養殖が天然に勝てると思うなよ?【本編完結】   作:物体Zさん

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偶然か、それとも必然か

 

 

 

 

 「ゴホッ」

 

 喉の奥から熱いものが込み上げ、血が噴き出した。床に滴り落ちた蛍光色の血が、船内の照明に鈍く反射する。

 

 私は死んだクイーンを見下ろした。

 

 頭蓋を貫かれ、巨体を横たえたまま動かない。鋭い触手はだらりと垂れ、鋸のような牙は半ば砕け散っていた。

 

 「やった……やったぞ……!」

 

 息が掠れる。だがその声には確かな熱が宿っていた。

 

 長い時を生き、数えきれぬほどの狩りを経験してきた。

 

 バッドブラッド、ゼノモーフ、名も知らぬ獰猛な怪物達。だが――「頂点捕食者」を討ち果たしたのは、これが初めてだ。

 

 名誉という炎が全身を包み込む。痛みよりも先に高揚感が胸を焦がす。

 

 「これが……頂……点……」

 

 声が震え、身体も震える。

 

 だが同時に、冷静な目が自らの姿を捉えた。

 

 「……ボロボロじゃないか」

 

 右肩はまた抉られ、肉が深く削がれている。血を焼夷剤で強引に止めていたが、熱を持ち、血は滲んでいた。指は折れ曲がり、正しい形を保てない。左目は血で視界が霞み、幾度も打ち据えられた衝撃で肋骨は複数折れているはずだ。腰は軋み、船内を歩くだけで悲鳴を上げている。

 

 立っているのが不思議なほどだ。いや――実際にはもう、倒れそうなのだ。

 

 「生きて……帰る」

 

 その言葉を呟いた瞬間、膝が勝手に笑った。踏ん張ろうとした脚が滑り、床に片膝を突く。鋼のように鍛えた身体でさえ、限界が近いことを告げていた。

 

 だが、私は笑った。

 

 ――これこそが狩りだ。

 

 己の肉体を削り、命を削り、最後に残ったものが「名誉」であるならば、それ以上何を望むというのか。

 

 クイーンの死骸から濃厚な血の匂いが漂ってきた。

 

 その匂いは、かつてゼノモーフを狩った時の酸の刺激臭とは違う。血と肉と腐敗が混ざり合った、濃密で重たい匂い。私はそれを深く吸い込み、胸の奥に刻み込んだ。

 

 「……証明した」

 

 己はただの弱き臆病者ではない。

 深淵を歩き、底に沈み、そして這い上がった狩人だ。

 

 「私は……ゴンジ()だ」

 

 ふらつく脚で立ち上がり、ガントレットを操作する。

 

 船内の自動清掃機構が作動し、死骸を解体するためのアームが動き出す。だが私はそれを止めた。

 

 「違う……これは戦利品だ」

 

 ホワイトスパイクのクイーン。

 

 その頭蓋は、トロフィーとして必ず母星に持ち帰らねばならない。

 

 そうしなければ、この戦いが、ただの自己満足で終わってしまう。

 

 「生きて……帰る……」

 

 改めて呟き、スピアに手をかけた。

 

 だが柄を握った瞬間、痛みが電流のように肩から脳天へ突き抜ける。

 

 手の力が抜け、膝をつく。

 

 「ぐ……」

 

 再び血を吐いた。視界が歪み、船内の灯りが遠く霞んでいく。

 

 ――まだ倒れるな。

 

 心の奥で臆病な自分が叫んだ。

 

 「ここで……死んでたまるか」

 

 私は力を振り絞り、床に爪を立てる。蛍光色の血が滴り、爪痕の間に染みていく。

 

 船を母星へ帰還モードに設定するのは簡単だ。だが、それだけでは足りない。

 この戦利品を必ず持ち帰り、エルダーに、部族に、そして己に証明しなければならないのだ。

 

 「私は……甘くない……」

 

 歯を食いしばり、折れた指で柄を再び掴む。

 

 痛みが走り、視界が白く弾ける。だが、手は離さなかった。

 

 クイーンの頭蓋に突き刺さったスピアをゆっくりと引き抜く。

 

 刃に絡みついた骨と肉が、ずるりと音を立てて引き裂かれる。

 

 「ウオオオオオオ……ッ!!!」

 

 最後の叫びと共に、スピアを引き抜いた。

 

 私はそれを支えに立ち上がる。

 

 船の窓から、双つの太陽が見えた。

 

 薄暗い洞窟から飛び出した時には気づかなかったが、空は紅に染まり、地平は燃えるような輝きを放っている。

 

 「生きて帰る……そして……」

 

 名誉を持ち帰るのだ。

 

 倒れそうな身体を支えながら、私はゆっくりと操縦席へ歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 母星ユィタ=プライム、その広大な赤土の地に一隻の宇宙船がゆっくりと着陸した。

 

 大気を焦がす音が収まり、巨体は大聖堂近くの着陸場に静かに横たわる。

 

 ハッチが開く。

 

 現れたのは、全身に無数の傷を負った一人の狩人だった。

 

 血に塗れ、肩には深い抉れ跡、指は折れ曲がり、腰は軋みながらも、その足取りは揺るがぬものだった。

 

 だが彼は空の手で帰還したのではない。

 

 その手には巨大な“戦利品”――ホワイトスパイクのクイーンの頭蓋が握られていた。

 

 「……あれは」

 

 近くにいた整備係のヤウジャが息を呑む。

 

 瞬時に両手を胸の前で交差させ、跪いた。

 

 偉業を為した狩人に、最上の敬意を表する所作である。

 

 やがて狩人――ゴンジは、戦利品を担いだまま船を降り立った。

 

 その姿は血に濡れながらも揺るがず、誇り高く、威厳に満ちていた。

 

 「……偉業だ」

 

 「狩りだ」

 

 「讃えよ」

 

 彼が大聖堂へ歩みを進めると、道を行き交うヤウジャ達は皆、立ち止まり、その場に跪いた。

 

 誰もが頭を垂れ、口々に言葉を紡ぐ。

 

 称賛の声が次第に広がり、街路全体が揺れるほどの響きとなる。

 

 ゴンジは表情を変えず、ただ淡々と歩を進める。

 

 だがその背には確かに重みがあった。

 

 戦利品の重さであり、名誉の重さであり、そして――深淵を歩み抜けた者にしか背負えぬ、宿命の重さであった。

 

 アビサルから名を変えたゴンジは、そうして偉業を成した。

 

 生身で凶暴な生物達を屠り、そして単身でクイーンを討伐したのだ。

 

 彼が殺したクイーンは、大聖堂の地下にある大祭壇の部屋へと運ばれた。

 

 その部屋は選ばれし者しか入ることが許されぬ、アヌ族の聖域である。

 

 壁一面には、歴代の大狩人達が誇りとして持ち帰った数々の戦利品が飾られていた。

 

 ゼノモーフのクイーンの頭蓋。

 

 嘗て星間を震わせた獣の骨格。

 

 青白い一角を持ち、時折稲光を放つという馬頭。

 

 その全てが、血塗られた歴史と名誉を物語る証だった。

 

 そして、その中に新たな一つが加わった。

 

 悍ましく、同時に荘厳な存在感を放つ巨大な頭蓋。

 

 ホワイトスパイクのクイーンである。

 

 その白骨は祭壇の炎に照らされ、影を長く伸ばし、まるで今も獲物を喰らわんとするかのように不気味な迫力を宿していた。

 

 「……やるじゃないか」

 

 エルダーは腕を組みながら、それを静かに見上げていた。

 

 老獪な瞳の奥に、かすかな笑みと感嘆の色が浮かんでいた。

 

 

 しかし、アヌ族の狩人――ゴンジが成した偉業は外に伝えられることはなかった。

 

 理由はただ一つ。アヌ族は常に「弱小部族」でなければならなかったからだ。

 

 他部族に恐れられてはならない。誉れを広く叫んではならない。アヌ族の本来の役割は同族狩りにある。その為には、密かに、確実に、牙を研ぎ澄ませる必要があった。偉業は大聖堂の奥に秘匿され、語られることもなく、ただゴンジの胸に刻まれた。

 

 だがそれでも、彼の歩んだ道は確かに続いていく。

 

 そしてゴンジはついに教育係へと就いた。

 

 教育係とは、選別を生き残った赤子を引き取り、成人の時を迎えるまで育てる役目を担う者である。数ある役職の中でも特に稀少であり、そして重い職務だった。なぜなら、アヌ族の赤子のほとんどが一年を生き残れず、教育係に託される存在が極めて少なかったからだ。

 

 ゴンジが教育係となってから、およそ三百年の時が流れた。

 

 ヤウジャにとっては決して長すぎる歳月ではない。だが、ほんの少しだけ、その肩に刻まれる時の重みは増していた。戦いの傷は無数に刻まれ、幾星霜の狩りの中で培った経験は揺るぎない鋼となった。

 

 その日、ゴンジは育成ポッドの前に立っていた。

 

 透明な外殻に守られた円筒の内部には、まだ言葉も持たぬ赤子が浮かんでいた。成長液の中でわずかに手足を動かし、瞳だけがしっかりと外界を見据えていた。

 

 「これから一年、この中で育ち、選別を受ける」

 

 ゴンジは低く呟き、ポッドの表面に手を置いた。

 

 選別の日が来れば、その赤子は裸足で部屋に放り込まれる。立ち上がれなければ即座に命を断たれる。立ち上がれた者のみが次の段階へと進み、教育係に託されるのだ。

 

 ゴンジは静かに赤子の瞳を覗き込んだ。

 

 その目は、まだ言葉も持たぬというのに、確かに意思を宿していた。

 

 「エイペックス……」

 

 心の中で、名を呟く。

 

 その名は、未来に出会った巨躯のヤウジャのもの。全てを超越するような肉体と、純粋で無垢な精神を併せ持ち、そして何より頂点の名を冠した狩人の名。

 

 ゴンジがアビサルであった時代、未来に期待!ジュースと呼ばれる不可思議な飲み物を口にし、夢の中で見た存在。拳でゼノモーフを砕き、巨大な獲物を仕留めた幻影の狩人。

 

 そして今、ポッドの中で蠢く赤子が放った眼差しは、その幻影とまったく同じ色を帯びていた。

 

 赤子は小さな手をかすかに握り、ゴンジを見上げた。

 

 偶然か、それとも必然か。

 

 未来を夢に見た狩人が、今まさに新たな命として再び現れようとしているのか。

 

 ゴンジは思わず目を細め、胸の奥で何かが疼くのを感じた。

 

 「これは……導きなのか」

 

 アヌ族の掟は苛烈であり、決して温情に流されることを許さない。赤子は赤子であり、弱ければ容赦なく淘汰される。それがアヌ族の存続を支える唯一の方法であることを、ゴンジは誰よりも理解していた。

 

 だが同時に、深淵を歩み続けた己の本能が囁いていた。

 

 「この赤子は、生き残る」

 

 根拠はない。ただ、確信だけがあった。

 

 ゴンジはしばらく無言でポッドの赤子を見つめ続けた。

 

 時間が止まったかのように、赤子の瞳と己の瞳とが交錯し、互いに訴え合う。

 

 「お前は……頂点(エイペックス)になる」

 

 ゴンジはその胸中でそう断じた。

 

 それは予感か、希望か、それとも未来を垣間見た幻影の再来か。

 

 アビサルという名を捨て、ゴンジとして新たな道を歩み始めた今もなお、運命の輪は彼を深淵から引き上げ、新たな未来へと押し出そうとしていた。

 

 その未来の中心に、この赤子――エイペックス(頂点)がいることを。

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