「ひとまず、状況を整理しよう」
先生がその辺りのノートを開いてペンで情報をまとめていく。必要なものは次の通りだ。
一つ、アビドス砂漠の地形情報。活動範囲限界と自分たちの居る場所の情報。
二つ、医者と医療物資。ただし外から調達することは不可能。
三つ、砂嵐への対抗策。ホシノであれば逃げ切れるものの、他の人間じゃ逃げ切れない。
それを見てふと、
「あのさ先生、ちなみになんだけど……黒服が今ここに居ないってことは……」
「……そうだね。きっと彼でも調達出来ないんだと思う。こんな高値で売り付けられる瞬間を見逃すはずがないからね」
「まさか、私たちが何話しているかも分かってないとかはないよね……?」
「そこは大丈夫。私は黒服と契約しているから」
私は最初にこの世界で目覚めた時に、先生と黒服が交わした口約束の内容を思い出していた。
《私、黒服はこの名に誓い、この世界を脱出するまで小鳥遊ホシノおよび先生に対して全面的に協力を惜しまず、また両名が望まぬ事態は引き起こさぬよう尽力し、緊急時を除いて先生の指示に従うように致しましょう》
「今が緊急時であると解釈されるのは仕方ないとしても、『望まぬ事態を』の部分は破って来ないよ。何があっても尽力はしたって言えるだけの協力はしてくれる」
「へぇ、随分と信頼してるんだね~?」
悪戯っぽく口を尖らせると、先生は「まさか!」と首を振った。
「大人同士の信用の話だからね!? 油断は出来ないけど、損得の話でならわざわざ裏切ったりはしないから……」
「ふぅ~ん?」
「と、ともかく! 具体的にどうやって解決するか考えよう!」
先生は慌てたように話を戻す。
そう、現状だと持ち込む方法が分からない。それも分からないままもうひとりの私が居るアビドス本校舎へ突撃するのは絶対に避けたい。
「とは言っても先生、本当にこれどうすればいいんだろうね……?」
「そうだね……。ただ、抜け道は必ずあるんだ。これまでのことで何か見落としていることが他にあるんじゃないかな?」
「見落としていること、かぁ……」
最初にこの世界に来たときはゲヘナから始まって、その後は情報収集のために散策を行って……。
(――いや、違う。先生が思い浮かばないのなら、先生が見ていない時の何処かにヒントが隠されてるはず……)
私が先生と別れて行動していたのは二回。ミレニアムでの戦いとゲヘナでの戦いだ。
ミレニアムではセミナーに拉致された先生たちを追いかけて行って、アスナちゃんと戦って、ゲリラ戦をして、ネルちゃんと戦って……。
「――あ」
思い出した。ネルちゃんと戦って、逃げ出した時のことを。
ネルちゃんが私の名前を認めた時、私は一時的にタワーの管理権限を簒奪していた。だったら――
「先生。もうひとりの私が私のことを『もうひとりの自分』だって認めてくれたら、多分、できる」
「…………そうか。『小鳥遊ホシノがサンクトゥムタワーを作り出して再現した』ってルールを再解釈できれば――」
あの砂漠にサンクトゥムタワーを顕現させられる。そうすれば生徒たちの
これさえ出来れば、全ての問題は解決する。
「私に再現できるんだったら、地形データはミレニアムの皆に任せられるし、医者と物資もトリニティとゲヘナで賄える。あの軟膏、やたら効くんだよね……」
「砂嵐の方も、一度標的にしたら消すまで追いかけてくるのであれば、ホシノだったら逃げ切れる。そうでなくても、生徒たちを呼べるなら時間稼ぎが出来る」
「待って先生。タワーも消されるよね? タワーを消されないように砂嵐を誘導し続けないといけないから、結構消耗戦になるかも……」
ここまで手段を取り揃えても、懸念点は幾らでもある。
もうひとりの私に私を認めさせることが出来なければ失敗。認めさせたところで夢の世界のルールを掌握できないのなら失敗。
掌握してもあの砂漠で同じことが出来なければ失敗。すぐにタワーの顕現が行えるのかも分からない以上、時間が掛かるのならただでさえ低い成功の目がゼロに近付く。
そもそも、もうひとりの私があとどれだけ生きながらえるのかも分からない。処置が間に合わない可能性だって充分ある。
処置が完了する前に私たちが消える可能性だってある。混沌領域がいつまで展開されているのかも分からない。
最後の最後に私たちの前へ立ちはだかるのは、ずっともうひとりの私が独りで戦い続けてきた相手――即ち、時間そのものだ。
容態を安定させるまでの時間稼ぎが出来なければ、その時点で敗北する。
「……改めて考えてもさ。本当に――」
そう言いかけて、首を振る。大事なことはそうじゃない。
私は先生の顔を見て、心を奮い立たせてこう言った。
「きっと何とかなる! だよね、先生!」
「うん、そうだね! 大丈夫、私もついているから」
それから立ち上がって装備を整える。最後の場所、アビドス本校舎へ向かうべく部屋の扉を開けた。その時だった。
『違う』
突如、世界に響いたひとつの声に先生が顔を上げた。
対策委員会室を出ようとしていた私にも確かに聞こえたその声は、今際の獣の喉から溢れるか細い呼気のようにも思える。
『違う。違う。違う。違う。違う』
空が赤くなる。真昼の太陽は端から燃え尽きるように黒く染まりつつ、東の彼方へと墜ちていく。
『ヒフミちゃんもセイアちゃんもマコト議長もリオ会長も、みんなみんないなくなった――』
「……先生。多分、やばいよこれ」
まるで時間に抗うように、西の空から月が夜の軍勢を引き連れて現れる。
『誰もいない。もうここには
『私はもう、何もいらない――』
空に昇りゆく月はあまりに現実離れした大きさで――全ての空を覆いつくさんばかりに暁の空を地平の彼方へと追いやった。
月から徐々に堕ちてくるのは夥しい数の塔。これまで
硬度も材質もありとあらゆる物理法則も関係なく、空中で溶けるようにもつれ合って一本の塔へと混ぜ込められていく。
「何でもありじゃん……」
文字通り悪夢のような光景を前に呆然と立ち尽くしていると、先生は私の手を握った。
「ホシノ。なんというか……ラストバトルって感じがするね!」
「それ多分いま言うことじゃないよ先生……」
地面に塔が突き刺さる。瞬間、塔の触れた地面を起点に融解が始まり、塔はゆっくりと世界の裏側に向かって沈んで行った。
それはまるで水の張った桶に穴を開けたような光景。崩落した地面が穴へと吸い寄せられ、流砂となって飲み込まれていく。
――あと三分ぐらいでここまでに来る。
けれど不思議と私は落ち着いていた。
今までは動かない太陽など異世界に似た不気味さがあったが、ここまで来るともはや荒唐無稽が過ぎる。
理解を超えた光景を前に、もはや現実感も何も無い。隣を見ると先生は何かを考えるようにじっと目を見開いていた。
きっと何か思い至ることがあったのだろう。軽く手を引くと「ん、ああ」と私を見る。
「どうかした~?」
「あ、いや、多分これ、黒服が一枚噛んでる気がしてさ」
「……あぁ」
何をどうやったのかは分からないけれど、ただ
けど、何かしたのだろう。恐らくもうひとりの私に。何らかの荒療治を行って、無理やり私たちが干渉しやすい状況を作り出したのだろう。
「先生。多分私たちアレに飲み込まれるけど、大丈夫かな?」
「う~ん。まあ、きっとなんとかなる!」
「だよね!」
崩落が近づく。いや、わざわざ待ってやる理由も無い。どうせ飲み込まれるのだ。
ここまで来たら派手なぐらいが丁度良い。勢い任せで行かないと、曇った空も晴れやしない。
私は先生を担ぎ上げると、「うわっ!」と驚いたような声が上から聞こえた。
「それじゃあ行くよ! 先生!」
対策委員会室の窓を蹴破って、窓枠に足を乗せる。
「ちょっと待って! まさかここから!?」
「もうどうせめちゃくちゃなんだし、飲み込まれたら終わりって言うならどの道どうやっても無理じゃん?」
「そ、それはそうだけど……」
「それに私と先生を分断するつもりならどう抗っても分断はされる。対策も何も無いって!」
「けど、流石にこれは怖――」
窓から飛び出して自由落下。先生の悲鳴に私は笑う。これまでの人生でしたことの無いぐらいの大笑い。
濁流と化した地面が凄まじい勢いで穴の方へと流れ込む。私たちの眼下も既に地面は無い。
――ユメ先輩。見てますか?
――今から昔の私を助けに行きます。今度こそは間に合わせます。だから。
「見守っててくださいね! 先輩!」
全ての濁流は穴の中へと流れ切った。世界の再編。文字通りの最終決戦。
さあ、絶望で作られた世界を壊しに行こう。