「クク……キキキ……、キヒャヒャヒャヒャヒャ!!
もはや次の手など無い。策を弄ずる以前の話だ。
サンクトゥムタワーはもう無い。世界基底は失われた。そしてゲヘナは未だ健在。
「さあ、先生。敗北を認めろ。お前たちの負けだ」
囁くマコト。だが、それに返せる言葉を私は持っていない。
マコトは通信機を使ってゲヘナ自治区全土へ勝利宣言を行った。
「あーあー、ううん。聞こえているな、暁のホルスよ。サンクトゥムタワーは崩壊し、ゲヘナは未だ健在。先生も全てを諦めた」
それが、どうしようもない現実だった。
希望は失われ、ホシノが戦ってきたこれまでの過程が無意味に消える。
「これが現実だ、暁のホルス。現実を受け入れて抵抗を中止しろ。お前に未来は訪れない」
「…………それは違う」
私の言葉にマコトは振り返る。一切の感情を示さない警戒心が見て取れる。
「……ほう? 先生よ。まだ何かあるのか?」
ホシノの未来はここでは終わらない。
私にはまだ、未来の接ぎ木とも呼べる最後の手段が残っているのだから。
――"大人のカード"を使って、世界基底かそれに準ずる楔を見つけ出して破壊する。
――その代価に必要な未来を、皆と過ごす日々を、私は必要とあればみんなに差し出す。
カードに触れようとした、その時だった。
不意に鳴った着信音。私は――
気付けば周囲は暗闇だった。
身体の感覚はとうに失われ、天地の境界すらも曖昧になっている。
遅れて気が付くのはここが塔のあった場所――瓦礫の中であるということだった。
(――ああ、壊れちゃったんだっけ。タワーも、世界基底も)
全ては遅かった。何ひとつ間に合わなかった。希望なんて此処にはなかった。
緩やかな絶望。さりとて何故か、そこまでのショックを感じていない。その理由を虚ろな思考で考えていると、瓦礫の向こうから何かが聞こえた。
『聞こえているな、暁のホルスよ』
それはスピーカーから聞こえる羽沼マコトの言葉であった。
『サンクトゥムタワーは崩壊し、ゲヘナは未だ健在。先生も全てを諦めた』
――はは。先生が、諦めた? 私たちを、生徒を諦めただって?
「分かり易い嘘吐くね、議長ちゃん」
鼻で笑い飛ばして、私は瓦礫の向こうへと手を伸ばす。
積み重なった希望の残骸をひとつひとつ退けて、真昼の陽光の元へと這い戻る。
『これが現実だ、暁のホルスよ。現実を受け入れて抵抗を中止しろ。お前に未来は訪れない』
空には相も変わらず太陽が昇っていた。
真昼の太陽。瓦礫が続くゲヘナ噴水広場。遠くから集まって来た風紀委員会たちが私の姿を見て悲鳴を上げる。
「現実、ね」
不意に脳裏を過ぎったのは、カイザーPMCの理事の言葉だった。
「現実を見ろだなんて、そんな言葉……今まで散々言われて来たよ」
策も無い。塔も世界基底も、このゲヘナを消す手段なんて何もない。
この手の中にあるのは、右手で掴んだショットガンだけだった。
「でもさ、辛いときってついつい目が逸れちゃうものなんだよね」
でも、私にはショットガンだけで充分だった。
「現実から目を逸らして、惰性で抵抗し続けて、うん。そりゃ、誰だって馬鹿だって言うよ」
ふと、遠くに同じく瓦礫から這い上がる鬼怒川カスミの姿があった。
私はショットガンを片手に近づく。鬼怒川カスミが私に気が付く。
「私は馬鹿だった。けど、馬鹿だったからノノミちゃんに会えた。シロコちゃんに会えた。セリカちゃんにも、アヤネちゃんにも、みんなと出会えた」
鬼怒川カスミは逃げもせず、ただ私を見ていた。
何か眩いものを見るように、私をじっと見ていた。
「そしてあの時……先生が来たんだ」
私の本当の罪はユメ先輩を死なせたことじゃない。アビドスを、ユメ先輩との思い出の場所を呪いにしてしまったことだ。
私がアビドスを牢獄に変えてしまった。入る者全てを縛り付ける鳥籠にしてしまった。アビドスに関わった皆を自分と同じ籠に閉じ込める看守に、私自身がなってしまった。
「確かに現実を見捨てて留まっていたよ? ……けど、だから私は、みんなと出会えたんだ」
最初から前提が間違っていたんだ。
アビドスは鳥籠なんかじゃ決してない。ちょっとだけ疲れちゃった止まり木であると、そうするべきだった。
それは例えば、雨の降る中での軒先みたいなもので。
それは例えば、歩き疲れた道の途中にあるベンチみたいなもので。
「だから私は、未来に希望を託すんだ」
例えこの世界が止まった時間を繰り返しても、私と先生ともうひとりの私の時間は止まることなく流れ続けている。
ここは永遠の世界じゃない。いつかは崩れ往く砂上の楼閣。その中で私は奇跡を求めて抗い続ける。
九億の借金も、砂漠化問題も、今と比べれば同じぐらいの悪環境に過ぎない。
一度飛び立てたのなら、この先きっと何度でも飛び立てる。
――そうか。そうだね。このことを、教えてあげなきゃいけないんだね。
そして、小鳥遊ホシノは、小鳥遊ホシノへと伝えるべき言葉を見つけた。
――私は何度だって飛び立てる。希望を信じて一度救われた。そんな奇跡が二度と起こるはずがないなんて、思わなくていい。
――失うことを恐れるだけじゃ何も掴めない。何も守れない。歩くような速さでも、私は前へと進み続ける。
「未来が続く限り、この心臓が動いている限り、きっと何度でも奇跡は起こるんだから」
絶望を前に枯れかけの激情は底を尽いた。
何もかもが枯れ切って、最後に底から湧きだしたそれは――
その名はきっと、希望と呼ぶべきものだった。
「……素晴らしい。ここにあったのか」
銃口を向けられたカスミが呟く。
カスミの手には携帯。丁度良い、先生に言いたいことがたくさんあった。
――少なくとも。
「私はまだ、諦めるつもりは無いよ」
そして、一発の銃声が響いた。