「…………なんで」
ヒフミの姿を見て、ホシノは完全に面食らっていた。
何故ここにいるのか分からない。理解できない。でも、ここに居ていい存在じゃないことは確かであった。
「なんでここに来たの……ヒフミちゃん!!」
「私は、ホシノさんを連れ戻しに来たんです」
「何を……言って……」
(――連れ戻す? 私を?)
ホシノが完全に固まった。そして有り得ないことが起こっていることに気が付いた。
再現された生徒たちは皆、特定の条件で特定の言動を行うだけのガンビット。だからこそ舞台装置に偶然なんて起こり得ない。
――阿慈谷ヒフミは普通の生徒だ。普通を標榜し、普通を体現する異様な生徒だ。
だが、この世界は異常である。
異常な世界において、普通と異常はその意味を反転させる。
なればこそ――この世界にとって阿慈谷ヒフミは誰よりも異常を体現する生徒に他ならない。
「ホシノさん……。私の力が及ばないのは分かってます。だから今まではぐらかしてばかりで何も教えてくれなかったんだろうってことも……理解してます。でも――」
ヒフミは悔しそうに俯く。そして、ホシノと
「
「――!?」
何かが起こっていた。この世界に。
そしてホシノは確信した。阿慈谷ヒフミは再現のルールから逸脱している。
サンクトゥムタワーと世界基底。それはホシノ自身でさえも完全に制御の出来ない数多の原則を強いてきた。
ホシノが抱く大人への不信感の共有。生徒たちの強制再現。
(タワーが減ったから……? 違う、それだけで
理解出来ないことがあまりに増えすぎた。
ここは小鳥遊ホシノの見る悪夢。小鳥遊ホシノがこの世界の王。誰も自由意志なんて持たない。誰も小鳥遊ホシノに危害を加えない。
そんな無限の揺籃にホシノの意に反する者が現れた。先生と黒服と、未来のホシノ。
特に未来のホシノの存在は世界に矛盾を生じさせる致命的なバグである。彼女だけは殺さなければ、ホシノはあの砂漠に戻される。
先生も同じく危険だ。あの力は直接この世界を破壊できる。黒服も何をするか分からない。対処が必要だった。
けれども、事態はそれだけで終わらないほどにこの世界は壊れてしまった。
「じゃあ……私はあと何人殺せば助かるの……?」
「え……?」
困惑したようなヒフミの声。それすらホシノの耳には届かず、ホシノは全てを理解した。
「そっか……。もう、終わりなんだね……」
顔を覆う。燻り燃える右目の輝きはいつしか昏い闇が差し込んでいた。そして――
「もう、いいや」
「ヒフミっ――!!」
ヒフミの身体をツルギが掴んで後ろへ投げた。
直後、ツルギの全身に衝撃が走る。何が起こったかは、ツルギですらも理解できないそのままに――
(――何が、起こった……?)
僅かに覚醒した意識の中、ツルギは僅かに瞼を動かす。
身体の感覚がない。酷い耳鳴りの向こうから、誰かの声が聞こえる。
『――ルギ! ツルギ!!』
通信機は壊れていない。手を当てようとして、動かないことに気が付く。
そしてようやく、ツルギは自分の状況を理解した。
「こ、れ……は……」
両手両足がボロ雑巾のようにあらぬ方向へ捻じ曲がってへし折れていた。
全身も火傷どころの話ではない。内臓まで焼かれるほどの熱量に巻き込まれて、
上空800メートル。
それが致命傷を負ったツルギが今いる現在地点。視界の端に映った鐘楼よりも高い場所まで突き上げられたのだ。
重力がじきにツルギの全身を掴むだろう。落ちればどうなるかなんて、自分でも分からない。
『殺す……!!』
『イチカ! いけません!!』
『正義実現委員会の皆さん! 全員いますぐ退避を!!』
『ハスミ先輩! ツルギ先輩が! ツルギ先輩が!』
通信機越しに聞こえる声は阿鼻叫喚となっていた。
ツルギは、声を振り絞る。
「全員、落ち着け……」
『……! ツルギ! 無事――』
「マシロ、私を……撃て……」
『……え?』
マシロが聞き違いかと聞き返す。ツルギの身体は完全に重力に掴まれて、落下速度が増していく。ハスミが叫んだ。
『鐘楼……! ツルギを撃って鐘楼の方へと近付けてください!』
『――ッ!』
マシロに躊躇う時間は与えられない。大口径の狙撃銃をすぐさま構え直してツルギに照準を合わせる。
『――ファイア!』
空を切り裂く弾丸が放たれ、落下するツルギの脇腹に命中する。ツルギは血を吐くが、その衝撃で鐘楼側へと飛ばされる。
ツルギはこの数秒で再生した右手を鐘楼へ向けて伸ばす――が、まだ届きそうにない。
「ツルギ委員長! 手を!」
誰かが叫んだ。眼下の鐘楼にはサクラコが居た。彼女の足を支えるのはシスターフッドの面々と正義実現委員会の部員。
「きぃぃぃぃ……!!」
必死に手を伸ばす。イチかバチか。
そして――その手は、確かに掴まれた。
だが――
「っ――ぁあああああ!!」
ごぎり、と嫌な音がサクラコの両肩から鳴った。脱臼し、悲鳴が上がる。
落下するツルギの身体をサクラコの細腕では支えきれず、僅かに落下の速度を落としただけに留まった。
鐘楼を通り過ぎる。地面が、迫ってくる。
「まだです!」
走って来たミネが盾をツルギに投げる。身体に当たって僅かに速度が落ちる。
ミネはそのまま走って飛んだ。ツルギを受け止めるそのために――
そのミネの身体もツルギの身体も、突如として鐘楼の壁から発生した炎によって吹き飛ばされた。
火力はツルギが受けたものと比べるまでもないほど弱いがしかし、たったその一撃でミネは意識を失った。
そして――べしゃり、と。
路上の中央で立ち尽くすホシノの前に赤い花が咲いた。
剣先ツルギは落下を阻止できず、ホシノの眼前に墜落した。ホシノはただ、潰れたツルギの身体を見下ろしていた。
「……ほら。生きてちゃいけないんだよ私は。人を殺せるような私は、死んだ方がいいんだよ」
周囲は酷い有様だった。
その
「じゃあね。好きにしなよ。私はもう、何もしないから」
踵を返して背を向ける。もう何も見たくは無かった――その時だった。
「……ま、……て」
「っ!?」
聞こえるはずの無い声が聞こえた。振り向く。ツルギの死体に目を向けて、今度こそ驚愕した。
「そ……あ、有り得ない……何で、あんな高さから落ちて、何でまだ……!!」
「きっ……ひひ……わ、たしは……し、なな……」
そこには、身体を起こしたツルギが居た。
顔面は完全に粉砕されたにも関わらず、再生し続ける口元から声が発せられた。
左肩から下は完全に砕けて肉塊がぶら下がっている。右腕は裂けて骨が露出している。
肋骨は制服を突き破り、腰から下はどこまでが腰でどこまでが足なのかも分からないぐらいのミンチ状になっている。
それはもはや、人間ではなかった。
それでも、剣先ツルギは生きていた。
「ひっ――」
僅かな悲鳴がホシノの喉から零れ落ちる。恐怖のあまり腰を抜かしてへたり込む。
時間を巻き戻すようにみちみちと身体から異音が鳴り続ける。ゆっくりとツルギの身体は再生を始めている。
再生したツルギの瞳がホシノを見ていた。
責めるわけでもなく、戦意も何も宿さず、それどころか慰めるように。ただじっと、静かにホシノを見つめていた。
「な、なんで……。なんでそんな目で、私を……」
「もし、も……誰かが傷つかなくてはいけないのなら……、それは私であれば良いと……思っている」
「え……?」
「私は、人より……傷の治りが早いから……私は死なない、から……」
血塗れになったツルギの顔は、気付けば顔だと認識できるまでに治っていた。
分からなかった。そんな異常な身体を抱えて、それでもそんなことが言えるツルギのことが理解できなかった。
ツルギは血を吐きながら、ホシノへ呟く。
「あなたの傷も……私が背負う……」
「ど、どうして……そこまで」
「それが……私の実現したい正義なんだ……」
「……っ」
捻じれた黒い翼が左右へ大きく広げられる。十字架のように。
それは死を滅ぼす象徴。受難への勝利。復活を体現せし者。
「あなたはまだ……一線を越えてはいない。まだ……誰も死んではいない。だから……」
そして、ツルギは静かにホシノへ伝えた。
「あなたも、誰かを信じて欲しい……。何よりも、自分のことを……」
「…………」
ホシノは立ち上がって、それから今度こそ背を向ける。
去りゆくホシノの背中を見て、ツルギは小さく呟いた。
「主よ、憐れみを……か」
戦いは終わった。そうして、ツルギは今度こそ意識を失った。