なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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なんとか一週間で投稿できました。


戦い済んで日が暮れて(Ⅰ)

 プレシア・テスタロッサ事件。

 辺境世界で巻き起こった、中規模次元震すら巻き起こしかねなかった重大事件は、主犯であるプレシア・テスタロッサの行方不明と、ジュエルシード21個全ての回収、そして時の庭園残骸の回収終了によって終わりを告げた。

 とはいえ、管理局としてはかなり不始末さの残る顛末であった。アースラのメインコンピュータがハックされて機能を停止し、事件終了まで身動きが取れずに終わった。しかも侵入元の逆探知にさえ失敗したのだ。アースラは管理局の中でも決して新鋭艦では無いが、それでも制式艦船であり、ミッドチルダ製コンピュータの中でも最高クラスのセキュリティが施されている。

 それが、システムダウンの隙を突かれたとはいえあっさり突破されたのだ。事件そのものと並び立つ程の重大事である。執拗に行われた庭園の捜索には、その下手人と手口を探す目的もあった。

 しかし、分解しかけていた庭園の何処を探そうとも証拠らしい証拠は現れず。残存していたコンピュータや資料に手がかりを求めようとも、その全てが消去されていた。

 

 このように念のいった処置を瀕死の病人が行えるはずがない。となると誰か協力者が居ることになるが、それは一体。

 その答えは呆気無く明かされた。というより答えの方から現れ出た。

 事件後に行われた千冬、ユーノ、そしてなのはの証言によって、篠ノ之束の行動が明らかになったのである。

 曰く、彼女は最初からアースラにはおらず、庭園を囲む結界内にいつの間にか侵入していた。

 曰く、千冬は彼女の作った『白式』というパワードスーツにより、事態を収集した。

 そして曰く。プレシア・テスタロッサに協力し、事件の状況を作り上げたのは全て、篠ノ之束ただ一人のことである。

 リンディにとってもクロノにとっても、正に寝耳に水だった。すぐさま本人をアースラの一室へ呼び出し、事態の経緯について詳しく尋ねることにしたが。

 

「ふぁぁ……うん。ぜぇんぶ私がやったよ? プレシアに策を与えたのも、この船にハッキングしたのも『白式』を作ったのも全部私。そう、この天才束さんがやったことなのだ~……ぐぅ」

 

 と眠たげに、しかしはっきり面と向かって告げられたので、二人揃って固まった。ロストロギアに関する危険な一大事件、その裏の立役者だと自ら証言しているのだから、無理もない。

 ニヤニヤ笑いながら反応を待つ束も含め、部屋の中、暫く無言のままでいて。やっと二人の思考が動き出す。

 

「じゃあ君は、この事件の殆ど全てを裏から操っていた……というのか!?」

「んー……うん、そうなります……じゃなかった。そうなるねぇ」

「なっ!?」

「そんなに驚くようなことです……かなぁ? 束さんの天才ぶりを間近で見てるんだから、それくらい想像してくれてもいいのに……」

 

 それまでのように敬語を使いかけて、面倒そうにに直すそぶり。話しているクロノは束の変貌に目を白黒させるばかりだが、脇から見ているリンディは、そのわざとらしい間違えを単なる演出、もしくはからかいであると考えていた。

 

「……からかってるんじゃ、無いんだな? 本当に」

「私はともかく、なのちゃんちーちゃんの言うこと信じないつもり? もしそうなら怒るよ?」

「どうしてそうなるんだ……」

 

 目の前で展開される滅茶苦茶な論説に、クロノは頭が痛くなった。とはいえ今の言葉が正しければ、篠ノ之束は間違いなく第一級の次元犯罪者ということになる。管理局制式艦船へのハッキング。次元犯罪者への意図的な内通と協力。2つとも相当な罪状として問うことが出来る。

 クロノは管理局員である。その目の前に犯罪を自白している人間があるなら、取り敢えずは確保して、更に事情を問い詰めねばならない。

 すぐさまバインドを展開して、束の両手を縛る。確保と言ってもそこまでする理由はなかったが、束の言うことが本当なら、そうしないとまず逃げられてしまうという悪寒があった。事実、束がやろうとすれば、バインドが顕現する前にあっさりと部屋から抜け出されたことだろう。

 

「うふふ、比べてみると結構硬いねこれ。流石はプロ、いい仕事してますねぇ」

「……何を言っているのか分からないが、取り敢えず君を確保させてもらう」

 

 しかし、束は動かず、その両手はバインドで一纏めに縛り上げられた。しかも逆らわないどころか、手首を解すように動かしつつ感想まで述べている。とことん常識から外れた犯罪者へ型通りの文句を浴びせて捕らえようとしたクロノだが、続けて全身にバインドを巻こうとした直前、リンディによって抑えられた。

 

「待ちなさい、クロノ。彼女を捕まえても無駄になるわ」

「どういうことですか艦長!」

「あの娘の言うことは確かに正しく聞こえるけど……そうである、という証拠は何処にもないわ」

 

 そう。証言の論理性はともかくとして、それを支えるべき物的証拠が全く存在しないのだ。

 時の庭園の残骸から、証拠として価値ある物は見つけられない。爆発とともに消え失せたのか、それとも目の前の少女が持ち去ったのか。どちらにしても管理局が手に入れる術は既に無い。

 束本人ならば、何かしらの物品を持っているかもしれないが、まさか管理外世界、それも別の国家の市民の家を令状なしで強制捜査する訳にも行かないだろう。

 

「それに、あの娘たちの証言だって……信じていないわけじゃないし、個人的には信用できると思うけれど……常識で考えれば、とうてい信じられることじゃない」

「それは確かに……」

 

 うつらうつら船を漕ぎかけている束に対し、二人の会話は深刻そのものだった。

 あの強装結界の内側にいたのは、なのは、束、千冬、ユーノ、プレシアに、気絶したままだったフェイトとアルフだけ。他の誰も、事件の爆心地で何が起こったのかを観測できていないのだ。

 そして彼女たちが話す真実は余りに突拍子がなく、常識的な説得力に欠けていた。

 特に事態の最終局面で出てきたというパワードスーツ『白式』の存在など、誰が信じてくれるというのだろう。

 

「あーっ、二人共そんなこと言っちゃって、束さんの大発明を認めないつもりだね? 確かに凄い無理したから、コアの全機能が停止しちゃってあと半年は動かせないけど……ホントに作ったんだよ? 目のクマこんなになるくらい、頑張ったんだけどなぁ」

 

 空を飛び傀儡兵をなぎ倒し、さらには病んだとはいえオーバーSランクの攻撃を容易く防御する。一体どんな代物だ。いくら束が天才だと言えども、地球の技術力では、いやミッドの技術まで含めたとしても制作できるはずがない。クロノとリンディ、二人の常識で考えればそう判断せざるを得ないし、であるなら次元世界の常識だって同じ結論を出すはずだ。

 

「それに……あの娘たちも、この娘も、あくまで管理外世界の、私たちから見れば外の住人なのだから」

「艦長……」

 

 束の言葉をまるきり無視し、リンディは苦々しく付け足した。

 そう。管理外世界の、しかもまだ9歳である少年少女が言うそんな証言を、確たる物証もなしに信用する者はいない。仮に束を連行して本局まで連れて行っても恐らく誰も信じず、戯言として笑い飛ばすだろうとリンディは見切っていた。

 そして今事情をまるごと話した束も、それを読んでいる。読んでいるから好き勝手に言い放っているのだろう、と推測もした。だから、完全武装の時の庭園に単身で乗り込んでいく程の実力者が抵抗もせず、バインドで縛られたままでいる。

 つまるところ、今のアースラには束を拘束する何らの理由も成立させられないのだ。

 そう説得されて、強張った顔のままバインドを解かなかったクロノもようやく折れ、デバイスを閉まって術式を解除した。

 

「え? あれあれ? 捕まえないの?」

「……話を聞いていなかったのか、君は」

「あぁ、聞いてる聞いてる。でもね、これなら捕まえられた方が楽しかったかなーって」

「なんだって!?」

「いやぁ、一度行って見たかったんだよね、ミッドチルダ。一人で行くにはちょっと厳しいからさ、連れてってもらえるなら越したことはないし、ね、どう? 無理矢理逮捕しちゃわない? 何ならちょっとエッチな取り調べもしていいよ☆」

「な、なななな……!! 君は!」

 

 解放された手をわきわきと動かしつつ、二人をちらちら見つめ、無防備な背中を見せながら顎をくいくいと動かす束。隙あるよ、捕まえてよ、と言わんばかりの仕草である。

 クロノもそれが単なる煽りだと分かってはいたが、若い身体と頭は当然カッとなるものだ。

 しかし、その後の会話であるとんでもない事実に気付き、その熱さもすっと底冷えしてしまう。

 

「ふざけるな! 誰がそんなこと!」

「そっかぁ。もし行けるなら本気だったんだけどなぁ。まあいいや、後で君のコンソールの壁紙をえっちぃのに書き換えとこっと。オペレータの彼女にでも見られるがいいさっ」

「おい……って、そんなことが出来るのか!? まさか、君はまだ……」

 

 以前アースラをハッキングしたのは、他ならぬ束である。艦内の全システムをジャックしたそれは、結界が消えると同時に全て解除された。しかしてその残滓は、未だアースラの中に仕込まれているかもしれないのだ。

 もちろんクロノも執務官として、事後の対策を欠かしていない。艦のシステムに一度リセットをかけて、エイミィを始めとしたクルー総出でチェックもした。

 しかしながら、何重にも仕込まれたファイアーウォールやに引っかからず、種明かしをされない限りその存在すら分からなかったウイルスである。コンピュータのどこかに忍び込んでいる可能性はゼロではない。

 拡大解釈してしまえば、この船は未だ束の支配から脱しておらず、リンディ親子含め全クルーの生殺与奪を彼女一人が握ってしまっている、とも言えるのだ。

 

「さてさてー、どうなんだろうね? そうだと考えてもいいし、考えなくてもいいよ」

「……どう、なんだ」

「お、聞きたい? 聞きたいよね。でも聞いちゃったら……後悔するかもしれないねぇ、くふふ」

 

 含みのある言葉から、眠気の残滓がかき消えた。今までとろん、と下がっていた瞼が開いている。改めて俯瞰すれば右手が何かを掴んで弄くるようにゴソゴソと動いている。その中にあるのが一瞬で艦内の全てを掌握できるコントローラだとでも言うのか。

 それとも、仕草だけで何も無いのかもしれない。いや、手の中には事実、バインドに自由を奪われていたさっきまでと同じく何も存在しないのだろう。しかし、それでもクロノは何も言えず、言い出す事もできない。

 執務官としていくつかの修羅場を乗り越えてきたクロノさえ、思考を硬直サせてしまう無形の不気味さ。それは、たった9歳の魔力の欠片もない少女から醸し出されていた。

 

「……」

「さぁ、どうするの? どうするのかな? さぁ、さぁさぁさぁ!」

 

 目を見開きながら詰め寄る束の手の中にあるのは、なんだ。

 アースラのコンピュータの中に、まだウイルスがあるのか。

 あの結界の中で、本当は何が起こっていたのか。

 まさに三重の「箱」。

 束が箱を開けない限り、どうなっているのかは誰にも分からず。箱のなかの猫が生きているならまだしも、もし死んでいるとしたら。猫を死なせた青酸ガスは覗き見た者をも巻き添えにする。

 開けなければならない。でも、どうなるか分からない。開けるのが、怖い。

 世の中の底にある、どんなに勇気ある者すら踏み出すのを躊躇し、いざ乗り込めばたちまちに正気を失ってしまう『闇』。本来幾重もの事件や因果によって作り出されるはずの深淵、その類似系を、束はたった3つの秘匿によって作り出している。

 だから、じっと動かなかったリンディも、この構造を突き崩す難しさを悟って遂に口を開いた。

 

「……私達は貴女を解放します。何もかもがあやふやな証言によって、管理外世界の住民を証拠もなしに連行するわけにはいきません」

「あ、そう」

「但し」

 

 決然と、リンディは突きつける。何もかもを弄ぼうとする、身の程知らずの天才へ。

 

「少なくとも、貴女が私たちにその性格を偽ったのは確かです。それ自体は何の犯罪にもならないけど……私たちの信用を傷つけるものであったということだけは、覚えておいて欲しいわ」

 

 つまり、今は泳がせておくが、将来何かあったらきっちり追求してやる、という宣言だった。

 リンディはもはや、束を年並の少女とは考えていない。そこに悪意があるのか無いのかはまだ分からないが、その行動自体は立派な次元犯罪者なのだ。

 

「そっか……あは、ははははは、そうなんだ、あははは」

 

 束は笑う。疑われて、追求されて、そして半ば脅されて。何が楽しいのか、クロノには理解できない。しかし、犯罪者にそういうタイプがあること自体は、士官学校で学んでいた。

 愉快犯。

 世間を恐慌に陥れ、その様子を喜ぶことのみを目的とした犯罪者。クロノが最も嫌うタイプだ。

 ただ、束はその典型とは一つだけ違う。

 普通の愉快犯は自分のやっていることを犯罪だと認識していて、だから巧妙に身を隠す。しかし、篠ノ之束はそれをしない。全てを明かしこそしないものの、自分が犯人であると自ら名乗り出ていく。かと言って、此方から逃げない訳ではない。やれるものならやってみろ、と言葉に出さず挑発してくる。

 迷いがなくしたたかで、それでいて誰にも何にも従うことがない。クロノが、そしてリンディ今まで出会った中でも、とりわけ厄介この上ない人間がそこにいた。

 

「ははは……ふぁぁ。まぁた眠くなってきたよ。もう帰っていいんだよね?」

 

 気が済むまで笑い飛ばした後、束はエンジンが切れたようにかくり、と俯いて、再びうつらうつらと目を細めるくらい、朦朧な状態へ戻っていた。自慢のウサミミも垂れ落ちそうで、ともすればそのまま部屋の机に突っ伏してしまうかもしれない。

 そんな惚けるような仕草すら、二人からしてみれば擬態のように思えてならなかった。

 実のところ、事件の始めから殆ど睡眠を取っていない束は、本気で眠かったのだが。神ならぬ二人には見透かせない事実であろう。

 

「ええ。構わないわ」

「そう。じゃ、ばいばい。ほんのちょっっっとだけ、楽しかったよぅ……」

 

 行儀悪く椅子から立ち上がり、夢遊病のように覚束ない足取りで去っていく。もうここに用はない、と言わんばかりの投げやりさだ。

 楽しかった、とはどういうことか。クロノは思う。その気になれば追求から逃れることも出来ように、あえてこの地まで突っ込んできたのは、その楽しみに期待していたからではないか。

 自動ドアが閉まり、完全に二人きりになった所で、実際に口に出して意見を交わすことにした。

 

「艦長。彼女はやはり、僕達と対話するためだけでここまで来たのでしょうか」

「恐らくは、ね。結果として私たちがもし強行して逮捕しても、それはそれで良し、と思っているのよ――恐らく、何もされないよりはそっちの方が面白いと、本気で考えているわ」

「なんて奴だ」

 

 自分の身の安否すら遊興の種にする。捕らえられたらそれまでと割り切っている。捨て鉢と言ってしまえばそれまでだが、そういう人種は総じて悪運強く、かつ常に逆転の目を狙い撃ちするから厄介だ。

 

「今回の事件もそうだわ。束さんは事件を止めるなのはさんたちと、首謀者であるプレシアへ同時に協力し、一方に力を、一方に策を与えた。そして決戦場で、どちらが勝つかを観察していた……無論、彼女としてはなのはさんたちの勝利に微塵も疑いを持っていなかっただろうけど」

「元から事態がどう傾いた所で、彼女にとっては実のある結末だった。なのはと千冬が倒れた所で、プレシアは契約を守り彼女たちの命は奪わない。だから、彼女は何の憂いもなくプレシアを背中から裏切って刺し――ジュエルシードと、彼女の研究全てを乗っ取れる」

「そういうことね」

 

 クロノは苦虫を噛み潰したような顔で、リンディは目を閉じ閉口して、この状況に相対した自分たちの無力さを痛感した。これほどの一大事を、管理外世界の少女一人にいいように使われてしまったというのは、広大な次元世界の治安を守るため日々努力している管理局員にとっては、やはり恥ずべきことなのだ。

 

「やはり、監視しなければならないと思います」

「私もそう思うわ。でも、今の私たちに、そこへ割ける程の人員はいないし」

「もしいたとしても、生半可な人物では恐らく何の意味も無いでしょうしね」

 

 嘆息しながら二人が回想するのは、少し前に情報収集の一環として、海鳴の図書館から回収した新聞の1ページだった。『天才少女篠ノ之束、またもやお手柄』。地方版に小さく載っているその記事には、営利目的での誘拐事件を発見した束が、すれ違った車のナンバーと車種を一瞬で暗記して友人と共に警察へ通報したという、なんとも痛快な顛末が載せられていた。

 もちろんリンディもクロノも、それを額縁通りに受け取ってはいない。「またもや」ということは、これと似たような活躍が何回か新聞に載っているということで、肯定的な意味を持つ。つまり海鳴や世間での篠ノ之束という人間は、親しい人間を除きその本性を完全に隠し通せている。

 海鳴の一市民に化けて、情報収集や監視などをしても無駄だということだ。

 

「必要なのは、束の側に近づける人間。それも、比較的年が近ければなお良し……」

「クロノ? ひょっとして、心当たりがあるの?」

「そういうことではないんですが……まぁ、今はこちらも忙しいですし、ひとまず置いておくことにします。例の件、やるんでしょう?」

 

 話を変えてクロノが聞いたのは、ここ数日アースラクルーがかかりきりになっている、ある「測定」についてのことであった。

 

「えぇ。そのために庭園の残骸撤去を急がせたんだもの。予定に変更はないわ。明々後日。二人にはもう知らせてあるから」

「『本事件に関わった空戦魔導師2名について、能力確認のための空戦シミュレーション』……どっちみちやらなければいけないんでしょうが、自分としては二人の肉体、そして精神的疲労を鑑みて、現時点での測定にはやはり反対したいところです」

 

 それを行うということより、否定的な言い方しか出来ない自分に向けるような怒り顔を見せるクロノへ、リンディは柔らかく微笑みながら続ける。

 

「あら、可愛い女の子のことが心配? クロノも紳士になってきたわね、善哉善哉」

「なっ、か、母さんっ!」

「うふふ。大丈夫。私から見ればあの二人、見た目に比べて案外芯の強い娘よ」

 

 今回の事件、アースラのクルーの全員に、後悔と無力感だけが募る結果になってしまった。次元震は発生せず、ジュエルシード全てを確保することも出来たが。不遇の人生に心を壊した母親を救えず、彼女の『娘』の心にも重い傷だけを残してしまった。

 もう全ては終わってしまったが。だからこそ、出来るだけの、可能な限りのことはしたい。

 クルーの代表者としてとりわけその思いの強かったリンディが一番やりたかったことは、フェイト・テスタロッサの心のケアであった。

 

「なのはさんは、フェイトさんに一度でいいから会いたいと仕切りに言っていて。もしそう出来たなら、彼女の真摯な思いが、フェイトさんの心に何らかのいい効果を与えてくれると思うの」

「本来規則で叶えられないはずのその状況を、無理矢理作りだすための模擬戦闘ですか」

「そういうのでなくて1席設けても、フェイトさんとしては何も話せないと思うし――あの娘達は今まで、空を飛び、魔導を競い合うことでコミュニケーションを取ってきたんだもの」

 

 リンディのその言い分を聞いたクロノは、それは提督と言うより空戦魔導士の意見だな、と内心おかしな気分になる。

 本来そういう意見を出すはずの現場担当が慎重論を唱え、止めるはずの提督が積極論を出す。そういうおかしさは、しかしクロノにはしっくりときた。結局女の子の気持ちは、他ならぬ女性が一番理解しているのだろう。門外漢は推して知るべし。

 

「分かりました。エイミィにフィールドの設定を急がせます。後、現場の安全確保も」

「まだ瓦礫を完全に撤去出来た訳ではないから、その辺りの確認を重点的にね」

 

 こうして、二人の会話は段々と事務的な内容へ移り変わっていく。

 束の底知れぬ本性に悪寒を抱く二人だが、そればかりにもかまけていられなかった。飛ぶ鳥跡を濁さずとは良く言うが、束はやれ庭園の残骸だのおかしな証言だの厄介事ばかりを後に残していったのだ。

 

 それをどうにかして片付けるのが、事件と状況にまとめて放置され、置いていかれた管理局員たちが行える、せめてもの職務なのだから――

 




さてさて、どうにかなったぞ束さん。でも、これからどうする、束さん?

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