なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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篠ノ之束の空飛ぶサーカス(Ⅱ)

「サンダー・レイジ!」

「ディバイン・バスター!」

 

 同時に放たれる、金とピンクの閃光。片方は空間全体に広がり、渦巻くエネルギーを抑えこむ。そしてもう片方は一気にそれらを貫いて、青い結晶の中へと封じ込めた。

 高町なのは、フェイト・テスタロッサ、両者即席の合体魔法。これまでろくに言葉をかわす事もなかった二人は、阿吽の呼吸というべき完璧なタイミングで制御と封印を同時にやってのけた。

 海の上からひと纏まりになって浮上してきた、6つのジュエルシードを挟んで、白と黒の魔法少女は向かいあう。固唾を呑んで見守るのは、周囲でフォローに務めたオレンジの狼、緑の魔導師。そして、遥か遠く、海岸線のぎりぎりに立って、唯一魔法を持たない織斑千冬もまた、二人の行く末を見つめている。

 

 それぞれの耳に聞こえていた、ひたすら続く小うるさい波と風の音は、最初になのはが発した声に掻き消された。皆、それだけしか意識していないのだ。

 

「フェイトちゃん」

 

 その場にあるすべての目が、なのはただ一人へと向けられる。感情に任せ飛び出し、今こうして様々に戦ってきたライバルと向かい合った彼女は、果たして何を為すのか。ジュエルシードを半分に分けるのか。それとも、また何かを賭けて、ぶつかり合うのか。

 なのはは言葉を紡ぐ。今度は話し相手の目も心も、自分の方へと向いてくれている。

 だから、伝えなければならない。自分がフェイト・テスタロッサという女の子に、果たして何が出来るか、何をしたいのかを。

 

「私ね、貴方と出会った時からずっと……考えてた。私は何をしたいのか。ぶつかるだけじゃきっと足りなくて、だったらその先に何が出来るのか。それで、やっと気づいたんだ」

 

 胸の震えを抑えこむように、手を当てる。言いたいこと、したいことは沢山あるが、それを全て出したら本当に伝えたいことは見えなくなってしまう。だから、精一杯考えて、見つけ出した答え、それだけを言うことにした。

 

「私……フェイトちゃんと、友達に」

 

 その時。

 ぞわり、とした言いようのない悪寒が、魔導師達の肌を撫でるように通り抜けた。それは単なる錯覚ではない。静まりまた凪いだ筈の空気に、再び魔力の波動が響き渡ったことを、全員が感じ取ったのである。なのはも、一旦発した言葉を差し止めて、杖を両手で握り、警戒の体勢を取った。ただ一人、フェイトだけが動かない。これから来るものをはっきりと予感し、しかしそれを信じることが出来ず 呆然と飛びつくすだけだった。

 

「これは……転移反応!? でも、こんなに大きな……」

 

 元から不安に揺れていた顔を更に青ざめさせて、ユーノは呻くように言葉を出した。転送魔法が来ることは簡単に分かった。問題は、それが今まで見たことも聞いたこともないような規模でやってくるということだった。

 同じく、此方は直感的に危険を感じた千冬が、しかし詳細までは分からずに問いただしてくる。

 

「大きい!? 何が来る! 説明しろユーノ!」

「な、何って……分からない! 次元航行艦でもない。それよりも、もっと大きい……」

 

 集った少年少女達を覆うように、上空から巨大な魔法陣が展開される。その色は、禍々しく濁った紫。雷と共にゆっくりと現れ出たのは、ちっぽけな子供たちを押し潰すくらい大きな物体だ。

 

「これは……遺跡!?」

 

 ユーノが見間違えたのも無理はない。黒い木の幹のような外壁に刻み込まれた年月は深く、青白い稲妻に照らされる巨体は、何者も近づけないような威圧感に満ちている。

 先の丸く底面の大きな円錐を反対にしたようなものが、全体の底部である、ということに気づくまでは数十秒掛かった。それほどに、転送速度は遅い。巨大な質量を処理するわけだから当然なのだが、唐突な登場からの遅々とした現れようは、恐怖を煽る意図的な演出にすら思えてくる。

 ふと横を見れば、そこに浮いているアルフは手をだらんと下げて肩も降ろし、ただただ目を見開いて、震えていた。どうやら、アレに見覚えがあるらしい。ということは。

 

 これが、敵の本拠地。今までフェイトを手先として、ひたすら裏に隠れていた事件の元凶が、遂に姿を表したということか。

 だとしたら、その標的は、ジュエルシードを持つ――

 

「なのはっ、逃げて!」

 

 叫びよりも早く、一条の雷光が、静止した二人の少女へと舞い降りた。

 しかし、それはユーノの予想を裏切り、縫針に糸を通すような正確さでもって、なのはではなく、同士であるはずのフェイトへと降り注いだ。

 

「ああああぁぁぁぁっ!!」

 

 直撃音と、悲鳴。間近に居たなのはの聴覚は、それのみに支配された。

 唯でさえ傷つき疲労していたフェイトの身体は、鞭を打たれるが如く更に痛めつけられていく。太腿から、腕から、次々に赤い線が生まれ、血が飛び散る。非殺傷ではなく、ともすれば彼女を八つ裂きに出来るほどの一撃だ。

 数秒間の攻撃が終わり、帯電しながら糸が切れたように落ちていくフェイトへ、なのはは全力で追いついて抱きかかえようとする。そして、海面ギリギリで、なんとかキャッチ出来た。

 

「ぅ、ぁ……かぁ、さん……」

 

 虚ろな目をしたフェイトの呟き。なのはには最初、それが母親へ助けを求める無垢な叫びであるように聞こえた。しかし、直後に響いてきた不機嫌な声が、その希望的な解釈を打ち壊した。

 

「全く、とっとと消えて無くなってくれればいいものを。フェイト。貴方はとっても、手間のかかる子ね」

 

 その言葉と同時に、今やその全容を表した巨大な構造体――時の庭園の中枢部から、封時結界が展開された。なのはとフェイトだけでなく、ユーノ達外野も巻き込んで、海鳴市の臨海ほぼ全てを覆う大規模な結界である。それは、転移してきたものを外界から隠すためだけでなく、その場に居る全てを閉じ込めて、支配するためのものだった。

 

「プレ、シア……」

「なんだって?」

「アレは、プレシアだ……フェイトの母親だよ……アイツ、ジュエルシードが全部揃ったこの時を狙って、こんなことを!」

 

「その通りよ。だから黙りなさい、薄汚い犬」

 

 第二撃。アルフはとっさに避けられず、シールドで防御をしてどうにか耐え抜こうとするが。この場合、攻撃する側の技量が防御側のそれより圧倒的に上回っていた。

 

「う、ぐぁぁぁぁっ!!」

 

複数展開されようとも、薄紙のように貫かれるシールド。再び響く電撃と叫び。

 人の形を維持できず、狼に変わりながら落ちていくアルフを、ユーノはチェーンバインドを器用に使いながら回収した。そのままなのはとも一緒に後退したかったが、しかし、二人分の重みを抱えつつ庭園の近くまで飛行するのは厳しい。ひとまずは、千冬の居る海岸線まで後退することにした。あそこなら落ち着いて防御を整えられるし、暫くは安全だろう。

 

「フェイトちゃん! フェイトちゃん!」

 

 なのはは悲痛な声で、弱々しく気絶した少女を抱きかかえながら、必死でその名前を呼ぶ。同時に、その身体に幾つもの傷跡や、ミミズ腫れが走っているのにも気づいた。何度も見た黒衣の下、綺麗だな、と思った外見の裏には、こんなに深い傷が走っている。きっと彼女の心も同じく、古傷に塗れ、痛みきっているのだろう。

 そう思うと、沸々と湧いてくるのは憤りの感情だった。フェイトが頑張ってジュエルシードを集めているのは、敵として何度も向かい合ったなのはにはよく分かっている。しかも、向こうはフェイトの母親だというのに。頑張る娘にこんな仕打ちをする母親なんて、なのはの記憶には存在しなかった。

 

「どうして!? どうしてこんなことを!?」

 

 だから、問う。このような状況下でも、なのははその理由を知らずには居られなかった。

 以外にも、答えはすぐに帰ってきた。

 

『簡単なことよ』

 

 今や着水し、底部を殆ど海上へと沈めながら、幾つもの刺のような柱とひときわ大きい円柱で成り立っている上部を見せた庭園。その随所に埋め込まれている紅い球体から、青くぼんやりとしたホログラムが映し出された。

 いかにも魔導師然として、しかし胸元を大きく開きへそや太腿が露出しているローブに、外側が黒く内側が紫色のマント。シンプルな作りの杖を振りかざし、状況の全てが自分の思うがままになっている事に残酷な笑みを浮かべながら、プレシア・テスタロッサは姿を表した。

 

『あの子は、フェイトは私の娘ではない。本当の娘は……ここにいる、アリシアだけ』

 

 ホログラムに、今度はカプセルのような物体が現れる。その内部に浮かんでいるのは、今なのはの腕の中にいるフェイトと瓜二つの身体。まるで時計を巻き戻して縮めたように小さいが、しかしそれでも、顔はまるで区別がつかない。

 月村家の姉妹だってここまでは似ていない、となのはは考えた。あれもそっくりの部類には入るが、それでも見分けが付くくらいの僅かな違いがある。しかし、あの虚像とフェイトの顔を分けるのは、さっき付けられた深い傷だけ。

 まるで、鏡に写したようにそっくりだ。

 

「かあさん、なに、を……」

「フェイトちゃん、気がついたの!?」

「あら、まだ意識があったの。まあ、いいわ」

 

 先程から響く声に反応したのか、フェイトの目が開く。弱々しい声で目の前の母親の虚像に救いを求めた。

 

「そんな……嘘だよね? 私が、かあさんの娘、じゃないなんて……」

『物分かりが悪いわね。アリシアを見なさい? これこそ本当に私が産んだただ一人の娘。我儘も沢山言ったけど、いつも私に優しかった。だから、私はアリシアを取り戻す、そのためにはジュエルシードが必要で、だから「それ」を利用したの』

 

 まるで今プレシアが宣言したことを、悪い冗談として否定する。

 しかし、悲痛な訴えは真正面から打ち砕かれ、フェイトの精神とともに、粉々に崩れてしまう。

 プレシアはフェイトを、それ、と言った。人としてではなく、モノとして。それは、この場にいる誰にも、理解出来ない価値観であった。

 

『フェイトはアリシアのクローン。アリシアの代わりにするために作って、それが出来なかった壊れた人形。結局、丁度いい廃物利用だったけど……もう、お終いね』

 

 そう嘯くプレシアの手には、フェイトのバルディッシュから回収した6個と、宙に浮かんでいた6個、計12個のジュエルシード。なのはが持つ9個以外のジュエルシードは、完全にプレシアの手中へと収まった。

 つまり、人形はもう要らない。

 

「ぁ、ぁ、ぅぁぁ……」

 

 フェイトにはその理屈が理解できた。でも、言わないで欲しい。

 そんなことを言われたら、今まで自分はなんのために生きてきたのか分からなくなるから。魔法の勉強をして、『お使い』のために色々な世界を巡って、戦って。時には罪も犯して、でも母さんは笑顔を見せてくれない。

 今、自分を抱きかかえている子にも酷いことばかりした。斧で斬って、鎌で引き裂いて、雷で打ち砕いて。でも今、自分を抱きかかえてくれる程に、優しい女の子。

 彼女に酷いことまでして、痛いこと辛いことも沢山我慢して、ジュエルシードを集めたのに。そしたら、褒めてくれるんじゃなかったの? 昔に見せてくれた、あの優しい笑顔を本当に見せてくれるんじゃないの?

 

 そう、記憶。私は記憶している。優しいプレシアを、自分の母親であるはずの――いや、これは違う。単なる記憶だ。朧げな、忘れ去ってしまいそうな記憶だ。実体験ではない。私は本当に母さんの笑顔を、見たことはない。記憶と体験は違う。

 

 だから、理解する。目の前で母さんがしがみつく、カプセルの中の『自分』を見て。都合のいいように無意識で書き換えていた記憶が、真なる記憶へと変換されていった。

 

――フェイトは、本当にいい子ね。

 

――〇〇〇〇は、本当にいい子ね。

 

――()()()()は、本当にいい子ね。

 

 ああ、そっか。母さんの言う通りだった。母さんの一人娘は、私じゃなくて、アリシア。カプセルの中でずっと眠っていた女の子。

 

 フェイト・テスタロッサは、アリシアの写身。何もかもが、アリシアの借り物。母親も、ペットも、そして優しく甘い記憶すら――。

 

『折角アリシアの記憶をあげたのに、貴方は全てが駄目だった。だから私は――』

 

 ああ、でも駄目。そんなことを言わないで。私が私で要られなくなる。私が、母さんの娘の私が、消えてしまう。

 そんなフェイトの想いを踏みにじるように、プレシアは憎しみに満ちた顔で告げた。

 

『あなたを作ってからずっと――あなたのことが大嫌いだったのよ』

 

 フェイトの中でずっと張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。それを最初に感じたのは、絶望に精神を浸らせたフェイト自身ではない。辛い話に身を震わせる彼女を、ずっと両手で抱いていた、なのはだった。

 

 そのまま崩れ落ち、自らのデバイスであるバルディッシュすら取り落としかけたフェイトを、自分の体温を分けてやるように優しく抱きかかえる。そして、体内の魔力を殆ど使い果たしていることを示すかのように、足元で弱々しく点滅するピンクの翼を懸命に羽ばたかせ、地上のユーノの元へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、はるか遠くの次元空間で、事態を静観していたアースラは。

 

「エイミィ、復旧はまだか!」

「待って、あと、後ちょっとだけ……!」

 

 次元跳躍攻撃の余波で、艦内全体が一時的な機能不全に陥り、この緊急事態に即応出来ないでいた。

 クロノの焦りに満ちた声が、直属の部下にしてオペレータのエイミィを急かす。その右手には、既に展開形態となったデバイス、S2Uが握られていた。転送システムさえ復旧すれば、すぐにでも現場へ突撃していくだろう。

 リンディの顔は、まだ平静を保つ事ができていた。無論その内心は、驚愕と焦りで押し潰されそうな程に追い詰められていたが、クルーの目の前で艦長が調子を狂わせてはいけない。どんな時でも平常心に、状況を分析して決断を下す。それが艦長としてあるべき資質なのだから。

 

 それにしても。悔しいがこれは予想外だったと認めざるを得ないだろう。いくらジュエルシードが全て集まる場とはいえ、まさか使い走りのフェイトだけでなくプレシア本人が出てくるとは。プレシアの独白を聞けず、未だフェイトがプレシアの実の娘だと思い込んでいたリンディにとって、娘を信頼していない母親というのはまさに想像の範疇外であった。

 現場には分厚い多重結界が貼られ、今や内部の様子は何も分からない。だが、転送魔法で舞い降りてきた敵の本拠地は、要塞じみた構造体である。魔力の大半を消費したなのはと、後衛であるユーノ。そして本来非戦闘員として割り振られて然るべきはずの千冬が、どのような窮地に追い込まれているのか。

 全ては艦内が復旧した後、クロノと武装局員を転送して結界を破壊してみなければわからない。

 

「後5秒で、システム復帰します! 3、2、1……!」

 

 コンソールを叩いていたエイミィが、切羽詰まった声で宣言する。カウントダウンが終わると、艦内の電力が一斉に戻り、暗闇に包まれていたブリッジにも明かりが戻った。

 

「執務官! 武装局員と共に直ちに現場へ向かって下さい」

「了解です!」

 

 リンディが指示し、クロノが勇躍して大型の転送ゲートへ走り出そうとした時。

 

「待って下さい艦長! クロノくんも!」

 

 艦内システムのある異変に気づいたエイミィが二人を止める。焦る気持ちを冷や水で差し止められたクロノは、今度はエイミィの元へ駆け寄り、怒鳴るように状況を確認する。

 

「今度はどうした!」

「アースラのシステムがおかしいの! ……艦長! 転送が、転送ゲートの管制システムが何者かによって凍結されています!」

「なんだって!?」

「そんな……!」

 

 それと同時に、他のオペレータからも次々と悲鳴混じりの報告が届く。

 

「航行システム、制御不能! エンジン出力20%に制限されています! これでは最低限の航行活動しか出来ません!」

「レーダーも録に動きません! サーチャーだって封じられて……これじゃあまるでめくらだ!」

「艦内警備システムに異常! 此方側からの問い合わせに応答しません!」

 

 この状況は、一体どういうことなのか。クロノは必死に推測し、やがて、絶望的な可能性に行き当たった。

 

「まさか……ハッキングか!?」

「嘘っ! そんな、管理局の艦船のファイアーウォールに通じるハッキングなんてっ!」

 

 エイミィには信じられなかった。管理局の次元航行船は、現代の魔導工学だけでなく、電子工学の粋を結集して作られている。いくら大魔導師とはいえ、それをやすやすと抜いてシステムに干渉するハッキングを行うことは不可能に近いはずだ。

 だが、現に今、アースラのメインコンピュータは完全にクルーのコントロールから外れている。

 リンディの決断は流石の素早さだった。

 

「エイミィ。全システムの強制シャットダウンを」

「りょ、了解! 強制介入コード、入力……駄目です! 此方側からの操作を全く受け付けません!」

 

 しかし、エイミィが神速の早さで打ち込んだ49桁のコードはたちまち無効化される。電源を切断しようとしても、応答なし。悲鳴混じりの報告を挙げながら出来る限りの手段を試してみるが、一度自分の手から離れたシステムを取り戻すのは至難の業だった。

 

「もしかして、あの攻撃はおとり……いえ、布石だった?」

 

 リンディは誰にも聞こえない小声で呟く。あの次元跳躍攻撃は雷撃。それは、アースラのメインコンピュータのシステムを、ほんの数十秒間ダウンさせた。そう、ほんの数十秒。それでも、その隙にシステムと同じくダウンした防壁をかいくぐり、ウイルスを仕込む事は不可能ではない。

 つまり、敵は最初から、この状況こそが狙いだったのだ。

 

「艦内全てのドアにロックが掛けられました! 隔壁も全て……閉鎖されていきます……!」

 

 トドメとばかりに伝えられる報告。これで、アースラクルーは各個に分断されて身動きが取れない状況だ。隔壁を手動で開こうにも、ロックを解除するにはかなりの時間がかかるだろう。既に作業にとりかかるクルーもいたが、彼ら以外は何も出来ず、ただ無効化されたコンソールを見つめることしか出来ない。

 結界の中で孤立した、なのは達民間協力者の救助も、これでほぼ不可能になった。

 

「くっ!」

 

 ガン、拳を壁へと叩きつける音。そのクロノの行いを、責める人間は居ない。艦内の誰もが、同じような気持ちだったからだ。

 身動きがとれない。すぐ側の世界で、敵の首領が仲間を襲っているというのに。その絶望と悔しさで、誰もが無言のまま、沈黙がブリッジを支配していた。

 

「クロノ」

 

 いち早く復帰したのは、艦長であった。

 

「一応、やらなければならないことがあるわ。デバイス整備室にいる束さんに、状況を伝えましょう」

「艦長」

「彼女には自分のお友達がどうなっているか知る権利があるわ。それに今頃、すべての機械がダウンした個室で心細い気持ちになっているでしょうし。私たちに出来るのは、それくらいしかない」

 

 皆、協力者の中でも一番元気で、快活だったウサミミ少女のことを回想する。

 彼女はアースラに寝泊まりしていて、艦内の仕事を進んで手伝ってくれていた。例えば、オペレートをしているエイミィに紅茶を出したり、資料室での探しものの手伝いをしたり、メインエンジンルームの点検から帰ってきた局員に冷たいアイスを出したり。

 そして今も、整備室を使ってデバイスの整備を手伝ってくれていた。

 高町なのはの友達らしく、とても実直で気の回る、礼儀正しい女の子だった。

 そんな彼女に、今その友達が絶望的な状況に陥っているのを伝える。悪魔になり切るようなその役割に、クロノの心も流石に躊躇い、なかなか通信を発せられない。

 結局、リンディが直接、通信を繋げることにしたのだが。

 

「え……?」

「艦長、どうしたんですか?」

「応答がない? どうして?」

 

 数秒後、同じ部屋にいるはずの整備主任マリエル・アテンザや、他の船員へと問い合わせたリンディは、思いもよらぬ事実に気づき、今度こそ驚愕に目を見開いた。

 

「いない……艦内の何処にも居ないですって!?」

 

 謎めくウサギは何処へ消えたか。

 答えは、嵐の中にある。

 




次回は10/21(火)18:00更新です。
さてさてどうした束さん。どうする、なのはちゃん!
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