深海から海底へ、足がついて瞳を開ける。
さっきまでいた先生の姿が無いのは想定の範囲内。先生だって分かっていた。だから私も狼狽えない。
「……最下層って感じじゃあ、ないよね」
ショットガンの弾倉の確かめながらひとり呟いた。
ここはいつかみたミレニアムのサンクトゥムタワーと同じ、百階層まで続く塔の一階目。ただ違うのはその構造。
穴の周囲を囲む足場と階段のあった各フロアには、様々な学校の一部分が重なるように突き出ている。
――トリニティ、ゲヘナ、ミレニアム、アビドス。
四校の建築様式の一部分を継ぎ接ぐように作られたパッチワークがずっと上まで続いていた。
頭上を見上げると遠い上空に最後の蓋――99と100を隔てる天井が見える。
あの向こうに探すべきものがあることを、私の空いた右目が感じ取った。何も見えなかったはずの右目が、今だけは変幻自在に動かせる第三の瞳として確かに見える。俯瞰であれ、何であれ――
「……って、あれ?」
違和感を覚えたのはその直後だった。
最上階、壁の無い屋上から見えたのは歪なまでに巨大な蒼い月。それが
(私がこの世界にとっての小鳥遊ホシノだって既に認識されている……? でも……)
同じ存在とは言え確立した別の存在を自身であるとそう簡単に認識できるだろうか。
私がもうひとりの私と会ったのはアビドス自治区のあの一瞬。会話すらほとんどしていないどころか、身代わりを願うほどだった。
そんなもうひとりの私に私自身を認めさせるのがひとつの難題であったはずなのに、こんな簡単に突破して良いものなのか。違和感が残る――が。
「ま、いっか」
分からないものはひとまず分からないままで良い。元々不安の芽ばかりの決戦だ。思い当たる節が無いのなら思い当たるまで頭の片隅にでも置いておけばいい。ひとまずの納得だけしておくことにする。
「とりあえず、私は上を目指せばいいってことだよね。それで――」
直後、音も無く背後から襲った重打に身を逸らして躱す。
引かれるチェーンの軋む音。振り返って相対する。
「最初はネルちゃんモドキ、から――かな?」
チェーンを引き切って歪に嗤うその影に、私は確かな笑みを浮かべた。
掠れたノイズのようなものを叫びながら、ネルちゃんの影は銃を乱射して私目掛けて突っ込んできた。
二つの銃口が私を睨む。けど、あの時と違って威圧感は無い。ただ
「―――ラオラァ!!」
放たれた銃撃は構えた盾で確かに防ぐ。威力はミレニアムで戦った時ほどでもない低出力。対処できる範囲内。
盾で防ぎながら一息に突進。弾かれた銃弾が甲高い金属音を鳴らしながら四方八方へと跳弾する。
(――押し込むっ!)
ネルちゃんモドキがバックステップで距離を取りながらサブマシンガンを投げつけて引き戻す。
挙動は鞭。当たれば致命。先端の速度はマッハを越える。それよりも速く前へと踏み込む。
首元を掠めるチェーン。背後で破裂音。もっと速く、ただ、前へ――速く!
「て――ッ!?」
「まだいけるよね?」
突き出したのはショットガン――ではない。確実に当てる為のハンドガン。
ショットガンの銃身では直接叩かれて銃口を逸らされる可能性があったが故の拳銃。避けるなら私の懐に飛び込む他なく――コンマ一秒にすら満たない僅かな時間で確かにネルちゃんは唯一の逃げ道へと逃げ込んだ。
(中途半端な再現だからそうする。オリジナルに近かったらそんな逃げ方、絶対しない)
私の懐に飛び込んで銃撃を回避したネルちゃんモドキが見たのは、私の背後で今まさに炸裂する直前のフラッシュグレネードであった。
光と音の爆発が背後で轟き鳴り響く。爆音、閃光。私の耳すら奪い取るが、目が生きていれば問題ない。
後ろ手に投げておいたトラップ――そのたった一手でネルちゃんモドキは制圧可能なまでに混乱していた。
振り返り、ふらつくモドキにショットガンを向ける。
「偽物だって、これぐらいは耐えるよね?」
引き金を引く。放たれた散弾は全弾ネルちゃんモドキの後頭部にヒット。慣性の往くままに吹き飛ばされる人体。ジジ――と霞んで揺らめく人影のノイズ。
「私が戦ったミレニアムのネルちゃんはもっと強かったよ」
私は銃を下ろしてその影に近づいた。
「本物は分からないけど……それでも、私は知ってるよ」
吹き飛ばされて地面を這うモドキに目を向けて、私は言った。私はその影法師に目を向けた。
「美甘ネルはもっと強い。絶対勝利のダブルオーは、ミレニアムの最強なんだって」
「―、前……は――」
「私?」
モドキの姿が徐々に明瞭になっていく。焼き切れたフィルムのように途切れ途切れだった声が連続性を帯び始める。
だって私は知っている、美甘ネルを。片目だけで見て焼き直され続けた映像だって、両目が揃えば完成に近づく。
「わた――おじさんはねぇ、小鳥遊ホシノって言うんだよ。一応アビドスじゃあ
笑って返す。ネルちゃんから感じたのは歓喜の感情。影法師がこの世界に実体化する――
「勝負……はちょっと面倒だけどさ、終われないよねこのままじゃ。だからおいでよ。ミレニアムもゲヘナもトリニティも、全部巻き込んで最高の夢を見せてあげるからさ!」
私は端まで走って、壁から突き出たゲヘナ校舎の窓ガラスを銃底で叩き割る。
顔を覗かせば傾斜のついた廊下が上まで続いている。階段代わりの経路のひとつ。私は窓枠を飛び越えた。
「ついておいでよ。みんなで遊ぼう! せっかくの夢なんだから!」
廊下を走って上へと登る。背後からは追ってくるネルちゃんの気配。でも、それでいい。
もうひとりの私が見たネルちゃんと私が知っているネルちゃん、その両面で観測すればいい。
二つの主観でオリジナルに近づける。それでこそ真に迫れる――なにより。
(派手な方が面白い。そうでしょ? 私は昔から――)
今の私から大人ぶって腐って達観したような無表情を貫くあの日の私へ。
馬鹿みたいなことをやる楽しさは、ユメ先輩と共に過ごしたあの日々が教えてくれているんだから。
壊れて朽ちたアビドスの教室。その片隅に蹲る私の隣に先生が座り込む。
先生が名乗って、私はそれに沈黙で返す。すると先生は笑って、それからしばらく何も言わなかった。
「…………ねぇ」
「うん?」
沈黙に耐えかねた私が口火を切ると、先生は無邪気にこちらへ視線を向ける。
「何もしないでそこにいて、一体何しに来たの? 私を終わらせに来たんでしょ」
「……あぁ、そっか。そこからなのか」
先生が妙なことを呟いて、それから頷き私に目を合わす。
「私たちはこの夢に迷い込んだだけで、元の世界の戻るために戦ってきたんだ」
「元の世界?」
「二年後の世界って言えばいいのかな?」
「二年後……」
未来から来た、ということだろうか。てっきりこの世界を壊すために生み出された何かとばかり思っていたから少しだけ驚いた。
疑いはしない。というより、疑えるほどの常識は何処にも無い。どこもかしこも狂った世界に在り続けていたから、そういうこともあるのだろうと素直に受け取る。いずれにせよ、私はもう何かをしようだなんて思っていないのだから。
「それで? 私を殺せば戻れるって話? いいよ、好きにして」
「ちょっと違うかな……。夢の世界が無くなれば戻れるみたいなんだよね」
「何が違うのさ……」
淀んだ右目を静かに閉じる。そもそも、さっきからこの大人はどこかおかしかった。
嘘を吐いている様子もなくべらべらと話して目的まで明かして、それなのに何かしようという気配すら無い。
(本当に何しに来たの……?)
すると先生は更に意味の分からないことを言い始めた。
「だけど、別にすぐ戻らなくても良いかなーって思い始めて来たんだよね」
「……はい?」
「急いで戻らなきゃいけなかったのはホシノ――あ、私と一緒に来たホシノね。が、怪我をしていたからで、今はそうじゃないからまぁ、のんびりしててもいいかなって」
「なに言ってんの……?」
「ねぇホシノ。おやつとかない? せっかくの夢だしこう、ホールケーキとか、いっちゃう?」
「……馬鹿なんじゃないですか?」
あくまでここは明晰夢のルールが形作る世界。そうである以上、イメージすればホールケーキぐらい出せるかも知れないが……本当に何をしに来たんだこの大人は。
とはいえ、手遊びに言われたとおり出そうとしてみる。すると目の前に六段ぐらいあるケーキが出て来て、先生は「おぉ……」と感心したように唸ってそのまま食べ始めた。
「すごいよホシノ! 全然胃もたれしない!」
「ケーキって胃もたれするんですか?」
「するよぉ……。大人はね……悲しい生き物なんだ……」
「はぁ……」
私もフォークを作り出してケーキの端を掬って食べる。
甘い。というより、こんなことが出来るだなんて思ってさえいなかった。だったらもっと初めから何か出来たんじゃないかと思ってしまう。もっと幸せな夢だった見られたのかもと。
「明晰夢ってさ」 先生が唐突に口を開く。
「夢を見ているときに突然夢であることを自覚して、そこから何でも出来るようになったりするよね」
「突然なんですか……」
「それが今かもね」
「…………そう」
教室の窓ガラスから冷たい月の光が差し込んで、部屋の中を照らし出す。
ファンシーなケーキは跡形もなく砂へと変じて消え失せて、驚いたような顔をした先生はそのあと少しだけ落ち込んだように肩を落とした。
「ねぇホシノ。私と一緒に来たもうひとりの君が今何をしているかって分かったりするの?」
「……見せればいいんでしょう? はぁ……」
気構えていたのに肝心の先生がこんなんだと毒気も抜かれる。
私たちの前に巨大なブラウン管が現れた。ジジ、とノイズを走らせて、色褪せた映像が流れ始める。次いで聞こえたのは向こうの戦いの声――のはずだった。
『待てぇ! ホシノォ!!』
『完全復活まで早すぎない!?』
まるで遊ぶように上へと続く廊下を並走するもうひとりの私とネルちゃん。
ネルちゃんに至ってはあの時のヒフミちゃんのようにもう
「な……なんで、普通に喋れてるの……?」
思わず零れる声に先生が笑った。
「ここは私たちの夢でもあるからね。そういうことぐらい起きるのだって有り得るさ」
映像の中の二人は今、斜めになった廊下の坂を駆け上がっていくところだった。
傾斜のついた廊下を走る。想像以上に早く復帰したネルちゃんが叫びながら銃撃。寸で躱して廊下の突き当りを左に曲がる。
そんな私のすぐ後ろに滑り込むネルちゃん。向けられた鋭い眼光に応えるように、私は叫んだ。
「こういう時ってさ! 倒した相手が仲間になるとか何とかだって先生が言ってたけど、どうかな!?」
「知るか! あたしを仲間にしたきゃあたしに勝ってみろっての!!」
「でも勝てたら勝てたで何度も挑みに来るよね?」
「当然だぁぁぁああ!!」
再びサブマシンガンの銃声が鳴り響く。有効射程から逃れるべくひたすら前へと走る私。
いずれ決着をつけるとしてもここではないことだけはお互いに分かっている。
視線をネルちゃんから廊下の先へと向けた――その瞬間、廊下の先に誰かが立っていた。
構えている武器は銃というよりも機械の塊で、確か――
「―よ――――!」
「ツ!!」
思い出すより早く壁際限界まで身体を押し付けると、直後、光の粒子が放たれて私のキャリアプレートをわずかに掠った。
光の剣:スーパーノヴァの一撃。即ち天童アリス、ミレニアムの勇者たち……!!
「……あっぶ――」
「あぶねぇだろアリス! なに黙って撃ってんだ!!」
「――ネルちゃん?」
ほんの数メートル後ろでネルちゃんは、私と同じように壁に身体を押し付けて光の奔流から逃れていたようだった。
その姿に悪戯心が湧いて、私はニヤニヤと笑みを浮かべた。
「へぇ、私のは避けないのにあれは流石に避けるんだ~」
「ああん? 当たる必要のねぇ攻撃ならわざわざ当たってやるわけねぇだろ。てめぇが避けまくるから当たってやっただけだっての」
「ふ~ん? 嬉しいこと言ってくれるね~」
なんて、軽口を叩いたところで私は改めて視線を廊下の先へと向ける。
「それで、どうする? 隘路の先でのビーム砲。だいぶ厄介だけど」
「……ちっ、そうだな。まずはあれを何とかしなくちゃどうしようもねぇな」
私とネルちゃんが武器を構えて廊下の先を見る。
(距離は大体800メートル。やけに引き延ばされた廊下)
(廊下の左右には扉。いや、開けたら壁なんて
(最大チャージで放たれれば廊下の四分の一以上が光に飲み込まれる。回避先を見誤れば直撃は免れない)
「……よし」
「何か思いついたのかよ」
ネルちゃんは訊いてきて、私は手足を一旦ほぐす。廊下の先では今なおチャージされ続けているスーパーノヴァの光。
私は「うん」と頷いた。
「全力で走って全力で倒す!」
「やっぱ、それしかねぇよなぁ!!」
ネルちゃんが鮫のように笑う。そして放たれる光の剣。私たちは同時に走り出す――
――その様子を映した映像を、
「頑張ってるね、二人とも」
先生がそう言うのを聞いて、私は皮肉気に呟く。
「心配じゃないの?」
「心配じゃないって言ったら嘘になるけど……でも、大丈夫だって信じてるから」
「……信じるとか、よく分かんないよ」
「今までいなかったの? 信じられる人とか」
いない。そんな相手、私にはいなかった。
きっとユメ先輩のことだって信じてはいなかったんだ。どうせまた訳分からないことを言う。どうせ馬鹿みたいな奇跡の話をし始める。
現実を全く見ない馬鹿だって、はっきりと思っていなかったけど、多分言葉にしたらそんな感情を抱いていたに違いない。だから――
「いなかったよ。ユメ先輩のことだって、多分そう。私はそういう奴なんだよ」
――そんな自分が私は嫌い。
汚い感情ばかりで積み上げられた私のこれまで。そうだ。きっと私は先輩のことを
何も出来ない人だって。私が面倒を
泥のような感情が胸の奥から湧き始める。私は自分の力に過信していたんだろう。その傲慢さが気持ち悪くて仕方がない。
だから私に罰が当たったんだ。
「それは違うんじゃないかな」
俯く私を先生は見ていた。こんな醜い心の奥底を覗き込むように、じっと、私を。
「ホシノは、ユメと一緒に居て楽しくなかったの?」
「それは……っ」
楽しくない、なんてわけがなかった。
楽しかった。ずっと楽しかった。
思い返すだけでも胸が張り裂けそうになるほど楽しかった。
思いつきで話すあの顔が大好きで、その思いつきも楽しそうなものばかりで、それは全く知らない感情で。
あの時間はいつしか私にとっての当たり前になっていた。いつまでも続くのだと、そう盲信していた。
本当に失くすまで、それが奇跡のような日々だなんて思いもしなかった。
「楽しかったって思い出は消えないんだよ。それを別の何かで上書きするなんて、悲しいじゃないか」
先生は目を瞑って何かを思い出すようにして……それでも言葉を紡ぎ続ける。
「これは私の想像だけどね、ホシノがユメを暴力から守るように、ユメもホシノを守り続けていたんじゃないかな」
先生は続ける。きっとそれは私の魂を守っていたのだと。
私の心。私の想い。私の信ずべき道。目には見えない何か達を守られながら、私は目に見える何かを守っていたのだと。
「言葉にしていないだけで、していなかっただけで、それでも他人じゃ理解できない深いところで互いを信じあっていたんじゃないかな――なんて、私は思うかな」
だからこそ、君はこんなにも頑張った。何もかもが擦り切れるまで。
先生はそう締めくくる。
「これは私への罰なんだよ、先生」
そう告げた言葉に、先生は悲しそうに目を伏せる。そして――
「それは何の罪に対する罰なのかな」
「え……?」と声を上げると、先生は微笑みながら私に向き合った。
「罰を受けているなら、何の罪を犯して何の罰を受けているのか考えないと。罪の量に応じた適正な罰なら私も否定しないけど、それは決して多すぎてて良いものでは無いんだよ」
そして先生は、ブラウン管に映る映像へと視線を戻す。
そこには光に向かって突き進む二人の姿があった。