養殖が天然に勝てると思うなよ?【本編完結】   作:物体Zさん

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グオオオオオオオオオ!!!

 

 

 

 目が覚めた。

 

 船の内部、薄暗い照明が点滅する静かな空間で、私は寝台の上に横たわっていた。肩を咬まれた傷がまだ鈍く疼いている。肉を抉られた痕は深く、そこから蛍光色の血がじわじわと滲み、寝台の縁を伝って滴り落ちていた。鉄錆のような匂いが船内に充満し、呼吸をするたびに胸の奥が重くなる。

 

 「……やれやれだ」

 

 小さく呟き、上体を起こす。噛み傷は焼け付くように熱を帯び、動かすたびに骨の奥にまで衝撃が走る。これ以上放置すれば、確実に動けなくなるだろう。私はクリーナーケースを引き寄せ、メディキットを取り出した。

 

 キットの中にはいつもと変わらぬ粗末な器具が揃っている。簡易ホッチキスと焼夷剤。医療とは名ばかりだ。裂けた肉を金属で無理やり繋ぎ止め、焼き潰して感染を防ぐだけ。精密でも優雅でもない。ただ、生き延びるための処置。

 

 「麻酔? そんなもの……必要ない」

 

 独り言のように言い聞かせる。ヤウジャは痛みを避けるために生きてはいない。痛みこそが狩りの証であり、戦いの勲章だとされている。そう言い聞かせても、内心では別だ。本当は痛みなどごめんだ。だがそれを口にすることは、狩人としての死を意味する。だから私は歯を食いしばり、器具を肩に押し当てた。

 

 「グオオオオオオオオオ!!!」

 

 金属の針が肉を貫き、骨を擦る音が響いた。あまりの痛みに咆哮が船内に轟き、壁が震える。全身の筋肉が硬直し、牙が欠けるほどに噛み締めてようやく一つ目の傷口を留めた。呼吸が乱れ、額から汗が滴り落ちる。

 

 次に焼夷剤を掴む。蓋を開けた途端に鼻を突く刺激臭が広がり、思わず顔を背けた。震える手で傷口に薬剤を塗布する。

 

 「グオオオオオオオオオ!!!」

 

 肉が焼け焦げる音が響き、皮膚が黒く縮み、煙が立ち上る。肩から立ち上る蒸気は獣の吐息のように白く揺らぎ、焦げ臭さが船内をさらに満たした。胸がむかつき、喉が焼ける。だが血の滴りは止まり、ようやく死の淵から引き戻された。

 

 「ふぅ……」

 

 荒い息を整え、背を壁に預けた。処置は終わった。だが体力も精神も削り取られている。あの群れとの戦いを思い出すと、未だ全身が震えているのを感じた。数十体のホワイトスパイク。最初はただがむしゃらに突撃してきたが、途中からは明確な連携を取り始め、私を包囲し翻弄してきた。死を覚悟した瞬間は一度や二度ではない。だが結果として私は生き残り、奴らは死骸となって積み重なった。

 

 私は寝台から立ち上がり、肩の痛みに顔を歪めながら船の窓を覗いた。外には、私が屠った群れの骸が山のように積み上がり、腐臭を漂わせていた。白い皮膚はすでに灰色に変色し始め、空を舞う小さな虫が群がっている。戦いの証ではあるが、それは同時に挑戦の前触れでもあった。

 

 「……まだ足りない」

 

 自分に言い聞かせるように声を出す。ここまでで息絶えてもよかった。だが、私はゴンジだ。名を捨て、深淵を歩んできた者。臆病を知りながらも進まねばならぬ。

 

 「メス()だ」

 

 恐怖と期待が胸を満たす。オスを凌駕する存在。トラプスリクが生み出した生体兵器の頂点。獲物としてこれ以上のものはない。勝てる保証はない。むしろ敗北の未来の方が濃厚だろう。それでも狩人として、ゴンジとして挑まなければならない。

 

 私は船の操縦席に腰を下ろし、ガントレットを操作した。船体が唸りを上げ、上空へと上昇する。スキャンを開始し、広大な地表に幾つもの赤い点が浮かび上がった。その中でも一際大きな反応があった。

 

 「……見つけた」

 

 それは他の群れの個体よりも明らかに巨大で、周囲の地形ごと支配するかのように鎮座していた。ホワイトスパイクのメス。

 

 私は深く息を吸い、痛む肩を庇いながら船のハッチを開いた。外気が流れ込み、血と腐臭と土の匂いが混じり合う。

 

 「行くぞ……」

 

 呟き、私は再び大地へと降り立った。

 

 大地に着地した瞬間、地面がひび割れ、粉塵が舞い上がった。鈍い衝撃が腰に走り、思わず顔を歪める。

 

 「……少し堪えるな」

 

 私は小さく吐息を漏らした。無理もない。エルダーほどではないにせよ、私も既に長く生きている。若き狩人のように無茶な動きはできない。筋肉はまだ衰えてはいない。だが、歳月が積み重なるごとに確かに身体に刻まれる鈍さというものがある。

 

 だが――戦いそのものは、若き頃よりも洗練されているはずだ。無駄な動きを削ぎ落とし、必要な一撃だけを残す。臆病であるがゆえに、常に最悪を想定し、そのための備えを怠らない。それは私の弱さであると同時に、誰よりも強く生き残らせてきた術でもある。

 

 「問題は……奴だ」

 

 私は目を細め、船のスキャンで割り出した方角へと歩き出した。そこにいるのは、この繁殖星で数体しか存在しない【メス】。群れの中心に立ち、星全体を支配する存在。狩人としての名誉を得るには、これ以上の獲物はない。

 

 やがて地表の気配が変わり始めた。森で感じた小動物たちのざわめきが消え、鳥の鳴き声も止み、風の流れすら沈黙を孕んでいく。草の葉は濡れたようにしおれ、虫たちすら姿を消していた。まるで生き物そのものが、この地を避けているようだった。

 

 「……やはり、ここが支配領域か」

 

 足を進めるごとに空気が重くなる。湿った土の匂いと、鼻を刺す鉄錆の臭気が混じり、吐き気を誘う。マスクのフィルターを通していてさえ、肺に重苦しい圧迫を覚える。

 

 やがて、目の前に異様な光景が広がった。

 

 大地が盛り上がり、まるで巨大な蟻塚のような穴が口を開けていた。周囲の岩肌は鋭く抉られ、地表には無数の爪痕と擦り切れた骨片が散らばっている。穴の周囲は白濁した体液で汚れ、乾いては再び染み出した跡が幾層にも積み重なっていた。

 

 「……これが巣か」

 

 私は穴の縁に立ち、身を屈めて中を覗き込んだ。

 

 内部は想像以上に広大だった。幾重にも枝分かれし、闇の中で無数の通路が網の目のように広がっている。洞窟の壁は不気味に光を反射しており、体液と唾液が混じったものが滴り落ちていた。

 

 だが広いだけではない。閉ざされた通路は罠でもある。もし中で群れに襲われれば、どれほどの戦歴を重ねた狩人であろうと逃げ道はなく、瞬く間に食い尽くされるだろう。

 

 「慎重にいかなければ……」

 

 独り言のように声を落とし、肩にかかる痛みを確かめる。先ほど縫合したばかりの傷が、重圧を前に再び疼き始めていた。

 

 だが私は決意を固める。群れを相手取る必要はない。すでに散々狩ってきた。今必要なのはただ一つ、群れの中心に座す【女王】を討つこと。それだけが私の名誉を確かなものにする。

 

 「狙うはメス……クイーンだけだ」

 

 私は静かにクロークを起動し、音もなく地を踏み出した。暗黒の穴の奥へ、一歩、また一歩と。心臓が鼓動を強め、耳の奥で血の音が鳴り響く。

 

 臆病な声が内心で囁く。「やめろ、引き返せ」と。だが私はそれを押し殺し、闇の奥へと進んでいった。

 

 

 スピアを腰に構えながら、摺り足で、一歩、また一歩。

 

 足裏に伝わる土は乾いておらず、ぬめりを含んでいる。洞窟の壁から滴り落ちる体液が地面に溜まり、ぬかるんでいるのだ。油断すれば、わずかな音で群れが目を覚ますだろう。私は呼吸すらも浅く抑え、己の存在を限界まで殺していた。

 

 マスクのHUDには洞窟全体の概略図が表示されていた。分岐と分岐が絡み合い、複雑に枝分かれした迷路のような空間。だがその中心部、一際大きな空洞がある。そこが目的地――クイーンの間。

 

 そこに至るまでの通路には、幾体ものホワイトスパイクが横たわっていた。

 

 身体を縮こませ、丸まり、眠り込んでいる。

 背骨が波打ち、時折小さく痙攣するように動くが、それは寝息のようなもので、起きている気配はない。

 

 「運がいい……」

 

 私は心の中で小さく呟いた。

 

 ホワイトスパイクは活動時間がはっきりと分かれている。昼夜という区切りではなく、獲物を喰らい尽くせば一定の時間眠り、また目覚めて狩りを始める。今はその休眠の時間帯にあたるようだ。

 

 これは好機。

 

 群れの目をすり抜け、気配を悟られず、クイーンの間に到達し、その寝首を掻いてやればよい。

 

 だが、それは理屈の上での話だ。

 

 「……失敗すれば終わりだな」

 

 臆病な声が耳元で囁く。

 

 もし一体でも目を覚ませば、瞬く間に群れ全体へと伝播し、洞窟内で袋叩きにされる。生き延びる術はない。

 

 だが、ここで退けば名誉は得られない。私は既にアビサルではなく、ゴンジだ。教育係を目指すなら、赤子たちに語る背中を持たねばならない。

 

 「狩るのは……女王だけだ」

 

 私は再び心に言い聞かせる。

 

 洞窟は不気味な静けさに包まれていた。水滴の落ちる音すらも遠く、ただ血肉の匂いだけが充満している。床には獲物となった原生生物の骨や、干からびた死骸が散らばり、踏めば砕ける。私は注意深く足を運び、爪先で骨をずらしては隙間に置き直した。音を立てぬために。

 

 途中、一体のホワイトスパイクが寝返りを打った。

 

 「ッ……」

 

 私は咄嗟にスピアを胸の前に構え、体を固める。

 

 だが奴は背を丸め直し、再び眠りに落ちた。

 

 緊張で汗が背を伝う。マスクの内側で、呼吸が白く曇った。

 

 さらに奥へと進む。分岐を三度曲がり、長い通路を抜けたその先に――広大な空間が広がった。

 

 「……ここか」

 

 私は低く呟いた。

 

 そこは大聖堂を思わせるほどの高さと広さを持つ空間だった。天井は闇に溶け、壁は粘液に覆われて光沢を放ち、地面は骨と死肉の山で埋め尽くされている。

 

 そして、その中央に――

 

 「クイーン……」

 

 いた。

 

 他の個体とは比べ物にならぬ巨体。四肢は太く、白い皮膚は幾筋もの傷跡で覆われている。背中から伸びる二本の触手はまるで蛇のようにゆらめき、地面を叩くたびに骨が砕け散った。

 

 閉じた顎からは滴る唾液が糸を引き、胸郭は緩やかに上下している。眠っている。だが、その呼吸ひとつひとつが洞窟全体を震わせているようだった。

 

 「……」

 

 私は口を閉ざし、ただスピアを強く握った。

 

 この一撃で仕留められるか?

 失敗すれば、間違いなくここで死ぬ。

 

 だが逃げれば、名誉を失う。

 

 私は深く息を吸い、静かに吐き出した。

 

 「さぁ……試されるのはこれからだ」

 

 全身の筋肉を緊張させ、私は一歩踏み出した。

 

 パキッ。

 

 乾いた音が洞窟に響いた。

 

 ――しまった。

 

 私の足元に転がっていた獣の骨を、ほんの僅かに踏み割ってしまったのだ。

 

 その瞬間、洞窟の奥に横たわる巨影がピクリと動いた。

 

 白い巨体。ホワイトスパイクの女王。

 

 喉奥から低く濁った音が洩れ、全身の筋肉が微かに震えた。

 

 私は息を止めた。

 

 脈が跳ね上がり、心臓が胸の内で暴れる。

 

 もし、今目を覚ませば……終わりだ。

 

 私は全身の力を抜き、岩壁に同化するように身を固めた。

 

 数瞬。いや、数十拍にも思える長い時。

 

 やがて女王の呼吸は再び一定のリズムを取り戻す。

 

 胸郭が波を打つように上下し、湿った寝息が洞窟に満ちる。

 

 「……助かった」

 

 声にならぬ声で呟き、私は再び一歩を踏み出す。

 

 音を殺し、気配を抑え、寝息に同調するように動く。

 

 深淵を歩く者のように。

 

 ゆっくりと、確実に、私は標的へと近づいていった。

 

 ――そして。

 

 ついに私は、クイーンの目前に立った。

 

 巨大な頭蓋は岩塊の如し。

 

 蛇のように垂れる触手が微かに地を撫で、白い体表にはびっしりと硬質な鱗のような骨板が並んでいる。

 

 「死ね」

 

 私は低く呟いた。

 

 全身の筋肉を滾らせ、脚に力を込め、大地を踏み締める。

 

 腰を捻り、肩を振り、両腕に宿す力を刃先へと集める。

 

 刹那。

 

 スピアを振りかぶり、渾身の力で首横へ突き入れた。

 

 鈍い感触と共に、刃が皮膚を割き、肉を裂き、骨に届く。

 

 「グギャアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 咆哮。

 

 洞窟全体が揺れた。

 

 地面が震動し、頭上の岩が剥がれ落ち、骨の山が崩れ落ちる。

 

 湿った空気が震え、粘液が滴り飛び散り、耳を劈く振動が肺を圧迫する。

 

 私は即座にスピアを引き抜き、跳躍するように後退した。

 

 「まだ……死なぬか」

 

 クイーンは激痛に仰け反り、巨体を持ち上げた。

 

 真紅の双眸が開き、獣じみた憤怒が洞窟を満たす。

 

 触手が鞭のように振り下ろされ、岩壁が粉砕される。

 

 「チッ……」

 

 私の額に冷たい汗が滲む。

 

 ――しまった。狙いは的確だったはずだ。だが、骨板が厚すぎる。首横でも致命には至らないのか。

 

 その瞬間。洞窟にいたオス達が一斉に目を覚ました。

 

 丸まって眠っていた白い群れが、バネ仕掛けのように跳ね起きる。

 

 鋭い咆哮が次々と響き渡り、赤い点がHUDに氾濫する。

 

 「群れまで起きたか……!」

 

 私は奥歯を噛み締め、後退しながら状況を把握する。

 

 狭い洞窟、目覚めた群れ、そして暴れる女王。

 

 「……帰ろうかな」

 

 一瞬、心の奥に臆病な声が囁く。

 

 だが次の瞬間、私は自らを叱咤する。

 

 「いや、逃げるな……狩れ、私」

 

 クイーンが咆哮し、群れが応じる。

 

 地獄が始まる。

 

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