養殖が天然に勝てると思うなよ?【本編完結】   作:物体Zさん

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ちょっと待て……マジで何が起きたんだ?

 

 

 

 

 

 「ではアビサル、いけ」

 

 エルダーの私室に響いたその声は、乾いた石を叩くように硬く、抑揚すらなかった。もう聞き慣れた任務の宣告。だが俺の心臓は、やはりそのたびに嫌な鼓動を刻む。

 

 「拝命しました」

 

 形式通りに膝をつき、深く頭を垂れる。外面は冷徹を装い、感情を滲ませぬよう努める。だが胸の奥では、再び血と恐怖の匂いに晒される未来を思い、胃が重く沈んでいた。

 

 私室を出た瞬間、緊張の糸が少しだけ解けた。石造りの廊下の冷気が肌を撫でる。エルダーに背を向けるたび、ほんのわずかに呼吸が楽になる。だが、安堵はすぐに霧散した。行き先は決まっている。地球。俺がかつてエンジニアと共に降り立ち、儀式場を設置した、あの青き星。

 

 ――何故、地球なのだ。

 

 心の奥で小さな声が囁く。地球は未熟な文明が根を張り始めただけの星だ。だが儀式場がある以上、ヤウジャにとっては特別な場所。そこに潜伏するとは……バッドブラッドもまた、名誉など意に介さぬ愚か者だ。

 

 今回の標的――フィアラル。ヤウジャの言葉で【野生】を意味する名を持つ。名は皮肉だ。野生を体現したかのように掟を踏み躙り、己の衝動に従って同族を殺した。

 

 同族殺し。ヤウジャにおける最も重い禁忌のひとつ。戦争であれば許される。名誉ある戦いであれば血は流せる。だが、私怨や衝動での殺しは許されぬ。族の誇りを汚す行為だからだ。

 

 俺たちアヌ族だけが例外だ。同族殺しを許された断罪の部族。エンジニアによって任じられた役割。バッドブラッドを狩る唯一の存在。俺はその刃として生き、幾度も血を浴びてきた。だが、いくら慣れようと心は冷えるばかりだ。

 

 フィアラルはシュメル族の出だという。狩猟団に所属し、星々を渡り歩き、獲物を仕留めていたという。表向きはどこにでもいる狩人だった。だが、奴は血の匂いに溺れた。同胞を殺した瞬間に、名誉は失墜し、すべての道は閉ざされた。

 

 通常なら流刑か禁錮で名誉の回復を試みる。それすら拒み、逃げ出した。処刑の場からも、追っ手からも逃れ、最後に潜り込んだのが地球。未熟で、しかし儀式場という聖域があるあの星。

 

 大聖堂のデータバンクで、奴の記録を確認した。淡々と記された犯罪の軌跡。冷徹な数字と映像が並ぶスクリーンを眺めながら、俺の手は自然と拳を握っていた。怒りではない。ただ、臆病ゆえの恐怖だ。あの狂犬じみたバッドブラッドを狩るのは俺。命じられたのは俺なのだ。

 

 「……はぁ」

 

 深く吐き出した息は、空気よりも重く地に落ちたように感じた。

 

 廊下を抜け、外気に触れた瞬間、熱風がドレッドを揺らす。ユィタ=プライムの空は今日も濃い朱色に染まり、太陽の光が鋭く突き刺さる。地熱で熱された大気は肌にまとわりつくように重い。だがそれが俺には妙に心地よかった。寒気を払うようで。

 

 船が待つドックへ向かう。整備兵たちが鋼鉄の外殻を磨き、武装を点検している。俺の足音に気づいたのか、皆が一瞬だけ顔を上げた。視線に宿るのは尊敬か畏怖か、それともただの憐れみか。アヌ族の狩人を見る眼差しは、いつも複雑だ。

 

 ――行きたくない。

 

 心の中の声が、また囁いた。

 だが、行かねばならぬ。臆病であろうが、逃げたかろうが、役割は変わらない。

 

 俺は船のハッチを開き、暗がりの中へ足を踏み入れた。鋼の匂いと油の匂い、そして微かに残る血の匂い。いつもと同じ、狩りへ赴く前の匂いだ。

 

 操縦席に腰を下ろし、ガントレットから端子を伸ばす。端末に接続し、データを確認する。フィアラルの最後の足跡、地球で確認された映像。

 

 そこに映っていたのは、儀式場近くの遺跡の影を歩く巨躯だった。フィアラル。鋭い眼光、無造作に垂れるドレッド、手には血で汚れた槍。映像を見ただけで、背中に冷たい汗が走った。

 

 「……野生、か」

 

 奴の名を呟き、拳を握り直した。

 

 俺の臆病な心は逃げろと叫ぶ。だが、掟は俺の背を押す。逃げ場はない。

 

 地球へ行く。フィアラルを狩る。そのために、俺は再び星々の狭間に身を投じるのだ。

 

 

 船を発進させ、母星の軌道を抜け出した。背後で赤々と燃えるユィタ=プライムが小さくなり、やがて視界から消えていく。俺にとっては安息と試練の入り混じった場所。そこを離れるたびに胸の奥に重さを感じるが、今回ばかりはその重さが嫌に冷たい。

 

 座標を地球に設定する。端末から伸ばした端子が淡々と計算を続け、正確な位置を示す。俺は次元転移弾を装填し、発射。真空の虚空に青白い光が走り、弾は瞬時に弾けて黒い穴を穿った。ワープゲートだ。船体が微かに震えた後、滑り込むようにその穴の中へ突入する。

 

 刹那、視界が千の星屑に裂けた。空間がねじれ、時間が伸縮するような圧力。胸が潰れるような感覚に思わず歯を食いしばる。臆病な心が「戻れ」と叫ぶ。だが、戻る場所など最初からない。俺はただ拳を握り、耐えた。

 

 そして光が収束し、視界が安定する。そこに広がっていたのは、青い星。地球。

 

 「青いな」

 

 口から零れた言葉は、いつかも吐いたものと同じ。何度目かも覚えていない。だが、この星の青さは何度見ても胸をざわつかせる。海が広がり、雲が漂い、緑が散らばる。ルナジリオが生命を齎したあの儀式を目撃したのは、もうどれほど前だっただろうか。百年か、千年か。もはや数えるのも馬鹿らしいほど、狩りに明け暮れてきた。

 

 船をクロークで覆う。透明化の膜が船体を包み、存在そのものを大気に溶かしていく。地球人はもはや我らを忘れている。かつて我々を神と仰ぎ、石を積み上げて儀式場を建てた人間たちの子孫は、空を見上げても祈りすら捧げない。文明が進んだ証か、堕落かは知らないが、ヤウジャがその成り行きに介入することは禁じられている。儀式場の設置だけが例外だ。

 

 「……」

 

 船体が大気圏に突入した。外殻を叩く摩擦音が震動となって伝わる。雲を突き抜けると、眼下に広がったのは無限の平原と森、そして曲がりくねる大河。現地の者の言葉でグレートプレーンズと呼ばれる地。奴――フィアラルが最後に確認された場所だ。

 

 広大な緑と土の匂い。モニター越しにも伝わってくる自然の濃度に思わず息を呑む。だが、そこにいるのはただの獣ではない。同族を狩り、誇りを捨て、野生に堕ちたヤウジャ。

 

 データによれば、今の地球人類の暦では西暦一七一九年らしい。俺が最後に見た時よりも文明は進んでいた。石の刃しかなかった彼らが、今は鉄を打ち、火器を用いて狩りをしている。だが、それでも未熟だ。狩った獣の皮を纏い、存在しない神々に祈りを捧げる。幼稚で、愚かで、そして……格好の餌。

 

 「時が経ったな」

 

 自嘲気味に呟く。数世紀の狩りが俺の肉体を鍛えたのは確かだ。だが同時に、知らぬ間に身体に軋みを与えていた。最近、腰がやけに痛むのもそのせいかもしれない。臆病な俺の心が身体に宿り、余計な疲れを引き寄せているのかもしれない。

 

 フィアラルはこの地で人間を狩っている。人間はまだヤウジャにとって狩るに値しない。名誉なき獲物だ。だが奴はそんな掟を踏み躙る。弱き者を弄び、血を啜り、恐怖を楽しむ。だからこそ奴はバッドブラッド。だからこそ俺が行かねばならない。

 

 船はクロークを保ったまま、大平原の上空を旋回する。モニターに表示される地形データを睨みながら、俺は深く息を吐いた。

 

 また始まる。狩りが。臆病な心を押し殺し、掟に従って刃を振るう。

 

 俺の休息は、まだ遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アビサルが地球に降り立つより少し前のこと。

 

 広大なグレートプレーンズ、その草原を歩く影があった。コマンチ族の若き狩人ナルである。

 

 彼女は獲物を追っていたのではない。大地に残る奇妙な痕跡を辿っていた。蹄の跡でもなく、熊の爪跡でもない。大地を深く抉るような傷が連なり、黒く焦げたように草は潰れている。木々の幹には不自然な切れ込みが刻まれ、まるで鋭い刃で断ち割ったかのようだった。ナルはその跡に膝をつき、指先で撫でると眉を寄せた。

 

 「これは……獣のものではないわ」

 

 声は小さく震えていたが、その眼は狩人の光を宿していた。恐怖よりも好奇心が勝り、足取りを止めることなく彼女は痕跡を追い続ける。

 

 しかし、ナルの知らぬ別の場所で、まさに地そのものを揺るがす事態が始まっていた。

 

 ――大地が裂けたのだ。

 

 轟音が響き渡り、地表がうねる。平原の中央に突如として巨大な裂け目が生まれ、空気が吸い込まれるように巻き込まれた。木々は根元から揺さぶられ、岩は光に飲み込まれて消し飛ぶ。風は怒涛の奔流となり、土煙を巻き上げ視界を覆った。現れたのは穴ではなく、ねじれた光の渦――ワームホールだった。

 

 その裂け目の奥から、ひとつの艦影が押し出されるように出現する。

 

 ヤウジャの船――だが、現在の時代のものではなかった。艦体は流線型にうねり、装甲はまるで生物の皮膚のように脈動している。赤黒い紋様が光り、推進部からは不気味な粒子が舞う。その姿は異様で、この時代のどの技術とも結び付けられぬほど先鋭的だった。まるで未来から来た船のように。

 

 艦は大地に横たわり、衝撃で周囲に亀裂を走らせた。地鳴りが収まらぬうちに、艦底の隔壁が開く。濃密な空気と共に現れたのは、一人のヤウジャと、一匹のプレデターハウンドだった。

 

 ヤウジャは巨躯だった。体高は三・三メートルを超え、筋骨は岩のように盛り上がり、両腕は鋼鉄の柱のように太い。肩に担いだスピアには既に一匹のハウンドが串刺しにされ、血が滴り地面に黒い染みを作った。

 

 巨体の持ち主は周囲を見渡し、頭を掻いた。

 

 「……ここどこ?」

 

 低く響く声だが、響きに似つかわしくない陽気さがあった。場違いなほどに。

 

 生き残った一匹のハウンドが「キャンッ」と短く鳴き、鼻を鳴らして大地を嗅ぎ回る。未知の匂いに落ち着きを失い、爪で土を掻く。ヤウジャはその首を軽く叩き、眉をひそめながら呟いた。

 

 「ちょっと待て……マジで何が起きたんだ?」

 

 彼の表情には困惑があり、巨体に似合わぬ仕草で頭をポリポリと掻いた。

 

 未来から来たかのような船と巨躯の狩人。その出現は、グレートプレーンズの均衡を大きく揺るがす予兆であった。

 

 ナル……そしてアビサル、フィアラルはその存在をまだ知らない。遠くで起きた地鳴りや風の変化を、ただ「嵐が近い」とだけ感じ取っていた。だが近いうちに、この大地にいる者の足跡とその巨躯の狩人の足跡は、否応なく交わることになる。






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