『先生。諦めたとかなんとかって聞いたけど~?』
「ホシノ……!!」
携帯越しに聞こえる声に私は叫んだ。
『うへへ……おじさんも結構頑張ったんだけどなぁ?』
その声は決して悲観したものでは無かった。
そして私は今更ながらに思い出す。ホシノはあの絶望的な状況下にあったアビドスを守り続けていたということを。
『撤退する? それともここで時間稼ぎした方がいい?』
「いや、一度撤退しよう。ホシノ、戻って来られる?」
『頑張るよ。だから、先生も負けないでね』
「もちろん。私は
言葉はそれだけで充分だった。通信を切って前を見る。
まだ私の生徒は諦めていない。抗おうとしている。それなら、私が先に諦めるわけには行かない――
「マコト。まだ何かあるのかって、そう言ったよね」
「……これ以上は無駄だということが分からんとはなぁ?」
マコトは一瞬だけ警戒心を剥き出しにした表情を浮かべ、すぐに憐れむように私を嘲笑った。
けれども、私たちはまだ終わってなんかいない。例え絶望的な状況でも、私たちは何度だって立ち上がり続け――
――どうして。マコトはまだ、私たちに警戒しているんだ?
「…………」
それは突然冷や水をかけられたかのような不気味な感覚。胸の内で巡り続ける奇妙な違和感。
まるで今から逆転される目でもあるかのような反応。そもそも、この戦いが始まった瞬間――私たちがアーケードに来た時から、ずっと拭えない違和感があった。
「……そこにいる万魔殿の部員の子。彼女はトリニティの正義実現委員会の子と仲が良かったんだ」
「えっ、私?」
「けれども、そのことは誰にも言っていない。むしろ嫌いだって言ってたね」
不意に出た言葉に驚いた部員が私を見た。マコトはただ黙って私を観察し続けている。
私を取り押さえるわけでもなく、ただ私の言葉に耳を傾けている。
(――ああ、そうか)
(そういうことだったんだね、マコト)
私は生徒を通して世界を見る。
そして、全ての答えに繋がる道を私は見つけた。
例えその道が地獄の底へと続く道だとしても、私は歩み続けなくてはならない。
この戦いの結実は、最悪の中でのみ決着する。そして私は、悍ましき最後に向かって歩き出す。
「マコト。私はかつて反省すべきことがあったんだ。もし生徒の言った言葉と行った行動が食い違ったのなら、その理由を探し続けなくちゃいけないって」
――それはエデン条約とアリウスに纏わるあの事件の時。望み願うからこそ、歪んだ偽りの願いがそこに残る。そして、それは羽沼マコトも同じであったのだ。
「だからどうした? 見つかったのか? 答えとやらが」
「そうだよ、見つかったんだ。だって私は知っている。マコトは優しいから、ゲヘナが消えるかどうかの博打なんて最初からしない」
「私が? はっ……私の何を知っている!? 一体どこのデータベースを見たのかは知らんが――」
「――データベースじゃない。そうじゃないんだ……!」
唇が震える。それでも、これだけはどうしても言いたかった。
それはいつの日かの記憶だった。
『万魔殿が何をしているのか。そして、この羽沼マコト様がどのようにして偉業を成し遂げているのか――余すことなく、先生に見せるとしよう!』
それはマコトと共に万魔殿で行っている事業を見に回っていった時のことだったり――
『今回は不本意ながら、こういったトラブルを発生させてしまい申し訳なかった』
それは自治区で起きた問題に直面した時のことだったり――
『一度引き取った以上、たとえアレルギーを引き起こそうと最後まで責任を持って世話をする。それが、この羽沼マコト様の信念だ!』
それは猫アレルギーが発覚した時のことだったり――
「ここじゃない別の世界で――こんな、君自身が戦うことを選択した世界じゃなくて、もっと平和で、気楽で、仲間たちと遊んで、商店街にも行って、そんな君と過ごした日々を私は覚えて居るから――!」
だから私は、この戦いに幕を下ろすたったひとつの答えに気が付けた。
「マコトは言ったよね。『この世界に奇跡は無い。あるのは人の意志と選択だけ』って。じゃあマコト、君はどんな意志を持って何の選択をしたの? 君は一体何の
「…………」
最初から、マコトにとってはホシノを殺すだのなんだのと言うのは二の次だったのだ。
「ホシノが死んだと思った時もそうだ。もしもタワーに世界基底があるなら、発破解体をすぐにでも止めなきゃ行けなかった。ゲヘナが消える可能性はまだ残っていたはずなのに。けれど君がしたのは私への勝利宣言だったね。……そう、君の目的は私たちがゲヘナを侵略する理由
大事だったのは
私たちから冷静さを削るために見せかけのタイムリミットを設けて、何とか出来るかも知れないという希望を演出し、そして絶望へと叩き落とす。
羽沼マコトの計略は全てが正しく動作した。
私は何の力も持たないただの人間で、マコトの計略に勝てる武力も頭脳もこの手の中には無い。本当だったら何も気が付かずに負けていた。
けれど、私は目の前の生徒がどんな子であるかということだけは知っていた。だから、疑えた。違和感を覚えることが出来た。
「君は本当に強かった。もしも私が君のことを知らなかったら、今頃全部諦めていたのかも知れなかった」
「何を勝った気でいる? 貴様の想像が現実から目を逸らした妄想ではないということを、貴様自身は証明できるのか!?」
「だから、マコトが証明してくれたんだ」
「何……?」
今もこうして私の話を聞き続けていること、それ自体が私の妄想でないことを証明している。
マコトは聞くしかない。私の言葉から誤謬を見つけて私の心を折らなければいけないから。ただ捕らえただけでは終わらないと警戒し続けているから。
「ゲヘナ消滅の可能性を排さずにタワーを爆破だなんて、君は絶対に行うわけがないんだ。奇跡を捨てて絶望に備える君だったからこそ、それだけは絶対に行わない」
世界基底を破壊すると言う博打のリスクを、どんな君でも絶対に負うわけがない。
何故なら賭けに負ければ
そしてこの戦いはゲヘナ全土が戦いの舞台になり得た。
ただの戦いじゃない。マコトにとってはゲヘナを滅ぼしに来る侵略者との戦いだ。
マコトはイブキも、そして世界基底も守り切る必要があった。どちらもマコトにとっての世界の中心そのものなのだから。
「イブキも世界基底も、君にとってはどちらも等しく絶対に傷付けるわけには行かない存在だったはず。そうであるなら、わざわざ二か所に分けて守る必要なんてどこにもない」
アビドス自治区で
けれども、今の状況を当てはめるならきっとあれは攻撃ではない。世界基底に関するルールを書き換えたんだ。
とにかく世界基底がタワーの中にさえ無ければ良い。タワー自体は形が崩れただけで、今なおこの場所に存在しているのだから。
「ねぇマコト」
では世界基底は何処にあるのか。
「イブキは何処?」
「――ッ!!」
マコトの表情が色を失う。もはや何も静観できず、ただ目の前の私を今すぐ消さなくてはならない敵だと認識して立ち上がる。
「今すぐこいつを取り押さえろ!! 何もさせるな!!」
マコトの叫び声に慌てふためく部員たち。
それでも、私はイブキが何処にいるかなんてもう分かっていた。
戦いが始まって、ただの一度として戦場にならず、マコトが一番安心できる場所。
そんな場所、初めからひとつしかないのだ。
私は天に――自分の頭上に指を向けた。
全員の目が空を向く。そして――
「黒服、
『承知いたしました』
アーケード越しに見える空に、異物がひとつ混ざって落ちる。
それは災厄を示すひとつの
「貴様……貴様ァ!!」
マコトが十六台のトラックのうちのひとつに向かって走り出す。
サツキがチアキを庇おうとして地面へ押し倒す。
万魔殿の部員たちが逃げようと背中を向ける。
「イロハぁ!! イブキをまも――」
――直後、閃光。
遅れて爆炎が、爆風が、この場の全てを吹き飛ばした。
土煙が上がる中を、私はゆっくりと起き上がる。
アロナであっても衝撃の全てを抑えることは出来なかった。けれども、私の骨にも内臓にも問題は無い。
【先生】
「ごめんねプラナ。アロナは大丈夫?」
【……はい】
私はマコトが駆け寄ろうとしていた一台の車両に近づく。扉を開ける。
そこには頭から血を流して意識を失うイロハと、彼女に庇われて気絶したイブキが居た。私はイブキをそっと抱き上げる。
【先生。世界基底は――】
――大丈夫。分かってるよ。
――ゲヘナの世界基底は、イブキだったんだね。
「ああ、たの――」
「待ってくれ!!」
振り返るとそこには、横転した車両に足を挟まれたマコトが居た。
起き上がることも出来ないまま、それでも私を見ていた。
「頼む――イブキは、万魔殿だけは消さないでくれ……!!」
「…………」
「イブキをひとりにしたくない。悲しませたく無いんだ……!!」
懇願するマコトの声。その声にイブキが目を覚ます。
「う……、うん……?」
「イブキぃ!!」
「マコトせんぱ……ひっ――」
イブキの目が私の方へと向けられた。
その小さな喉から悲鳴が漏れる。
周囲には火が燻っていて、吹き飛ばされたみんなの呻く声が聞こえた。
それを見て、私は――
「……頼む。全部、全部消してくれ」
「やめろぉおおおおお!!」
マコトの絶叫が響き渡った。
ゲヘナ学園。
それは混沌と自由を校風とする、無秩序を形にしたような学校である。
好き勝手に暴れて、捕まって、それでも懲りずに暴れまわる問題児ばかりが集う場所。
けれども、そこに悲劇は無い。明るく楽しく適当に、誰しもが好き勝手に生きていける場所でもあった。
そこでは――子供たちが泣いていた。
吹き飛ばされ、瓦礫から這い上がろうとして力尽きる万魔殿の部員。
チアキを庇ったサツキは意識を失っており、目を覚ましたチアキが必死に揺すって呼び掛けている。イロハが助けを求めて手を伸ばす。
――ああ。
焼け飛んだ車のタイヤから異臭が漂う。
マコトが何かを叫びながら車両から這い出ようともがいている。
イブキは私から逃れようとして、泣きじゃくりながら私の左手に噛み付いた。
目に映る子供たちが助けを求めていた。
けれどもそこには炎と異臭と瓦礫の山しか無い。
その光景を前に、私はただ立ち尽くしていた。
――私はいま、何をやっているんだ?
こんな酷い悪夢、あってはいけない。
こんなものが現実なのだと、私は認めたくない。
――そして夢から覚めるように。
いつしか私は夜の砂漠にひとり佇んでいた。
イブキもマコトもチアキもサツキもイロハも――何もかもが消えてしまった。
「………………」
ふと、左手を見る。
全てが消えて、最後に残ったのは私の手を噛み千切ろうとしたイブキの歯型だけだった。
「…………――」
血の玉が浮かんで、ぽたり、ぽたりと――左手から血が垂れて砂漠に落ちる。
「――――ぁ」
膝から崩れ落ちた。足に力が入らない。
「ぁ、あぁ……」
私の手が、砂漠の砂に触れた。
掴むように握りしめる。砂が手の間から零れて落ちた。
「……ぁぁああぁああああああ――っ!!」
違う、彼女たちは私の生徒ではない。
ミメシスなのだ。生徒ではない。悲しむ必要なんてどこにもない。
同じ顔をして、同じ声を発し、同じ言葉で語り掛けてくる。ただそれだけの、この世界に囚われた記憶なんだ。
記憶なんだ。生徒ではない。その彼我にどれだけの差があるかすら分からずとも――
「それでも! それでも私は立ち止まるわけには行かないんだ!」
――どこかにあるはずなんだ。救いが、希望が。
「ここで立ち止まってしまえば全てが無為になる! だってまだ誰も諦めちゃいない!!」
――そうでなくては、私たちの苦しみに一体何の意味があるのか。
夜の月と、どこまでも続く砂の世界。
そして、遠くから砂嵐がやってきて全ての声をさらっていった。
■次回予告
"私に出来ることは何もない"
"最初から、何もなかったんだよ……私には"
ゲヘナでの戦いを終えた私たちは、もうひとりの私に会いに行くことを決意する。
その先にあったのはこの悪夢の正体。残酷なる結末を辿った私の歴史。
捻じ切れた羅針。壊れた天秤。死に逝く私と消えゆく世界。
選択肢なんて意味は無く、ただ、果てまで続くのは無限に引き延ばされた命の埋火。
だからどうか、少しで良いから傍に居て――優しく殺して。