なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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境界線を飛び越して(Ⅱ)

 アースラの転送ポートで送り戻されたのは海辺の公園。優しい潮風が絶えず吹き付ける憩いの場は、すっかり更けた夜の闇の中でも、幾つもの電灯に明るく照らされていた。

 

「じゃあ束ちゃん、またね!」

「うん、なのちゃんもまた明日!」

 

 過剰なほどに元気よく、ぶんぶん手を振り別れる二人。その隣にはそれぞれ、千冬とユーノがくっついている。なのはがユーノを預かる件は、ユーノが人間になったことでいつの間にか立ち消えになってしまったらしい。任意でフェレットに戻れるとしても、同じ年の男の子と一緒に自室で二人きりというのは、色気づく気配のないなのはにとっても中々抵抗のある状況なのだろうか。

 束に付き添うように去っていくユーノへ、千冬が無言のサインを送る。

 

(ユーノ。束があんなふうになった理由、必ず聞いてこいよ)

 

 必死な目線を、ユーノはこくこくと頷くことで安心させた。いつも束に対しては情け無用な千冬も、流石になのはが居る所で変節を面と向かって指摘する程の度胸はなかったのだ。それに、束がどんなにボロを出したとしても、なのはの方で勝手にフォローされていってしまうのだ。無論、天才である束は己の弁護にも最善を尽くすだろう。しかし、1対2より1対1の方が有利なのは明らかだ。

 

 だからユーノは、束が篠ノ之神社のすぐ側まで来た時に、それとなく切り込んでみることにした。

 

「ねえ、教授」

「なんだいユーノ君。ご飯食べたくないのかい?」

 

 きょとん、とした顔で見返されると、やっぱり変だなと感じられる。なんというか、雰囲気が。まるでここではない何処かへ目線が向いていて、夢中になっているようなビジョンが浮かぶ。

 

「なんで、管理局の人にいい格好をしたの?」

「なんでって」

 

 今更何を聞いているのかな? なんて窘めるような表情も、今日は少し、残酷さに欠けている。どうでもいいことに、どうでも良く答えているみたいに。

 しかし一先ず、理屈にあった答えが帰ってきた。

 

「そりゃあ、ソッチの方が得だからだよ。向こうは未知の技術の結晶だよ? だから、ちょっといい格好すればそれもらくらく研究できるし、そうしたら追い越すことも出来る。あははと笑うのはその時だけでいい。後はこの天才の技術に恐れ戦かせてやるのさ。簡単な事だよユノソン君☆」

 

 その言い分を聞くと、あの変節はやはり冷酷な計算に基づく擬態だとも納得できる。

 彼女を真っ先に疑った千冬も、そんな見方をしていた。アースラ艦内で密かに話し合った所、

 

『アレは素直なフリをしているだけだ。全力でな。内心は反吐の出るような気持ちだろう』

 

 と熱心に言っていたりもした。

 

 だが。たったそれだけの、技術を学ぶというそれだけの理由で、篠ノ之束程のプライドの塊がそれを打ち壊すような真似を果たしてしてくるのだろうか。

 

「教授……本当に、それだけなのかい? もっと他に、管理局を『騙さなきゃいけない』重大な理由があるんじゃないの?」

 

 それは、一ヶ月間ひたすら弟子としてこき使われ、同時に間近で篠ノ之束という人物を目の当たりにしたユーノの、直感であった。

 彼女はひたすらに傲岸不遜だ。それは同時に、どんな状況でも誰に対しても同じように接する、ということでもある。どんな勢力にも与さず、ただ篠ノ之束として自分の思うがままに動く。それが彼女のやり方だった。だが、今日は何かがおかしい。いくら腹芸を使うにしても、それだけの理由で、束本人の高すぎるプライドが、果たしてあの急激な変節に耐えうるものなのだろうか。

 

「らしくないよ、教授」

 

 いつか言って、大いに束の不興を買った台詞を、敢えて今一度口に出す。それはユーノなりの挑発であった。

 天才の高慢ちきなプライドを利用して、怒らせることで自分のような凡人と同じフィールドへと落っこちてもらう。そう表現すると、少々卑屈すぎになるだろうか?

 思った通りにスキップするような歩みを止めて此方を振り返ること無く静止する動きが、いつもとは違い予測から一片足りとも外れていなかったので、そんなことを考える余裕まで出来た。

 これまで、彼女の無茶を受け止めるだけで一杯一杯だったのに。

 

「ユーノ君、私言ったよね。らしくないなんて、そんな分かったような台詞吐かないでって」

 

 その言葉すら何処か上滑りするようで、空虚だ。問いを適当に投げやるような答えにも聞こえてしまう。

 確か自分と束は、教授と助手というごっこ遊びのような関係で、いつ無くなるか分からないような間柄だ。でもそれはそれなりに、自分の問に対しては一切手抜きせずに答えてくれていたというのに。今はそうでない。束は自分から逃げている。

 そう思うと、ユーノは何だか怒ってしまう。いつも理不尽さや強引さに感じるそれとは違う、もっと深い、心の奥底から来る怒りを。

 

「あの時とは状況が違うよ。僕もあれからまた随分教授に使われて、多少なりとも教授がどういうことを考えて行動しているのかは分かっているつもり、いいや、分かっているはずさ」

「そんなこと無いよ? どうあがいたって、私は君とは分かり合うつもりはないもの。なのちゃんとちーちゃんと、君は違うよ? 友達でも何でもない、一時契約の助手なんだから」

 

 無碍無く突き放されてもユーノは挫けない。それどころか、どうせ何を言っても取り付く島もないのだから自分で勝手に話してしまおうと決意し、去りゆこうとする束の背中に向かって叫ぶように声を張った。

 

「教授があの時、僕に伝えた転移座標。あれ、もしかしてこの地球じゃなくて、別の次元に繋がるものだったりしないかい?」

 

 ウサミミの揺れは、三歩進んだだけで止まった。相も変わらず後ろを向いたその表情は分からないけれど、その仕草で今の指摘が図星だということは分かる。

 

「そうなんだね? 僕もあの後、なのはたちとジュエルシードを確保しようとしたり、管理局に事情を聞かされたりで、すっかり忘れていたけどさ。教授が変なことをし始めたから、もしかしたら転送した場所に原因があるんじゃないかと思って」

 

 お使いを命じられるようになってから今まで、使ってきた次元転移座標は全て頭の中に入っている。多次元理論を元にして算出されるそれは、0からfの十六進数のみで構成されると言ってもなお凄まじい桁数だ。

 しかし、一度束が異常な行動を取り始めた直後、ユーノは自分の持つマルチタスクのリソース、その大半を割いて今までの転移座標全てを分析し始めていた。今日の昼まで通常運行だった束が、自分が転送した先でおかしくなったとしか思えなかったからだ。

 今までの座標をA、今回の座標をBと分類して、どのような差異が存在するか。アースラから出た後もずっと思考し続けていたのだが、ここに至って漸く答えが出た。

 今回知らされた座標は、地球上のどこでもない。明らかに地球外の、次元空間に浮遊する構造物への転移である。

 

「それに、もう一つ当てようか。教授はあの時、フェイトの本拠地へと転移した。どうやってかは知らないし、僕が潜入していた時に聞いた覚えもないけど、教授は何かをして、フェイトから転移座標を聞き出した。ううん、教授のことだし、頭の中を覗いたりするくらいはやったかもしれない」

 

 まだ肌寒い春の夜に、一陣の風が吹き、赤紫色の長い髪が揺れた。

 

「別にそれはいいんだ。教授のことだし、僕は助手だから、止めようとは思ってない。僕が怖いのは――教授が、大切な友達の思いを裏切ろうとしているんじゃないかってことだ」

 

 ユーノはこの3週間、束がなのはにくっついたり、千冬に追い掛け回されていたりする光景を、すぐ側にいて飽きるほどに見てきた。だから、その時の束の顔が、研究に一心不乱に打ち込む時と同じくらい、もしかするとそれよりもずっと楽しげに笑っていることにも気づいていた。

 これがもしなかったら。彼女の楽しみが穴蔵に引き篭もっての研究のみであるとすれば、彼女の精神はどれだけ鬱屈に歪んでいたことだろう。

 ひょっとすると、自分が来る前にこの世界くらい、彼女の癇癪で真っ二つに割れて無くなっていたかもしれない。馬鹿げた妄想だが、彼女が全力を注ぎ込んだら何が起こるのか考えてみれば、そんな空恐ろしい思考も出来てしまう。

 

「僕が言うのも何だけどさ……友達って、大切にした方がいいよ。自分のことを考えてくれてる友達を、裏切っちゃいけない。教授としては、やっぱりなのはや千冬のことを深く考えて、今みたいな事をしてるのかもしれないけど――それで二人の気持ち踏みにじったら、それってやっぱり、良くないよ」

 

 堰を切ったように溢れる言葉が、自分でも不思議なくらいスムーズに発せられる。

 どうしてだろう。どうして僕はこんなはた迷惑な女の子に、ここまでお節介を焼いているんだ。

 迷惑なだけのはずなのに。

 付き纏われて、こき使われて、飽きたらポイっと捨てられるだけなのに。

 なぜだか分からないが、ユーノはまだ、ほんの少しだけ、束の助手でいたかった。

 

「……」

 

 沈黙が場を支配する。

 馬の耳に念仏、暖簾に腕押し。彼女の性格を考えれば、ユーノが今言っているような言葉は正しくそれに当てはまる。モラルを完全に無視する人間へ、モラルで以って説教するのだから。

 だが。

 届かないはずの言葉は、どうしてか耳に入り鼓膜に響き、只の波長としてではなく、意味のある単語へと変換され、解釈されたようだった。、

 

「裏切ってないよ」

 

 漸く振り向いた束の顔は、笑っていた。

 いつものどこか紙で貼り付けたように薄っぺらい笑いとも、小馬鹿にするような皮肉っぽい笑みとも違う。

 本当に、年老いた教授が不出来な弟子を窘めるような、困ったようで優しい微笑。

 

「なのちゃんも、ちーちゃんも。裏切るつもりなんかないよ」

「でもっ! だったらどうして、敵の本拠地なんかに――」

 

 口元へ、人差し指が伸びて近づく。慌てて口を閉じたら、その真ん中に、指先がぴとっと触れた。

 しーっ、とジェスチャーされているようだった。

 

「私はね。なのちゃんが居ない世界なんて、ちーちゃんが居ない世界なんてつまんないんだよ。だから、二人と一緒にいたい。それから、二人に笑顔で居てもらいたい。二人のために、私はどんなことでもやるんだ」

 

 どんなことでも。

 稀代の天才が言うその言葉は、ユーノが立てたあらゆる理論をハンマーのように打ち砕く。

 

「……じゃあ、あれも、二人のために? 二人を、管理局に受け入れてもらうために?」

「うん。むしろ、それ以外の理由があるのかな?」

 

 正直に肯定される。だが、正直に言えば、ユーノは未だこの謎めいた少女のことを信用出来ない。不可解な態度、不可解な行動は、さっきから何ら変わっていないのだから。

 だが、少なくとも友達を貶めようとはしていない。それだけは、はっきりと理解できた。だから、ユーノにとってこの話は終わりになる。

 道を踏み外そうとしていないのが分かったのだ。手伝う以外に何も出来ない助手としては、一先ず、それで満足するしか無いのだから。

 

「……分かったよ。とりあえず、二人のこと、忘れてないのは分かったから」

「そっか」

 

 束は返答した途端、また顔を背けて歩き出す。その後ろで、ユーノは立ち尽くして少し悩んでいたが、結局後を追うように彼女のラボへと走ることにした。




状況が大きく動き始めます。

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