トリニティ総合学園。
かつて、異なる派閥だったものたちが集って作られた歴史と伝統の学校。
そこでは多くの利権と勢力が複雑に絡み合い続け、その水面下で多くの対立を生み出してきた。
だが、その根底にあるのは平和への切望と祈り。救いを希う者たちの箱庭である。
その大聖堂には、拙いオルガンの音色と少女の歌声が響いていた。
きっとそれは大聖堂に似つかわしくないもので、二人を見守るシスターフッドの面々に至っては未だ状況が分からず困惑していた。
シスターフッドの彼女たちは知らない。今この場で百合園セイアの赦しを受けて唄う者たちを知らない。
しかし、分かっていることは確かにあった。彼の二人は戦いに傷つき、救いを求めた者であるということを。
そして今――主の御許において赦しを得た者であるということを。
告解は為され、憐れむべきその身は投げ出された。
これから彼の者たちは主の奇跡を賜るのだろう。救いを――当たり前の願いを。
例え世界が残酷であったとしても、主は越えられぬ試練をお与えにはならない。
苛烈にて慈悲深き試練――。あの二人はきっとそれを乗り越えたのだと願い知る。
(――そうであるなら、私も……)
敬虔なる使徒、
それを見て続くは願いの使徒たち。ヒナタが、皆が、聖歌を唄うその声で最も純真たる童謡に吐息を芽吹かす。
――きらきらひかる おそらのほしよ
清廉なる音が響き渡り、最後の音は小さく潰える。
止まった時が動き出す。時計の針は順転する。あるべきものはあるようにと、ただ時間を進ませる。
続くは静かな笑い声。時は来た。先生は立ち上がって振り向いて、セイアを見る。
セイアが残した言葉はたった一つであった。
「また明日、先生」
「また明日、気を付けて」
そして――トリニティ総合学園はタワーと共に消え去った。
風の吹き荒ぶ砂漠の中、私とホシノはトリニティの消えた跡を眺めていた。
「抜け出せる道――だってさ」
ホシノの言葉に頷く私。未だ思いつかない悪夢の出口に戸惑っているのだろう。
ホシノは溜め息を吐きながらも、私に視線を合わせた。
「今まで見落としたことってあったっけ? 出口があるならもう分かってても良いはずなんだけど……」
「うん、そうだね……」
分からなかったからこれまで苦しみ続けたのだ。だからこそ出口は無いのだと思っていた。
けれども、今からその脱出口が見つかるなんてあまりに都合が良すぎる。何もかも見落としていないとしても、突然盤面をひっくり返すような都合の良い奇跡は起こらないはず――
(――私は何かを見落としている?)
ずっと脳裏に過ぎり続けた疑念があった。それでも見つけられなかった出口があった。
にも拘らず、トリニティの預言者たる百合園セイアはその出口を示唆した。
(安易な解――それを求めて縋って、考えていなかったのは私じゃないのか?)
砂上の天から見下ろす月は、変わらず私たちを照らし続ける。
やがてやってくる砂嵐に飲み込まれて、私たちはアビドスへと帰還を果たす――
「ねぇ先生」
不意にホシノが言葉を発した。振り向くとそこには武装を手にしたホシノの姿。
「近くにこれが落ちてたんだけど……
「――っ!」
ホシノは武装を手にしていた。銃に盾、砂に埋もれたキャリアプレート。
全てはアビドスとトリニティの境界にある廃屋へと置いて来たはずの武装。トリニティへ向かった時には持っていなかった装備の数々。
それが今――砂漠にあった。
見ようとしなければ見えなかったものが、あるはずがないと思っていたものがそこにあった。
(もしも救いのない二択を突き付けられたのなら――)
脳内で声が響く。それはかつての私の言葉だった。
(前提が間違っている可能性も、あるんじゃないかな――)
全ての前提。思い込みはただの一度も無かったのか。
考えろ。この目で見た全てを考えろ。本当に答えは何処にもなかったのか――?
遠くから砂嵐がやってくる。私たちを呑み込む無慈悲な断罪者が足音を鳴らす。
――そして私は、一つの疑念を抱いた。
「……アロナ、
【――ぇえっ!?】
「プラナ、今すぐ周囲の生命反応を探査。ここに何人いる?」
【っ――分かりました】
シッテムの箱から聞こえる二つの声に私は頷く。
それからホシノを手を掴んで離して、最後に言った。
「ホシノ、砂嵐から全力で逃げて」
「な……、どうして!?」
困惑するホシノの声は当然のものだろう。
けれども私には一つだけ、推測があった。
「分かったことはこの後全部話すから――! だから逃げて! 私たちはずっと勘違いをしていたんだ!」
「え、あ、わ、分かった!!」
ホシノが走る。砂嵐に背を向けて。
そう、答えのヒントはずっと出ていた。それを見落としていただけだった。
私は迫り来る砂嵐へと向き直る。確証を得るために。死に逝くホシノの未来を否定するそのために――
「これで、最後だ。私は見つけた、敵の正体を――」
私たちが倒すべき敵とは何か。その果てを両目に収める。
必要だったのは明日を信じる希望の瞳。前へと踏み出すその一歩。
気付けばその両足は走り出していた。無慈悲な裁定者、夢に狂う砂嵐へ。そして――小鳥遊ホシノを苦しめ続けた本当の敵へと。
(これが――私の見立てだ)
砂嵐が先生の全身を巻き取って彼方へ送る。
それにより――全ての謎、全ての解はたった今こそ解きほぐされた。
故に、これより語らうは先生たちの話ではない。救いがたき誰かの話。
全ての夢は、今こそ現実へと帰還する――。
先生と小鳥遊ホシノは答えを得た。なればこそ、先生たちは正しくこの物語への終わりへと帰結する。
「クックックッ……しかしそれでは足りませんとも……」
闇の中、漆黒の衣を纏った悪い大人が微かに呟く。
「此度は善性だけでは乗り越えられぬ歪の祭典。先生個人であったとしても、その肩に荷が重すぎるでしょう……」
悪い大人――ゲマトリア。最初にして最後の大人が静かに笑った。
見ゆるはアビドス。砂に埋もれた砂上の楼閣。そこに住まうは全てを失くしたひとりの生徒。
「希望の光は絶望の闇の中にこそ一際輝く」
そこに善意はない。悪意はない。
ただ、己が目的だけを果たすという意志があった。
「私が彼女の停滞を突き崩します。その後に起こる破滅の渦は、あなたたちでさえ飲み込むでしょう」
黒服は歩む。歴史が失われつつある無人で荒廃し往くアビドスを。
その表情にはどこか、心からの笑みが浮かんで零れた。
「ええ、先生。あなたならば乗り越えられるはずです。私の観測を越えた事象を、私の目に見せてくれるはずです」
善意も悪意もない瞳が見ていたのは、自らも知れぬ事象観測の果ての先。
キヴォトスという実験場における極地。自らとは違う他者たる先生の存在を前提とした検証。
「仮初の希望を見せるのが
ゲマトリアは先生の敵ではない。
しかして、ゲマトリアの歩む道は先生の進むべき道と隔絶されている。
故に――故に黒服は願う。その道の交わりに、いったい如何なる神秘が宿るのかを。
「始めましょう、先生。私たちは最後に向かいて戦う宿敵なればこそ」
舞台装置として戦うことでしか得られぬ結果があるのだと、最後の敵は笑っていた。
■次回予告
"待っているよ、私は居なくならない"
"これは、夢と希望の物語なのだから――"
トリニティにあった戦いの全ては誰かの望む奇跡の産物だった。
名前を取り戻した私は全てを知っている。ミレニアムで、ゲヘナで、トリニティで起こった全てを知っている。
多くの声こそ道すがら。答えは既にここにある。
全ては――あの日の自分を救うため、そのためだけにここに来た。