なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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軽歌劇の終演(Ⅲ)

 なのはは目を見開いて、プレシアとの合間の空間に投映された映像を見つめていた。

 張り詰めた空気を漂わせながらも、笑顔の束と、無愛想ながら僅かに表情筋を動かし、目の前の残酷な表情に比べれば楽しげにすら見えるプレシア。

 そんな、今までの常識を覆す映像を、なのはは何も言わず見つめていた。なにか言う体力が残っているはずもないが、唇を動かす仕草すら見せず、ただじっと、見つめていた。

 

「……どう? 面白かったでしょう?」

 

 更になのはを追い詰めるため、プレシアは言い放つ。それもそのはず。今でこそこうして自らの側に引き込んではいるものの、そもそも目の前の小娘がデバイスと魔導師を拾わなければ、事はもっと単純に運べていたはずなのだ。フェイトとアルフによって、海鳴中のジュエルシードを一週間足らずで集める予定が完全に狂ってしまった。お陰で管理局にも気づかれる。但し、なのはの存在が居なければ、プレシアが束と出会うこともなかったのだが。

 ともかく今のプレシアの心中、そこでのなのはの立ち位置は愛憎という分野で分ければ間違いなく憎悪に分類されている。そして溜まった鬱憤を晴らすべく、プレシアは露悪的な仕草とともに、なのはが信じていた束の隠された真実を暴いて見せたのだ。

 

「全ては仕組まれていたの。束はこの日から、今に至るまでの貴方達の行動全てを読み切っていたわ。人形相手に絆されて飛び出してくるのも、囚われて自棄を起こして突撃してくるのも……そして辿り着くのが貴女だけだということも、予見していたわね」

 

 プレシアは、ひたすら苛虐趣味じみた表情を浮かべる。まるで、大勝負にイカサマを仕掛けたディーラーが自信満々で揃ったカードをオープンするような心境だ。

 現場の実情を無視した上層部の、無茶で無謀な命令によって引き起こされた中規模次元震、そしてアリシアの死。その罪を纏めて被せられ、左遷や異動でトカゲの尻尾切りの如く切り捨てられるという屈辱的な処罰。

 その後、社会の表から姿を消し、アリシアを取り戻すためにクローン作成技術を研究する『プロジェクトF』に縋ったものの、文字通り身を削りながら進めた研究の末に出来たのは、アリシアではなく似ているだけの紛い物。

 数十年、悲壮で甲斐のない日々に命を費やし、今や果てる寸前の蜉蝣であるプレシアの内心に渦巻いている怒り、憎しみ、悲しみ、後悔――。雪解けの後の泥濘の如く内側に溜まっていた負の感情が、傷つきながら突っ込んできた真っ直ぐで純白な少女の心を汚そうと、痩せ細った身体からぬるりと滲み出ていく。

 

「貴女の努力も、お仲間の献身も、今居る世界の命運さえ……たった一つのペテンによって崩れる脆いもの。残念だったわね。もしここで奇跡が起こって、貴女が私を倒せるようになったとしても……その時貴女は、貴女の一番大切なオトモダチと戦わねばならない」

 

 目の前の少女に、そんなことが出来るわけない。プレシアはそう信じていたし、なのはも無言で肯定した。

 ああ、楽しい。天才として、無知蒙昧を嘲り笑う事が、ここまで楽しいことだとは知らなかった。もう少し早く気づけていれば、このつまらない世界に生きるのも少しは楽しくなったろうに。去る直前で気付いてしまったのは本当に残念だ。

 

「束は本当に苦労したと思うわ? 何も分からない貴女たちや、間抜けな管理局をつまらない演技で騙すのだから。きっと、貴女が単純だから上手くいったのでしょうね」

 

 スクリーンには今、互いに手を握り、計画の成功を誓い合うプレシアと束が映っている。なのはの顔は俯き、どのような表情をしているかは分からないが、きっと、今まで浮かべたことの無い虚脱と絶望に満ちた表情なのだろう。プレシアは想像し、喜悦した。

 

「それにしても、貴女は本当に友達思いのいい子ね……」

 

 かつ、かつ、とヒールの音が響く。四肢を縛られ、空中に吊り下げられているなのはへ、プレシアは徐々に歩み寄っていた。何をするわけでもない。ただ、なのはの顔が見たいのだ。

 大切な友達の裏切りを伝えられて、それでもさっきまでの挑戦的で生意気な態度が持続しうるはずがない。たかだか9歳のくせに、只のお節介で首を突っ込み、幾年も積重なった自分の執念を否定した、世間知らずの小娘。その本性を、プレシアは見たがっていた。

 プレシアが持つ、錫杖を思わせるデバイスから、年若い少女の甘ったるい声が発せられる。

 

「『なのちゃんは飛べるよ。その翼で、どこまでだって。その手で打ち抜けるよ、涙も、痛みも、運命も。だから、飛ぼうよ』……そんな、何処から飛び込んできたのか分からない録音で、わざわざ窮地に飛び込んでくるのだから!」

 

 アースラのなかで、未だ踏ん切りが付かなかったなのはの耳朶に飛び込んできた、優しく、温かい声援。それは束本人が発した通信ではなく、時の庭園から送られた、只の録音音声だったのだ。

 

「ふ、ふふふ、あははははは! そう落ち込まなくても、貴女は何も悪くはないのよ? なぜなら、貴女の決断も選択も、全てがペテンなのだから!」

 

 自分の意志や使命感で事件に飛び込んだなのはにとって、プレシアの言葉は何よりも残虐だ。

 

 戦いを好まないおとなしい少女だったなのはだが、この一ヶ月の間、必死に戦い続けていた。暴走体が相手なら、千冬に任せて後ろで封印だけをしていれば良かったが、フェイトが相手ではそうはいかない。空を飛ぶ魔導師の相手は、同じく空を飛べるなのはにしか出来ない。

 戦う時に怪我をすると痛くて、魔法の練習も辛いけど、自分に戦える力があるなら戦わなければいけないと思うし、無言で対話を避けるフェイトに自分の心を届かせるためにも、戦い続けたいと思っていた。

 それから、親に嘘を付いてまでアースラに協力し、家から離れて寝泊まりをする。そういう、子供にとっては重大な決断を、自分からするのは初めての事だ。なのは自身、自分がここまで大胆なことをするとは思っていなかった。

 そしてだからこそ、この魔法と戦いに明け暮れる日々は、自分にとって本当に重要なものになるのだと信じて疑わなかった。

 

 だけど、それは全て。

 

「全ては最初から、仕組まれていたこと! この状況に、貴女の意思は介在しない! 全ては私と、束の計画通りだった!」

 

 無言のなのはを尻目に、プレシアは狂い笑う。会社や研究機関に利用され続けだった自分の人生、使われつくし、ボロボロになった自身の心と身体、そのささやかな意趣返しのように。

 力尽き果てたなのはを嗤い、その情けなく惨めな結末を嘲笑う。

 

「ふふふふふ、ふははは、あはははははっっ!!」

 

 二人きりの空間に、只々声だけが反響する。その感情の熱狂に併せてか、プレシアの手元にある12個のジュエルシードがざわめくように点滅し、玉座の間に広がって円陣を作る。しかし、その円はまだ3分の1程度欠けている。埋められるべきは、残り8つのジュエルシード。

 ユーノがなのはから預かり、今頃は必死に守り続けているはずのそれらが、転移の儀式にはどうしても必要だった。しかし、そんなことはもはや些事に過ぎない。魔力の全てを使い果たした少年と、只腕っ節の立つだけの少女など、傀儡兵だけで簡単に制圧できるのだから。

 

「じきに、残りも揃う。そうすれば、私は旅立てるわ。永遠を保証する彼の地、アルハザードへ。そして、この世界は……滅ぶ」

 

 揃うのを待ちきれず活性化したジュエルシードは、プレシアの言葉を実証するかのように輝き唸り、空気を震わせる。辺りには魔力がたちまち充満し、その濃度は、大魔力を扱うことに長けているプレシアにすら、息が詰まるような錯覚を感じさせるほどだ。

 度数の高いアルコールの匂いが、嗅いだ者へまるで酔ったような感覚を与えるように、プレシアの気分はますます高揚していた。

 

「旅立つ前に、最高のショーを見せてもらってありがとう。今頃、ここの最深部で束もほくそ笑んでいるはずよ……ふ、ふふふ」

 

 プレシアは未だ笑い続ける。今まで彼女に根付いていた、暗鬱な心情を丸ごと裏返すように。

 だが、それもここまでだ。これからすぐに、ジュエルシード21個全てを制御する術式を構築していかねばならない。生意気な女の子一人を虐める暇なんて、何処にも存在しないのだ。

 落ち着いて、冷徹さを取り戻すように切り替えねばならなかった。

 

 だが最後の最後、その前に。

 ずっと俯き続け、遂に何も言わず、顔を上げなかったなのはの、表情。

 それくらい見る暇はあるし、見たからといってバチも当たらないだろう。

 プレシアは手を伸ばし、俯いた顔を上げて見てやろうと試みた。

 

「もう、お終いよ。誰にも止めることは出来ない……例え貴女が神でも、悪魔でも。この私を止めることは出来ないのよ」

 

 壮大な計画に挟まれた、幕間狂言の締めくくり。

 プレシアの手が、なのはの頬に掛かり、そして指で顎を持ち、顔を上げた。

 

 

 目が、見開かれた。

 誰の目でもない、プレシア自身の目が。

 

 

 一秒にも満たない間、聴覚に静寂が訪れた。魔力の乱流が身体を撫でる、そのざわめきすら聞こえない。五感の殆どを静止させているのは、極限まで膨れ上がった、驚愕という感情。

 

「何故、なの」

 

 思わず漏らしたわななく声が、骨と空気を伝導して自らの脳髄を揺らす。この状況、この現状で、決して発されるはずのない問いかけだった。

 

「どうして」

 

 見つめる顔を持つ手に、力が入る。

 指が肌に食い込み、顔つきこそ歪むが、表情はけして揺らがない。

 

「どうして、どうして、どうしてっ! そんな顔をしていられるの!」

 

 言葉が唾とともに吐き捨てられ、細い手に持たれている顔へと振りかかる。それでも、変わらない。

 プレシアが久しく感じていなかった、未知への驚きと恐怖。その源になっている少女の表情は。

 

「…………」

 

 穏やかだった。

 ショックを受けて憔悴はせず、余りの出来事に怒りもせず。だが、何もかもを諦めきっているのではなく、打開しようと必死になっているのでもない。

 ただありのままに。怒りも哀しみも内包しない澄んだ瞳が、プレシアを見つめ返していた。

 

「束ちゃんは」

 

 どうして、というプレシアの叫びに応え、なのはは初めて返答する。

 妄執と狂気を孕んだプレシアの目をしっかと見つめ、混じりけなしの言葉を、ゆっくりと紡ぐ。

 

「ご近所のために、ジュエルシードを集めてくれる。私たちを手伝ってくれる」

 

 その根拠は目まぐるしい一ヶ月を挟むと、もう大昔のことのように思える会話。

 束が、強引に引き取ったユーノに関して千冬に疑われた際、なのはに頼った。その時なのはは、束の邪な意図を無視して、しかも彼女の行動を善意によって解釈した。

 束も、街の平和を守る為にジュエルシードを回収しているのだと。いつか、アリサやすずかを助けた時のように、困ったことを放っておけないから、協力してくれるのだと。

 

「私がそうでしょ、って言った時、束ちゃん、何も言わなかった。その通りとは言わなかったけど、違うとも言わなかった。だから、私は信じてる。束ちゃんが、皆のためにジュエルシードを集めているんだって」

 

 篠ノ之束の、善意。人間らしい、優しく善き心。それをなのはは信じていた。

 

 傍から見ればまるで見当違いの感情論でしかない。

 只の女の子ならともかく、篠ノ之束である。天才として、世界全てを平等に見下している女の子の心中にに、優しさというものの芽生える隙間が、果たして存在するだろうか?

 

 否。絶対に否だと、プレシアは断定した。

 

「何を言うの!? それは嘘よ? 貴女は……まやかされているということが、分からないの!?」

 

 だから、なのはのまるで見当外れに見える答えは、当然プレシアを苛立たせた。

 友達や街、そして周りの人を守る。確かにその場の流れや勢いで、束の行動方針がそう決めつけられてしまったこともあるだろう。

 だがしかし、そんなものは所詮一時の言い訳。『天才』篠ノ之束の本性は、どこまで行っても孤高。そして、他者とは決して交わらない。

 例え対象が、彼女を唯一つまらない世界へ繋ぎ止める点であったとしても。嘘をつき、騙し、利用するということはごく当たり前で――。

 

「違うよ」

 

 プレシアの否定に対し、なのはは弱々しい身体から声を搾り出すように反論する。

 

「束ちゃんは、私を騙してなんかいない。だって、束ちゃんは私の“友達”だから!」

 

 友達。たったそれだけの理由で、なのはは束を信じて疑わない。

 例え裏切りを決定づけるような映像を見せられても、残酷な計画を教えられても。

 

 そんな程度で、なのはは折れない。

 

 束がそんなことをするはずがないと、きっぱり宣言できる。

 

「束ちゃんは、そんな身勝手なことは絶対にしない! 束ちゃんはいつもはしゃいでて、とっても人見知りで……怖いことだって平気でするし、いつも大騒ぎの真ん中にいるけど!」

 

 そう、束は天才で、傍若無人だ。一番の友達の性格くらい、鈍感ななのはも分かっている。

 だから、なのはが今聞いたことが、やっぱり束の本心であるかもしれない。この世界を滅ぼして、自分と共に遥か遠くまで行ってしまうことが束の本当の望みだったという可能性もゼロではない。

 

 だけど。

 

「でも、皆の気持ちを考えないで、皆に何も言わないで……こんなことは、絶対にしない!」

 

 縛られ続けた身体は痛みに溢れ、体力は既に限界を通り越し。気を張らないと直ぐにも気絶してしまいそうだが、なのはは叫ぶ。

 

「だって、束ちゃんが好きなのは、私だけでも、千冬ちゃんだけでもないから……私たち2人がいればいい、なんて考えてない!」

「そんなはずはないわ!」

 

 その必死な声に、プレシアもまるで気炎を吐くような勢いと形相で異を唱える。

 

「あの娘はこの世界に、貴女たち以外の価値を見出していない! 色褪せたつまらない世界も、ただ縛り付けるだけの他人も、あの娘は全て憎み、だから私と共に……」

「違うっ! 束ちゃんはもう、つまんない、だなんて思ってない!」

 

 もしもそうなら、なのはと知り合ってからの二年間、学校へ行ったりはしないのだ。

 

 興味のない人間が沢山いるはずの小学校へ、手を繋いで通って。とっくに分かりきっている授業を、なのはにちょっかいをかけながらも一応受ける。栄養摂取には非効率的だと言いながら、母親の作った弁当を分け合いっこして。体育ではすずか、千冬と超人的な戦いを繰り広げ、図工では木片からICカードを作り。放課後は決まってなのはをラボへ引っ張り込み、新しい発明品を見せて自慢する。

 

 365を2つで掛けて、730日ずっと繰り返す、学校や家庭に縛られて固定化された日常。

 なのはにとっては日々新鮮で実りある日々だが、その殆ど全てを予測してしまえる束にとっては、味気ない灰色さしか感じられない二年間のはずだ。

 

「だって、束ちゃんは笑ってたから!」

 

 でも、その日常を過ごす間、束は時に笑い、時に怒り、時に悲しんだ。

 それこそが、なのはにとって裏切りを否定する一番の証拠になる。

 

「えへへって笑うことも、声を低くして怒ることも、泣きべそかいて悲しむことも……本当につまんないなら出来ないんだ!」

 

 なのはがそう言い切る理由は、束と初めて会って話した時の、無表情だった。

 

 あの時、なのはの瞳に見えたのは、空いてるのか開いていないのか分からない口元や、何処を見つめることもない目。顔の筋肉は動かず、お面のように固まって、ただ舌だけが微かに動く、まるで死んでいるかのような表情。

 初めての時は訳も分からず話しかけたからよく分かっていなかったが、回想するとなのはですら思わず寒気立ってしまうくらいに、冷たくて恐ろしい。

 喜怒哀楽を過剰に表す、束のいつもの表情。その印象は余りにも強いが、なのはの脳裏には未だ、絶対零度で無色透明なあの顔つきが焼き付いていて離れない。

 

 でも、今の束は、そうではないのだ。

 

「今の束ちゃんは、私に色んな顔を見せてくれるんだ」

 

 だからそれは、束の見ている世界が、つまらないもので無いことの確かな証明になる。

 

「嬉しい時は一緒に笑って、悲しい時は一緒に泣いて! そんな束ちゃんを、私は知ってる! だから私は……どんなことがあっても、誰も信じなくたって、絶対に絶対に絶対にっ!! 束ちゃんを信じる!!」

 

 なのはは決然とした表情で、プレシアを見返す。

 もう魔力はこれっぽっちも残ってないけど。傷だらけの身体は縛り付けられ、何の抵抗も出来ないけど。

 それでも信じることは出来るし、それは誰にも止められない。

 

――だって、友達なんだもの。

 

「ふざけないで」

 

 なのはの主張に対し、プレシアは沸々とした怒りを湧き上がるままに振りかざす。彼女の握る杖の底部から紫色の雷が迸り、地面や柱を伝ってバインドへ、そしてなのはの全身へと至り、唯でさえボロボロな小さい身体を尚も傷つける。

 

「くぅ、ぁ、ああぁぁっ……!!」

 

 我慢している故にか細い、しかし閉所に良く響く少女の悲鳴。

 

「あの娘は『天才』よ。私と同じ『天才』。だからこそ世の中に疎んじられ、自身も世の中に飽きる……そんなあの娘が執着するのは、愛する者だけ。貴女ともう一人、織斑千冬だけなのよ!」

「く、あぁ……そうじゃ、ない! 束ちゃんの周りには、他にも沢山、色んな人がいる!」

 

 人生で二回目の窒息を感じながら、なのはは思う。

 この広い空の下には幾千、幾万の人達が居て。いろんな人が願いや想いを抱いて暮らしている。

 二年前の束は、そのことを知っていたけど、分かっていなかった。けれど、今は違う。

 

「そんなものが、何になるというの。所詮は俗人、つまらないことしか言わないし、誰も『天才』を理解しない!」

「だけど、皆束ちゃんの近くにいる! 私だって、束ちゃんのことまだ全部は分からないけど……でも、想いを話すこと、伝えることはできるから!」

 

 その想いは、時に触れ合って、ぶつかり合って。だけどその中の幾つかは、繋がっていける、伝えあっていける。

 そんな出会いや触れ合いを、束は確かに受け取って、もしくは強引にぶつけられて。そして、ちゃんと覚えて、記憶する。心に想いを結び付けていける。

 だから、絶対、大丈夫。

 

「皆、束ちゃんのこと、口には出さないけど大切に思ってて、束ちゃんも口には出さないけど、皆と離れようとはしない。でも、プレシアさん、あなたはどうなの?」

「……私?」

「あなたは、アリシア以外の誰も大切に思ってない。だから皆、あなたが世の中から離れるのを止めなかった。ううん、止められなかった」

 

 当然のことだ。自分とアリシア以外、誰も信じていないということは、誰にも信じられないことと同義なのだから。

 そんな人間に、近くにいて欲しいと思える訳がないのだ。離れるまま、誰も引き止めず。暗闇で一人研究に没頭し、終いには身体を壊して死を自らに近づけても、誰も止めないし、助けない。

 いや、助けようと尽くしてくれる人はいるが、彼女の方からそれを断ち切り、破滅へとひた走ってしまう。

 彼女の目には、思い出という妄執の中のアリシア以外、何も見えていないのだ。

 

「でも、束ちゃんは違う。束ちゃんはちゃんと周りに目を向けて、お話を聞こうとしてる。束ちゃんらしく、とってもハチャメチャで、お騒がせだけど……周りの優しさから逃げて、たった一人しか見ていない、あなたとは……違うっ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、プレシアの心の中で何かが切れた。

 

「何も知らない癖に! 黙りなさい、小娘!」

 

 なのはの言葉を聞くたびに、折れるほど強く握っていた錫杖。それが姿を変え、現れたのは鞭。手首にしなりを効かせ、大きく振りかぶる。目の前で戯言をほざく少女が共犯者にとっての大切な『友達』であることなんて、とうに思考から吹き飛んでしまっていた。

 黙らせなければ。そうしなければ、プレシアの今までの苦脳はまるで馬鹿馬鹿しい物になってしまう。誰にも理解されず、たった一人で歩んできた道。たった一人の愛する娘を取り戻すための道。茨の道のように思えた旅路のそのすぐ側に、自分を心から愛してくれる使い魔や、優しい女の子がいたなんて。

 遅すぎる気付き。

 いや、気付いてはいけない。考えてはいけない。命すら投げ出した計画が、実は全くの無駄だったなんて、認めたくない。

 

 だから、これ以上何も口を効けないようにしてやる。

 そう考えて、プレシアは何時も出来損ないにやっているのと同じように、目の前の少女を――

 

「……っ!?」

 

――鞭打つ前に、辛うじて周囲の異変に気づいた。

 

 ジュエルシードの魔力以外のナニカが、この庭園で蠢いている。

 玉座の間において、プレシアはジュエルシードだけではなく、庭園の動力炉の魔力を借りて断層移動の大魔法を発現させようとしていた。だから、庭園の心臓はそのままプレシアのリンカーコアと同一存在になり、よってプレシアの五感には、庭園の状況がつぶさに感じられるのだ。

 その五感が今、最大強度で警告を発していた。

 

「管理局……? いえ、クラックを破るのも結界を砕くのも早過ぎる……!」

 

 とにかく、後一歩の所で邪魔をされる訳にはいかない。鞭を杖に戻し、庭園内で待機していた傀儡兵へ、目標駆逐の命令を下す。

 物言わぬ機兵は、まるで体内のバイキンを食らう白血球のような忠実さで、命令通り通路を駆け巡り、対象を視認し、攻撃に移り――ものの見事に駆逐され、僅か数秒で反応を消した。

 

「やられた!? 馬鹿な、時間稼ぎ程度にはなるはず!」

 

 エネルギーの発生源は、移動の最中に立ち塞がる傀儡兵を文字通り一蹴しつつ、一直線に庭園の中央最深部、即ち玉座の間へ向かっている。これに対し鉄機兵の壁を作り、時間を稼いだ所でバインドを設置、なのはと同様縛り上げた所へ止めを指す予定だったが、接敵した側からまるで溶けるように排除されていく。

 中空に投影されたコンソール。その一つを前線後方に配置した傀儡兵のカメラと同期させ、プレシアはノイズ混じりの映像越しにエネルギー源の正体を見た。

 

「なっ………!?」

 

 人型の全身を純白の甲冑が纏い、二枚の浮き羽にスカート状のスラスター、そして一本の大剣を上段に構えている。まるで騎士を思わせる機動兵器が、そこに映っていた。

美しい。プレシアの感性が彼女の無意識に働きかけ、呟かせた。余剰エネルギーとして噴出されている青い燐光の眩さに騙されたからではない。一人の科学者として、モニタの中に舞う白い姿に紛れも無い機能美を感じたからだ。

 

 命令を受けた傀儡兵が、騎士の前に立ちふさがった。庭園に配備されている中で、一番大型の砲撃タイプ。なのはを捕らえる時ですら守備に回していた虎の子である。

 対峙した互いの大きさには、巨人と蟻を想起させるほどの圧倒的な差が存在する。しかし、熱源を探知して表示するレーダーの光点は、守る方より、迫る方が遥かに大きかった。

 傀儡兵が、両肩のキャノン砲をチャージする。それと同時に、周りの小型も一斉に突貫し、数で目の前の白い人型を排除しようとした。

 その時、人型の持つ剣が、中央から真っ二つに割れた。同時にプラズマで構築された刀身も縮まる。一本の大剣が二本の小太刀へと姿を変えた。

 

「あれは……!」

 

 そして、小太刀を構えた人型。その独特な構えを、プレシアは確かに記録していた。

 そう、あの剣技は、かつてフェイトが戦ったもの。帰還した彼女のデバイスを整備した時鮮明に残されていた戦闘記録を見て、感嘆したものだった。なにせあれは、地上に限りフェイトの戦闘技能さえ凌ぐものだったのだから。

 

 その構えをした人型が、今、空を飛んでいる。それに気付いてやっと、プレシアは人型の頭部へ目の焦点を合わせた。しかし、全身装甲の一部であるフルフェイスタイプのバイザーによって、顔は見えない。

 ただ、長い黒髪のポニーテールだけが、ちらりと見えた。

 

 砲撃のチャージが完了し、地面にしかと踏ん張った傀儡兵が、肩の砲台から魔力砲を発射する。

 ごう、と空間を薙ぎながら迫る二本の光線が、構えたままの人型に直撃し――その、すぐ手前で遮られ、雲散霧消した。

 バリアか。プレシアは推察したものの、一方でありえない、と狼狽していた。放ったのが傀儡兵とは言え、あれは立派な魔力砲である。しかし、今人型の周りに展開されたのはあくまで通常のエネルギーフィールド。それで魔力を防げるはずがない。

 

 だが、現に砲撃は()()()()された。

 

 続いて、小型の傀儡兵が一斉に突撃する。全天からの攻撃は、どうあがいても捌ききれるものではないはずだ。

 しかし、人型は迷いなく、先の先を取った。プレシアの視界であるカメラには、人型が一瞬姿を消した後、迫り来る傀儡兵全てが無残に切り刻まれているという情報しか映らなかったが、その過程で、人型は自らに振りかかる攻撃全てに先んじていた。

 

 まるで、全周囲に目が付いているかのような挙動と、反応速度。

 

「なん、だと、いうの」

 

 ああ分からない。分からない、分からない。

 大体どうして、孤立無援の結界内にこんな機動兵器が現れたのか。

 そして、あの圧倒的な戦闘力と、莫大なエネルギーを制御できる技術は何処から来たのか。

 プレシアは何もかもが理解できず、その心から、とある一つの強い感情が迸った。

 

 

――未知への恐怖、という、『人として当たり前の』感情が。

 

 

 そして、密室全体を横殴るような衝撃と、破砕音。充満していた高濃度の魔力が、出口を得て外界へ流れ出した。

 さっきまでプレシアが見ていた映像は、いつの間にかブラックアウトしている。だから彼女は恐れ戦慄きながらも、コンソールから目の前の現実に目を向けるしか無かった。

 

「……千冬ちゃん! 千冬ちゃん、千冬ちゃぁん!!」

「すまんな、なのは。遅くなった」

 

 交わされる会話。いつの間にかバインドはプラズマソードに切り刻まれたようだ。解放されたなのはを横に抱き抱える人型は、なのはよりも少し背が高いだけの少女の輪郭をしていた。

 

「……さて……私の友人が、随分と世話になったようだな」

 

 傷つききった少女を床に下し、再び双剣を構えた人型から、ゆらり、と立ち上る気。プレシアの執念も、謀りも関係ない、ただただ、純粋な怒りに満ちた気迫に、あくまで戦闘者ではなく研究者であるプレシアの理性はあっけなく崩壊した。

 

「小娘共が、邪魔をするなぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 フォトンランサー。サンダースマッシャー。サンダーレイジ。

 周囲にはジュエルシードがあり、下手に魔力が直撃すればあっという間に暴走してしまう危険性など考慮に入れず。展開できる魔法から、闇雲にがむしゃらに術式を構築、目の前の人型へと叩きこんだ。

 

「千冬ちゃんっ!」

 

 後ろに庇われたなのはが叫んだ後に鳴り響く、轟音。狂乱していても大魔導師と呼ばれただけあって、攻撃の全てが一点の狂いもなく、人型に直撃していた。

 

 が、しかし。

 

「それで終わりか?」

 

 白い鎧騎士は、小ゆるぎもしない。庭園の動力炉、その出力の全てを使った最大規模の波状攻撃。その全てを、超高密度のエネルギーフィールドが弾く。

 

「な……ありえない、何故、何故、こんなことが……ぐ、があ゛っ」

 

 絶対の計画が、たった一個の異分子で容易く捻じ曲げられた。

 そんな目の前の現実を認められず、プレシアは頭を振りながらかすれた声で喚いたものの、その直後、魔法行使の反動で喀血。床と服と口を、濁った血で汚した。

 

「……成る程、病を患っているのか。そんな輩に剣を振るうのは心苦しいが……それ以上に、私はお前を倒さねばならない。覚悟して貰うぞ」

 

 凛々しく澄んだ声が、宣言する。

 それは、後ろで座り込んでいる友を守るため。

 今も、たった一人で残りの宝石を守るため逃げ続けている仲間のため。

 そして、自分にこの力を授けてくれた、訳の分からない、でも確かに自分の友達であるウサミミ少女のため。

 

 

 

 

 

「織斑千冬。『白式(シロシキ)』。……いざ、参る!」

 

 

 




ようやく書きたい所が書けて、とっても楽しい私です。

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