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「……なんなんだ、コイツは」
痕跡を追えば追うほど、呆れしか出てこない。
至る所で用を足した跡がある。木の根元や岩の影ならまだ理解できるが、広々とした草原の真ん中に堂々と残された尿跡を見た時は、思わず言葉を失った。狩人ならば痕跡を消すのが当然だ。それをせず、むしろ見せつけるように撒き散らすとは……理解できない。
さらに進むと、平らに踏み荒らされた草の中に大きな窪みを見つけた。土が固く圧し潰され、体温で乾いた草が黒ずんでいる。そこは……寝床だった。
「……ここで寝たのか」
人間の集落のすぐ傍で、数時間に渡って眠っていた痕跡。信じられない。俺たちヤウジャは狩りをするとき、常に目を光らせ気配を殺す。獲物の気配ひとつ、風の変化ひとつで死に至るのがこの宇宙の常識だ。だというのに、この巨躯のヤウジャは、まるで何も恐れていない。
いや……恐れていないのではなく、恐れる必要がないということなのか。
俺は息を吐き、足跡をさらに追う。
やがて別の痕跡が混ざり始めた。細い足跡と、それに寄り添うように並ぶ小さな四脚の足跡。人間と犬だ。間違いなく現地の生き物。そして、その足跡のすぐ近くには、俺が探していたフィアラルの痕跡が絡んでいた。
「……なるほど」
人間と犬はフィアラルを追っている。愚かだが、勇敢でもある。恐らく自分たちの領域を荒らす何かを見つけ、討とうとしているのだろう。そしてフィアラルはその人間と犬を新たな獲物として追い始めていた。獲物と捕食者が互いを追うという皮肉な状況だ。
だがさらに不可解なのは、巨躯のヤウジャの痕跡だった。
巨大な足跡は、その人間と犬、そしてフィアラルの後を確かに辿っている。だがそれは追跡の軌跡ではない。戦闘の気配もなく、血もない。ただ、一定の距離を保ち、見守るように歩んでいるのだ。
「……何を考えている?」
獲物を追うのではなく、観察する狩人。介入もせず、ただ見守る存在。ヤウジャの常識から外れている。掟に背くバッドブラッドとは違う。だが、俺の理解を遥かに超えた異常さがそこにはあった。
臆病な心が訴える。
――引き返せ。お前には荷が重い。
だが同時に、俺はスピアを強く握り直した。
「……いや、まだだ。フィアラルを放置するわけにはいかない」
俺の任務は明白だ。バッドブラッドを狩ること。それだけだ。巨躯の正体は後だ。今はただ、フィアラルの喉を掻き切ることを考えればいい。
そう言い聞かせながらも、背筋を走る悪寒は拭えなかった。
そうして痕跡を追い、やがて俺は平原にある窪地へと辿り着いた。枯れた木々がまばらに突き立ち、草もまるで焼け焦げたように乾いている。風が吹き抜けるたび、ざわりと草の音がするだけで、生物の気配が薄い。
その窪地には人間が集まっていた。身に纏う布や革は、この土地に住む部族のものではない。遠方から来た人間たちだろう。だが、彼らはただ集まっているのではなかった。窪地の一方の高台には、弓や槍を構えた数人の人間が潜んでいた。待ち伏せだ。
そして、俺はすぐに目を細める。
枯れた木に縛り付けられている人間が二人いた。片方は若い女、もう片方はまだ若いが筋肉のついた男だ。顔立ちや雰囲気から察するに兄妹だろう。獣の皮を纏い、粗末な道具しか持たない……この土地に根を張る部族の者たちだ。
「……囮か」
捕らえた人間を晒し、何かを誘い出そうとしている。俺にはすぐに分かった。
そして、その“獲物”が現れる。
窪地に降りてきたのは、俺が追っていたバッドブラッド――フィアラルだった。
マスクの視界をズームさせる。
奴は骨のマスクを被っていた。その骨は……アメンギ。かつてヤウジャを奴隷にした種族。今では逆に我らの奴隷として使役される哀れな存在。その骨を削り出した仮面。顎の牙が突き出ており、形は粗雑だが威圧感はある。
武装はシュメル族特有のもの。槍と戦鎚を兼ねる異形の武器を携え、腕には円盤状のシールド、二枚刃のリストブレイドは鋭く伸び、腰には針を射出するボウガンが吊られている。
そして――防具は殆どない。網スーツすら着けず、原初の姿で戦う。それがシュメル族。己の肉体を誇示し、力でねじ伏せる蛮勇の部族。
「……」
思わず息を殺す。あの女と男をどうするつもりだ? いや、考えるまでもない。あれはただの餌だ。
だが次の瞬間、俺の目は別のものを捉えた。
窪地から少し離れた高台――そこに、巨躯のヤウジャがいた。
「……!」
ついに見つけた。
あまりにも大きい。俺より一回りも二回りも大きい。しゃがんでいても存在感が桁違いだ。その巨体が、ただ静かに窪地を見下ろしていた。
どうする? 声をかけるべきか? だが、もしもあれが狂気に堕ちたヤウジャなら――同族をも食らうバッドブラッドなら――俺は一瞬で首を刎ねられる。
臆病な俺の心が激しく警鐘を鳴らす。やめろ、やめろ、近づくな。逃げろ。
だが、脚は動いていた。
「……いくぞ」
俺は意を決し、気配を極限まで殺しながら巨躯に近づいた。心臓が嫌に大きな音を立てている。バレたら終わりだ。
その時、巨躯が口を開いた。
「あの二人を磔にして……それで奴が来ると思っているのか? え、まさかそんな……」
窪地を見下ろし、低く、しかし妙に陽気な声が呟かれた。
俺はその背にじりじりと近づきながら、呼吸を整えた。
――一体、何者なんだ?
俺は足を進め、気配を押し殺したまま巨躯の背後に近づいた。だがどうにも我慢できなかった。疑念と恐怖がせめぎ合い、結局声を出してしまった。
「確かにな」
その瞬間、巨体がわずかに揺れる。振り返った背中――いや、山脈と見紛うほどの筋肉が視界に広がった。盛り上がった肩、腕、背骨の走る稜線すら岩のように隆起し、俺の知るどのヤウジャとも比べものにならない。思わず口から息が漏れる。
「デカい……」
呟くつもりはなかった。だが喉から勝手に言葉が零れ落ちた。
巨躯は驚いたように振り向く。
「え!? 誰!?」
声は陽気で調子が抜けている。だが一瞬、目が光った。殺気だ。俺は即座に身構え、喉を締め付けるような緊張に支配された。スピアにかけた指先に汗が滲む。
だが、その気配は一瞬で霧散した。
巨躯は俺をただ見ていた。不思議そうに、呆気に取られたような視線で。俺は深呼吸をして、わずかに胸を撫で下ろす。
装備に目をやる。広く一般に使われている金属製のバイオマスク、リストブレイド、ガントレット、ディスク。そして背中の帯に付けられた二本のスピア、腰にはセレモニアルダガー。最低限でありながら、どれも手入れが行き届いている。――ただし、巨体に比例して全てが規格外に見えた。
「えっと……どちら様?」
声にまた気を削がれる。あの身体から出る声じゃない。軽すぎる。
俺はためらったが、クロークを解除した。自分を晒す以上、こちらも問いかける。
「貴様こそ何者だ。どこの部族の者だ?」
巨躯は少し首を傾げ、そしてあっさりと名乗った。
「俺はアヌ族のエイペックスです」
……アヌ族? 何を言っている?
俺は動揺を悟られないように必死で声を低くした。
「待て……アヌ族だと?」
「で?」
軽い。あまりにも軽すぎる。心臓が跳ね、言葉が出ない。知らない。こんな巨躯のヤウジャなど、少なくとも俺の知る歴史のどこにもいない。なのに「アヌ族」と言い切った。
その視線を受け続けるのが苦痛で、俺は思わず口をついた。
「あ、あぁ……私はアトラルだ。バッドブラッドの奴を追ってきた」
自分でも驚くくらいに咄嗟だった。偽名。なぜ本当の名を告げられなかったのか。理由は単純だ。怖かったのだ。こいつが本当に狂気に堕ちていたら? 俺の存在を知った瞬間に命を奪おうとしたら? そう思うと喉が凍りつき、勝手に別の名が出ていた。
エイペックスは俺をしばし見つめ、それから「ふーん」と鼻を鳴らした。
「アトラル?なるほど」
その声音に敵意はなく、ただ呑気に響いた。
だが、俺の臆病な心は叫んでいた。
――逃げろ。こいつはおかしい。信じるな。
しかし俺は一歩も動けなかった。背中に山を背負ったような巨躯を前に、声を張ることも、背を向けることもできない。ただ、己の鼓動が破裂しそうなほど大きく響いていた。
「あいつがバッドブラッドなのか。アトラルさんは、あれを殺しに?」
巨躯のヤウジャ――エイペックスが俺に問いかけた。
「……あぁそうだ。奴は自身の部族の者を殺した。【同族殺し】だ」
その言葉に、エイペックスの顔が驚愕に揺れた。大きすぎる身体に似合わぬほど一々反応する様子は、逆に滑稽ですらある。
「同族殺し!?……ゲッ!やっぱアイツヤバい奴だったのか」
「あぁ、俺はそれを追ってここに来た。――で、貴様も奴を狩りに?」
俺がそう問うと、エイペックスは肩を竦め、少し困ったように答えた。
「いや? 俺は……」
曖昧な返答。アヌ族ではないのなら、なぜ奴を追っている? そもそも本当にアヌ族なのか? やはり俺に名乗ったのは嘘か……。疑念が胸を締めつけ、思考が渦を巻く。
その時だった。
窪地の中心で、フィアラルと人間の戦闘が始まった。
網が炸裂し、フィアラルの身体を絡め取る。地に引きずり倒され、動きを封じられたまま複数の人間が一斉に襲いかかった。石槍や棍棒、叫び声。だが俺の目には滑稽にしか映らなかった。誉高きヤウジャが、あの程度の仕掛けに捕らえられているとは……。
「……だが」
予想通り、フィアラルはすぐに網を引き裂いた。筋肉の膨張と共に拘束が弾け飛び、次の瞬間には反撃が始まった。
リストブレイドが閃き、最も近くにいた人間の首が宙を舞う。ガントレットから射出されたネットは別の人間を絡め取ったかと思えば、次の瞬間、圧縮し、骨ごと粉砕して赤い霧を撒き散らした。
足首を挟んでいた鉄製のトラバサミを逆に振り回し、後方の敵に叩きつけて内臓を潰す。残る拘束はガントレットに仕込まれた細いカッターで焼き切り、フィアラルの身体は再び自由を取り戻した。
「……やはりな」
俺は小さく呟いた。
その背後では、枯れ木に縛られていた人間の兄妹が拘束を解こうともがいていた。必死の形相。だがフィアラルの眼はもう彼らを射抜いている。しかしまだ他の人間がフィアラルを攻撃する。2人が逃げる時間はまだあるだろう。
「さっさと銃を撃っていれば、もしかしたら奴を殺せたかもしれんのになぁ」
隣でエイペックスが呑気に言った。声は大きいのに、不思議と戦場の喧噪にかき消されず耳に残る。
俺は冷たく言い返した。
「油断と慢心が惨劇を生む。……人間がやりがちなことだ」
口では淡々と告げながらも、内心では冷や汗が背を伝っていた。フィアラルの猛攻に、人間たちが次々と倒れていく光景は、どこか悪夢のように思えたからだ。
フィアラルが前へ進むと、人間が火薬式の銃を撃った。
しかし奴の左腕のガントレットから展開された金属製の円盤盾が、それをことごとく弾き返した。シュメル族特有の盾だ。銃弾は火花を散らすばかりで、フィアラルの歩みを止められない。
人間たちは必死に装填を続けるが、一発ごとに時間がかかる。そんな隙を与えるはずもなく、奴は進みながら殺しを積み重ねていった。敵が振るう槍を奪えば、その場で喉を突き貫く。拘束を解くために使った針金型カッターを振りかざすと、それを投げ放ち、遠くにいた人間の脚を千切り飛ばした。呻き声が上がるのも束の間、すぐに別の人間の首を掴み、木に押し付けた。盾を展開すると、木ごと首を断ち落とす。血と木屑が同時に舞った。
俺は僅かに目を細め、戦場を観察した。後方――兄妹は必死に拘束を解き、逃げ出そうとしている。だが、まだ油断はできない。
フィアラルはガントレットに指を走らせていた。
俺の脳裏に広域殲滅爆弾の光景が過ぎる。しかし奴はシュメル族。奴らのガントレットはアヌ族と異なる兵装を仕込む。そう簡単に決めつけるのは危うい。
隣でしゃがみ込むエイペックスの顔が露骨に強張った。あの巨体でも怯えるのか。きっと広域殲滅爆弾を想像したのだろう。
「まぁ見ていろ」
俺は立ち上がろうとしたエイペックスの腰を軽く小突き、低く言った。
次の瞬間、フィアラルは身軽に跳び上がり、枯れ木の枝に移動した。そして人間が集まる方角へとガントレットを放り投げ、姿を消す。
ガントレットから射出された三つの小さな円盤が、赤い光を帯びながら宙に浮かんだ。
「あれはなんだ?」
エイペックスが首を傾げる。だが問いはすぐに答えを得た。
円盤が一斉に閃光を放つ。光の軌跡が縦横に走り、木々も人間も容赦なく切り裂かれていく。まるで刃を仕込んだ光そのものが舞うようだった。
俺は指を差しながら淡々と言った。
「なんてことはない。上に跳ぶか、伏せれば避けられる代物だ。……見ろ、生き残りがいるだろう」
「……あ、本当だ」
戦場から恰幅の良い人間が必死に走って逃げていく。その背後にはもう一人、脚を切られた人間が這いずっていた。死にきれず、かろうじて生き延びている。
「アトラルさん、どうします?」
エイペックスが立ち上がりながら俺に問う。その声には純粋な興味と、奇妙な緊張が入り混じっていた。
俺も立ち上がり、巨体を見上げる。やはり大きい。背筋に圧迫感が走る。これほど勇ましいヤウジャを、俺は知らない。エイペックス――頂点。そう名乗るに相応しい存在感だった。
対して俺は……臆病を抱えたまま、ただ淡々と仕事をこなす狩人に過ぎない。底だ。
視線を逸らし、息を吐く。
「そうだな……奴を追うとしよう」
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