末後の絶叫が世界を揺らす。一発の銃声が砂漠に響く。時計の針が巻き戻り、そして――
「――ぁあああああ!!」
がばりと身を起こす。息が上手く出来ない。肺から零れる喘鳴。酷い動悸に胸を押さえる。
焦点の合わない視界が徐々に合っていく。酷く咳き込んで、思わず吐きそうになる。ここは、どこだ――
(あ、あか……るい……?)
「ほ、ホシノちゃん!? だ、大丈夫……?」
不意に聞こえた声に、初めて誰かが隣にいたことを知る。誰か? 違う、聞き間違いなんてあるはずない。この声は。
顔を上げる。窓際で光に照らされながら私を見るその人は、それは――
「ユメ先輩ッ!!」
「ふぇっ!? ちょ、ちょっと……?」
抱き着く。先輩の胸に飛び込んで顔を埋める。温かい。心臓が動いている。ちゃんと柔らかくて、それは幻なんかじゃないって確かに分かる。
「ごめんなさい! ごめんなさい!! わ、わたっ――」
「大丈夫、大丈夫だよホシノちゃん。私はちゃんとここにいるから……」
「ぅ、ああああああぁぁあぁ……!」
溢れる涙を留めることなく、私は先輩の胸の中で泣き続けた。我慢なんてしなかった。
そうだ、あれは全部悪い夢だった。夢だったのだ。全て。
「えぇ? 私が死んじゃう夢~?」
「砂漠に行くのはもう辞めましょう。正夢になったら大変です」
「あはは……まぁ、確かに宝探しぐらいしか出来ないもんねあの砂漠。コツコツ働いた方が良いってことなのかなぁ?」
「はい。死んだら何にもなりません。絶対に嫌です」
「……ね、ねぇホシノちゃん?」
「何ですか?」
「そろそろ恥ずかしくなってきたんだけど……」
「嫌です」
ユメ先輩は困ったように身を捩らせる。
というのも、私はソファに座ったユメ先輩にコアラみたくしがみ付いていた。
何なら両手も両足も先輩の背中に回してがっちりホールドしている。どうせ二人しかいないのだ。恥じらいも何もなかった。
「ホシノちゃん、甘えん坊さんになっちゃったんだね……」
「なりました。先輩はもっと私の頭を撫でてください」
「ひぃん……」
先輩の手が私の頭を撫で続ける。白い指先に髪を
生きてる。死んでない。大丈夫。ユメ先輩はここにいる――
しばらくして、今日は早めに学校を閉じることにした。
私がこんなんなのだから仕方もないだろう。とにかく、私も私で落ち着きを取り戻してそれには賛成する。
二人で昇降口に向かって歩く。流石に抱き着いたままとはいかなかったが、手だけは絶対に離さなかった。離してしまったらユメ先輩が消えてしまいそうな気がして。ずっと。
「ほ~ら、ホシノちゃん。家までは送ってあげるから、靴履き替えて」
「……はい」
ちょっとだけ頬を膨らませて、渋々手を離して靴を履き替える。それから一秒でも惜しいと言わんばかりに先輩の手を再び握って昇降口を出る。校舎から出て、夕暮れ近い日差しに目を細める。
中庭に掛かる何かの影に気付いたのはその時だった。
私は、影を追って顔を上げた。
「…………は?」
思わず声が出た。理解できないものが中庭に立っていた。
それは塔だった。視線を上へ向ける。どこまでも続く塔。眩暈がする。威圧するほどの巨大さに。不気味さに。
D.U.に建っていたはずのサンクトゥムタワーが、アビドスの中庭に屹立していた。
「ほ、ホシノちゃん、痛い痛い……」
なんで、どうして。どうしてこんな、有り得ない。
現実離れしたその光景に怖気が走る。身体の震えが止まらない。まだ何も終わってなんかいない。
だってこんなの夢に決まっている。じゃあこっちが夢? あの砂漠が現実で、ここは――
「ホシノちゃん」
「っ!」
抱き寄せられて、頬を擦り寄せられた。それで気が付く。握ったユメ先輩の手が青白くなっていて、慌てて手を離す。
「あ、ごめっ、せん――」
「大丈夫だよ」
それでもユメ先輩は私のことを離さなかった。
何度も大丈夫と、私の頭を撫で続けていた。何度も、何度も。
「ねぇ、ホシノちゃん」
「…………」
「今日は、お泊り会しよっか」
「……………………はい」
呆然自失としたまま、ユメ先輩の家に連れて来られる。
お風呂を借りたり、一緒にご飯を食べたり、以前買わせた寝袋を借りたりしたけど、それでも。夢から覚めるのが怖くて、眠ることなんて出来はしなかった。
夢は覚めなかった。いつ覚めるとも知れない夢の世界を、まるで薄氷の上の渡るかのように怯えながら過ごした。
気がどうにかなってしまいそうだった。眠れぬまま、何を警戒すれば良いのか、どうすれば自分の目が覚めないようにすればいいのかも分からないまま、ただ全神経を総動員して僅かでも変化が起こっていないか警戒し続けていた。
それから三日が経った。
ユメ先輩は、あれからずっと私と一緒に居てくれた。自分でも分かっている。おかしくなった自分を案じていてくれていることを。
気晴らしにと私を連れ出したユメ先輩は今、アビドス自治区を特に行く当てもなく散歩していた。
「ねぇ、ホシノちゃん」
「…………はい」
「一緒に転校しよっか」
「……………………私のせいですか?」
私のせいだった。どう考えても。
自覚しているからこそ、先輩は何も言わずに頭を撫でてくれた。
離れるのが怖い。夢から覚めるのが怖い。こんなだから、先輩はバイトを休んで私とずっと一緒に居てくれている。
私のエゴが、先輩の重荷になっている。離れたくない。怖い。震えるほどに。
「言ったでしょ、ホシノちゃんは私が守るって。守らせて、たまには、ね?」
「ご、ごめ――」
「違うよホシノちゃん」
ユメ先輩は私の言葉を遮って、まっすぐ私に目線を合わせた。
「こういうときはね? ありがとう、って言うんだよ」
「あ――」
「さん、はい!」
「あ…………、ありがとう、ございます……」
「うん! 任せて!」
そう言って笑う顔が私にとっての太陽だった。
考えすぎなのかも知れないのだと、私の恐怖もきっと照らしてくれていて――私は少しだけ落ち着いてきた。
「ありがとうございます……ユメ先輩」
「うんうん! なんたって
「なんですかそれ……」
強張り続けた頬が僅かに緩む。その時だった。
気が緩んだ間隙を突くような違和感に遅れて気が付く。それこそが致命的だった。
「ユメ先輩!」
私は当然かすり傷すら負っていない。この程度、手榴弾の爆発よりも若干強いぐらいだ。にも拘らず、心臓は早鐘を打ったように鳴り続けて、爆発後の煙の中を必死で探った。
――ユメ先輩が倒れていた。
――抱き起す。私が何かを叫んでいる。
――先輩が薄く目を開ける。何かを呟く。聞こえない。何も、聞こえなかった。
――やがて、先輩の心臓の音すら聞こえなくなった。
「な、なんでさ……」
何が起こったのか分からなかった。爆発の原因? それだけじゃない。
どうして
ただ、夢の中でさえ幸せな未来が否定されたことは分かった。
「どうして……っ!!」
私はひとつだけ分かったことがある。
私の夢は、私が気を緩めた瞬間に破綻する。奴らは隙を狙っている。私が守れないその隙を。
(じゃあ、いいよ……。分かったよ――)
「何度だってやってやる――!! 私が危険を全て取り除く! 覚めてたまるか夢からなんて!」
沈み行く空に向かって私は叫んだ。笑って目を剥く私はきっと正気じゃない。それでも何かを守れるのなら――
「もっと見せろ! 私は絶対に諦めない! 何があってもやり直す! これが現実になるその時まで!!」
ユメ先輩だったらそうした。アビドスを復興させるなんて夢物語を実現しようと、決して諦めなかったユメ先輩なら。
だから私もそうする。誰にも否定はさせない。ユメ先輩が生きてるなんて夢で現実を塗り替えてやる。何度でも――
示すべき羅針は今ここに狂い始めた。
繰り返す世界に終わりはなく、それでもただ何度でも世界を回す。
『マコト議長からパーティーの設営依頼が来たよ~』
ゲヘナ学園に転校した未来があった。ゲヘナの噴水広場にタワーが立つ。
ユメ先輩はちょっとした抗争の流れ弾に当たって死んだ。――もう一度。
『またクーデターがあったんだって~』
レッドウィンターに転校した未来があった。雪山にタワーが立つ。
ユメ先輩は熊に襲われて死んだ。――もう一度。
『今日は花火が上がるんだって~』
百鬼夜行学園に転校した未来があった。天楼閣にタワーが立つ。
ユメ先輩は花火の暴発に巻き込まれて死んだ。――もう一度。
『今日セミナーでね~』
『カジノの調整だって!』
『ひぃん……美術は向いてないって……』
『美味しいスイーツ見つけたんだ~!』
何度も、何度も、何度も、何度も――
繰り返される世界。繰り返されるユメ先輩の死。それはもはやキヴォトスでは起こり得ないような、脆弱な肉体を前提とした死が常に付きまとい続けた。
何度も何度も失敗して、それでも私は何度も何度も続けてきた。
そして私はようやく気付いた。キヴォトスには死の因果に繋がり得るものがあまりに多すぎるのだと。
D.U.シラトリにタワーが立つ。ヴァルキューレに転校していたことになっていた私は、すぐさま先輩の手を取った。
「逃げましょう先輩。今すぐ!」
「え、え? 逃げるって何処に!?」
「キヴォトスの外ですよ!! 内外直行の航空便があります! 今すぐ逃げましょう!」
手を引いて有無を言わさずキヴォトスの外への直行便のチケットを取る。正しくない手段で強奪した。
それがユメ先輩の理念に沿っていないのは分かっている。それでも私は奪い取る。この夢を続けるそのために。
ユメ先輩は、何も言わなかった。
「シートベルトをちゃんと付けてください。パラシュートはこれです。離陸の前に使い方を見直しましょう」
「ね、ねぇホシノちゃん……? なんだかまるで落ちちゃうみたいな……」
「落ちるかも知れません。だから覚えて下さい。先輩が――ユメ先輩に何かあったら……私は――!!」
「……うん、分かったよ」
何があってもユメ先輩だけは死なせない。パラシュートの使い方を教えて、何があっても対応できるように気だけは抜かない。
そして、当然かのように飛行機は墜落した。
「ユメ先輩! パラシュートを!!」
「あ、開かない――引いてるのにっ」
「くっ――」
咄嗟にユメ先輩を抱き留める。自分のパラシュートを開く――開いた! これなら――!!
勢いが減衰して地面に視線が向き始める――その時、唐突にユメ先輩の背負っていたパラシュートが開いた。
「っ――!?」
「ホシノちゃん!!」
二つのパラシュートが絡まって、急速に落下を始める。
衝撃――私に怪我はない。けれども――
「ぁ、ああ――」
世界を巻き戻す。全ては夢の果てへと消える。砂漠に戻され、続いて目を覚ましたのはアビドスの校舎、別館校舎口前。
私の周りには、誰も居なかった。
「――お願いします。助けてください」
私は空に向かって頭を下げた。どうしようも出来ない不条理を与え続けるこの世界に希った。
「お願いします。助けてください。私は良いので、ユメ先輩は、ユメ先輩だけは――っ!! お願いします!!」
叫ぶ。叫び続ける。こんな世界を作った何かにひたすら叫び続けた。
「私の命なんてどうでもいいんです!! だからお願いします!! 先輩は――ユメ先輩は殺さないで下さいっ!! お願いします! 代わりに私が死にますから! お願いします――ッ!!」
発狂したように地面へ頭を打ち付ける私を先輩が発見したのは、どれほどの時間が経ったときのことだったか。
もう自意識は燃え尽きた。何もない――ここには最初から何もない。
先輩の家にいたような気がする。何も覚えていない。口に何かを突っ込まれて、それを咀嚼する時間が続いた。
覚えているのはひとつだけ。先輩が死んだ。私に倒れ込むように、原因不明の死がユメ先輩に訪れていた。
「
死ぬ直前にユメ先輩の言った言葉が思い出せない。
(あぁ……
「
いつしか私は先輩の死に慣れ切っていた。
死を悼むわけでもなく、何も解決できない癖に理想だけを抱えて何度も何度も先輩を死なせてきた化け物だけがそこに残っていた。
「またって、何なんだよぉ……!!」
先輩の死はいつしかルーティンと化していた。先輩の死を日常に貶めていたのは他でもない、私だった。
「――ははっ」
じゃあもう、この先に一体何の意味がある。
アディショナルタイムは使い切った。私は砂漠へ戻される。ずっと目を逸らし続けた現実――ユメ先輩は死ぬ。死なない未来なんて何処にもない。それが私の現実だった。
風の吹き荒ぶ月下の砂漠で私は倒れていた。
残り時間は全て使い切った。後は無い。ただここで死ぬだけ――それだけのはずだった。
(死にたくない)
最初にその感情を自覚してしまったのは不幸でしか無かった。
(死にたくない)
私が死んだら私のこれまでは何だったのだろうか。
私の痛みも苦しみも、無かったことになってしまう。先輩のことを知っている人も居なくなってしまう。ただアビドスに残って失踪した何者でもない何かになってしまう。それまで歩んだ苦難も何もが、なかったことになってしまう――
(死ぬ――私が、消える)
人は笑って死ねはしないと、今更ながら理解した。
この世で生きていくのに最も恐ろしいのは死だ。それを知ることに時間を掛け過ぎた。
死んだ先に楽園も地獄も在りはしない。無だ。何もない虚無が私を見つめていた。
(嫌だ――死にたくない)
身体の感覚はとうに失われ、耳鳴りがずっと続いている。
目に映っているはずの月すら酸素の回らぬ脳では知覚すら出来ない。匂いも分からず、自分が息をしていないことが分かった。
意識して息を吸う。それでも肺には何も入らない。全く苦しくも何ともない。それが何より悍ましかった。
今自分の身体がどうなっているのかも分からない。失われた触角は自分という殻すら無に帰した。
そして私は幻視する。これまで世界を移る度に見捨ててきたユメ先輩たちの屍を。
一斉に私を見た。幻視の先には私が歩んだ数だけの歪な塔が立っている。その果てで、死んだ無数の先輩が私を見て口を開いた。
『
「っ、ぁあ――」
それはきっと、最後にユメ先輩が言っていた言葉だった。
悲鳴が漏れる。
そこには私の情念すらも詰め込まれていた。私を呪う、私の全てが――私の望んだ自罰の無間地獄が。
そんな夢ももうじき終わる。やっと終わりがやって来る。
(来たんだね――もうひとりの私……)
夢の支配者として選別する。
(おいでよ。殺すならもう……好きにして)
深海に巡る水流が二人を掴んで別ち絶つ。
好きにすればいい。私にはもう、何もない。何も望まない。奇跡も希望も全部捨てた。もう何も怖くない――
「それは、違うよね」
上から聞こえた声に顔を上げる。暗闇から先生が落ちてくる。
「だって君は今だって、何処かに救いを求めてる!」
「違う――っ!!」
「じゃあどうして――」
私の場所まで流れ着いた先生が叫ぶ。私に叫んだ。
「どうして君はまだ、諦めちゃいないんだい?」
「っ――」
諦めていない? そんなの嘘だ。私はとっくに諦めている。
なのに先生はそんなことすら見透かしたように、私の胸の奥底まで見透かすように笑った。
その笑顔はいつかの先輩を思わせるぐらい純粋だった。
私は反射的に、先生が怪我をしないよう砂のクッションを作っていた。
先生が落ちて砂埃が舞い上がる。その中から先生は咳き込みながら顔を出して、それから私に視線を向けた。
「君と話がしたいんだ。私はまだ、君に自己紹介だってしていない」
「――――」
じゃあ、私は一体何を話せばいいと思う?
ねぇ、教えてよ――ねぇ。