ホシノを背負ってトリニティ自治区を歩き続ける。
朦朧とした意識のまま、どれだけ歩いたのかすら分からなかった。
街には誰も居ない。公共機関も止まっており、聞こえるのは自分の喘鳴だけ。それ以外は何も聞こえなかった。
空っぽの路上には雪が降り積もりつつある。
天を見ると引き裂かれた真昼の空。破いたチラシのように歪で、裂け目の向こうには月夜が見える。
アビドス自治区で取った行動の影響はトリニティにも及んでおり、砕かれた世界の破片は今なおも地へと落ち続けているのだ。
――24時間、か。
黒服を止める力も無ければ、ホシノを救う力も無い。
”大人のカード”はこれまで相対して来た
――プレナパテスなら……。
一瞬だけそう考えてしまって頭を振る。あまりに都合の良すぎる妄想だと振り払う。
「はは……らしくないね、本当に」
自嘲気味に笑って歩くその度に、ぐ、ぐ、と積もった雪が踏みしめられる。
後ろに続く足跡と血痕。ホシノの血は止まっていたから、きっと私のものだろう。口か鼻か、拭おうにも両手は背中のホシノで埋まっている。時折ひどくむせては、また一歩と雪を踏みしめる。
「…………」
声を発することなくしばらく歩いていると、ふと背負ったホシノが私の首に腕を回していることに気が付いた。
そうして気が付いてみれば、いつの間にかホシノは私の首元に顔を埋めていた。
「……目、覚めたんだね」
「うん……。先生、なかなか気づいてくれないから驚いたよ」
「ごめんね」
そう言うとホシノは私の首筋に頭を擦り付けた。
「いいよ。だから少し休もう。先生の顔が見たいなぁ~なんて」
「ふふっ……。うん、分かった」
無人の路上。ひび割れたアスファルト。
崩れた壁に寄りかかれるようホシノを下ろして、私もその隣に腰かけた。
「……だ」
「だ?」
「抱っ……こ、して?」
「うん」
ホシノを抱きかかえると、私の胸の中で小さく「うへへ」と笑って見せた。
「お互いボロボロだぁ……」
「……本当にそうだね」
ホシノの頭を手の甲で撫でる。右目を覆うスカーフには触れないで、顔の輪郭をなぞる。
「守り合って負った傷だねぇ……」
「……ありがとう」
「いいよぉ~」
ホシノは私の左手を取って、その指先をあむ、と咥えた。そのままかぷかぷと甘噛みを繰り返す。
どうしたのだろう? と首を傾げると、ホシノは笑ってこう答えた。
「せっかくだから、上書き」
「上書き……? あぁ、ふふ……」
ホシノが私の左手の噛み痕を撫でる。二人で傷跡を舐め合うように、お互いの感触を忘れないように触れ合う。
「……ノノミちゃんとシロコちゃんはさ」
「うん?」
「付き合いが一番長くて、なんだか後輩っていう感じじゃないんだよね~」
だからかな、と言葉を続けるホシノ。私は黙って聞いていた。
「ついつい鞘当てしちゃうときもあったけど、うん。喧嘩できる友達って感じだったかも」
「…………」
「その点、アヤネちゃんとセリカちゃんは後輩って感じだったけど、二人ともしっかり者だからねぇ。ついつい甘えちゃうんだぁ~」
「…………」
「みんなそれぞれ捕獲し合った仲だけど、すっごく楽しかったんだ」
「…………」
「凄く楽しかったんだよ。私はみんなと会えたから。だから、ねぇ、先生――」
「駄目だよ」
「――まだ何も言ってないんだけどな~?」
誤魔化すように笑うホシノ。けれども、何を言うつもりなのかなんて分かっていた。
それでもホシノは言葉を続けた。
「あの子は誰にも会えないまま、ひとりぼっちのままなんだよ。それで死んじゃうんなんて、駄目だよそれは」
ホシノはただ案じていた。ユメを――大事な先輩を失くした直後の15歳の女の子のことを。
希望なんてただのひとつも与えられず、絶望の澱みに飲み込まれた子供のことを案じていた。
「私はほら、こんな怪我だし、きっともう長くないからさ。多分、もう目は覚めないかも。だから、だからさ……」
「ホシノ……」
「……何も言わずに居なくなったらきっと皆迷っちゃうから、私は無理でも、先生だけは必ず帰って。私の手帳になってよ。お願いだからさ……ヒーローでいさせて」
ホシノは弱々しく私の手を掴む。私は、何も言えなかった。
「あの子の最期まで看取ってあげて。私の声をシロコちゃんたちに届けてあげて」
「…………っ」
「後は任せたよ、相棒」
ホシノはゆっくりと瞳を閉じた。ヘイローは音も無く消えていく。
まだ生きている。けれど、まだ生きているだけだ。間に合わないかもしれない。何よりも、託されてしまった。もうひとりのホシノのことを。
――なんて、酷い冗談だ。
「……っく、ぁあ…………」
そんな言葉を言わせたくなかった。どうして私はこんなにも無力なんだ。
目の前の子供ひとり助けられない。子供たちが笑って過ごせる日々すら守り切れない。
視界がぼやける。縋りつくようにホシノを抱きしめる。もう、立ち上がれる気もしない――
「君は、諦めるのかい?」
不意に声が聞こえた。
顔は上げない。上げられない。私に出来たのは懇願することだけだった。
「私は……君たちの敵だ。君たちを、トリニティを消すためにここまでやってきた……」
「知っているとも」
「私は君たちには何も返せない。報いることすら出来やしない……ッ」
「君からすればそうだろうね」
「都合の良い話だとは分かっている……! けれどどうか、この子だけでも! この子だけでも治療を――!!」
あまりに無茶な願いだった。それでも願わずにはいられなかった。
目の前に立つ彼女に言えることはそれだけだった。
「顔を上げてくれ、先生」
そっと、私の頬に指先が触れる。
「私たちはそのために居るのだから」
「セイア……っ!」
直後、近くの壁を打ち破って現れたのは漆黒の天使、正義実現委員会委員長の
破られた壁によって出来た道を突破してきたのは救護騎士団の車両、中から出て来たのは青き翼を持つ救護騎士団団長の
ミネが叫んだ。
「救護対象を発見! 重傷者二名、担架を!」
「「はい!」」
続く車両から救護騎士団のメンバーが降りてきて私たちを担架へと乗せる。
その光景に私は思わず呟いた。
「どうして……」
「君たち二人が自治区の何処かにいることだけは見えていたからね」
トリニティの生徒会、ティーパーティートップの一角。「サンクトゥス」のリーダーたる
「遅れて済まない。詳しい話は君たちの治療が終わってからとしよう。ミカにもよく話が長いと言われるんだ。……委員長」
「敵影は、ありません」
「ありがとう。この場所での指揮は私が執るが、その後はナギサの指揮に戻って欲しい」
「……分かりました」
セイアは再び私へと目を向けて、大丈夫だというかのように頷く。そして――
「少しばかりバトンを貰うよ、先生。君たちの命は、トリニティが全面的に保護する」
そして、先生たちは救護騎士団の車両へと搬入された。
――ここからはティーパーティーの時間だ。
車が走り出したのを見て、残ったのは私に付き合ってくれた二人。ツルギ委員長とミネ団長。
向かう合う通りの先には人影がひとつ。ショットガンを手にしたアビドス生徒会長の姿。
「セイアちゃん、裏切ったの……?」
「生徒会長。私は私の役割を果たすだけさ。少なくとも、今の君をトリニティに入れるわけにはいかない」
「……邪魔をするなら、消えてもらうよ」
「そんなことにはならない。君に消される未来は見ていないからね」
「だったら――現実にしてあげるよ!」
生徒会長の怒りに呼応するかのように、周囲に炎の柱が立った。
そのための最高戦力を連れてきた。世界の創造主たる生徒会長と戦える二人を。
ツルギ委員長は「ひひ……!!」と鮫のように笑う。
ミネ団長は「これは相当強度の高い救護が必要なようですね」と盾を構える。
そして私は高らかに、いまこの瞬間に向かって宣告する。
「希望の燈火を絶やすわけにはいかない。さぁ、トリニティ防衛戦を始めよう――!!」