ゲヘナ学園での戦いは苛烈なものだった。
世界崩壊の狂気の最中に囚われた羽沼マコトとの対決は、先生にも小鳥遊ホシノにも大きな傷を残す。
ここまでの戦いに意味はあったのか。本当に戦う必要なんてあったのか。
自らの在り方さえも捻じ曲げて突き進む先生はいま、歪みの渦中に飲み込まれつつある。
だが、まだ折れるべきではない。
例え擦り切れ命削られ死に瀕したとしても、君には果たすべき義務があるのだから――
第1話:52ヘルツの鯨たち(1)
傾いだアビドスの太陽が私の瞳に反射する。
たった24時間もしないうちに色んなものが変わってしまった。
この世界が生まれてからいつ頃だったか。アビドス本校の屋上でのこと。
『星を見たいのよ』
『星……って、空に浮かんでいる?』
『……至高天の向こう。
あれは何処かでリオ会長と話した時のことだった。
『未知という闇の中で輝く光は、きっと人の手には届かない物……。けれども私たちはそれに手を伸ばすことを諦められない。だから、星と呼ぶのよ』
『叶わない高望みって分かってるのに?』
『……そうね。でも、届かないと決めつけて手を伸ばさなければ、掴めたはずのものにすら届かないとは思わない?』
『理想論だよ。それは』
私は皮肉気に吐いて目を逸らす。
リオ会長の言葉には熱が入っていた。彼女は空を仰いで手を伸ばす。その横顔は夢見る乙女のようにも見えて、ちくりと胸が僅かに傷んだ。
『いいじゃない。たまには理想論も』
『……?』
意味を測りかねて首を傾げる。
リオ会長は永遠に続く真昼の空のその向こうへと視線を向けて、届かぬ星へと手を伸ばしていた。
『例え現実的でなくとも解き明かしたいのよ。解けずに残され、長い時間を超えてもなお風化せずに残り続けた、遥か昔の先人たちから送られた宿題を』
ロマンチックな夢を語る彼女の姿は、年相応の少女のようにも見えさえした。
けれどもその夢が叶うことはない。この世界が止まった時の世界故に、私が閉じ込めたが故に、
(――私のせいだ)
罪科が重なる、積み上がる。
それはミレニアムだけに留まらない。ゲヘナでもそうだった。
『キシシッ……! いくら敵が来ようとも、この羽沼マコト様の計略さえあれば必勝不敗! 全て私に任せるがいい!』
アビドス本校の運動場を貸し出しての戦闘訓練を眺めながら、マコト議長は高らかに笑い声を上げていた。
その自信が何処から来るものなのかなんて私には分からなかったけれど、それでも私にとっては少しだけ安心できる相手でもあった。
『敵って言っても、充分に対応できる相手だしそこまでしなくても……』
『いいや違うぞ生徒会長よ。世界を滅ぼし得る存在は直に我々の喉元にまで差し迫る。凡百の雑魚ではない。真なる敵だ』
『よく分かんないけど……頼もしいよ』
『キキッ……まぁお前はどんと構えていれば良いのだ。そして我が功績をその目に刻み付けるが良い。何ならゲヘナが……いや、この羽沼マコト様がお前に代わってその重責を負ってやっても良いのだぞ?』
『それは遠慮するかな~。それに重責ってそんな、言い過ぎな』
『そうでもなかろう?』
え、と思わず声を漏らす。
マコト議長に改めて目を向けると、至極真面目に私を見ていた。
こほんとひとつ、咳払いが鳴る。
『お前には過ぎた立場だろう? 自らその責を負おうとした気概も覚悟も感じられん。大方誰かに無理やり背負わされたものなのだろう。だったら私が代わってやる、と言っているのだ』
『……随分と自信があるんだね』
『当たり前だろう! 何故なら私は人を導きたる才覚がある! 私は私の意志で上に立つと決めたのだ! そうあろうとこの羽沼マコト自らがそう決めた! だからこそ、今のお前は見るに堪えん。何処ぞの風紀委員長と違って、お前のいるその席は流しで座って良い責では無いのだからなぁ!』
喝破するマコト議長の瞳は私を貫いて更なる深奥へと向けられていた。
一体何を見ているのか、私には分からない。
ただ、記憶の片隅に残るユメ先輩も時折遠くを見ていたことを思い出す。何処か遠く、私の理解から離れた遠い何かを。
けれども、リオ会長もマコト議長もミレニアムもゲヘナも、その全てが消えてしまった。無くなってしまった。
世界を消し去る敵。私が知り得ず、理解できない不可解な存在――
『キキッ、生徒会長よ。ゲヘナの戦いをとくとその目に刻み付けるが良い』
脳裏に反響するはマコト議長の言葉。アーケードにて布陣を構えた総力戦と見せかけた心理戦を敷いた直後に聞こえた通信。
『仮に、仮にだが。もしも私が負けたのであれば、敵の正体をお前が突き止めるのだ。如何に全能であろうとも倒す手段は必ず何処かに存在する。お前が見つけるのだ。そして我らの敵を倒せ。イブキのことは任せたぞ』
それが、私の聞いた最期の言葉だった。
私は見続けた。ゲヘナでの戦いを。そして私たちが戦っている敵の姿を。
「そっか……。
ログに残った戦闘履歴。盾を構え、拳銃を抜き、ショットガンで戦うその姿を見て私はようやく理解した。
この世界の侵略者は、別の世界の私自身だ。
思い当たる節なら幾らでもある。異なる世界の私が私に引導を渡しに来たのだ。
「……分かってるよ、諦めなきゃいけないって。それでも――」
それでも、私は全てを拒絶する。
例え間違っていると分かっていても、それでも。
――敵の位置は、もう見つけた。
瞳に映るはアビドス分校。何の意味も持たないはずのその場所に、何らかの意味が付随された。
ここで止める。私のために。もう何も奪わせない――
燃える右目が輝いて、私は最終決戦へ向かうべくその身を揺らした。
「ホシノ先輩! もう、いつまで寝てるの? 起きてってば!」
「……んえ?」
かけられた声に目を覚ますと、セリカちゃんが私の肩を揺さぶっていた。
どうやらアビドス高校で眠っていたらしい。窓際の机に少しだけ付いた涎を袖で拭って、何でもないように顔を上げる。
「あと五分~」
「なんで寝直すの!? ああもう! 起きてって!」
ぐいぐいと引っ張られてようやく私は観念したように立ち上がる。
教室から引きずり出されて廊下へ出ると、廊下は現実離れするほどにずっと先まで続いていた。
「ま、分かってたけどね」
現実離れ――というより現実ではない。夢だ。夢の中の夢。いわゆる明晰夢と呼ばれるもの。
いつの間にかいなくなっていたセリカちゃんには特に気も留めず、ひとまず廊下を歩いてみる。
こつり、こつりとローファーが床を鳴らす音が遠くまで響く。
教室の扉をいくつか通り過ぎるが、どれもガラスの向こうは真っ暗で教室の中は伺い知れない。
時折内側からがたがたと扉を揺らす気配がしたりもするが、何故だか特に恐怖は感じなかった。
恐怖体験というより文化祭のお化け屋敷と呼んだ方が感覚的にはより近いだろうか。
まぁ聞いたことしか無いけれど、生徒たちで集まってそういった出し物をするというのは知っている。
「いや~、おじさんそういうのやったこと無いからなぁ~」
砂祭りも開催されていたら出店とかやったのだろうか? なんて時折思う。
青春。私から最も遠かったもの。まともな学生生活なんて送って来なかったし、必要ないと切り捨ててしまったもの。
何度も学校を辞めようと思って、それでもずるずると引きずり続けて、ノノミちゃんやシロコちゃんと出会ってこんな学生生活に付き合わせて……嬉しいと思ってしまったことに罪悪感をずっと感じていた。
アビドスの復興なんて絶対に無理だと思っていた。こんな時間に意味なんてないと思っていて、きっとそれはノノミちゃんも同じだった。
そうだ。二年に上がった頃、本気でアビドスの復興を目指していた人なんてきっと誰も居なかった。復興を夢見ていたのは私じゃない。ユメ先輩だ。私たちじゃなかった。
階段を下りて一階へ。先ほどよりも砂の積もった廊下を再び歩き始める。
誰も掃除をしていないから砂が降り積もる。やがて全てを覆い隠すように、意味のない徒労だけが私たちをこの学校に留め続けていたんだ。
「私とノノミちゃんはともかく、シロコちゃんが心配だったからね。一緒に居られさえすればいいって、そんな風に思っていたのかもね」
カイザー理事が言っていたことは何も間違ってなんかいなかった。
頑張ったけど無理だったって、そんな体裁がなくちゃ一歩も進めそうになかった。
そんな無駄な足掻きに意味を見出してしまったのは、私が三年に上がった頃のこと。アヤネちゃんとセリカちゃんが入学したときだ。
『アビドスの復興、私たちにもお手伝いさせてください!』
『借金なんて返し切ってやるんだから!』
アビドスの復興なんて夢物語とさんざん言われて、そんな夢を本気で叶えようとしている後輩がやってきた。
私やノノミちゃんと違って、アビドスのしがらみに何の関係も無い子たちがこの学校にやってきたんだ。
今なら分かる。あれこそが奇跡の始まりだった。全ての夢が終わった場所で、新しい夢が生まれた瞬間だった。
がらりと部屋の扉を開ける。私たちの生徒会室。
そこには懐かしい影があった。
「久しぶり! ホシノちゃん!」
「まぁ、出てきますよね~ユメ先輩」
動揺はない。既に受け入れて背負う事に決めた私の思い出。
怖がるものでもない。先輩が夢に出てくる度にうなされていたあの頃と今はもう違うのだから。
「それで、ユメ先輩が出てくるってことは私も死んじゃったんですかね~?」
「そ、そんなこと無いよ!? 大丈夫、ホシノちゃんはちゃんと生きてるよ」
「冗談ですよ。自分の身体のことですし……いや、結構危なかったかな?」
「ひぃん……」
ゲヘナでの戦いは本当に死ぬ一歩手前まで追い詰められた。
きっと今の私じゃ銃弾一発だって致命傷になるだろう。……いや、それでも先生よりかは丈夫かも知れない。
「ま、見ててくださいよ。先輩と違って私はちゃんと帰りますからね!」
「もしかして……怒ってる?」
そっと私の顔を覗き込むようにユメ先輩が顔を近づける。
こつり、とユメ先輩に額を当てて、それからぎゅっと抱きしめた。
「ええ。私自身に」
「後悔してるの?」
「はい。ずっと後悔し続けます。だからこそ、こんな思いは私だけで充分なんです」
必ず帰って、また何てことの無い奇跡のような日々を続けよう。
身体を離して背筋を伸ばす。どんな戦いもちゃんと終わらせて、笑い話に変えるんだ。
「ああ、そうだ。私、この戦いが終わったら先生を守り切った武勇伝を皆に自慢します!」
「それって死亡フラグだよね!?」
「あはは! フラグは折るものじゃないですか~」
「ふふ、ホシノちゃんはヒーローだもんね」
「ええ、先生がそう言ってくれましたから」
八つ当たりのような治安維持に、あの人はカタチをくれた。ヒーローというカタチを。
「さて、と。そろそろ行かなきゃね」
目を覚ます時だ。
そして、この夢を終わらせよう。