さて、思わぬことからなのは・千冬と束・ユーノの共同戦線が出来上がってから更に暫く後。ジュエルシードを狙う、もう一人の魔導師が現れた。
彼らが始めて二人と相まみえたのは、月村亭の庭園で、猫を大きくしたジュエルシードを確保した、その瞬間である。
先に気づいたのはなのはだった。何かが来る、それも、かなり危険な何かが。
自分たちの真後ろまで迫っていた魔力の弾頭を、なのはははっきりと知覚していた。
「……っ! 千冬ちゃん、下がって!」
「なっ!?」
雷色の光弾がなのはと千冬に迫る。プロテクションを展開したなのはが振り向き、千冬はその後ろに下がった。魔力と魔力がぶつかる独特の衝撃音が響き、外れた光弾が地面を抉った。
「これは……」
「そのまま! 後三発来る……たぶん!」
感覚で発したなのはの言葉は正しかった。三発の内二発はプロテクションに当たり、一発は大きく逸れて木にぶつかって弾けた。
二人の身体よりもずっと大きな老木。その薄黒い樹皮が剥がれ、熱で溶かしたような穴が穿たれている。
その威力を見て、アレに当たる訳にはいかない、と千冬は実感した。死にはしないだろうが、魔法に対する防御がない以上、一発でも当たれば即ダウンだ。
「威嚇だな……これ以上動くなということか。何処に居る! 姿を見せろ!」
堂々として森の中に大きく響く声。それは計算された挑発ではなく、姿形を表さない敵手への苛立ちだった。
それに応じて、木陰に隠れていた襲撃者が姿を現す。闇夜に溶け込む黒い防護服を身にまとい、金色の髪と赤い瞳。年頃はなのは達とほぼ同じだが、しかしその目の色は昏く、何かしらの尋常でなさを感じさせる。
千冬は思った。これは、今までの敵とは訳が違う。師範に木っ端微塵に叩きのめされた時も、束と本気で喧嘩をした時も、こんな気分になったことはない。戦いの中で感じる高揚感が、今は奇妙に底冷えしている。これは強敵だ。木刀を握る手に力が入り、頬を冷や汗が伝った。
一方、なのはは思っていた。
この子、とっても綺麗だ。でも、何だかとても、寂しそう。
「……貴方たちのジュエルシード、貰っていきます」
瞬間、二人とも思考を中断し、言葉と同時に迫り来る4つの光弾に意識を集中させた。
今度は全て直撃する。なのははレイジングハートに祈り、プロテクションの術式を強化した。術の難度に応じて、身体の力がかなりの勢いで抜けて行くが、今果たすべき自分の役目は後ろにいる千冬を守ることである。バリアジャケットのある自分はまだしも、魔法に対する防御力がゼロに等しい彼女が直撃を受けたらどうなるか。
幸い、その心配は杞憂に終わる。さっきの威嚇よりも威力を増した光弾は、プロテクションへまともにぶつかり消え去った。ただし、プロテクションの方もかなり削られ、もう一回同じ強度の攻撃をされたら防壁を維持できなくなるだろう。
この状況をジリ貧だ、と先に気づいたのは、流石に千冬の方だった。
「なのは、このままだと不味いぞ。向こうは間違いなく魔導師だ。お前の砲撃魔法みたいな大技を繰り出してきたら、耐えられなくなるだろう」
「分かった……分かったけど、どうすれば!?」
どうするか。千冬の運動能力なら、あの程度の弾幕は掻い潜れる。向こうの防御がどれほどのものかは知らないが、一つ近づいて剣戟勝負を掛けてみるのも面白い、とは千冬も思うが、そう出来ない唯一にして最大の足枷がある。
千冬は空を飛べない。
彼女は確かに身体的には同年代の殆どを上回っており、俄仕込みの御神流も大分様にはなってきていた。しかし、空は飛べない。いくら身体をいじめ抜いても、剣術を鍛え上げても、生身の人間に空をとぶことなど不可能だ。魔法を使えば話は別だが、彼女に魔力はない。
「なのは、私を抱えて飛べ! 私達を見下げているあいつに、目にもの見せてやる」
だから、魔法の使えるなのはに、空を飛ばせてもらう。竹刀の届く距離まで近づけば、後はどうにでも出来る。
千冬は自分の剣術に、戦闘能力に、絶対的な自信を持っていた。今不利な状況にあるのは、向こうが此方の射程外にある、というだけでしかない。近づくことが出来さえすれば。
この時、彼女は珍しく視野狭窄に陥っていた。
自分の攻撃が届かない、ただそれだけの理由で防御に回り、負けへ追いやられていく。それが彼女のプライドを傷つけ、勝てはしなくても、せめて一撃食らわせてやりたい、という自暴自棄な思考へと陥ってしまったのだ。
そのつけを、戦いの後、彼女は痛いほどに味わうこととなる。
「え、えっ!? そんな、無茶だよ」
「無茶でもやれ。それしかあいつに勝てる方法はない! それとも、むざむざジュエルシードを取られて悔しくないのか!」
千冬の激しい口調に、最初は戸惑っていたなのはもついには折れた。実際守るばかりではどうにもならなかったし、千冬ならなんとかしてくれるかもしれない、とも信じられたからだ。しかしなのはのそれも、信頼を飛び越えた過信であった。二人が二人が突然現れた未知の敵に混乱し、判断を誤っていた。
なのはが千冬を後ろから抱きかかえ、飛行魔法を発動させて飛ぶ。浮力に関しては全く問題なく、二人の体は無事宙に浮いた。
「……!」
が、問題はそこからである。
空を飛んだ千冬の両手には、竹刀が握られている。それに気づいた敵の少女は、自分の前に数秒で光の輪――スフィアを作成した。それは、魔法の発射台。その中から黄色い槍の穂先に似た魔法の弾が創り出され、続け様に宙を浮くターゲットへと発射される。
なのはは勿論回避しようとするが、その動きは鈍重で、反応も遅い。千冬を抱きかかえているから、元から未成熟な飛行魔法の機動性が、更に大きく削がれているのだ。速射を重点にしてまともに狙いを付けず放たれていなければ、ノーガードの状態で光弾を残らず食らっていただろう。
しかし、ともかくは回避できた。後は接近して、打ち合えばいい。
「なのは!」
「分かってる!」
二人が声を重ね、いざ、黒衣の少女へ一撃を叩き込むため近づこうとした、その瞬間。
既に向こうの方から、一直線に迫り来て、黒色の戦斧を展開し、金色の刃を煌めかせた鎌に変えて大きく振りかぶっていた。
やられる。一瞬驚いた千冬は、その凄まじい早さに飲まれ、しかしそれでも必死に身体を動かした。それが功を奏し、二本の小竹刀が一瞬で十字に重なり、同じくらいの早さで迫る鎌の刃をどうにか受け止める。千冬にとっては待ちに待っていた剣戟の鍔迫り合いだが、状況は彼女の望んでいたように動かない。むしろ、地を這って戦っていた時よりよほど危険で、勝機のない戦いだった。
「くぅ、う……!」
一度刃が重なった以上、それを打開するには贅力に頼り押し切るか、躱してから返す刀で一撃を叩き込むしか無い。もし、千冬と敵が地上で相まみえていたなら、千冬の技術と実力によって、どちらか1つの手段を取り得ていただろう。しかし、ここは空中。千冬の身体を抱きかかえるなのはは動くに動けず、その場に踏ん張る力も弱い。よって当然、向こうが力を入れれば、何も出来ずに押し切られてしまうのだ。
そして、決着。
黒い魔導師の一撃が、二人の精一杯の抵抗を押しのけ、跳ね飛ばし、吹き飛ばされた二人は、そのまま飛行魔法による浮力を失い落下。意識をなくしたなのはの代わりにレイジングハートが尽力してくれたおかげでどうにか地面への激突だけは防げたが、それでもかなりの衝撃が、千冬の身体に強く響き、全身に痺れと痛みが拡散していった。
「ごめんね」
呻く千冬の耳に聞こえたのは、敗者への侮蔑ではなく、小声での、冷淡に聞こえる謝罪。だからこそ、千冬にとってはとても悔しい言葉だった。
敵の少女は手加減していたのだ。魔法を持たない千冬に。魔法を覚えたてのなのはに。だから、彼女は威嚇した。そして、無謀な行為に出てきた二人を止めるために射撃し、それでも止まらぬ二人を、鎌でのたった一撃で地面へ叩き伏せた。
しかも、その鎌には刃が無かった。だから、竹刀で競り合えたのだ。その気になれば竹刀を切り裂き、自分に致命傷を負わせることも出来たのに。彼女は敢えて千冬の勝負に乗った。そして、正面から倒してみせたのだ。
「ジュエルシードは、諦めて」
倒れた二人を尻目に、悠々と青い宝石を回収してから、最後にポツリとそう言い残し、黒い魔導師の少女は飛び去っていった。
残されたのは、傷つき倒れた二人の女の子。
千冬は今になって、自分の下敷きになっているなのはに気づいた。さっきまで目の前にいた敵にのみ意識が集中してしまっていたのだ。いくら地面に軟着陸したといっても、千冬と地面に挟まれたなのはのダメージはかなりのもので、バリアジャケットを解き、意識を失ったままであった。
千冬の心は深い後悔に苛まれた。たがが暴走体、と油断していた。何回も封印に成功していて、気が緩んでいた。空を飛ぶタイプの敵だっているかもしれない、そう考えていればまだまともに戦えたはずだ。
いや、違う。今回の敗北の理由は、もっと根本的な所にある。それは、千冬自身の考えの甘さだ。普段の束との喧嘩、剣術の修行の延長線上として、この戦いを捉えてしまった。けれど、あの魔導師は。そんなものよりもっと重い理由で、ジュエルシードを手に入れるために戦っている。千冬の鋭い直感が、それを見抜いていた。
だから強い。戦う理由がちゃんとある。それと比べれば、友達を助ける? 秘密のトレーニング? そんな自分の理由など、たかが遊び半分じゃないか。剣というのは心を表す。その心が弱ければ、負けるのだって当たり前だ。心の弱さが、ムキになる自分を生み出し、そしてこうして、守らなければならない人を、傷つけてしまう。
頭では、ちゃんと分かっているのに。カッとなって飛び出して。無様に負けた。全ては自分が弱いせい。師範や兄弟子が、御神流を見せてくれない理由だって、今初めて分かった。危険だからとかそういう訳ではない。殺人剣を使いこなす程の心が、まだ身についていないからだ。
それでも、止まる訳にはいかない。止まりたくない。一度関わりあったのだから、もう逃げたくはないし、精一杯戦ってみせる。確かに空を飛ぶ相手に、剣では致命的に敵わない。だが、正面からではなく、追跡、待ちぶせ、奇襲など、戦う場所や戦い方に知恵を凝らせば、十分に戦えるはずだ。
しかし、そうするのは、私一人だけで十分だ。こんな浅ましい理由で戦う私に、共連れなど必要ない。
「んぅ……」
「なのはっ! 大丈夫か!」
「……んー、なんとか……」
「すまない」
まるで、いつもの寝起きのように、ぼんやりとした顔で起きてきたなのはへ、千冬が最初にぶつけたのは謝罪の言葉だった。
「私が甘かった。考えてみれば、あんな方法で勝てるわけがないんだ。お前を守らなければいけないはずなのに、逆にこうして怪我をさせてしまった。本当に、ごめん……」
千冬は決心した。これからは、なのは抜きでジュエルシードを集めよう。そうでなければ巻き込んでしまう。また、怪我をさせてしまう。束の手からユーノを取り返して、封印は彼に頼めばいい。なのはが怪我をしたと言えば、彼も承知してくれるだろう。これ以上、なのはを危険な目に合わせる訳にはいかない。
もちろんなのはは承知しないだろう。自分だって一緒にやれる、そう言って譲らないだろう。もしそう言ったら、レイジングハートを無理矢理奪ってでも止めて見せる。なのはの友達として、守るために。
そんな思いを込めて、頭を下げた千冬を、なのははきょとんとした顔で見つめ。そして、申し訳ないような顔で言葉を紡いだ。
「負けちゃったね」
「あぁ……完敗だ」
なのはが自分を責めはしないことは、千冬には分かっていた。だが、まるでなのは自身が原因で負けてしまったような顔を見せられては、なんだか自分が庇われているような気がして、千冬は自分を惨めに思い、ますます落ち込んでしまう。
だがその後に、なのはは表情を少しだけ明るくして、またこう言った。
「もうちょっと、頑張ろう。私も、千冬ちゃんも」
「……え?」
「だって、ジュエルシードを集めていったら、また、あの子と戦うことになるでしょ? そのためにも、私は魔法を、千冬ちゃんは剣術を、それぞれもっと頑張らないと」
「だ、だが、なのは……お前、痛くなかったのか? それに怪我もしているじゃないか!」
「うん、痛いよ。でも、負けたくないもん」
負けたくない。それは千冬の本心であったが、同時になのはの本心でもあったのだ。
「なのは……」
「千冬ちゃん? 私に、戦うのをやめろ、って言うつもりだったでしょ」
「っ、それはっ……だが、お前が傷つくなら」
「うん、分かってる。でもね。傷ついても、痛くっても、私、続けたい。ジュエルシード集め。あの子と戦わなきゃいけなくても……ううん、戦って、ジュエルシードを争わなきゃいけないって、思う」
その言葉に千冬は目を見張った。いつも大人しいなのはが、ここまで自分の意志をはっきり示すのは、千冬が見た限りでは初めてだ。
「どうして?」
「……んー……分かんないや」
「なっ!? お、お前なっ」
「あはは、ごめんね頭悪くて。でも、何だか色々あって……ユーノ君を助けたいとか、危険なものをほっとけないとか、後、あの金髪の女の子と、もう一度、会ってみたいとか……なんでだろうね。あんなに痛いことされたのに。……あ、もしかして私、束ちゃんがいつか言ってた『まぞひすと』なのかな!?」
「な、なな、そんなわけ、あるかっ」
いつもの癖で、ポカリ、となのはの頭を叩いてしまった。直後に気づき、ごめん、とまた謝ろうとしたが、なのはの顔はさっきまでとは違い、晴れやかに笑っている。
その顔を見ると、さっきまでの自分の悩みが、何だかバカバカしく思えてきてしまって、千冬も漸く、落ち込み顔から立ち直り、くすっと笑った。
「にゃはは、千冬ちゃん、やっと元気になった。攻撃が直撃したから、私よりもダメージ大きかったし心配したよ」
千冬はその言葉で、なのはが自分の事を考えて、冗談を言ってくれたのだ、思った。もしかして、全てが素の行動なのかもしれないけど、それならそれでいい。冗談を言わず、人を笑顔にさせられるのはとても素晴らしいことであるはずだから。
「ん……そう、だな。すまない、心配させてしまって……」
「いいよ。ね、千冬ちゃんは、何のためにジュエルシード集め、続けたいのかな?」
「なに?」
「ほら、私が言ったんだから、千冬ちゃんも言って? そうじゃないと、公平じゃないでしょ?」
そう言われて、千冬はふっと思い悩む。だがそれも、一瞬だけの煩わしさにしかならなかった。
「そうだな……色々あるぞ? あんな危険物を束のやつに渡さないようにする。あいつと戦うために最強の剣術を鍛え上げる。それに、一度負けた、あの黒いヤツに、土をつけてやる」
「うんうん」
「だが、一番大きいのは……お前を守りたい、ということだ」
二人、土に倒れながら、それでもすっきりした顔で話し合う。
自分の戦う理由は、黒いヤツのそれより軽い。けれど、理由の重さ軽さではなく、それにかける思いなら、今の自分は、ヤツには負けない。
少なくとも、なのはを、この、底抜けに明るくて疑うことを知らなくて、だからこそ強い女の子を守りたい気持ちは、他の誰にも負けてはいない。
「私は飛べない。だが、飛べないなら飛べないなりに足掻いてやる。お前の後ろを、私が守る」
「……あ、私と、同じだ」
「なに?」
「えへ、私もね。千冬ちゃんを守りたいの。今は守られるだけだけど……何時か、互いの背中を守る。そうなれたら、いいなって……ちょっと、無茶かな?」
千冬は無言で首を振った。
無茶じゃない。だって、なのはは飛べるのだから。どこまでも高く、高く高く高く――
「ううん、千冬ちゃんだって飛べるよ? いつかきっと」
いつの間にか、声に出してしまったそのつぶやきに反応したなのはの言葉は、単なる理由のない励ましなのか。もしかすると、また、予言じみた確信を言っているのかもしれなかった。
出来る限り毎日更新を続けます。