「……あはっ」
言葉が漏れた。ビデオカメラを持つ手が震える。いけない。既に定点カメラ、自動操縦のヘリカメラなど、二十数個のレンズであの光景を追っているが、それでも自分の手で撮るこの光景をブレさせる訳にはいかない。
両手でカメラをガシっと抑えた。しかしそれも、数秒後には地震の最中のように震えまくる。心の震えが身体に反映するなんて、初めてだ。
「ああ、あ、はぁぁ……」
目の前に、ピンク色の光がちか、ちか、ちか。そうして、光の柱が登る。その美しさに、思わず熱い吐息が漏れた。
その中で何が起こっているのかまるで検討がつかない。その事実だけで、心臓がカートゥーンのアニメのように、身体を突き破って吹き飛びそうになる。
それを抑えようとして左胸を手で抑えると、年に似合わず膨らみかけている胸が鷲掴みにされ。
「はぁぅっ」
と、緊張に似つかわしくない声が出てしまった。
一体何をやっているのだろう。目の前には、既存の科学や常識をひっくり返すような現象が起こっているのに。
光の柱がバラバラに砕け散る。そして現れたのは――白い悪魔。
私の仮定したつまらない世界の壁を打ち砕き、未知なる混沌の世界へと誘惑してくれる悪魔。
――ふぇっ、え、な、なにこれぇっ!?
――やった! 成功だ!
驚いている彼女が持っている杖は、一体何処から現れたのだろう。
彼女の服装は何故より白く派手になっているのだろう。その材質は? 構造は?
盗聴器から聞き取れる少年の声は、一体その場にいる誰が発したものだろう。フェレットしかいないのだが、小動物の発声器官でどうやって複雑な人語を発しているのだろうか?
「ああっ、ふぁ、あ……」
考える。頭の中に詰まっている既存の知識や理論をフル回転させて考える。でも理解できない。
彼女が今対峙している怪物もそうだ。その跳躍力、耐久力、どれを見ても、生物学なんて当てはめるのがバカバカしいくらいのおかしさだ。
――落ち着いて、あいつを封印するんだ!
――そ、そんなこと言われてもっ!
オカルトだって参考にならない。つまらない人間の想像力を、はるかに上回る超常的存在。
大体、怪物が保有しているエネルギー量はどうだろう。脳内で計算してみたら、なんと、この町を十回消滅させてなお余りある程だ。それがあんな小さな不定形生物に収まっているのはどうしてだろう。
未知の論理、未知の数式。
その仔細、それによって成り立つ世界を妄想する度に、お腹の奥がずきずき疼く。
未知。この世界のどこにも存在しなかった現象。それは無限の可能性。
考えられる全てを予測し演算すると、たちまち頭がパンクして、沸騰したような熱が身体全体に伝搬する。
「あ、すごい、す、ご、ひぃ」
ふと気づくと、全身が汗でびっしょりと濡れていた。
ドレスの中はきっと大惨事だ。
――ええと、とりあえず……きゃっ!
そして、撮影対象が動いた。目の前の黒い怪物に襲い掛かられて、慌てて避難したようだ。
それに合わせてカメラを動かそうとしたところで、足がもつれて倒れてしまった。
「うあっ、ぅぅ」
転げた勢いで、大好きなウサミミのカチューシャが外れる。夜の冷えた、しかもゴツゴツの路面が痛い。それでもカメラと、自分の目を眼前から離すことは出来ない。膝立ちになって注視し続ける。
皮膚に残る痛みすら、今は何だか気持ちがいいし。
――今だ、封印を!
――う、うん、やってみる!
戸惑いから転じ、覚悟を決めて一気に真剣になる彼女の顔。それはとても美しくて、思考の熱が渦巻く身体が更に燃え上がって、意識が溶けてしまうようだった。
決然とした表情で構えられる杖、その先端に光が宿り、暗黒物質の化け物を四方八方から絡めとる。
そして。
――リリカルマジカル!
呪文なのかそれとも認証コードなのか、とにかく少女らしい叙情的な呪文が聞こえた後に、真っ黒い怪物は何の脈拍もなく姿を消した。
さっきまで感知されていた、測定器が振りきれるほど膨大なエネルギーはどこに消えたのだろう。まさか、全部杖の中に入っているのだろうか。
ああ分からない。分からない、分からない。
自分は天才なのに。この世界で理解できないものなんて無かったはずなのに。
それが楽しい。
それが嬉しい。
それが――とっても、気持ちいい。
「うぁ、あ、あ、あっ――!!」
お腹の奥の奥から湧き上がった衝動が全身をわななかせ、身体に溜まった熱が一気に発散し、ついに私は辿りついた。
これが、これが私の待っていたもの。モノクロに見えていた世界が、彼女の発したピンク色の光を軸に、テクニカラーで一気に色彩されていく。
ウサ耳の外れた、水色ドレスの私はドロシー。
ハリケーンのように破天荒な少女が、私を魔法の国へと連れて行ってくれる。
その先には、黄色のレンガ道もエメラルド・シティも、きっとあるはずだ。
「あははははは、あははははは!」
笑う。子供は笑うものだけど、私は全然笑わなかった。
9年間そうだったのを取り返すくらいに、今、私はひまわりのように笑っている。
だって、ここは夢の世界だもの。女の子がどれだけ笑っても、文句なんて言わせるものか。
「あはははは、あは、あは、あはははははは!」
私はそのまま走り寄る。真っ直ぐ、出来たてホヤホヤの魔法少女の方へ。
「え、束ちゃん……?」
戸惑うなのちゃん。その顔も可愛い。でも、今はそれより先にやるべきことがある。
両手を広げて走りながら、すれ違い様に――別の世界からやってきたフェレットを回収した。
「ちょ、ちょっと!」
引っ掴むとキューキュー何か喚いたがスルー。こいつには聞きたいことが山ほどあるのだ。
束さんは謎を謎のままで終わらせることはしない。魔法について、あのエネルギー結晶体について、なのちゃんの持つ杖について。
全て根掘り葉掘り聞き出して、自分のものにしてやる。
自らを偉大だと偽り、魔法という名前だけを借りて偉ぶるような、何の力も持たないただの発明家には、絶対になりたくないから。
「あーっ、束ちゃん、それ私のペットになるんだよ!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、多分3日ぐらいすれば、全部理解して用済みになると思うし! それに、色々するけど、ちゃぁんと怪我は直して、五体満足にして返すから☆」
「え、ちょ、なんなの君、怖いよ、凄い怖いんだけど!?」
見当外れな心配をするなのちゃんだけど、私の一言で安心したみたいだ。
「そっか。束ちゃん獣医さんにもなれるんだね! じゃあ、お願い。でも、私のペットなんだから、なるべく早く返してね?」
「え」
あっけなく見放されて間抜けな声を出すフェレット。
当然だ。出会い立てのペットと、三年目の友人にして天才束さん。どっちがより信用できるか、小さい頭で考えてみるといい。
「あいあいまむまむ! さぁ、私のお友達を大きなお友達アーンド私好みにコーディネートしてくれたフェレットくんはラボにしまっちゃおうねー!」
「だ、誰かー! 変態です、それも大分特殊な部類の変態です誰か助けて!」
「鳴いても無駄無駄っ。大丈夫、ちゃんと質問に答えたら、束さん特製の赤クリームをたっぷり食べさせて、ちゃあんと馴致させてあげるから☆」
「なんかそれ凄い凶悪そうなんだけど! 助けて! キュー! キュゥゥゥゥ!」
魔法少女の格好のまま立ち尽くすなのちゃんを置き去りにして、フェレットの悲鳴を町に響かせながら、私は止まらずに走り続ける。
だって、全てはこれからだもの。
可憐な乙女の周りで起こる、楽しい楽しいおとぎ話は、ここから始まるんだから。
ノープロットで書いているので、いつ更新が止まるのやら。まあ、いつものことですけど。
前回のより圧倒的に短いですが、アレは二話分を一つに纏めて投下したみたいなものなので全く問題ありません。