なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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来週(土曜日とは言っていない)


軽歌劇の終演(Ⅱ)

 それは、まだ時の庭園が、あてもなく次元空間内を漂っていた頃。

 プレシア・テスタロッサが事あるに備え、丹念に構築してきた防御機構をいともたやすく突破し、瞬く間に本丸へと乗り込んできた篠ノ之束は。

 

「貴方が何をしたいのか知りたいな。ジュエルシードを手に入れて、それから一体何をするつもりなのか。ただ願いを叶えるなんて、つまらない使い方はしないでしょ? 大丈夫、守秘義務は守るよ。ユーノ君にも、管理局にも言わないから……ね、お話、聞かせて?」

 

 科学者として、プレシアの功績を認め、親近感すら抱いたようだった。

 なんとも素っ頓狂な話だが、プレシアにはそれが至極当然のことであるように感じられた。

 篠ノ之束が『天才』だったからだ。ただ自称しているだけではない。フェイトの記憶を読み、そこから時の庭園の座標を掴んで転移する。そんな、双六のコマを指で弾いてあがりのマスまで飛ばすようなイカサマを、ついこの前まで魔法の無い世界に住んでいた、たった9歳の女の子がしでかしたのだ。

 この、状況を無視して裏返すような暴挙を行える存在を、天才と呼ばずして、なんと呼ぶか。

 

「いいわ、話してあげる」

 

 フェイトからの報告や自身の調査によって、自分たちに敵対している人物については概ね把握している。プレシアは束が天才で、高町なのはという同い年の少女を溺愛しているということも知っていた。

 

 だから、プレシアはかつて誰にも打ち明けられなかった計画と、そこに行き着くまでの経緯も、思う存分に語る事ができた。

 

 

 若い頃から天才だ、ミッド機械工学の若き俊英だと褒めそやされていたプレシアだが、本人の心はその明るさからは程遠かった。

 彼女の周りの人間は、肩書だけを見るか、肩書を先入観にする。そして、彼女に対して一線を引く。それはプレシアにとって、何より不快なことだった。

 だから、若くして結婚なんてこともしてみた。相手の男は同僚の、彼女ほどではないにしろ優秀な科学者で、客観的に見れば過不足無く自分を愛してくれた。それでも、彼女の心の中で何かが満たされない。

 ある時プレシアは、夫に問いを投げかけた。自分がもし科学者でなく、何の取り柄もない女の子として生まれてきたら、果たして貴方に出会えたかしら、と。

 彼は答えた。それはありえない。

 どこまでも科学者然とした答えだった。確かに理屈で考えればその通りだ。科学にしか興味のない彼は、同じく科学の道を進んだ自分としか結ばれ得ない。

 だが、その答えで彼女は冷めた。伴侶に選んだ者の愛ですら、プレシア・テスタロッサではなく、科学者プレシアに依って立つ概念であったのだから。

 

 そんな時に、アリシアが生まれた。

 自分のお腹の中から生まれ出た命は、自分が天才であろうと、凡人であろうと愚鈍であろうと、そんな事はお構いなしに自分を求める。お腹が空いたら食べ物を与え無くてはならないし、着替えも他人任せ。好奇心が強く、目を離すとすぐに危ない所へ近づいてしまう。そんな手のかかる娘だけが、研究者でもなければ魔導師でもない、プレシア・テスタロッサという個人を求め、愛してくれた。

 

 だから、アリシアが生まれてからの五年間は、プレシアにとって忙しくも満たされていた時間だった。

 朝起きて、二人分の食事を手ずから作る。理工学の知識はすぐに覚えるプレシアだが、料理のレシピ一つ習得するのに一週間も掛かったのはいい苦労話だ。

 食べればすぐ仕事場に行く。場合によっては朝から、テーブルにラップがけの食事だけを残して行かねばならないのはとても心苦しいことだった。

 長い仕事だが、時折合間合間に家へ電話をかける事も出来る。不定期だがある程度固まっているその時間を、アリシアは何となくだが覚えているようで、遊びやお昼寝で電話に気づかないことは全く無く、いつもリニスと一緒に笑いかけてくれた。

 仕事を終えて帰るとすぐに夕食を手がけお風呂へ入れさせ、いつまでも遊び続けたがるのを引き止めて寝かせなければならない。ようやく解放されるのは夜も更けてきた頃で、明日の仕事も考えれば自分の時間など殆ど残らない。

 そんな風に、本来二人で足並みを合わせる所を一人で行うのだから、プレシアにはかなりの負担がかかっていた。

 しかし、朝起きた時、出かける時、電話中、帰宅、そしてお休みのキスで。

 アリシアが見せてくれた心からの笑顔と何にも染まらない心からの言葉は、苦労を補うどころか、プレシアにとって初めての生きがいだった。排煙だらけの街の空に、一条の風が吹いたら見える、雲の切れ間の陽光だった。

 

 それが。

 

「壊れてしまったの」

 

 そんな日常が壊れた時、プレシアもまた壊れた。心の中にある何かを、自分とその他の常人を繋ぐ僅かな一線を失ってしまった。

 

「貴方がまだ、壊していない。失っていないものを、私は手の内から零してしまった」

 

 それは、愛する人。

 自分たちのような天才は、誰を尊敬することもしないし、卑屈に媚びへつらうこともしなければ、虐げることもしない。そうするだけの価値を、他人に持つことが出来ない。けれど、愛してくれる人を、愛することは出来る。自分を慕ってくれる人、異常な才能を受け止めて、もしくは無視して見てくれる人の目を、見つめ返すことは出来るのだ。

 

 プレシアが愛していたのは、アリシア・テスタロッサ。

 そして篠ノ之束が愛しているのは、高町なのは。

 

「ねぇ、似ていると思わない、私達?」

「…………」

 

 プレシアの問いに、束は何も口にせず。

 只、唇の端を吊り上げ、しかとプレシアを見つめるのみ。

 だが、プレシアは理解した。

 

「……今更、語るまでもないということね」

 

 そうでなければ、束にとってプレシアは路端の小石にしかならない。只蹴散らし、踏み倒して、蹂躙するだけの存在。直接会ってその人格や意思、真意を問い質すような手間はかけられまい。

 

「こうして会って話すという行為自体が証明になる」

 

 束から、今度はこくん、と肯定の意思。

 プレシアと、束は似ている。科学者としての才覚や、周囲に対して余り関わりを持たない世捨て人のような性格。そして、心の底から大切にしたい存在がいるということまで。

 そう感じたから、プレシアは大っぴらに自分の奥に秘めた熱情と執念の源を話せたのだ。

 

「あははー……やっぱり面白いねえ、貴女」

 

 プレシアが自らの事情について話すと、今度は束もなのはについての思い出を話した。

 彼女が、つまらない世界の中での一筋の光になってくれたということ。常に予測を飛び越えてくれるなのはは、篠ノ之束にとってただひとつの生きがいだということ。

 生きがいである。その一言にプレシアは痛く感銘した。

 

「そうね、そういうもの――見るに値し、聞くに値する拠り所がないと、こんなに浅ましく馬鹿馬鹿しい世の中、生きてはいけないものね」

「そう、そうなんだよ貴女。なのちゃんがいないとこの世界、とってもとってもつまんない」

 

 予測から一歩もはみ出さない定理、法則、意思、感情。そんな世界で生きていくことは楽だが、同時に耐え難い退屈さをも生み出す。身の回りで起きる現象も行動も、皆つまらない。若いころのプレシアと幼いころの束は、世界に全く同じ感想を抱いていた。

 二人にとって、同じ考えを持つ人間に出会うことは、全くの初めてだった。だからこそ通じ合う。だってそれは、ある意味ずっと一人ぼっちで生きてきた二人にとって、初めての同志だから。

 普通、自分と同じ事を考えている人間などそこら辺にごまんといるものだ。自分だけの考え、アイデアという特権意識はその殆どが幻想に過ぎない空手形。何もかもが同じなドッペルゲンガーだって、数億も集めてその中から探せば三人か、もしかするとそれ以上に現れるかもしれない。

 だが、天才という表現の閾値を超える人間は、滅多なことでは現れない。それも束のような、世界の殆どを読み切れるレベルの天才なんて、それこそ別次元にでも目を向けない限り現れるはずがなかった。

 しかし現に今、プレシア・テスタロッサはここにいる。束の心理と行動指針を、自らの経験から読み取り得た、『もう一人の天才』がここにいる。

 彼女は、篠ノ之束にとって初めての『同志』になろうと手を伸ばした。

 

「貴女は、私のようにはなりたくないでしょう?」

「そうだねえ。貴女のようになのちゃんと、それからちーちゃんまで失ったら、私は――」

 

 どうなるんだろうね、という言葉は、空気を震わせること無く口の中だけで反響した。

 なのはを失った世界で、二年前までのように只々惰性でもって生きるか。それともまた新しい生きがいを見つけるのか。もしくは世界に飽き、破滅的な行動へとひた走るのか。

 思考は無限の可能性へと伝播し、想像するが、それらはどれも暗い寂しい暗闇へと収束する。だから、束はそれを言語という形で具現化したくはなかった。

 それを察したプレシアは、だんまりを通す束に皆まで言うなとばかり手を差し伸べた。その表情には、恐らくは数年ほど浮かべていなかっただろう、慈愛に満ちた笑みすら表して。

 

「分かっているわ。だから、貴女を私の計画に誘っているの。つまらない世界の悪意やしがらみで彼女を失う前に、何からも解き放たれた世界へ行きたくないかしら?」

「何からも? 別の次元世界ということかな? もしそうなら御免被るね。どんな世界にもしがらみはあるし、因縁なんてのは、世界を飛び越えてもついてくるものだよ」

「ただの世界ではないわ。そこは――かつて滅びた文明の跡地。世界と世界の狭間に存在し、余人の介入を阻む墓標」

「その言葉、なんだか格好が付いてて大げさだねー」

 

 そう茶化しながらも、束の瞳はプレシアの顔に真っ直ぐ吸い付いて離れず、ウサミミは真っ直ぐ、プレシアの言葉に向けられていた。内部のスピーカーで逃さず録音しているのだ。

 

「言うほど、誇張でも何でもないのよ? 忘れられし都。その名は、アルハザード。そこには時を操り……死者さえも、蘇らせる秘術が存在する」

 

 アルハザード。かつて栄華を誇り、科学技術の極点であったそれは、今や次元断層の奥深くに沈んで、伝説やおとぎ話の中でしか語られない。常人がその名を聞けば、所詮誰ぞの妄想であると切って捨てる、眉唾な存在。だが、プレシアはその存在を大真面目に語っていた。

 

「そこへ行けば、アリシアを蘇らせる事ができる。けれど門戸は深く閉ざされていて、だから私にはジュエルシードが必要なのよ」

「恋する乙女が彗星に向かってするように請い願う――なんて、非効率的な手段は使わないよね?」

「ええ。私が欲しいのは願望機ではないわ。その中に篭っている莫大なエネルギーを全て開放することによって、次元断層を引き起こし、その隙間からアルハザードへの道を切り拓く。私は行くわ、禁断の地へ。アルハザードへ……どうかしら、この計画。貴女のお眼鏡に適って?」

「うん、気に入ったよ。特に、何だかんだ言って最後は結局力押しって所がね」

 

 法やら倫理やらをねじ曲げている計画、その最終工程の以外な素直さに嗤う束だが、その瞳は真剣そのもの。プレシアが長い後悔と煩悶の中で見つけた光明に、束もまた目を惹かれているように見える。だから、プレシアは最後のひと押しを掛けた。

 

「もし貴女が、貴女の友人を失いたくないのなら。つまらない世界の檻から解き放たれたいのなら。私の同志になりなさい、束」

 

 世俗から解き放たれ、失われた文明の遺物に満ちているアルハザードは、束やプレシアのような天才にとっては正しく理想郷である。俗人に関わることなく、未知への探求のみを考えていればいいのだから。

 また、世俗の些事から解放されるということは、束にとっても大きな意味を持つ。例えば、束は篠ノ之家の娘であるがために、未だ年幼く親の庇護下から離れることが出来ない。そのせいで、束の研究は時に大きく停滞する。今開発しているものにしても、ユーノという使い勝手のいい助手が居なければ、パーツ不足でどうしても仕上がらなかっただろう。

 その他に、なのはも千冬もそれぞれ「しがらみ」を持っている。それさえなければ、束はなのはと千冬と、ずっと一緒にいられる。それを邪魔する家族や学校、含めて社会なんて、天才には重りにしかならない不要物。

 なら、捨ててしまえばいい。そういう意味でも、何も無く、誰にも干渉されないアルハザードは束にとって理想的な環境だ。

 

「ふ、あははは」

 

 束は嗤う。ひたすら嘲笑う。プレシアの計画と行為を。脳内での計算では、この計画の成否は極めて低いと出ている。プレシアがアルハザードを観測できているかどうかは知らないが、次元世界の人類にとっても次元断層は未知の領域である。少しでも舵取りを間違えれば虚数の海へと真っ逆さまに落ちていくしかない。

 大体、目指す理由だって幼稚そのものだ。死んだ人間を生き返らせる? 自分とアリシアが、誰にも邪魔されない世界へ? それは、ただの逃避ではないか。死亡という事実を技術というペンキで塗りたくって覆い隠すのは、死者への冒涜に他ならない。二人きりで別世界へ赴くなんてのはそれ以下。単なる逃げだ。

 

「あははははは」

 

 そして、笑う。そんな下らない逃避に、同調している自分へ。なのはと千冬と、二人さえいれば後は誰も要らない、なんて考えている自分へ。

 しかし、その幼稚さは笑いものにはなるが。可能であって夢想でないなら、否定する理由は何処にもないのではないか。偉大な発見や発明はいつも、『空を飛びたい』というような単純で幼稚な欲望より生まれ出るものなのだから。

 

「アルハザード!? 失われし都!? なにそれ、すっごくバカバカしくて、すっごく面白そうじゃん! 私も行きたいな、こんな世界から抜けだして……なのちゃんと、ちーちゃんと一緒に!」

 

 内から湧き出る原初の欲求に打ち震えるような束の答え。プレシアはそれに満足し、細く色白な手を差し伸べた。

 

「共に行きましょう。こんなはずじゃなかった世界に、別れを告げて」

 

 束は、その手を握る。

 

 そうして、ここに二人の科学者は同士となり、来るべき時空管理局と、己の仲間をも騙し、ジュエルシード全てを暴走させて次元断層に道を拓くための計画を練り上げ始めた。

 

 まずは、ジュエルシード全てをプレシアの手へと齎す『状況』を作り出さねばならない。束の手によって、残りのジュエルシードの場所は海中だと既に把握されていた。これは、束の地下ラボに存在する「掴もうぜジュエルレーダー」の親機によるものだ。

 なのはやユーノに渡していたのは子機であり、高精度なレーダーを持つ親機は、事件開始から少し経った時点でジュエルシードの位置を殆ど完璧に掴んでいた。束は敢えて、子機に伝える情報を制限していたのだ。彼女お得意の自作自演の種は、この頃から既に撒かれていたのである。

 

 この情報を起点にして、まずはフェイトに命令を伝え、残りのジュエルシード全てを回収させる。一人の魔導師の分を超えた無謀な行為を見て、管理局側はまず様子見に徹するだろう。

 しかし、なのはたち地球の子供達は違う。フェイトを只の敵として考えず、分かり合いたいと思うなのはは必ず単独行動を取って現場に向かうだろうし、千冬とユーノもそれに続くはずだ。

 そうして、海鳴の海上になのは、千冬、ユーノ、そしてフェイトが、ジュエルシード全てと共に集まるという『状況』が生まれる。

 これこそ、プレシアにとっては絶好の機会。管理局に討ち入られば時の庭園の防御網は突破されるが、封印に魔力を費やした子供が数人だけなら問題はない。

 だから、時の庭園そのものを転移させて、プレシアの技量で硬い封時結界を展開させる。これで子どもたちは逃げ場を無くし、ジュエルシードは皆プレシアの元へと集まる寸法だ。唯一の不安要素は『状況』から締め出された管理局による結界の解除だが、そこは束が仕込む。

 

 まずは協力者として管理局の信頼を得ながら、艦内のメインコンピュータへ手製のプログラムを忍び込ませる。それは、プレシアの次元跳躍攻撃による動力停止と機能不全の最中に発動し、瞬く間にシステムを掌握。こうして、管理局は内部にいる魔導師部隊ごと無力化させられる。

 こうなればもはや誰にも遠慮はいらない。なのはと千冬を庭園内に確保して、そのままジュエルシードを暴走させ、次元断層の狭間へと跳躍を始めるだけだ。その余波で、地球を含む世界の2つや3つは消滅するだろうが、全てから解放される2人にとってそれは、何らの考慮にも値しない。

 

 完璧な計画だ。

 

 束の、人の心理すら容易に読み取れる異才。そしてプレシアの長年に渡る執念が撚り合わされて綴られた計画は、現在、その9割5分が既に成功している。

 

 

 

 

 そして、高町なのはに見せつけられた、プレシアと束の会見映像。危険を顧みず自分から庭園に飛び込んできた愚かな少女へ、この真実を見せつける事こそ、計画の最終段階であった。

 

 

 

 

 

 




次回更新は来週です。何時になるかは筆のノリ次第。

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