なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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大分話の中身というか、束さんがぶっ飛んでるので注意です。


終わる命の手向けに贈る(Ⅱ)

 まぶたが緩み、無間に思えた暗闇に、うっすらと光が灯る。そして少女の網膜に映るのは、白く眩く輝く月と、満天の星空だった。

 痺れるように虚ろな記憶の中から、ついさっきまで見ていた風景の絵柄を探し当てよう。確か、雲が掛かっていたはずだ。灰色でところどころ黒く、分厚い雷雲。空を飛ぶ自分を何度も煽り吹き飛ばした強風。ところが今は、それら全部がさっぱり消えて、穏やかに凪いでいる星空が、全天に広がっている。

 フェイト・テスタロッサは今、傷ついたBJと身体を夜風に晒しながら、海浜公園に並ぶベンチの上で、すぐ横のアルフとともに倒れ伏せていた。

 

「……あ、起きちゃった?」

 

 そんな星空を正面から見ている自分は、仰向けに倒れているのだなとフェイトは知覚出来た。そして、星空を遮るように顔を向けている、ちょっと毛並みが荒れているフェレットに見覚えもあった。

 

「君……は……」

「でも良かった。君だけでも、意識が戻ったんだね?」

 

 フェレットは、当たり前のように人語を喋る。フェイトの記憶が正しければ、彼女と彼は互いに争う関係のはずだ。当然、身を起こして離れようとした。だが、起き上がる瞬間、全身に鈍痛が走り、意思を無視して勝手に倒れこんでしまう。

 

「あぁ、無理しないで! こんな姿だから、大した治療魔法も使えなくて……ごめん」

 

 姿。そういえばこの子は、フェレットから人間に変身出来たんだっけ。

 その程度のこともいちいち意識しなければ思い出せないほど、フェイトは消耗していた。

 当たり前だ。危険な目にあって、他人を傷つけてまで尽くしてきたフェイトの母親。プレシアが、フェイトをクローンと呼んで、捨てたのだ。

 

 そう、捨てられた。自分は、プレシアの本当の娘ではなかった。

 

「……ぅ」

 

 怖気づく声が漏れ、肩に、腕に、背中に寒気が走る。春も終わる頃、夜風はそんなに厳しくないはずなのに、フェイトの心はあっという間に凍えていく。バリアジャケットはびりびりに破れているけど、そうして感じる寒さより、ずっと冷たい風がフェイトを撫でた。

 あの時のプレシアの形相と、落ちてきた雷撃。感受性の強い少女の心は、その痛み苦しみより、冷酷さと冷たさをより感じていた。

 思えば、プレシアがフェイトを労ったことなど一度もない。難しい魔法を覚えた日も、デバイスに習熟した日も、『お使い』から帰ってきた日もプレシアは研究室に閉じこもっていて、リニスが死んだ後は、姿を見せたかと思うとフェイトを叱責し、鞭で痛めつけた。

 フェイトはそれを、当たり前だとは思っていなかったし、怖いとも、逃げたい、嫌だ、とも感じていた。でも、決して口には出さなかった。だって、母親は娘を愛するものだから。小さい時の思い出が、そうフェイトを導いていた。

 けれど、それは偽り。クローンにアリシア・テスタロッサの人格をなぞらせるための縛りだと明かされたのだ。

 

「…………」

 

 だから、フェイトの瞳は焦点を失い虚ろになっていた。

 

「あ……」

 

 自分の目の輝きなど本人には分からない。しかし、海浜公園の隅っこでずっとフェイトの側にいたユーノには、はっきりと見える。彼女の身についさっきから起こっている激動を脇から見ても居るのだから、その心情もある程度は推察できてしまう。

 

 沈黙。今までにほんの二三言も言葉をかわしていない、敵同士の二人は、暫くの間重い静寂の中に漂い続けた。

 

「あ、えと、そうだ」

 

 フェレットが、素っ頓狂な程上ずった声を出した。春の夜の風音に乗っかって、上滑りする。

 

「君が気がついたってこと、アースラの医療班に連絡しないと。もうすぐ来るって言ってたし」

 

 そう言われて、フェイトは初めて自分の中でなく、外の周辺へと意識を巡らした。すると途端に見えてくるのが、ユーノとフェイト以外の魔導師の姿である。その誰もが同じ服装と似たようなデバイスを装備している。

 ということは、四方八方に飛び交っていたのは、全て時空管理局の局員だ。

 フェイトは、ここが敵中の只中だということに初めて気づいた。お腹に力を入れて上半身を起き上がらせ、背筋と目を強ばらせたその手には雷撃で損傷したままのバルディッシュを握る。

 急に動き出したその様に慌てたユーノは、小さい体を精一杯飛び跳ねさせながら、更に起き上がろうとするフェイトを押し留めた。

 

「わわ、ちょっと待って! 別に悪いことをするつもりはないから!」

「……」

「傷ついた君たちを保護するだけなんだ。こんな状況じゃあ、敵も味方も関係ないよ。ね?」

 

 その言葉に、一瞬フェイトは静止する。しかし、敵も味方も関係ないというのは、どういうことだろうか? もしや、自分が眠っている間に、全てが終わってしまったのでは。

 そう思うと、やはり無理にでも動いて、状況を確認するしか無い。フェイトの中にある、魔導師としての合理的な思考がそう決意した。

 システムダウンし、もはや物言わぬ愛杖をコンクリートの地面に置き、それを支えにして、痺れで言うことを聞かない足腰を、無理矢理立ち上がらせる。

 

「あ、いけない、見ちゃ駄目だ!」

 

 ユーノは慌てて止めようとしたが、所詮フェレットの身体である。質量的に大きく差のある少女の体を無理矢理抑える事は出来ないし、言葉で納得させるのはもっと無理な相談だ。

 だから、フェイトが周囲を見渡すのをどうしても止められなかった。

 傷つききった自分の心から目を逸らせたことで、フェイトは落ち着き、その体調も平常へと戻っていく。痛みは尚も残っているが、少なくとも、薄らぼやけて近くしか見えない視覚はまともになっていくように思えた。

 それまで展開されていた強装結界の代わりに、人払いの効果を持つ結界魔法が使われていて、好き勝手に飛び回るのを目撃される心配はない。だから、転送魔法のポートから湧き出るように現れる武装局員はそれぞれに飛び立ち、ある一点を目指して海上へと向かっている。

 フェイトの目も釣られて、その一点へと吸い寄せられ。

 

「あ……そん、な……」

 

 再び、壊れたレンズのように弛緩した。

 

「……だから、本当はこのままずっと寝ていて欲しかったんだよ」

 

 ユーノも苦い顔をしながら、青白く硬直したフェイトの顔と同じ方角へ振り向き、そこにずっとある構造物を改めて見つめた。

 

 時の庭園。次元空間から海鳴の海へと転移し、次元断層を超える大魔法の依代になるはずだった巨大な航行船は、その上半分を削り飛ばされたように失い、廃墟と化していた。

 

「何が、あったの」

 

 怯える声で、フェイトは尋ねる。目の前に居るのは敵だが、それでも聞かずにはいられない。

 だって、あそこはフェイトの住む世界そのものだったから。かつて、ミッドチルダはアルトセイムの大地に停泊していた大きな庭園。フェイトはあの中で生まれ、育てられ、そして学び、鍛えた。しかし今、そのほとんどが吹き飛ばされ、残った部分も傷ついたまま野晒しにされている。

 それだけではない、あの中にいたプレシア――母さんは、どうなったのか。

 

「……中で何があったかは、詳しくは分からない。そこにいたなのはも千冬も無事に帰ってきたけど、体力を使い果たして今は寝てる。ただはっきり分かっているのは、ジュエルシードが暴走したっててこと」

 

 

 千冬が『白式』とともに飛び立った後、ユーノは残り8個のジュエルシードを確保したまま倒れているフェイトとアルフの側にいた。すると、突如庭園から光が走り、大爆発が起きたのだ。

 その轟音と衝撃波に小さな身体を揉まれながら、ユーノは爆発の中にいるはずのなのはと千冬がどうなったのか、気が気でなかった。

 しかし、ユーノの隣には、あの場での出来事を全て知っている少女がいたのである。

 

――あー、大丈夫だよユーノくん。ちーちゃんもなのちゃんも、最大戦速で離脱したから。

 

 目の前の爆発に眉一つ動かさず、ケロッとした顔でノートパソコンを操作し続けている束がそこにいた。その両手はキーボードから離れずに、まるで熟練のピアニストのように素早く正確に動いている。

 それは良かった、と返そうとした時。長い間束に付き添い、否が応でも側で見つめざるを得なかったユーノの目が、束の異常を目ざとく見つけ出した。

 束の額から、汗が吹き出ている。顔と頬を伝い、ぽたり、と地面の上に何度も落っこちていく。ユーノが今まで見てきた篠ノ之束という人間は、なのはに無意識で追い詰められた時の冷や汗などならまだしも、疲労や運動による汗など一回も流したことはない。

 細胞単位でオーバースペック、と自画自賛されていた束の身体は、その時のユーノが見る限り、疲労困憊の極みにあるようだった。

 

――え、これ? えへへ、流石の束さんも『白式』のコアの処理をまるごと脳内でエミュレートは結構疲れたっぽい、かな?

 

 思わず心配そうな目を向けるユーノに対し、束はいつもの調子で笑いかけるが、深すぎる目の隈もあって、いまいち元気には見えない。束自身も自覚しているようで、即座に顔をよそへと向け、パソコンを折りたたんで脇に抱えた。

 

――ま、もう山場は終わりだし、大丈夫だよ~

 

 と、指差した場所では、庭園の残骸の一欠片が海面に突き刺さり、柱が出来上がっていて。その上に、『白式』を解除した千冬と、魔力切れで私服に戻ったなのはが佇んでいた。

 ユーノは、とにかく二人が無事でよかった、と胸を撫で下ろす。それを見た束も、また安堵したように笑い、それからこう付け加えた。

 

――そろそろ結界も破れて、アースラが皆を助けに来てくれると思うから、それまでそこで待ってた方がいいよ。……じゃ、ちょっと行ってくるね

 

 行くって、何処に。

 慌てて視線を戻したユーノだが、束の姿は既にかき消えていた。

 

 

「……とまぁ、こんな感じかな。今はクロノ……ええと、管理局の執務官が事後処理兼生存者、つまりプレシアの捜索を続けてる。でも、見ての通りこの有り様だから……プレシアが、その、君のお母さんが見つかるかどうかは、わからないと思う」

 

 恐らく、ジュエルシードを暴走させたのはプレシア本人だろう。ならば、あんな爆発の只中で無事でいられる訳がない。

 そのことをフェイトに伝えるべきか否か、ユーノはかなり迷った。しかし、無理をしてまで庭園まで飛んでいこうとするフェイトを見て、結局自分の口ではごまかすこともはぐらかす事もできないと思い切り、正直に伝える。

 

「……そう、なんだ」

 

 フェイトは俯いて小声で答える。そしてそれきり、また黙り込んだ。

 ユーノにしても、たった数時間で、信じる者も愛する者も自分の家すら失った、この女の子に掛ける言葉など見つかるはずもなく。

 互いに、ひたすら自分の無力さを噛み締めるだけ。そんな静寂が再び訪れる。

 二人の周囲では局員がせわしなく動きまわり、彼らの常識では十年に一度も起こらない非常事態に気を張っていた。ただの次元震未遂だけでも相当な大事件だが、相手は管理局を完全に封じ込み、管理外世界を一つまるごと巻き込もうとした。そして何も出来ないまま手をこまねいていたら、たった四人の民間協力者によって全てが終わっていたのだ。本来の責務を果たせなかった後悔も含め、事後処理に力が入るのも当然だろう。

 だが、奇妙な熱気に包まれる周囲と、ユーノとフェイトの二人の周りは完全に隔絶し、冷たい。

 

「…………」

 

 半ばバラバラに分解している庭園から目を離さないフェイト。バルディッシュはまだしっかりと握り、余った左手で、隣に寝ているアルフの頭を撫でる仕草は恐らく無意識だったろう。

 そんな悲痛な姿を見続け、更にはこの沈黙を維持するのにとても耐え切れず、ユーノは近くの局員へ、フェイトとアルフを艦内医務室に連れて行ってもらおうとした。

 しかし、そのために身体を四つん這いにして、テトテトと走り去ろうとしたその時。

 

「ねぇ」

 

 フェイトが振り向かずに語りかける。

 

「な、なに」

「……あの娘たちは、無事だったんだよね」

 

 誰のことを指すのか、ユーノは一瞬悩んだが、やがてぽつりと告げた。

 

「うん、なのはたちは無事だよ。無事に帰ってきてくれた」

「そっか」

 

 この会話の直後ユーノは走り去って、だから聞こえていなかったが。

 フェイトは本当に微かに、穏やかな風にも負けて消えるような小ささで、

 

――よかった

 

 と、呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。半壊した庭園に突入した局員たちは、未だ入り口付近にしか足を進めていなかった。

 半壊し、天井には蓋が吹き飛んだような大穴すら空いている時の庭園だが、それ故に内部は瓦礫が散乱していて、だから、武装局員たちの探索も人数の割にその効率がとてつもなく悪い。

 クロノやリンディの指揮、そして彼らの士気や練度は消して低いわけではなかった。低い訳ではないのだが、彼らは探索と同時に、この巨大な遺跡じみた残骸の撤去も同時に行わなければならないのだ。こんな構造物を管理外世界にそのまま残せば、どんな騒動と混乱が起こるか分からない。海辺に人払いの結界を貼ってこそいるが、何としても手早く撤去し、ここで起きた一大事件の手がかりを残さずに、立ち去らねばならない。飛ぶ鳥跡を濁さず、といったところか。

 だが、そうなると今度は、この場に居る要救助者の存在が彼らを阻む。プレシア・テスタロッサ。状況からしてまず生きてはいないとかんがえられる彼女だが、それにしても死体がはっきりと見つかったわけではないのだ。この事件の主犯であり、重要参考人でもある彼女が例え生きているにしろ死んでいるにしろ、法的機関としての管理局は捜索を行って、何らかのケリを付けなければならない。

 以上の理由で、彼らの探索と捜索の二段工程は未だ、ほんの僅かしか進んでいなかった。

 

「……ぁ……」

 

 だから彼女は、この場まで辿り着けた。搾りかすのような魔力と、枯れ葉のように朽ちた身体で、しかし執念が彼女を生かし続け、ここまで辿り着かせた。

 時の庭園、その最奥のさらに最奥。最高機密であるそこから見れば、全体の司令塔だった玉座の間すら通過点でしかなく、更に他の部屋など全てが無価値だ。

 

「ぅ……ぁ……」

 

 あの爆発の中で、彼女――プレシアは、奇跡的に生き残っていた。

 いや、奇跡というより、彼女の執念がそうさせた。魔力が尽きる瞬間、短距離転送を行ってこの場所へ、つまり自らの研究室へと跳んだのだ。お陰でぷつりと意識さえ飛び、目が覚めたのは爆発から数時間経った今この時になってしまったが。

 しかし、そんなプレシアにもう立ち上がる程の気力も体力も存在しなかった。というより、足の感覚が完全に消え失せてしまっている。あるのは、只鈍痛のみ。もしかしたら、何らかの衝撃で折れているか、施設の残骸に押し潰されてしまっているのかもしれない。

 だが、そんなことは関係ない。プレシアは両手を使い、這いずるように動き始めた。

 一つ動く度に、出血した肺からポンプのように血が汲み出され、口からたらりと流れ出る。その鉄臭く不快な味すら、今は薄れゆく意識を繋ぎ止めるための感覚にしかならない。

 

「……ぁ……ぃ……ぁ……」

 

 やがて彼女の目線が行き着いたのは、停電している研究室においてもたった一つ、自家発電で照らされ、機能しているているカプセル。透明な液体で満たされたその内部には、金色の長髪を揺らし、眠るように目をつむっている小さい身体が浮かんでいた。

 

「ぁ……あり……しあ……」

 

 二十年前とまったく同じ姿の、アリシア・テスタロッサがそこにいた。特殊な培養液に浸かり、その身体には何らの劣化も変化も見られない。プレシアの心の中で今なお生き続ける空蝉。物言わぬその身体に何らの欠損も見られないことを確認し、プレシアは安堵した。

 爆発の大きさは、プレシアも把握している。事実この研究室すら、機材がバラバラに飛び散り、書類が散乱して酷い有様になっているのだから。それでも、何重にも防御措置を重ねた、あのカプセルだけは無事だった。

 それだけでいい。プレシアにとって、この世界で唯一価値のある物がそこにあるなら、他の何もかもが、自分の命すら失われようとも構わない。

 

「ごめんなさい……ありしあ……わたしは、あなたになにも……してあげられなかった」

 

 プレシアは今、己の全てを天に預けた賭けに負けた。いや、ジュエルシードを使ってアルハザードへ着けるかというのが賭けならば、そもそも全てを費やして、賭けの場にすら立てなかったのかもしれない。

 そしてこの庭園も、傀儡兵も、道具のクローンも失って、たった一つ最後に残った自分の命すら、もうじき尽きる。

 けれど、せめてその最後の最後、アリシアの側にいたかった。

 

「でも……そばに……また……ふたりで、いっしょに……」

 

 このまま、時の庭園が放置されるはずがない。管理局が踏み込んで全てを調べ持ち去り、このカプセルも証拠品の遺体として回収されるだろう。

 そうなる前に、せめてアリシアの側で眠りにつきたい。ただその一念で、プレシアは切れかけた命を無理矢理繋ぎ、身体に鞭打って這いずり進む。

 その後、この地が二人の墓所として暴かれようとも構わない。彼らがどんなに自分たちの死体を引き離し、検死などして弄ぼうとも。

 私達がここで二人きり、ここで眠っているという事実は、誰にも侵されることはない。

 

「いっしょ、に……」

 

 しかし、プレシアが最後に抱いた切ない願いも、今までと同じくやはり誰かに踏みにじられる。

 

「はぁーい、そこまで」

 

 篠ノ之束が、這いつくばるプレシアと物言わぬアリシア、その狭間に横から飛び込んだ。

 プレシアの顔が憤怒の形相に変わり、血走った目が見開かれる。自分を裏切り、潰そうとして、この期に及んでまだ邪魔をしようというのだ。

 

「なぜ……」

「ん?」

「何故裏切った……この、私を」

 

 それまでの弱々しい声と違って、かすれてこそいるものの恨みが篭った声。その顔に死相が見えているせいで、まるで死神が語っているような冷たさを内包している。

 常人なら怖気づいてしまいそうなその罵倒に、しかし束は何も感じていないように澄ました笑いを崩さない。

 

「裏切った? 私には最初から、表も裏もないよ。私はなのちゃんの味方なんだから」

「なら何故、私に協力した……私に協力し、あの状況を作り出したのは、どうして……」

「それはね。こうした方が面白いからなんだよ。こうした方が、なのちゃんもちーちゃんも、皆頑張って、輝いてくれるんだから」

 

 そこには確かに、一つの理屈があった。

 

『プレシアに同調し計画を建てた』束からすれば、想定外の力に防御を崩され、残りのジュエルシードの確保もままならないという、極限まで追い詰められた状況。しかし、一度俯瞰して、『なのはの友達であり協力者でもある』束の視点で見れば、の友達と発明品が『悪』のプレシアを追い詰め打ち倒す、華々しい光景にも裏返せてしまうのだ。

 つまり、束の頭の中には、最初から最後までこの光景しか見えていなかったのだ。

 まずプレシアを騙し、次に管理局も騙し、更にはなのはと千冬に隠してまで、最高の状況を構築する。その最後の一ピースにして、状況の真の主役こそがここにある『白式』。篠ノ之束の現時点での最高傑作にして、なのはの夢と千冬の願いを具現化した空飛ぶ翼だ。

 それが活躍する晴れ舞台こそ、絶体絶命のなのはを千冬と『白式』が助けるという状況だった。

 

「……そん、な……」

 

 かくて、プレシアは束に、なのはと千冬、そして『白式』の当て馬として使われたということになる。

 無論、法を犯し危険なロストロギアを私欲に使おうとしたプレシア自身の自業自得、という面が無いわけではないが。

 ただ娘を救わんとする為に、全てを投げ打って悲壮な決意を固めた彼女にとって、これは何よりも、余りにも残酷な仕打ちであった。

 

「……それで、いいというの?」

 

 だが、プレシアにはまだ一つ、納得の行かない点があった。

 

「貴女は、私と同じ……『天才』だというのに。それが、どうして……」

 

 そう。篠ノ之束が心の中に持つ感覚は、プレシア・テスタロッサの持つそれと、殆ど同じはずなのだ。同じく『天才』と呼ばれる程の才を持ち、だからこそ世界の俗に飽き、ただ僅かな、真の自分を理解し、愛してくれる人間にしか興味を抱けない。

 そんな束とプレシアである。たとえ利害が一致しなくなろうとも、こんなはずじゃない世界との別れという志を裏切ることはあり得ない。いや、あり得ないはずだった。

 

「あは」

 

 しかし、血を吐きながら必死に訴えるプレシアを見た束は、腹を抱えて笑い出した。まるで見ているものが、滑稽に踊り戯けるピエロであるかのように。

 

「あははははっ! 面白い! 面白いよプレシア・テスタロッサ! まさか“まだ”そんな風に考えてたなんて! とっくに気付いてたっておかしくないのに……ううん、やっぱし気づいてなくて当たり前なのかな? あはははは!」

「な……」

 

 何を言うの。そう口を動かそうとしたその瞬間、プレシアは気づいた。

 いや、元々、心の底では気づいていたのかもしれない。束の言うとおり、あの頂点からの転落、そして諸共に滅ぼうとして失敗した時に、気付いていたっておかしくはないのだから。ただそれを認めたくなくて、無意識に心の奥底へと仕舞いこんでいたのかも、しれない。

 少なくとも、束はそうだと確信していた。

 

「あ、分かっちゃった? 顔色変わったよ? うんうんそうだね、やっぱりショックだよねー。今まで信じて疑わなかったものが、ぜーんぶ自分の勘違い、フェイクだって気付いたんだからねぇ」

「……ぁ、あぁぁ……」

「そう、プレシア・テスタロッサは」

「いう、な」

 

 それ以上言うな。そうしたら、認めてしまう。そんなはずはない。あり得ないと信じているのに。文字通り『天才』の束が口にしたら、語られたら。それが全て、露に消えてしまう。

 そんなプレシアの静止など、意にも介さぬように束は言った。

 

「君は『天才』じゃない。只の凡人、何処にでもいる、ごくごく普通の母親に過ぎないんだよ」

「ぁ……ぁぁ、ぁ……」

 

 プレシアの心で僅かに残った、一欠片の自尊心を圧し折るそれは、単なる言いがかりではない。フェイトの記憶を読み取り、事件の裏にあった真実を知った時から、束の脳内で演算されてきた紛うことなき真実であった。

 それが証拠に、束は散らかった研究室から、ある書類を抜き出して、プレシアに見せつける。

 

「これ、なんだか分かる? そう、プロジェクトFの研究データ。私はね、最初にここへ来た時から、このデータを抜き取って調べていたんだ」

 

 プロジェクトF。人造生物の開発と記憶移植により、元となった人物の肉体と記憶を複製するという生命操作技術。プレシアはこれに参加し、アリシアのクローンであるフェイト・テスタロッサを生み出した。

 束の居る地球では、これほどまでに高度なクローン技術は存在しない。その点で言えば、これを構築したのは正しく『天才』の所業であると考えていいのだが、束はそれを笑いながら否定する。

 

「確かに素晴らしい研究だよ。理論に一分の隙もない。でもね……ここに書かれている厳格な事実を、貴女はわざと見逃した。ううん、さっきと同じで、認められなかったんだよね」

 

 それは、余りにも残酷すぎる定理。しかし、束はこの論文から、その事実を覆さずにプレシアへとぶつけた。

 

「この理論で、アリシア・テスタロッサは作れない」

「ぁ……ぅ、あぁ……」

 

 狼狽するプレシア。束はそれをおちょくるような目つきで、プレシアが向かおうとするカプセルを指さす。

 

「冷静に考えてみれば、あたりまえだよね? だって、アリシアはまだ()()()()()んだもの。一度作ったものを再び作り直した所で、それは前とは別物だってことは、誰にだって分かることじゃん」

 

 プレシアが認められなかった事実。それは、この世界に全く同じ存在などあり得ないという、科学というよりはむしろ哲学に属するごく当たり前の論理だった。

 

「あの娘も可哀想だよねー。既にあるものと同じになれ、だなんて。大体、本当に娘を取り戻したいのなら、最初から人形遊びに逃げる必要はないよね? クローンはどう精巧に作ろうとも、やっぱりそこにあるのとは違うんだからさ」

 

 例え肉体と記憶を、寸分の狂いも無いほど精巧に模造したとしても。それはホンモノではなく、あくまで偽物であり、紛い物である。それに、記憶と肉体だけが人間の全てではない。既に持っている何もかもが同じでも、フェイトが生まれてから過ごす周りの環境は、アリシアとは既に違うのだ。もし作ったその時点でアリシアと同質だったとしても、1秒、1分、1時間、1日がすぎるごとに、それはプレシアの中のアリシアから段々と遠のいていき、『フェイト・テスタロッサ』に変わってしまう。どんなに完成度を高めても、化けの皮の剥がれるのが遅いか早いかだけである。

 プレシアほどの才女が、それを分かっていない筈はない。だが、プレシアはその事実を無視し、プロジェクトFの研究へ――身体を壊し、寿命を縮めてしまうほどにほどに、打ち込んだ。

 なんて、馬鹿馬鹿しい。なんて、愚か。最初から無駄だと気づいているのに、それを無視するだなんて、まるで逃避だ。厳然たる事実や現実から逃げ、ただ己の無力感と罪悪感を中和するためだけに無意味な研究を続ける。

 

「そんな人間、つまらない。分かっている事実を無視するのは凡愚のすることだよ。だから君は、例えその才知がどんなに優れていようと『天才』にはなり得ない」

 

 束は笑顔のまま、吐き捨てた。確かに彼女には才能があったろう。それを物にするだけの努力もしているし、更には才能を途絶えさせないだけの執念すら存在した。

 しかし、現実に耐え切れず逃避した時点で、束にとってのプレシアは、凡人以下の愚物に成り下がった。

 

「……ぁ、ぅぁぁ……」

「今言ったことも、本当は全部分かってたんでしょう? プロジェクトFに参加した時点で、自分は過ちを犯したって。でも、認められなかった。君の心の弱さがそれを拒んだんだ。だから、廃棄すればいいのに、クローンにフェイトなんて名前を付けた。プロジェクトの頭文字を使ってる時点でもー未練たらたらじゃん」

 

 本当に過ちだったと気づいたなら、さぱっと忘れればいい。それを糧にして、また一からやり直せばいい。だが、病魔に侵されたプレシアにはそれが出来なかった。自分の生命を賭けた研究が全て無駄だったと認めたくない。だから、プレシアはフェイトに記憶転写を重ねがけし、教育係の使い魔まで作って、道具に仕立てあげたのだ。

 

「そんな悪女みたいな服装をしてるのも、使い魔を使い捨てにしたのも、クローンを苛め抜いたのも全部嘘。他人につく嘘じゃなくて、自分についてる嘘なんだ。自分がそういう存在だと信じこまなければやっていられなかったんだよ。ただの人妻には、過ぎたことだもんね」

 

 作ってからずっと大嫌いだった、なんて告げるくらいなら、最初から破棄すれば良かったのに。魔力を過度に供給して余計な命脈を削るくらいなら、使い魔に教育なんて任せなければいいのに。そして彼らの愛を、献身を、中途半端に突き放すものだから、元からプレシアの中にある憎しみと哀しみがさらに増して、理性的な判断の邪魔になってしまっているではないか。

 そして視野狭窄に陥ったからこそ、記憶転写のあらを見抜けてしまうような本物の『天才』。悪ぶるプレシアより真に邪悪なマッドサイエンティスト、篠ノ之束の介入を許してしまう。

 

 だから、束は更に付け加える。プレシアの奥に隠された嘘と、その心理を解体する。

 

「そんな風だから、信じちゃうんだよ。私なんかを。君は自分の理解者が欲しかった。嘘ばかりついて自分を天才、なんでも出来る悪魔のマッドサイエンティストだと称する君は、同じ『天才』を側に置くことで安心したかったんだ。自分もそうだって思い込みたかったんだ」

 

 だから、プレシアは騙された。束にいいように使われ、その生命の最後の一欠片まで彼女の計画に捧げてしまった。

 

「無駄だと分かっていて研究して、無駄だと分かっていて人形を仕込んで。ほんと、おかしいね」

 

 もしかすると、アルハザードだって、本当は信じていなかったのかもしれない。伝承にしか語られない都が本当にあるというのは、狂人の考えである。その点プレシアは、どこまで行っても常人の枠から離れられない。

 だから、無駄だと分かって、敢えて他人を巻き込んで、自分を騙したかったのかもしれない。自分を狂人だと思い込み、今までの人生が無駄でなかったと信じれば、それはプレシアの崩れかけた精神にとって、一つの救いになるのだから。

 

「まぁ、どちらにしても間違っていると分かっててやった所で、それが正しくなることはない。例え私が居なくたって、君は永遠にアルハザードには辿り着け……あれ?」

 

 朗々と語り続けていた束だが、ふと異変を感じてプレシアの顔を覗き込む。

 その瞳は開いたまま弛緩し、心拍も停止している。しゃがみこんだ束がその頬に触れたら、ひんやりと冷たい。

 死んでいる。

 プレシア・テスタロッサの生きる意思は、束の言葉が与える絶望に耐え切れなかったようだ。

 

「……あーあ」

 

 束は、倒れたまま動かないプレシアを仰向けにひっくり返し、その上体を抱き抱える。

 その顔は、まるで遥か昔のアルバムを見つめるように、穏やかで、どこか悲しげだった。

 

「ほんと、おかしいよ君は。天才なんてさ、なるようなもんじゃないんだよ、もうなってるから天才なんだよ」

 

 繰り返し、繰り返しそう呟く。

 

「普通のまま、娘が好きな母親のまま天才になろうとしたから――こんなふうになっちゃったんだよ」

 

 束は脳内で演算する。

 プレシアから語られた、アリシアについての情報。アースラのデータバンクにハックして調べ上げた、数十年前の大型魔力駆動炉稼働実験の情報。時の庭園に保管してあった、事故についての裁判の資料。

 全てを総合すれば、その時のプレシアと、アリシアの環境が見えてくる。後は天才などではない極普通の健気な母親と、快活で無邪気な女の子の思考をエミュレートすれば、彼ら二人がどんな日常を過ごしてきたか、その会話の一つ一つまで、再現できる。

 

 そんな束の脳内で繰り返される、実験手前の日々、二人の日常。その中で、アリシアはいつも。

 

――私、誕生日プレゼントには妹が欲しいな。だって、そしたらお留守番も寂しくないし、ママのお手伝いもいっぱい出来るようになるから!

――だから、お願いね、ママ。

 

「――なんだ、思い出せないだけで、覚えてるんじゃん、大事な約束。娘を蘇らせるなんて身の丈に合わないことよりも、そっちを先にやろうよ」

 

 多分、それは逝ってしまった娘に申し訳ないと考えて、心の中に仕舞いこみ『忘れた』のだろう。

 死人は何も考えないのに。束はそう考えると不思議に憤りを感じた。

 そして再び、アリシアに目を移す。目の前で自分の母親が死んでも、その死体は動かずぷかぷか漂うだけ。

 

「こんな死体、捨てればよかったのに。土に埋めて、ささやかな葬式やって、また結婚でもして、赤ちゃん産めば……多分、その娘が明るい『fate』を連れてきてくれたのに」

 

 がごん、と気味の悪い音が響く。束の拳が、カプセルを殴っていた。そこからヒビが入り、強化ガラスはいとも容易く砕けて割れた。

 溶液が流れ出して束のドレスを汚すが、束は離れない。そのうち、カプセルを満たしていた液体は全て流れ出す。最後に落っこちたアリシアの死体は、地面に落ちて傷つくその直前に束の手で抱えられた。

 

「こんなのが、あるから……!」

 

 それは、プレシアが自らに呪縛した呪い。行き詰まる度、諦めかける度、死にかける度に、プレシアはこの物言わぬ屍の側で、自らの不甲斐なさを謝り、また決意して研究を続ける。

 そして、少しずつ壊れていく。綺麗な死体よりも、ずっと歪に、愚かになっていく。

 

 束は仮想し想定する。ミッドチルダに出かけて、アリシアが死ななかった、またはアリシアの死を乗り越えたプレシアに出会えたら、それはどれだけ、楽しい時間になったろう?

 魔導工学について三日三晩くらいは語り合えたはずだ。狂気が無くても、プレシアは周囲から『天才』と呼ばれるほどの知性を持っているのだから。それに飽きたら、プレシアは娘を、束は親友を自慢し合って、一歩も引かずに喧嘩になって。ヒートアップした所で、なのは、千冬、そして今よりずっと大きなフェイトに止められる。

 そうなら良かったのに。こんな幕引きよりも、利用しあうしかなかった関係よりも、もっとずっとずっと、面白かったのに。

 

 でも、そうなるには遅すぎた。遅すぎたのだ。

 そう考えると、束は今自分が手に抱えている『使い捨ての当て馬』を、使い捨てだからといって忘れて放置しておくことなんて、出来そうになかった。

 

「……」

 

 プレシアの頭部。顔に垂れかかった髪を額まで上げて、つつー、と点線を引くように人差し指でなぞる。

 恐らく、まだ脳死までには行き着いていまい。だったら、この無念のままに死んだ女性の執念に、何かを手向けることが出来るはずだ。

 

「私はね、どうして君がこうなったか、納得行かないよ。ホント、馬鹿なひと。馬鹿な――」

 

 未練。

 その言葉とともに、束と、その手の中にある2つの死体は、研究室から完全に消え失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数週間後。全てが終わった後の篠ノ之ラボ。雑多な発明品が数多く立ち並ぶその中で、ピカピカの新品があることに気づいたなのはが問いかける。

 

「ねえ束ちゃん、これ、何?」

「おぉ、よくぞ聞いてくれたねなのちゃん! これはね……演算器なんだ」

「演算器?」

「うん。ある数式を計算させるのに、特化した計算機みたいなもの」

 

 あることってなに? と聞かれて、束は珍しくなのはから目を逸らし、何処か遠く、海鳴でない遠い地を見つめながら答えた。

 

「死者蘇生の方法だよ」

「え……ししゃそせー?」

「そう。死んだ人はね、絶対に生き返らないんだけど……もしそうじゃないなら、面白いかもなーって思って。だからね、そうなる可能性を、この娘に、勝手に計算させてるの」

「そっか。なんだか長引きそうだね」

「うんうん。答えが出る時は、人類なんてとっくに滅びてるし、この星も無くなってるかもしれないけど……ま、それでもいいんじゃないかな?」

 

 計算機の本体、何故か大理石の墓標みたいに塗装されている円柱、その頂点の半球体を撫でながら、束は語った。

 そう、それでもいい。この世界に限りがあるのなら、夢のような理論だって、そのどこかに落っこちているはずだ。

 

 今の君は、母親でも人間でもない。だから、思うがままに狂い、全力で答えを求めるがいい。

 

 少なくとも自分が生きている間は、生命維持装置の電源は付けたままにしておくし、地下深くに安置してあるアレも、土に埋めたりはしないから――

 




次回か次々回で一先ず完結であります。

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