暗闇の中を私たちの乗る車が走る。
フウカちゃんの運転技術は確かなもので、傾斜を気にせず最短距離で走っているにも関わらずそのスピードが落ちることは決して無かった。
砂丘に乗り上げ、車体が大きくバウンドする。
その時だった。リオ会長から貰ったゴーグルが突如として消失したのだ。
何が起こったのかはすぐに分かった。
「先生! ミレニアムが!」
「マズい――砂嵐がこっちに来る!」
ミレニアムから直線距離で結んで最も近いのは私たちの位置だった。
このまま過去の私の場所まで向かう事だけは避けなくてはいけない。ここで誰かが囮にならなければ……。
「……先生。ここから目的地まで歩いていけますか?」
「…………うん、任せていいかな」
「はい!」
先生とフウカちゃんが交わした言葉はそれだけだった。
私たちは車から降りて、ミレニアムの方角へと走り去る車両を見送ることしかできない。
じわじわと追い詰められる感覚に心なしか冷や汗が流れるも、それを拭って先生へ振り返る。
「ここからは走って行こう! 着いたところでもう私たちに出来ることはないだろうけど、せっかくだしさ!」
「行こう!」
私たちは走った。月下の砂漠を。
さっきも言った通り、私に出来ることはタワーを下ろすことで、これ以上は何も出来ない。
例え過去の私の元へ辿り着いても、応急手当以上の治療行為なんて行えない。手を握ることが関の山だろう。
だから私は、その手を握るために走り続けていた。
そのとき隣に先生が居てくれたらなお良いとも思っている。
それが私のやりたいことだ。気休めかも知れないけれど、せめて果たしたい願いだ。
けれども、無慈悲な看守はそれを認めはしなかった。
「――――っ!!」
「どうしたのホシノ?」
「……来る。四つ。砂嵐が――!!」
「っ!?」
既にゲヘナもトリニティもやられた? いや、それにしては数が多い。
走りながらも振り向くと、背後から四つの砂嵐が私たちの方へと向かって来るのが見えた。
私はともかく先生の足じゃどうしようもない。囮にすらならない。追い付かれたら、あの子の手を握ってあげる余裕すら無くなってしまう。
(……まぁ、しょうがないか)
私の足なら逃げ切れる。本当だったら私が行ってあげたかったけれど、代わりに先生に行ってもらおう。
私は立ち止まった。先生が驚いて私を見る。私が頷く。先生は逡巡したように俯いて、それからすぐに顔を上げた。
驚いたような顔をしていた。その視線に釣られて目を向ける。そこには――
「砂嵐とは梔子ユメの死因と結び付けられる。でしたらあの砂嵐は何なのでしょうか。あれが意味するものとは何か――」
「お、前は……」
「砂嵐とは砂漠の事象。過去のホシノさんも、そして貴女も、この砂漠がオシリスに眠りを与えた。なればこそ、あの砂嵐の正体はひとつしか在り得ません」
砂上を踏む革靴。黒いスーツに身を纏うのは不吉な大人。にやにやと、ニタニタと、嘘に塗れた笑みを浮かべて条理を再解釈し、不条理へと還す狂言回しが私たちと砂嵐の間に立った。
袖口が上がり、黒服は砂嵐を指さした。今なお迫るその現象を
言霊が放たれる。
「オシリスを眠らせホルスを激情へと走らせたその正体は、ヘリオポリス九柱神が一柱の抱きし感情。大地と天空の子供にして砂漠と砂嵐を司る三番目の神性。即ち、
突如、夜闇を引き裂くように雷鳴が轟いた。
四つの砂嵐はひとつに合わさるように進路を変えて、周囲の風をも巻き込み続け、砂漠の砂を遥か天空の彼方へと舞い上げる。
稲光が空に走り、風が私たちを追い越して、空から何かが生まれ落ちようとしている。
何か――ではない。私は知っている。何故なら一度戦ったことがあるから。
セトの憤怒。かつて地下生活者の奸計によって引き寄せられた不可思議な存在。私たちの世界に必要のないもの。
「黒服――! 何を!!」
私は叫んだ。しかし先生は、何故か困惑と安堵の表情を浮かべて黒服へと一歩踏み出していた。
「どうして……」
「クックックッ……。どうして、とは……いやはや。可能な限り協力すると約束したではありませんか。これで箱は使えますね?」
「…………まさか、あなたに借りを作るだなんてね」
「よしてください。私とあなたの仲ではありませんか」
「酷い冗談だね」
「ええ、全く」
先生はジャケットからタブレットを取り出す。それから私に振り返って笑って言った。
「ホシノ、ここは私が食い止める。だから、行ってあげて」
「でも――」
「大丈夫。
先生は私の頭を優しく撫でた。そして肩に手をおいて力強く声に出した。
「ホシノのことは任せたよ!」
「……うん、任せて!!」
私は走り出す。砂漠の向こうへ。その先で待つものが何であれ、やるべきことは変わらない。
後ろから轟く雷と戦いの音が聞こえる。それでも先生ならきっと大丈夫。今はただ、前へ。
夜の暗闇は薄明かりへと変わりつつある頃、私は私の元へとようやく辿り着く。
そこには一台の車両と救急医学部のセナちゃんだけが居て、額の汗を拭ったところだった。
「容体は!?」
「やれる限りは、と言ったところです。ひとまずすぐに命を落とすことは無くなりました」
「良かった……」
「ですが、そちらの方は……」
セナちゃんは気まずそうに視線を横へと逸らした。そこには上半身だけ残ったユメ先輩の遺体がある。
身体にはシーツが被せられて傷口は見えないようになっていたが、それでもキヴォトスではまず見ない死体だ。気にもなるだろう。
私は唇を噛み締めながらも首を振る。誰であってもどうしようもないことで、いま大事なのはまだ生きているもうひとりの私の方だった。
「大丈夫。それより、活動限界ぎりぎりまでもうひとりの私を運ぼう。誰かが見つけてくれるように」
「……分かりました」
セナちゃんは車両から折り畳み式のストレッチャーを開いてもうひとりの私を乗せた。
負傷者を粗雑に積み込むのならそれなりの人数だって入る緊急車両だが、ストレッチャーを展開すればひとりしか入らない。ユメ先輩はここに置いて行くしかなかった。
私も車両に乗り込んで、砂漠の淵へと車が走る。
重傷者がいる以上、派手な運転はできない。ゆったりとした緩やかな時間の中で、私は過去の私の手を握っていた。
「君はこの先、何処にだって行けるんだ。アビドスじゃなくてもいい。ユメ先輩の仇を探しても良いし、復讐だって間違っていないと思うよ」
たとえ意識はなくとも、私の言葉が届けばいいと私は願う。
「ただ、後悔だけはしないで。ユメ先輩に恥じない人生を送ってね。捨て鉢にならないで、どうか誇れる私で居続けて」
車が速度を落とした。活動限界の壁はすぐそこだった。
セナちゃんは車両から過去の私を砂上に降ろして、それから私に頷いた。
「ゲヘナがじきに落ちます。ここまで砂嵐が来る前に夜は明けてしまいそうですが……」
「うん、ここまでありがとね。セナちゃん。また明日」
「……えぇ、また。いずれ」
車両と共にセナちゃんが姿を消した。
空は白み始め、地平線の向こうから光が昇りつつある。
この夢もじきに終わる。
私はこれまで右目を覆い続けたスカーフを取って、もうひとりの私の左目が隠れるように巻き付けた。
(私が君に会えた証拠として。もしも残ってくれたのなら、君はきっと忘れない)
これまでの戦い。夢の世界での冒険を思い返して、ここまで来られた奇跡につい頬が緩んでしまう。
それからふと、まだこの世界には謎が残っていることに気が付いた。最初から提示され続けていた大きな謎だ。
(そういや、どうして私と先生と黒服の三人がここに来たんだろう?)
黒服は最初に夢を通じて私が呼び寄せられたと言っていたけれど、どうして今なのか。どうしてこの世界だったのか。
それに先生と黒服が巻き込まれたのも少しだけ気になった。先生はともかく、悪い大人代表で考えたら正直黒服よりもカイザーPMC理事の方が付き合いが長い。いや来ても困るが、何故か。黒服で無いと解決できない問題も多くあったこれまでで、何故ピンポイントで黒服が来たのか。
――ああ。
正否も解答も与えられない問題ならば、それに合う答えは自分の中から当てはめても良いのだと、私はシェマタの一件で知ることが出来た。ならばこの解答は何か。思いつくものはたったひとつだけだった。
――そこに居たんですね。
「まったく……大変だったんですよこっちは。突然投げ出されて、説明ぐらい欲しいじゃないですか」
気が付けば異様なゲヘナで、それからミレニアムに先生たちが捕まって。
何とか倒して便利屋68と一緒にゲヘナに向かって、でもそれすら罠で。
ギリギリの戦いが続いて、私と会って話を聞いて、一度は私も諦めて、トリニティに救われて。
「いつもいつも滅茶苦茶な難題ばかり振って来て……まぁ、でも、どうですか」
沈んだ絶望へと飛び込んで、私と戦って話して励まして、最後には命だって何とか救い出せた。
これまでの全てが
夢の世界だってそもそも苦しめ傷付けるためのものではない。ただひたすらに現状を維持し続ける終末医療に近しい世界。
そこに私たちがやってきたのはきっと偶然なんかじゃない。そこにはきっと、何者かの意志があった。
「ちゃんと助けましたよ。って言っても、どうせ私の頭を撫でることは出来ないでしょうから、代わりに先生に撫でてもらいます」
一度死んだあの日から、私たちが出会うことは二度とない。
けれども、ひどく曖昧な空想と過去に貰った思い出が私たちを繋いでくれると信じている。
だから、改めて言うべきなのは――
「私たちを連れて来てくれてありがとうございます――ユメ先輩!」
地平線の向こうから太陽が登り、遍く夢を現実へと還す。
暁に刻み、闇夜を切り裂き、真昼を夢見て朝日を望んだその願いは、あるべき場所へと帰結した。
何者かの意志を成就した者の証明は、やがて救出される少女の傷口を塞いだ未来の遺物ただひとつ。
暁のホルス。
夜明けを掴む者。