太陽が二つある星を船から見下ろしながら、私は独りごちた。
「……ここが奴らの繁殖地か」
視界いっぱいに広がる星の大地は荒れ果て、二つの太陽の光を受けてもなおどこか陰鬱だった。岩肌は黒く焼け爛れたようで、ところどころに深い峡谷が口を開けている。その奥に、洞窟のような暗い影が幾重にも重なって見えた。スキャン画像を熱源視界に切り替えると、その影の奥で無数の熱反応が蠢いているのが見えた。生き物の群れだ。数は数え切れない。
ホワイトスパイク――トラプスリクという種族が、かつて他の星を侵略するために造り出した生体兵器。全身を覆う真っ白な外皮、腕が四本、足が二本、背から伸びる触手が二本。そして何より恐ろしいのは、強靭な顎と鋭く並ぶ牙だ。俊敏であり、陸上を駆ければ獲物を逃がさず、水中に潜れば魚すらも追い詰める。飢餓と殺戮を目的に設計された、まさに兵器そのもの。
ガントレットに表示される古いデータにはこう記されていた。
《ホワイトスパイク――生物の中でも類を見ないほど危険》
私はその文字を見て、思わず呟いた。
「生物の中でも類を見ないほど危険……か」
胸の奥に冷たいものが沈み込んでいく。記録や映像では知っていた。だが実際に繁殖星を目にした今、その言葉が空虚な誇張ではなく、ただの事実であることを痛感していた。
トラプスリクはかつて、雌雄を分けた群れを船に載せ、侵略対象の星へと送り込んでいたという。群れの中心に君臨するのは巨大なメス。オスたちよりも一回りも二回りも大きく、産卵のため常に腹を膨らませ、休むことなく繁殖を繰り返す。オスは群れを成して走り回り、獲物を狩り、肉を捧げる。数日のうちに群れは倍増し、あっという間に星を蹂躙する。
だがトラプスリクは三千年前、黒き雨によって滅ぼされた。禁忌を犯した報いだろう。しかし生体兵器たるホワイトスパイクは野生へと還り、この繁殖星で今も息を繋いでいる。滅んだはずの兵器が、なおも生き続ける。生き残り、増え、蠢き、牙を研いでいる。
「名誉を得る獲物として、これ以上のものはない……」
自らに言い聞かせるように口にする。
だが、胃の奥がきしむ。ゼノモーフのクイーンすら至高の試練だ。それ以上とされる存在を、果たして私に狩れるのか。群れに囲まれれば終わりだ。臆病な心が即座に「逃げろ」と囁いてくる。
「私は……ゴンジだ」
自分の名を呟き、心を奮い立たせる。臆病な私が、それでもここに立つ理由。それは教育係を志すため、そして名誉を積み上げるためだ。アビサル――底を意味する名は捨て去った。今は頂を目指すゴンジなのだ。
私は腰に差したスピアを握りしめた。オリオンが名付けた「ゴンジ」。力を意味するその名を。臆病であった私に力を与えるようと願われた名。逃げるためではなく、立ち向かうためにある武器。
「ふぅ……」
息を吐き、船にクロークを施した。船体が透明に溶けていく。私は操縦桿を握り、繁殖星へと加速させた。
赤い大気が視界を染め、船体を叩く熱の波が唸りを上げる。二つの太陽が背後に遠ざかっていく。
「私に狩れるかどうかは……分からないが」
その言葉を胸に刻み、私は繁殖星の大地へと突入した。
雲を突き抜け、私は静かに船を大地へと降ろした。
クロークを掛けた船体は赤黒い地表の上に音もなく着陸する。着地の衝撃が伝わると同時に、船内の計器が停止音を響かせた。
「……降りるか」
私は武装を整え、艦の扉を開いた。持ち込んだのはスピア、ディスク、セレモニアルダガー、そしてプラズマキャスターだ。リストブレイドとコンピューターガントレット、バイオマスクはもちろん標準装備である。
プラズマキャスターは最終手段だ。普段は肩の駆動装置に収納しており、無闇に用いるつもりはない。あれを使えば名誉の狩りにはならない。ただ、死にたくはない。臆病な私にとって、逃げ道は必要だ。
背中にはクリーナーケースを括りつけていた。中にはメディキット、そして獲物の頭蓋を加工するための溶解液や器具が収められている。もっとも、気休め程度のものだ。この星で果たして役に立つかどうか。
外に出ると冷気が肌を撫でた。
「少し寒いな……」
空は厚い雲に覆われ、二つの太陽の光さえ遮られている。重苦しい灰色の空気が地表を覆い、湿った風が頬を打った。熱を好む私たちヤウジャにとっては最低の環境である。
マスクのHUDに船からのスキャン結果が表示された。赤い点が無数に浮かび上がる。至る所にホワイトスパイクが闊歩している。移動速度は速い。群れを成し、無秩序に見えて一定の範囲を巡回している。
「……多い」
数え切れないほどの赤点に、思わず息が詰まった。臆病な心が「引き返せ」と叫ぶ。しかし教育係を目指すなら、私はここで名誉を得なければならない。
私はクロークを起動した。身体が光の中に溶け込み、姿が透明になる。音を殺し、足跡を最小限に抑え、慎重に一歩を踏み出した。
地面は硬く乾いており、割れた岩が尖った刃のように並んでいる。足を滑らせれば音が響き、群れに気づかれるだろう。慎重に歩みを進めながら、私は奴らの痕跡を探した。
やがて見つけたのは巨大な骨だった。まだ肉片がこびりつき、黒い血が乾いている。おそらくこの星の大型草食獣だろう。体高は軽く三メートルはあったはずだが、骨だけになった姿は惨めで、無残に噛み砕かれていた。
「噛み跡……」
頭骨に残る無数の凹みは、あの強靭な顎の力を物語っていた。骨ごと粉砕し、内側の脳を啜り取る。獲物をただ殺すだけではない、徹底した捕食本能。背筋に冷たい汗が流れる。
さらに奥に進むと、爪痕が岩肌に刻まれていた。四本の爪で一気に抉った跡、深さは私の腕の太さほどもある。これほどの力を持つ生物と正面から渡り合うなど正気の沙汰ではない。
「名誉のため、か……」
己に言い聞かせるように呟く。だが喉が渇く。手のひらは冷えて震えていた。
その時、耳を劈くような咆哮が響いた。
私は即座に身を伏せ、遮蔽物の岩陰に隠れた。クローク越しに視界を覗く。
いた。
白い巨体。六本の手足を地に叩きつけながら疾走し、口を開けて鋭い牙を覗かせている。ホワイトスパイクだ。
それは一体だけではなかった。三体、四体、いや……十体を超える群れが岩場を駆け抜けていく。地面が震え、砂塵が舞い上がる。彼らは一糸乱れぬ連携で走り、獲物を追い詰めていた。
「……これは」
群れが追っていたのは、この星の獣だった。大きな角を持つ四足の動物。必死に逃げるが、速度が違いすぎる。あっという間に追いつかれ、触手で絡め取られ、喉を噛み砕かれた。獣の悲鳴が止む。
群れは歓喜するかのように吠え、肉を引き裂き、血を浴びている。その姿は儀式めいてさえいた。
「……群れを避ける。単独の個体を探すしかない」
私は決意し、慎重に別の方向へ足を運んだ。臆病な心臓が胸を叩き続けていた。
そして気配を消し、慎重に進む。
大地を踏み締める音を最小限に抑え、息遣いさえも静める。臆病であることは私の弱点であり、同時に最大の武器でもあった。臆病だからこそ、私は狩りにおいて常に全神経を研ぎ澄まし、生き延びることができたのだ。
やがて前方に深い森が見えてきた。
幾百年もの時を生き抜いたであろう大樹が連なり、空を覆う枝葉は昼であるにも関わらず地表を薄暗くしていた。太い幹に絡みつく蔦、苔に覆われた岩、湿った空気。全てが異質で、しかし狩りをするには格好の場所だった。
「……悪くない」
私は脚に力を込め、大地を蹴った。
跳躍。身体が一瞬宙に浮き、大樹の幹に吸い付くように着地する。爪先と指のわずかな感覚で樹皮を掴み、枝へと駆け上がる。樹上を飛び移り、次から次へと木から木へ渡っていく。下の地表よりもずっと安全で、獲物を見下ろしやすい。
幾度かの跳躍の後、私は森の奥に少し開けた場所を見つけた。
そこには水場があった。地中から湧き出る清水が小さな池を作り、苔むした石に滴り落ちている。鳥の声もなく、静謐な空気が支配している。
「……いた」
私は枝に身を潜めながら呟いた。
水場に身を屈め、水を飲んでいる影が一つ。
真っ白な体表。陽光を浴びて尚、反射せず光を吸い込むかのような鈍い輝き。胴から伸びる二対の腕、地を掻く二本の脚、そして背中から伸びる二本の触手が小刻みに蠢いていた。頭部は異様に大きく、顎は鎌のように湾曲した牙で満ちている。
ホワイトスパイクだ。
「……間違いない」
獲物の呼吸音、舌が水をすする音、筋肉が震えるたびに小石が砕ける音……全てがはっきりと耳に届く。私の心臓が、臆病ゆえに高鳴る。だがその恐怖が、次の行動を誤らせはしない。
「手始めに一匹……狩る」
私は息を吐き、身を翻した。
木の枝から音もなく飛び降りる。
振動も、着地音もほとんど生じない。長き時を重ねてきた狩りの経験が、肉体を勝手に動かす。名前を変え、生まれ変わったとしても、幾星霜に渡る修羅場は決して忘れない。
クロークを解除する。
姿を晒し、獲物に真っ向から挑むのがヤウジャの矜持だ。臆病な私は普段なら姿を消して安全を優先するが、ここは名誉を得るための戦場だ。
ホワイトスパイクの耳のような突起がピクリと動いた。
「ッ……!」
振り返ると同時に、その顎が開かれた。咆哮が森を揺らす。
空気が震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。
私は既にスピアを構えていた。
「来い」
臆病と誇り、その狭間で揺れながらも、私は一歩前へと踏み出した。
奴はまず、二本の触手を大きく振りかぶった。
空気が裂ける音と共に、棘が飛翔する。鋭利な骨の矢のようなそれは、肉を容易く貫き、骨を砕き、内臓を撒き散らすだろう。これこそがホワイトスパイクの名の由縁、【スパイク】である。
私は咄嗟にスピアを立てた。
「ッ!」
金属と骨がぶつかる乾いた衝撃音。火花が散り、腕に重い振動が走る。棘の一本を叩き落としたが、次の瞬間にはもう一本が襲いかかる。私は刃を返すようにスピアを薙ぎ、二撃目を弾いた。棘は木の幹に突き刺さり、樹皮をえぐり取る。
「ふぅ……」
息を荒げる間もなく、私は一歩踏み込んだ。
地を蹴る。筋肉が軋み、背中のドレッドが跳ねる。臆病ゆえの恐怖が、私を駆り立てていた。恐怖は足を竦ませる毒であると同時に、獲物を仕留める力を与える薬でもある。
「ウオオオオオオッ!!」
喉の奥から迸る咆哮。
スピアを大きく回転させ、刃を閃かせる。金属の切っ先が風を裂き、ホワイトスパイクの胴体を横一文字に切り裂いた。
白い皮膚が裂け、内側の赤黒い肉が露わになる。飛び散った血は粘り気を帯びており、肌に触れる前に空気中で霧状に弾け、甘ったるい腐臭を漂わせた。思わずマスクのフィルターを強化する。
「グギャアアアアッ!!」
奴は獣のような咆哮を上げ、暴れる。
私は身体を捻り、勢いを利用して刃先を頭蓋に向けた。正面から突き刺す、致命の一撃を狙う。
硬質な音が耳に響いた。
「なっ……!」
刃が頭蓋の外殻に弾かれた。ホワイトスパイクの頭部は異様なまでに硬く、金属のスピアですら貫けない。反動で肩が痺れ、腕が痙攣する。
奴の触手が唸りを上げて振るわれる。
私は反射的に後方へ跳び、間合いを取った。触手が地面に叩きつけられ、土が爆ぜ、砂埃が舞い上がる。破壊された地面には深い溝が刻まれていた。あの一撃を食らえば、身体が真っ二つに裂けていただろう。
「……厄介だな」
スピアの切先を構え直し、呼吸を整える。
ホワイトスパイクの四本の腕が地面を掴み、巨体を低く構えた。触手は蛇のように左右に揺れ、次の瞬間を狙っている。
血を流しながらも、奴の眼光には殺意が漲っていた。
「フッ……これでこそ名誉ある獲物だ」
私は地を踏みしめ、再び前へと進んだ。
踏み込みながら、マスクの視界を切り替えた。
熱源視界、骨格透過、細胞反応。次々と切り替えてホワイトスパイクの身体を観察する。頭蓋は厚く、骨が幾重にも重なり、まるで鋼鉄の兜のようだ。あそこを突き破るのは不可能に近い。
「やはりな……」
吐息がマスクの内側に白く曇る。
だが、首の下。肩口から胸郭へ繋がる部分は皮膚が薄く、骨の密度も低い。そこだけは柔らかく、臓器への直通路だ。狙うならそこしかない。
私はスピアを逆手に握り直した。
「……いくぞ」
地を蹴る。
瞬間、風圧がドレッドを後ろに跳ね飛ばす。大地に爪を立てていたホワイトスパイクがこちらに気づき、触手を振るった。
「チッ!」
横へ転がる。
触手が大地を薙ぎ払い、土と岩を抉る轟音。衝撃波で身体が宙に浮いたが、私は空中で体勢を整え、すぐさま地面に膝をついた。土が腿を叩き、骨に響く。
ホワイトスパイクの咆哮。鼓膜を震わせる轟音が森全体に響き渡り、無数の鳥が一斉に飛び立った。
「うるさい……」
私も吠え返すように息を吐き、間合いを詰める。
狙うは首の下だ。
スピアを突き込む。
刃が空気を裂き、狙った一点へと走る。
「ッ!」
だが奴は俊敏だった。四本の腕の一本で刃を叩き落とす。硬質な爪が金属を弾き、スピアが地面に弾かれる。腕に痺れが走り、指先が震える。
反撃。
ホワイトスパイクの顎が開いた。鋭い牙が並び、内臓を噛み千切るには十分すぎる凶器。
「甘い」
私はバックステップでかわす。同時にディスクを腰から抜き、奴の口腔めがけて投げ放った。
円盤が閃光を放ちながら回転する。
「ギィィアアアアッ!!」
口内に突き刺さった。肉を切り裂き、牙を砕き、粘液を撒き散らす。甘臭い血が霧状に噴き出し、マスクのフィルターにまとわりつく。腐敗臭と鉄の味が鼻を突いた。
「まだだ」
ディスクは回収しない。私は動き続ける。止まれば死ぬ。
奴が怯み、頭を振る。その隙を突いてスピアを掴み直し、体を低く構えて飛び込む。
刃先が首の下の薄い皮膚を目掛け、真っ直ぐ走る。
突き入れる。
「ォオオオオッ!!」
鈍い感触。骨を掠め、肉を裂き、臓腑に到達する手応え。
「グァアアアアアッ!!」
ホワイトスパイクの悲鳴。触手が暴れ、木々を薙ぎ倒す。一本が私の肩を掠め、クローク装置が火花を散らして壊れた。装置の焼ける匂いが鼻を突き、肩に灼けるような痛みが走る。
「ッ……!」
私は痛みに歯を食いしばり、スピアを捻った。
肉が裂け、血飛沫が噴き出す。真っ白な体表が赤黒く染まり、奴は崩れ落ちるように地に倒れた。
しかし、まだ息がある。痙攣し、爪で大地を引っかき、どうにか立ち上がろうとしていた。
「……やはり、名誉ある獲物だ」
私はセレモニアルダガーを抜いた。
ゼノモーフの酸にも耐える鋼。教育係を目指す者として、未来の赤子に語るための証を刻むため、最後の一撃を与えねばならない。
私は飛びかかり、首元にダガーを突き立てた。
刃が皮膚を割り、臓腑を断ち切る。
「ギャアア……」
ホワイトスパイクの呻きは徐々に細く、やがて虚空へと消えていった。
私は肩で息をしながら死骸を見下ろした。
「……これで一匹目だ」
森の中、まだ無数の気配が蠢いている。
これは序章にすぎない。