先生、黒服、小鳥遊ホシノの三人は、異なる世界の小鳥遊ホシノが見る悪夢の世界へと降り立った。
この世界から解放されるには、アビドス、ゲヘナ、ミレニアム、トリニティの四校に屹立するサンクトゥムタワーを削除すること。
しかしそれは、サンクトゥムタワーが再現する学校と生徒を消すことを意味した。
苦痛に満ちた戦いの果て、一行は世界基底にアクセスしてミレニアムサイエンススクールの削除に成功する。
だが、先生はその戦いを経てひとつの決意を抱いてしまう。
小鳥遊ホシノを守るためなら手段を選ばないという宣言。自らをゲマトリアの先生と定めた先生を待ち受けるものは――
第1話:リザルト
「ぅ、……あ」
不明瞭な意識のまま、私は目を覚ました。
ここはどこだっけ……? と思い返すのはミレニアムでの戦い。
全てを制して全てが消えて、後に残ったのは砂に覆われた世界。
そうだ、あの後倒れて――
全身を巡る痛みに呻きながら目を開けると、私を抱きかかえた先生の顔があった。
「おはよう、ホシノ」
「……何時間寝てた?」
「1時間と30分ぐらいかな。誰とも会敵してないよ」
「そっか……」
徐々に明瞭になっていく意識。どうやら誰も居ない家屋の中に居るようで、外はまだ明るい。
明るい? 違和感に気付いて先生を見ると、先生はタブレットの画面を私に向けた。
映った時刻は18時。それなのに外はずっと明るいままだった。
「きっとルールがあるんだろうね。少なくとも、夜は来ないみたい」
「……何なんだろう、この夢」
はぁ、と息を吐いて力を抜く。そして私の身体は再び先生の腕の中へと落ちた。
――そこで私は我に返った。
(いやいや何で先生に抱きしめられてるのさ……!?)
「ね、ねぇ、先生……? 流石のおじさんも恥ずかしいかなぁ~って」
「大丈夫、黒服はいま物資の調達に行ってもらってるから」
「そ、そういうことじゃないって!」
もぞもぞと抵抗するように動いてみるが、どうにも身体に力が入らない気がする。
(じゃ、じゃあ……先生に甘えちゃうのもしょうがないよね……?)
黒服も居ないことだし、仕方なく、仕方なくだから。
「……先生、なに笑ってるのさ」
「い、いや、何でも……ふふ」
口に手を当てて笑う先生を軽く睨むと、先生は「あ、そうだ」とビニール袋を取り出した。
「喉乾いてたりしない? 黒服が調達してくれたんだ」
袋の中には何本かの水とお茶とスポーツドリンクに、サンドイッチやおにぎりといった手ごろに食べられるもの。痛み止めを始めとした市販薬が少量ながらに入っていた。
「よく集められたね……」
「まあ、
「うん……?」
先生の言葉の意味がいまいち理解できなかったが、まあ黒服が何を持ってきてもおかしくはないかと解釈する。
――そんなことよりも、喉もお腹もかなり空いていた。
何せ二時間前に軽食を取ったきり。それもこの世界で目覚めてから初めて取ったブレックファストがサンドイッチ二枚なのだ。
先生の腕の中から身を傾ける。ビニール袋からスポーツドリンクを取り出すと、先生は「開けてあげるよ」とキャップを捻ってストローを差す。そして私の口元まで持ってきてくれた。
「うへぇ~、全自動甘やかし機だぁ~」
ストローを咥えて吸うと、仄かに甘く冷たい感覚が喉を通る。糖分が回ったせいか気持ちが良い。
口を開けて目配せしてみると、今度はサンドイッチが口元まで運ばれてくる。あむ、と食べるとツナマヨだ。咀嚼して飲み込む。空っぽの胃袋に落ちる感覚。
ストローが寄せられる。飲む。サンドイッチ。食べる。頭をうりうりと振ってみる。撫でられる。
「……!」
――何ということだ。寝ているだけで食事が運ばれてくる以上の機能があるなんて。
「これは――世紀の大発明だよ……!」
「ん? どうしたのホシノ」
「全自動甘やかし機、すごいね……!」
「追加課金でサービスも増やせるよ」
「拡張性も充分だぁ~」
空腹が満たされたおかげか、ようやくそれ以外のことにも目が向き始めて――はたと気付いた。
汗とか汚れとか、そう言ったのもある。けどそれ以前に改めて自分の身体を見る……と、私はゆったりとしたパジャマを着ていた。
(……あれ? 制服は?)
「そうそう、服は汚れていたから洗濯してるよ」
「え、いや、先生?」
「いやぁ、応急手当のやり方覚えておいて良かったよ」
「せ、先生?」
「とは言っても応急処置だからね。もっと技術があれば良かったんだけど……」
「そうじゃなくてね? その……」
純真無垢100%みたいな目のままの先生に、私は恐る恐る尋ねた。
「……見た?」
「……あっ」
「そっ――なんでかなぁ!?」
「ちがっ、違うよホシノ!?」
羞恥心に震える私を前に、先生は慌てて手を振った。
「何が違うのさ! いや分かるけど、分かるけどもさぁ……!」
先生は純粋な気持ちで私の応急手当をしようとしてくれた。分かる。それは分かる。
それでも私だって恥じらいはある。いやしょうがないけど、しょうがないけどさぁ……!
身悶えする私の前に先生が出したのは、およそ最悪の弁解だった。
「だ、大丈夫! 下着は脱がせてないから!」
「それは当たり前でしょー!!」
黒服が戻ってきて、私たちは状況確認を始めた。
まずは先生。ミレニアム戦でのことを振り返っていく。
「世界基底に触れてアクセス、って流れは間違いないみたいだね」
「私が言うのも何だけどさ、テラー化した私を戻した時と状況は近いよね~」
「あぁ……うん。そうだね。あの時と同じような方法で干渉できる」
シッテムの箱を持った先生が世界基底に触れる、これがこの先の戦いにおいての目標となる。黒服が最初に言った通りだった。
けれど、そうじゃなかった部分もあったと先生は声を上げた。
「サンクトゥムタワーはホシノの同格の神性じゃないと破壊できないって言ってたけど……。ねぇ黒服、神性の格とかはあまり分かっていないんだけど、アリスが壁を破壊できたのは同格だったから、で合ってる?」
「そのことなのですが、天童アリスは名も無き神々の王女……例外中の例外ですので。比較対象としては相応しくないでしょう」
黒服はそう言葉を区切ってから、「ですが」と続けた。
「重要なのは
「私以外が?」
「ええ、一度起こったことはもう一度起こり得るのです。キヴォトス最高峰の神秘たる貴女が作り出した世界、その前提を少し疑う余地が生まれたということです」
「それは……ホシノ以外が作った可能性か、それとも……」
「そうです。キヴォトス最高峰の神秘
あくまで可能性の話ではあったが、もし壁が想定よりも壊しやすいのなら手段が増える。
例えば一階から登っていくのではなく最上階付近にミサイルかをぶつけて穴を開けられれば、相手の虚を突いて一気に制圧なんてことも可能だろう。
そう意見を出してみると、先生は同意するように頷いた。
「手段としては良い提案だね。ミサイルの類いも鹵獲できるかも知れないし、後はヘリか何かを奪取できれば充分に可能だと思う」
「クックックッ……。希望的観測が過ぎるようにも思えますが」
私は黒服を半目で睨んだ。
けれども、黒服は「そういう意味ではなく」と首を振る。
「ミレニアムの消滅によりこの世界に多くの変化が訪れました。アビドス本校を除いたアビドス自治区全域での通信インフラ途絶および集砂機の消滅。……我々がどのような手段によってサンクトゥムタワーを消したかという情報は外に漏れ出ていないはずですが、仮にこの世界のホシノさんが世界の構造の全てを知っていた場合、他のタワー管理者にも情報を共有している可能性があります。となれば……」
「ショートカットは対策済み、ってことかな?」
「そうです先生。ゲヘナにもトリニティにも対空砲が無いとは限りません」
仮にヘリがあったとして、それを鹵獲できたとしてもそれこそが罠である可能性が否定できない。
そう考れば、数で負けている私たちがイチかバチかの賭けに出るのは危険過ぎる――黒服の言いたいことはそういう事らしかった。
結局、希望的観測は持たない方が良い――なんて、ありきたりなところに落ち着いて次の話題へ。
ミレニアムを消して、私が倒れた後に何があったのか。先生はこくりと頷いた。
「その後のことなんだけどね、砂嵐に襲われたんだ」
「砂嵐……? うへ~、よく無事だったねぇ」
「無事……だったのかな。何も見えなくなって、気が付いたらアビドス分校で倒れてたね」
「それって、ワープしたってこと?」
アビドス分校。それは私たちが最初に目指した場所だった。
アビドス本校から離れた位置にある校舎で、本来はアビドス別館と呼ばれた――対策委員会のあったこの世界の校舎。
「恐らくですがホシノさん、貴女の存在に引き寄せられたのだと思います」
「私の……?」
黒服は指を組んで推論を話し始める。
「ホシノさんの夢がこの世界と繋がったとき、貴女にとって重要な場所と何らかの繋がりが出来たのでしょう。事実、私たちが転移した部屋には対策委員会と張り紙がされておりましたので」
「……そっか」
異物のみの世界と言えど、元の世界にあったものがちゃんと存在したことは良かった。
むしろ救われたと言っても良い。それだけは持ち込めたと思うのなら。
「けれど、アビドス防衛部隊が巡回していてね。隙を突いて移動したんだ」
そして今はこの家屋、ということだった。
生活音が無く、今はただ私の制服を洗う洗濯機の音だけが聞こえている。
「幸いにもではあるけど、ホシノの装備を回収できたのは良かったよ」
「私の……? あっ」
と、思い出したのは最上階での戦いのこと。
あのとき盾と拳銃は39階へ置き去りにしたままだったのだ。
「何故かは分からないけど、対策委員会室に転移したときに装備も一緒に置いてあったんだ」
先生は私と私の装備を背負ってここまで来たのだと言った。
もちろん生徒会室のロッカーにある私の装備も合わせて、家屋の片隅にまとめて置いてくれていた。
「ありがとう、先生。でも重くなかった?」
「大丈夫だよ。それに、黒服に大事な装備を触られるのは嫌かなって」
「クックックッ、酷い言われようです」
少しばかり空気が和らぐ。
残す議題は次なる目標――即ち、次に向かう学校のことである。
「先生……いま残ってるのはトリニティとゲヘナだよね」
「そうだね。アビドスを
ミレニアムの例を見れば明らかだが、サンクトゥムタワーを攻略すればその学校に所属する生徒は全員消える。
その点アビドスはそもそもひとり――この世界を統べる
もっと言えば例の現実改変がどのぐらいの規模なのかが分からない。
何をされたら捕捉されて、一体何をしてくるのか。人を対象に取れるのか物を対象に取れるのか。それが何も分からない以上、低く見積もって失敗するわけには行かない。
と、ここまで話をまとめて考えるが、やはり次に攻めるのはゲヘナかトリニティのいずれか。
さて、どちらから向かうべきか……と言ったところで先生は口を開いた。
「ホシノ。次はゲヘナに行こう」
「ゲヘナ? 理由があるの?」
先生は頷いて、口を開いた。
「理由は二つ。ひとつはアビドス防衛部隊は見たところゲヘナ生が多かったから。多分トリニティと合同で防衛部隊に人員を割いているわけじゃないと思う」
「確かに、ゲヘナとトリニティが足並み揃えるなんて想像できないね~」
「だからこそ、ゲヘナを消せばアビドスの防衛部隊も消えるはず」
アビドス防衛部隊が居なくなればこの世界の私に会いに行くことも出来るかも知れない。
そう言ってから先生は言葉を続けた。
「もうひとつは、アビドス防衛部隊の隊長はヒナだったから」
「ヒナちゃん……? って、まさか――」
「そう、多分ヒナはゲヘナに居ない」
ゲヘナ最大の個人戦力、
ヒナちゃんは後方で指揮をするタイプじゃない。だからアビドス防衛部隊の隊長に就いているのであれば、ゲヘナではなくアビドスに常駐しているはず――
「ある程度休んだらゲヘナへ向かおうと思うんだけど、どうかな?」
「うん、行けるよ」
それから洗濯機の音が止んで、しばしの休息へと移る。
――ゲヘナ自治区にヒナちゃんは居ない。私たちが行ったその推測は、正しく的を射ていた。
時刻は砂嵐に巻き込まれた直後、アビドス本校へと遡る。