養殖が天然に勝てると思うなよ?【本編完結】   作:物体Zさん

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ここで……用を足したのか?

 

 

 

 

 俺は地球へと降り立ち、クロークを起動して痕跡を追いながら平原をゆっくりと進んでいた。足元を覆う草は風に揺れ、獲物の匂いを運んでくる。人間の焚き火の残り香と血の臭いが混じり、微かに鉄臭さが鼻腔を突いた。どうやらフィアラルは現地の人間と衝突しているようだ。俺が嗅ぎ取ったのは、獣ではない血の匂いだった。

 

 「ん?」

 

 マスクのHUDに奇妙な信号が浮かび上がった。規則正しい間隔で送られる、ただ場所を示すだけの単調な信号。救難信号のようにも思えたが、そんな単純なものではなかった。発信源は確かに近い。だが……データベースには“存在しない”と表示されている。俺の持つ全てのヤウジャの航行記録、技術記録、そのいずれにも該当しないもの。つまり、これはフィアラルのものではない。

 

 俺は気配を更に消してそこへ向かった。臆病な俺の本能が叫んでいた。「やめておけ」「引き返せ」「関われば死ぬ」と。だが同時に、狩人としての義務がある。バッドブラッドを追っている最中に別の“異常”を見過ごすわけにはいかない。名誉はどうでもいい。だが、任務を放棄すれば俺の首が飛ぶ。だから行くしかないのだ。

 

 「なんだ……アレは……」

 

 視界に現れたのは、大地に横たわるヤウジャの船だった。だが、俺の知るものではない。外殻の装甲は俺の船よりも滑らかで、構造材の継ぎ目がほとんど存在しない。まるで金属そのものが流体のように形を成しているかのような印象を受けた。艶やかな黒い光沢を放ち、太陽の光を受けてギラリと不吉に輝いている。

 

 俺は息を呑んだ。これは俺が知るどの時代のヤウジャの船とも異なる。もっと……進んだものだ。直感で分かる。数十年どころではない、遥か未来の技術。そんな代物が、なぜ今、この時代の地球に墜ちている?

 

 警戒しながら一歩一歩近づく。クロークを纏っていても、妙な汗が背中を伝った。臆病な俺の心臓はすでに早鐘を打っている。「近づけば殺される」「中から何か出てくる」……そんな妄想が脳裏を掠める。それでも足を止められない。狩人として培った本能が告げている。「真実を確かめろ」と。

 

 船体の表面に手を触れる。ひやりとした冷たさが掌を通じて伝わる。だが金属の冷たさではない。まるで“生き物”に触れているような感触だった。呼吸をするように船体が僅かに脈打ち、俺は反射的に手を引っ込める。

 

 「ッ……なんだこれは……」

 

 マスクの解析が始まる。だが、すぐに赤い警告が表示され遮断された。()()()()()()()()()の文字。さらにHUDには見慣れぬ数式やコードのようなものが断片的に浮かび上がった。何を意味するのかは分からない。だが、これを解析しようとすること自体が危険だと直感した。嘗てのエルダーの言葉が脳裏をよぎる。「マーカーに触れるな。解析すらするな」。それと同じ類の危険を感じる。これは“知ろうとしてはいけないもの”だ。

 

 「クソッ……」

 

 俺は後ずさりした。今すぐ逃げ出したい。だが逃げる前に確認だけはしておくべきだ。船のハッチがわずかに開いていた。中に誰かいるのか? それとも、既に何者かが降り立ったのか?

 

 俺はスピアを抜き、リストブレイドを伸ばした。心臓が喉元までせり上がる。だが臆病な俺は同時にこうも思った。「頼む、誰もいませんように……」と。

 

 船の中から風が吹き出してきた。乾いた砂の匂いと、何か甘ったるい匂いが混じっていた。血とも腐敗とも違う。言葉にできない異臭。吐き気を催しながら、俺は船内を覗き込んだ。

 

 「…………」

 

 暗闇の奥で、何かが蠢いた気がした。ほんの一瞬、巨体の影のようなものが動いたように見えた。しかし確信はない。幻覚かもしれない。いや、願望だ。見間違いであってくれ。

 

 俺はすぐに身を引き、ガントレットを操作した。記録を残すことは禁じられている。だが“異常があった”という最低限の情報を送信することは許されるはずだ。短く暗号化した報告を母星へ送る。震える指先を無理やり抑え込み、ただ事実だけを伝えた。

 

 「未来の船……ここで何をしている?」

 

 そして俺は船の入り口から続く蛍光色の血を見つけた。乾きかけているが、まだ艶が残っており、滴るように床に広がっている。色は蛍光色で妙に淡い光を帯びていた。マスクのフィルター越しに匂いを嗅ぐと、鉄臭さと酸味が混ざった奇妙な匂いが鼻腔に突き刺さる。

 

 「ヤウジャの血か……?」

 

 思わず呟いた。だが、違う。俺の知るどのヤウジャの血とも違っていた。にもかかわらず、マスクの解析は奇妙な結果を示していた。()()()()()()()()()()()。つまり、完全な別種ではない。俺たちヤウジャと何らかの繋がりを持つ血であることを意味していた。

 

 一体なんの生き物だ? 未来の船に横たわっていた存在……それがヤウジャではないにせよ、俺たちの遺伝子を含む生物だとすれば、未来に何が起きている? いや、考えるのはやめておこう。考えれば考えるほど、胸の奥に冷たいものが広がる。臆病な俺の本能が「これ以上深く知るな」と囁いている。

 

 俺は血に触れないよう慎重に足を進め、船の中に入った。血に特に異常はない。マスクの警告表示も鳴らない。だが、俺は不用意に踏むことを避けた。こういう時に迂闊な真似をすれば、必ず足元を掬われる。臆病さは、俺を死から守る盾でもあるのだ。

 

 船の中は思いの外綺麗だった。()()の血が僅かに床にあるだけで、壁面は滑らか、まるで有機物と機械の境界が溶け合ったような質感をしている。触れるとひやりとした感触が指先を撫で、まるで脈動しているかのようだった。だが、やはり見たことがない。俺の知るヤウジャのどの船とも違う。確実にヤウジャの船でありながら、まるで別の文明が組み上げたもののように感じられた。

 

 「ジオメトリクス族の刻印……?」

 

 船体の一部に刻まれた紋様を見て、息を呑んだ。技巧派部族であるジオメトリクス族。彼らが作り出す武装はどれも洗練され、俺たちヤウジャの技術体系を支える基盤である。スピア、ディスク、ガントレット……その多くが奴らの手によって設計された。だが、ここに刻まれている刻印は、俺の知るものより遥かに複雑で、まるで数世代先の進化を遂げているように見える。

 

 「奴らの技術はここまで進んでいたのか? いや……そんなはずはない」

 

 俺は首を振った。今の俺が使う装備も、連盟の最新のものだ。ジオメトリクス族の名に恥じない最高傑作のはずだ。ならば、なぜここに“未来の刻印”がある? やはりこの船は未来から来たものなのか……。喉が渇く。臆病な俺の胸がざわつく。答えが欲しいはずなのに、知りたくないと身体が拒否していた。

 

 探索を続け、俺は操縦席へと辿り着いた。そこは一目でわかった。椅子の形状も配置も俺の船と大差はない。だが、状態は無残だった。操縦席は爆発でも起こったのか、焼け焦げ、溶け落ちていた。端子を刺せる場所すら残っていない。データを拾えれば何かが分かったかもしれない。だが、これではどうしようもない。

 

 「使い物にならんな……」

 

 思わず吐き捨てる。実際は胸の奥底で安堵していた。もし端子が残っていたら、俺は迷わずガントレットを接続していただろう。好奇心に駆られて。そして解析した瞬間、何か取り返しのつかないことが起きていたかもしれない。エルダーの忠告が頭を過ぎる。「スキャンすら許されん」。今の俺は、その言葉に救われていた。

 

 「ひとまず外に出よう。臭くてかなわん」

 

 船内には異臭が漂っていた。血の匂いと混じり合い、腐敗とも薬品ともつかぬ鼻を突く匂い。臆病な俺の胃袋は悲鳴を上げ、吐き気すら覚えた。ここに長居するべきではない。そう判断して、俺は船を後にした。

 

 外に出て深呼吸をする。地球の空気は湿り気を帯び、まだどこか原始的な匂いがした。夜風が頬を撫で、少しだけ冷静さを取り戻す。空を見上げれば、星々が澄んで輝いている。俺は吐息をつきながら呟いた。

 

 「フィアラルはどこだ……?」

 

 結局、俺が追うべき獲物はまだ見つかっていない。未来から来た船だろうと、未知の血だろうと、今は本筋ではない。俺の任務はあくまでバッドブラッド狩猟。だが心の奥では、もう分かっている。フィアラルの狩りの先に、この“未来の船”と“未知の血”が絡んでくるのだと。臆病な俺ですら、その予感だけは否定できなかった。

 

 しかし、ダメだ。気になって仕方がない。船の残骸や血を見てしまった以上、背を向けて知らんふりをすることなんてできない。臆病な俺ですら、知りたい欲求の方が勝ってしまった。いや……違うな。本能が告げている。「知らなければ死ぬ」と。だからこそ確かめる。俺にとって“生き残る”ことこそがすべてだからだ。

 

 「血はどこに続いてる?」

 

 呟きながら視界を切り替え、痕跡をなぞる。船の入り口から伸びた蛍光色の血は、俺がやってきた方向とは逆、船の反対側へと細い線を描いて続いていた。獣道のように草を押し倒しながら、薄く光る跡を残している。

 

 俺は慎重に中腰で身構え、音を殺してその跡を追った。草むらが生い茂り、夜風に揺れてざわめく。クロークを起動しているとはいえ、相手がヤウジャと関わりを持つ存在であるならば油断はできない。ほんの僅かな気配の揺らぎでさえ命取りになる。

 

 草を掻き分け進むと、鼻を突く悪臭が漂ってきた。思わず呼吸が浅くなる。臭いを感じ取った瞬間、俺の臆病な本能が全力で「戻れ」と叫んでいる。それでも足は止められなかった。

 

 「クッサ! なんだコレは……」

 

 そこにあったのは、デカい四脚の生き物の死骸だった。犬のように見える。だが犬ではない。背に生えた短い突起、皮膚の質感、そして何より頭部から垂れるドレッド状の毛――それは紛れもなくヤウジャに酷似した特徴を持っていた。

 

 「こんなもの、見たのは初めてだ……」

 

 喉が鳴った。見慣れぬ異形の死体に対する驚きと、ぞっとするような寒気が背筋を走る。データバンクにも載っていない。記録して連盟に送ればほんのした偉業の一つになるかもしれない。だが俺は即座に思い直した。一応……記録に……いや、やめておこう。なんかヤバい気がする。下手に触れてはいけないものだ。俺はしゃがみ込み、直接検分することにした。

 

 死体の腹を観察する。裂け目は恐ろしく真っ直ぐだった。口から肛門まで、一筋の線で切り裂かれている。まるで巨大な刃で一撃に刻まれたようだ。

 

 「この傷……」

 

 指先で裂け目の形をなぞりながら確信する。これはスピアの突きによるものだ。それも狩猟団が使う雑多な槍ではない。アヌ族が誇る戦槍と酷似している。しかも俺自身が愛用している武器とほぼ同じ傷口。ならば、この獣を仕留めたのはヤウジャ……か?

 

 だが不可解だ。どうしてヤウジャが自らの遺伝子を引いたような犬型生物を連れていたのか。そもそもこれは一体何なのか。答えは出ない。分かっているのはただ一つ。ここで何かが“起きている”ということだ。

 

 「にしても……酷い臭いだ。本当に臭い!」

 

 思わず鼻を覆い後ずさる。腐敗臭に血の酸味が混ざり合い、嗅覚が拒絶していた。身体に臭いが移ったら最悪だ。俺は死体から距離を取った。こういう時に不用意に触れると碌なことにならない。臆病は俺の鎧だ。

 

 草むらを抜け、周囲を探索する。夜の平原は静かだが、微かに焚き火の残り香が漂ってきた。鼻を利かせ、慎重に進む。やがて見つけたのは、現地の動物【牛】の大量の骨と皮だった。白骨が月光に照らされ、ぞっとするような光景を見せている。皮は乱雑に剥がされ、そこかしこに散らばっていた。

 

 「何者かが狩り、食したのか……?」

 

 骨の周囲には火の跡があった。黒く煤けた石が並べられ、焦げた肉の匂いが鼻を掠める。

 

 「ヤウジャではないのか?」

 

 思わず声が漏れる。だが直ぐに首を振った。ヤウジャは肉を焼かない。そんな愚かな真似をするのは人間か、他の種族だ。我らは肉をそのまま食す。血の味を舌に残し、内臓を啜り、生きたままの獣の力を取り込む。それこそが至高だ。焼くなど、味を失わせる行為はヤウジャの誇りに反する。

 

 ならば……これは誰の仕業だ? 未来から来たヤウジャの船。そしてその近くで見つかった異形の獣の死体。そして焼かれた肉。すべてが繋がっているようで、全く繋がらない。

 

 「……」

 

 喉の奥で乾いた笑いが漏れる。臆病な俺は、こういう時に直ぐ帰還を選ぶべきだと分かっている。だが、一度嗅いでしまった血の匂い、見てしまった死体、焼かれた肉。これらを無視すれば、後で必ず牙となって俺を噛む。嫌というほど経験してきた。だからこそ進む。

 

 そうして俺は、非常にゆっくり、確実に痕跡を追った。

 

 痕跡――それは船から続く巨大な人型の足跡だった。夜明けの光に照らされて土に刻まれたその窪みは、あまりにも大きかった。俺の両足を並べて置いたとしても半分にも届かない。まるで巨人が歩いたかのような跡。

 

 マスクの解析機能を用い、足跡の深さから体重を割り出し、体高を推測する。数値が表示された瞬間、思わず息が詰まった。

 

 「……なんて大きさだ」

 

 推測された体高は三メートルを優に超えていた。そんなヤウジャが存在するのか? 少なくとも俺の知る限り、そんな話は聞いたことがない。エルダーすら、そこまでの体躯はない。

 

 胸の奥で、臆病な俺が囁く。

 

 ――帰ろう。やめておけ。ここで終わりにしろ。

 

 危険は目の前にある。知らぬものを追えば、死が待つ。それは狩りを通して幾度も学んだことだ。だが同時に、別の声も響く。

 

 ――追うんだ、アビサル。

 

 臆病であるがゆえに、危険を看過することはできない。知らぬまま帰れば、後で牙を剥かれる。俺が今まで生き残ってきた理由はただ一つ。怖がりだからこそ、必ず確かめ、可能性を潰してきた。それが俺の流儀であり、生き延びる術だった。

 

 俺は自分を鼓舞し、クロークを強化して痕跡を追った。

 

 足跡はまっすぐ平原を突き進み、やがて地平線まで見渡せる崖の縁に続いていた。風が強く吹きつけ、背のドレッドがばさりと揺れる。見渡す景色は広大な大地。遠くには森、川、そしてかすかに人間の焚き火の煙が漂っている。

 

 そして、その崖の足跡の端に……小さな水溜まりがあった。

 

 「これは……尿?」

 

 足跡の片側に、乾きかけた黄色い染み。尿の放出跡だった。

 

 「ここで……用を足したのか?」

 

 思わず呟く。俺には信じられなかった。狩人であれば痕跡を残すことは愚行だ。だが、この巨体の持ち主はそんなことを意に介さないらしい。崖の縁という解放的な場所で、ただ堂々と痕跡を残していった。

 

 「一体……何者なんだ?」

 

 俺は立ち尽くし、空を仰ぐ。ちょうどその時、夜を破るように太陽が顔を出し始めた。

 

 黄金色の光が平原を照らし、長く伸びる影が俺を包む。その中で、巨大な足跡と尿の跡はいやに生々しく、異様な存在感を放っていた。

 

 額に汗が滲む。呼吸が浅い。心臓が嫌な速さで打ち、臆病な俺が必死で帰還を訴えていた。だが……足跡はまだ続いている。崖を回り込むように、さらに大地の奥へ。

 

 俺はスピアを握り直した。

 

 「……進むしかない」

 

 その声は小さく、震えていた。

 

 それと、この痕跡を追って数時間が経過していた。




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