次の日から、私のルーティーンは全く別のものになっていた。
居心地の悪い教室を出て真っ先に向かうのは射撃場ではない。アビドス高校の本校舎である。
(……いた。カツアゲされてた人)
校門から出て来たその先輩は、一緒に出て来た生徒の手を握りながら泣いていた。
「ほら、ユメ。泣かないで」
「うぅ……だってぇ……」
何があったのかと物陰から見ているとどうやら二人は友人同士のようで、その片割れがハイランダーへ転校するとのことだった。
そしてカツアゲされていた先輩の名前はユメと言うらしい。苗字は分からないが。
「騙されやすいんだから、ちゃんと気を付けてね? ほんとにね!? 暗い路地とか入っちゃ駄目だからね!?」
「そ、そんなに強く言わなくても分かってるよぉ……」
「はぁ……もう、ほんと、それだけが心配。最近治安も悪くなってるし……」
いいぞ、もっと言ってやれ! と若干思いかけたが、なるほど。本当に良い友達を持っていたようだった。
むしろ今までその友達がユメ先輩を守っていたのだろう。でなければ、あんなペンギンぐらい警戒心の無い人が今のアビドスで生きていけるはずがない。
「ねぇ、一緒にハイランダー行かない? 絶対ここより安全だよ?」
「……それは、ごめんね。私、アビドスを立て直したいから……」
(アビドスを……立て直す……?)
絶対無理だ。今アビドス学区内にいる生徒の中でそんなこと言う人を私は初めて見た。
ユメ先輩の友達も呆れた様子で、けれども何も言わずに溜め息を吐くだけである。普段からそのようなことを言っているのかも知れない。
「ともかく、何かあったら連絡してよね。それじゃ!」
「うん、またね!」
そう言って二人は別れてその場を去った。私もユメ先輩の方をこっそりと追いかけていく。
――それから30分後、ユメ先輩は怪しげな占い師に絡まれていた。
「そこのお嬢ちゃん。占いに興味は無いかい?」
「へ、私……ですか?」
「今なら安くしておくよ、アビドス高校一年の梔子ユメさん?」
(思いっきり標的にされてるこの人!!)
ピンポイントで狙われ過ぎである。いやもう噂に聞くブラックマーケットで個人情報が流れまくっているとしか思えない。
それ以前に怪しすぎると何故思わないのか。そんなんだからカモにされるのだと何故気付かないのか……。
物陰で頭を抱える私とは打って変わって、ユメ――梔子先輩は無邪気にはしゃいでいた。
「わ、凄い! 私の名前! それも占いですか!?」
「ひっひっひ……そうさね。アビドスが立て直せるかどうか、知りたいんなら着いておいで……」
「はい! 行きます!」
(行くな馬鹿!!)
持って来たハンドガンにサプレッサーを付けて占い師を撃つ。「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて逃げ出す占い師と、驚いて目を丸くする梔子先輩。
まさかこのキヴォトスでサプレッサーを使う羽目になるとは思わなかったが、念のため用意しておいて本当に良かった。
戦術教科BDの学習内容に含まれていたぐらいで実物を手に取ったことも今日まで無かったが、知識しかなかったものでも実戦で使うと印象が変わる。日々の訓練の使いどころが分かるのは少しばかり楽しかった。
……と、最初は呑気にそんなことを考えていた。その考えを改め始めたのは一週間が過ぎた頃。
(一日のうちにどんだけ攫われかけてるのこの人!?)
不良に不審者、詐欺師にテロリスト。目を離せば一瞬で何かに巻き込まれている。
流石に登校時間は見張れなかったが、下校から帰宅までカモにされ過ぎてとにかく誰かに狙われていた。
恐らくアホウドリもこういう風に絶滅していったのだろう。脳内に『絶滅危惧種:梔子目ユメ科』なんて言葉が過ぎって首を振る。割とシャレにならない。
時には梔子先輩の移動先に先回りして不良たちを壊滅させたり、ブラックマーケットに乗り込んで大立ち回りを繰り広げたりと騒がしい日々を送ることになった。
「みんなアビドスの治安は悪いっていうけど……そうでもないんじゃないかな?」
先輩がぼそりと呟いた独り言に頭を抱える。そして声には出さず胸の中で叫んだ。
――私が片付けてるんだよ!!
アビドス高校に進学したのは片手で数えられるぐらいの生徒だった。もちろんそこに私も含まれているが、それ以外の生徒は中学を卒業したタイミングでそれぞれ別の学校へと進学して行ったのだ。
高校の生徒も50人は切っている。私も進学はしたもの、梔子先輩が転校したら自分も何処かの学校へ転校するつもりだ。
(まぁ、アビドスじゃなきゃあんなに襲われないでしょ……。治安維持組織も他ならちゃんとあるし……)
予想外だったのは、いつの間にか梔子先輩が生徒会長になっていたことだった。
在校生も新入生も、全員この一年以内には何処かへ転校していくことだろう。
あくまでいま残っているのは新学期に合わせて転校出来なかった出遅れ組に過ぎない。
一人を除いて。
「アビドスの環境を改善するために、署名を集めてます!」
「…………」
梔子先輩は署名を集めようとしていた。当然住民の反応は冷たく、誰一人としてまともに取り合おうとしない。
決して住民は悪くはない。むしろ当然のことである。おかしいのは梔子先輩ただ一人だ。今更署名を集めたところで、一体何の意味があるのか。
(そのうち諦めるでしょ。それまではこっそり護衛でも続けよう……)
護衛もただの習慣に過ぎない。関心があるわけじゃない。
あくまで関わりは持たず、早く転校する日を待つばかり……そのはずだった。
「あっ! ちょ、ちょっと待って!」
「……?」
「えへへ……最近入学してくれた子だよね? えっと、たしか名前は……」
「…………」
関わらないと決めたのに、まさか向こうから絡んでくるとは思わなかった。
無視してさっさとその場を離れると、後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
新入生が少ないのだから、名前を覚えられていてもおかしくはない。それでも、無視すればそのうち梔子先輩だって私に関わろうという気持ちも薄れていくだろう。中学のクラスメイトと同じように。学校の立て直しだって、すぐに諦めるはず。
「…………」
諦めるはず、という私の想像は甘かったのかも知れなかった。
雨が降りそうな曇り空の下、梔子先輩はプリント束を抱えて往来に立っていた。思わず溜め息が出る。
「アビドス治安維持強化方針の説明会を行います! 皆さん、どうかご参加ください!」
そう簡単には挫けない、ということらしい。
無駄なことを……なんて思ったものの、それでも諦観に淀んだアビドス自治区の生徒の中にこんなタイプはいなかったのも確かで――その時ふと、梔子先輩と目が合ってしまった。
「っ!?」
「……あっ、ホシノちゃん!」
まずい、と思った時には既に遅く、梔子先輩は私の方へと歩いてきた。すぐさま踵を返してその場から立ち去る。しかし――
「待って! ……ひんっ!」
私を追いかけようとした先輩が顔面から派手に転んで大量のプリントが路上を舞う。
なんて、手間のかかる――
「……はぁ」
プリントを集めてから、鼻を擦る先輩に手を引っ張って立ち上がらせる。先輩は礼を言って、それから自分のじっと見て、一言。
「わっ、握手しちゃった……」
「どうして私を知っているんですか?」
梔子先輩は私のことをそれなりに知っていたらしく、「すっごく強い」とか「ちょっぴりイジワル」だとか言っていた。
少し驚いたのは路上での乱闘騒ぎを制圧したことまで知られていたことだろう。とはいえ、生徒会長ならそれぐらい耳に入るのも当然なのかも知れない。
「アビドスのために、ありがとう。生徒会長として、お礼がしたかったの」
その言葉だけはちょっと引っかかったが。
そもそも誰の為でもない。自分の為だ。護衛紛いのことだって自分の為。私は決して人の為に何かをしないと決めている。
人の為に何かをしたって、次から当てにされるだけなのだから。
「……さっさと帰ったほうが良いですよ、梔子ユメ会長。暗くなったら、ここは危険なので」
「でも、まだやることが……」
「…………」
これ以上は付き合ってられない。関わるつもりだってなかったのに、うっかり近づきすぎた。
今度こそこの場から立ち去る。流石に梔子先輩も追っては来ない。
……うっかり先輩の名前を呼んでしまったことに気が付いたのは、家に帰った後のことだった。
それから私たちは一緒に居る時間が増えた。
正確には、私のところに先輩が押しかけてくるようになった。
私は特に何もしない。生徒会としての活動に同行する。梔子先輩が往来でプリントを配ろうとする。ほとんど減っていない束を抱えて生徒会室へ戻る。ただそれを見続けた。
もちろん生徒会に勧誘されたが、断固として拒否し続ける。下手に入ればそれこそ先輩が転校し辛くなるではないか。
アビドス高校から人が減る。それでも先輩は辞めなかった。
そして、私が梔子先輩をユメ先輩と呼ぶほどの時間が経った頃、アビドスの生徒は全員他学区へと転校した。私たちを残して。
「……ユメ先輩。私たちも――」
「よし! じゃあ新しい校舎に行こっか!」
「……はい?」
わくわくとした様子で歩き始める先輩に置いて行かれないように慌ててついて行く。そうして着いた先は――
「ホシノちゃん、ここが新しい校舎だよ!」
「新しいって……ただの別館じゃないですか」
使われなくなって久しいアビドス高校の古びた別館を見て、私は呆れる。
元々アビドス高校の本校舎の管理はたった二人じゃ出来ないと思っていたが、まさか昔の校舎に移るとは思いもしなかった。
あらかじめ規模の小さい別館への移動申請を連邦生徒会に提出していたらしく、アビドス高校は今日から別館こそが本校であるということになったらしい。
もう二人しか残っていないのに、ユメ先輩は何も諦めていなかった。
「これからは二人で頑張っていこう。私がホシノちゃんを守るから、ホシノちゃんは私を守ってね?」
はしゃぐように笑う先輩に一体何度呆れたか。弱いのに、私を守るだなんて言うのはユメ先輩ぐらいなものだろう。
だから、私はもっと強くならないといけない。天才なんかじゃない私に出来るのは、努力することだけなのだ。
それに、きっと私は変わってしまった。誰かの為にだなんてする気もなかったし、いつだって自分の為だけに行動してきた。
先輩だっていずれ転校すると思っていた。なのにその頑固さは筋金入りだ。これじゃあきっと卒業するまでこの学校に居続けることだろう。
だから私は、前からずっと鞄に入れていた紙を先輩に渡した。
「まずは先輩、これを受け取ってください」
「うん……?」
先輩は首を傾げながら紙を受け取って内容を見る。しばらく静止して、それから大きな声を上げた。
「生徒会に入ってくれるの!? やっ……って、どうして……?」
「生徒会かどうかに拘っている意味がないと思ったので」
私が生徒会に入ろうが入らまいが、何なら私が転校したってユメ先輩はアビドスを復興するために残り続けるのだろう。
だったら、ちゃんと入って先輩の仕事を手伝う方がいい。そう思ってのことだった。それに――
「……どうせ、先輩とはこれからもずっと一緒でしょうし」
これからも長い付き合いになる。あのダサい手帳は受け取らないと言ったけど、いつか結局受け取ることになるのだろう。
後輩が出来るとは思わないが、それでもきっと入って来て、先輩はしたり顔でこう言うんだ。「ね? だから言ったでしょ?」なんて。
その得意げな顔にちょっと苛ついて頬を引っ張って、「ひぃん」と泣く先輩に「夢じゃなくて良かったですね」って言って、笑って。
バイトをして、帰りがけにアイスクリームを買って、並んで食べて、「また明日」って家に帰って、眠って、それから学校で日々を過ごして。
きっと先輩の卒業式に私は大泣きするだろう。想像もつかないけど、でもそうだったら良いなと少しだけ思ってしまった。
アビドス復興なんて奇跡も起こるかも知れない。私だけなら最初から有り得ないと否定した未来すらも変わるのかも知れない。
そして――
「これは……違うよ」
「こんなの、夢に決まってる」
そんな日は訪れなかった。