黒いマーカーが低く鼓動するたびに、死者が蠢き、新たな怪物が生まれていく。
大広場は、もはや宗教集会ではなかった。血と絶叫、肉と骨と死が混じり合う地獄絵図だった。
広場を取り囲んでいた市民たちは恐慌に陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。だが、走っても走っても背後から血まみれの化け物が追ってくる。
「来るなあああああッ!!!」
銃を取り出して撃ち放つ者もいた。だが弾丸を浴びても化け物は倒れない。倒れたかと思えば、すぐさま痙攣して立ち上がり、さらに醜悪に変じて再び襲いかかる。
マーカーはまるで笑うかのように光を放ち、黒い脈動を強めていく。
それはエネルギーでも救済でもない。
破滅を呼び込む楔であり、死を糧に繁殖する呪いそのものだった。
「マグロ屋だと……!?」
繁華街を歩いていた俺の目に、突如として飛び込んできた看板。その文字を見た瞬間、足が止まり、思わず声が漏れた。
マグロ屋――そこには氷の上に堂々と横たわる巨大な魚が鎮座していた。銀色に光る鱗、腹を割かれた断面から覗く鮮紅の肉、そして鼻先から尾までの威容。その姿はただの食材ではない。まるで獲物としての気配を放ち、こちらに挑んでくるようにすら感じられた。
「お、俺が……食っていいのか……!?」
自分で狩ってもいない、神聖にして誉高き獲物。それを目の前にして、胸の奥がざわついた。これは海の惑星《オールザシー》に生息するブラックマグロに違いない。データベースでしか見たことがなかったが、この堂々たる風格は、まさしくあの伝説の魚に相応しい。
獲物を前にすれば、狩人としての血が騒ぐ。だがこれは狩りではない。既に仕留められたものを食すだけ。そんな行為に意味があるのか――いや、意味などどうでもいい。ただ、口に入れたい。それだけだ。
「いくぞ……」
意を決して暖簾をくぐる。
「らっしゃい!」
「いらっしゃい!」
元気な声が厨房から響いた。
中には二人の料理人が立っていた。
ひとりは筋骨隆々の大男。鮮やかな青髪を後ろで束ね、額から目の横にかけて三本の傷が走っている。笑顔は豪快で、まるで狩場で敵に出会った時のような迫力を感じさせた。
もうひとりは対照的に小柄で細身の男だった。すらりとした鼻筋、無駄のない身のこなし、白い料理人服をきっちりと着こなし、包丁を構える姿はまるで儀式のように洗練されている。その笑顔は静かだが、確かな自信を滲ませていた。
「お客様、初めてかい?」
青髪の男が声をかけてくる。
「あ、ああ……」
口を開いたものの、視線はショーケースに釘付けだ。氷に横たわる赤黒い身、滴り落ちる鮮血。鼻をくすぐる潮と血の混じった匂い。まるでまだ生きているかのように、そこに確かに“獲物”がいた。
「良いマグロだろう。今日の目玉商品さ。オールザシー沖で仕留めたてを
料理人が誇らしげに胸を張る。
「……狩りたかった」
思わず呟いてしまった。
自分で仕留めてこそ意味がある。そう叩き込まれてきた。だが今はただの客。狩人ではなく、食らうだけの存在。屈辱に似た感情が胸を締めつけた。
「その気持ち、分かるよ」
小柄な料理人が微笑んだ。そして青髪の男が言う。
「だがね、狩るのは俺の仕事。お前さんは食べる側だ。それもまた立派なことさ。力をつけるために獲物を食う、それもまた“狩り”の一部だろ?」
……一理ある。
俺は深く息を吐き、目の前の血の滴る肉を見据えた。
「よし、腹いっぱい食わせてくれ」
「任せな!」
青髪の大男が笑い、分厚い腕を振り上げた。
腕を振り上げただけなのに、まるで刃が振り下ろされる音と共に、マグロの赤身が切り分けられていく。血がにじみ、芳醇な香りが広がる。小柄な男はそれを手際よく盛り付け、氷の上に美しく並べた。
「さぁ、召し上がれ」
差し出された皿には、鮮やかな赤身と、脂ののったトロが並んでいた。見ただけで唾液が溢れ出る。
俺は箸を手に取り、震える指先で肉を掴んだ。そして一口。
「……ッッ!」
舌に触れた瞬間、濃厚な旨味が口の中いっぱいに広がった。脂が舌の上で溶け、血と海の匂いが鼻腔を突き抜ける。
「う、うめぇ……!」
声が漏れた。
狩っていないことへの悔しさなど、一瞬で吹き飛んだ。ただただ美味い。それだけだった。
「そうだろう?」
青髪の男が笑う。
「これが海の王者、ブラックマグロだ」
俺は夢中で肉を口へ運んだ。次から次へと皿が空になっていく。喉を通るたびに全身に力が漲り、心臓が高鳴るのを感じる。
――だが、その時だった。
街の遠方から、妙な音が響いてきた。
叫び声、悲鳴、そして何かを引き裂くような音。
俺は手を止め、箸を置いた。
「……なんだ?」
胸の奥で、臆病センサーが再び鳴り始めていた