お待たせしました!『鋼鉄戦士アイアンソウル』 作:冬霞@ハーメルン
エンターテイメントとして楽しんで頂ければ幸いです。
どうぞ宜しくお願いします!
「‥‥久しぶりに見たなぁ、軍の連中。相変わらず妙~な結束だけはしっかりしてやがる」
蛇行した現実味のない白亜の道を進んでいく、二十人弱の物々しい人影を眺めながら無精髭の男が呆れたように口を開いた。
まるで辺りの風景に調和していない渋い草色の着物に、赤い鎧とバンダナをつけた二十代前半ぐらいの男だ。腰には刀を差していて、飄々とした風体は隣に立つ男女に比べると年上の余裕を感じさせる。
「アイツら二十五層からずっと前線を離れてるんだろ? 久しぶり過ぎてボス攻略‥‥偵察のセオリーも忘れてんじゃねぇか? それにあんな強情なヤツがリーダーじゃあよ‥‥」
「まぁ、十中八九痛い目を見るだろうな。なぁクライン、あの人数であれだけ疲労してるってことは‥‥」
「安全マージンも十分にとってねぇんだろ。ったく、志が高いのは分かったけどよ、この世界じゃ無理しねぇのが常識だろうが」
プレイヤーネーム、クライン。俗に言う“攻略組”に数えられる小規模ギルド『風林火山』のリーダーである。
単純な性格をしているが義理人情に厚く、ギルメンからも信頼を寄せられている男だ。今もこうして自身に関係のない連中のことを気にかけていることからも、その世話焼きなところがよく分かることだろう。
或いは只、この局面においてもギルメンに犠牲を出していないことも、彼が人柄のみならず能力に於いても優れていることの証明だった。
「軍の連中の中で何かイザコザがあったって話も小耳に挟んだが‥‥どうだキリト?」
「情報屋からは特に何も聞いてないな。なんだかんだで攻略組ってわけでもなかったから、気にする程でもないわけだし」
「お前ホントに偏ってるよなぁ‥‥。その割にサブクエストとかは熱心にやってるみてぇだし、どういう判断基準で動いてやがんだ?」
「‥‥経験からくる勘、かな。あとは情報とか」
「キリト君、そういうソースはすごく大事にするよね。
「情報は力だからな。自分の足も使って、未踏エリアは探すようにしてるよ」
キリト、と呼ばれた黒づくめの少年がどうでもよさそうに首を傾げた。
やたらと裾の長く、頑丈そうな黒いコート。背中には片手剣を背負っており、一見すると少女にも見えてしまう風貌に対して佇まいは熟練した戦士のそれである。
彼こそは巷で“黒の剣士”と呼ばれるこの世界最強の戦士の一人。隣に立つ白い衣装に美しい細剣を提げた美少女、血盟騎士団副団長“閃光の”アスナと共にこのダンジョンへと潜ってきていた。
ちなみにクラインとは第一層、彼らの戦いの始まりからの長い付き合いであるのだが、彼と同じく攻略組の、それもトッププレイヤーの彼は人付き合いを敬遠するところがある。故に他のギルドの戦闘情報ならともかく、その内情までも把握している方がおかしいというものだろう。
「‥‥はぁ、仕方ないな。軍の奴らは気にくわないけど、それでも無駄死にするかもしれない連中を放り出すのは後味悪いし」
ソードアート・オンライン。
剣や刀、槍を携え、鎧に身を包む彼らは決してファンタジーの世界の住人ではない。
彼らはそれぞれが当たり前のように現代日本の社会で学生だったり、会社員だったり、あるいは公務員だったりする普通の人間だ。もちろん普段から現実で剣や槍を使って戦ったりするわけがない。そんな変態ではない。
現実の社会では剣や戦いとは全く無関係な生活をしている彼らをこんな状況に陥れているのは、前述のタイトルで発売された期待の新ジャンルゲームである。脳から体への信号をシャットダウンして頭に被ったナーヴギアという装置の中に出力し、現実の体を動かさない状態で遊べるという画期的なものだった。
問題は、このゲームが開発者である茅場晶彦によって、ゲーム内での死亡が現実世界での死亡が現実世界での死亡となるデスゲームに成り代わったことなのだ。
本来ならば当然のように出来るはずの自発的ログアウトの禁止。
加えて外部からの干渉によるログアウトやナーヴギアの電源をオフにすることでも死亡。
最終的にはこれらによって死んでしまうか、百層ある階層を全て突破、攻略するまでゲームから脱出することは適わない。
誰もが恐慌状態へと陥り、助けを待つ為に最初のステージに立てこもる者や、自殺者まで出た。しかし一部のプレイヤー達は、このゲームからの脱出を目指して勇気を振り絞り、危険な最前線へと足を踏み出したわけだ。
彼らが攻略組と呼ばれるトッププレイヤー。そして先程この場を去っていったのは、元々攻略組であったが今では第一線を退いた『アインクラッド解放軍』。俗に“軍”と呼ばれる巨大ギルドである。
「‥‥ん?」
呆れがちに呟いたキリトが周りを見ると、風林火山の面々が意を得たりとでも言いたげにニヤニヤと笑っていた。
助け合うのが人の情けというのは常識であろうが、そこに自身の生死の危険があるとなると及び腰になるのも仕方のないこと。或いは助けを求める者を見捨てたとしても、それを誰が責められようか。
だというのに、十分な安全マージンをとった上での発言とはいえ、見ず知らずの他人を助けようとする自分についてくることを表情で語る風林火山の面々に、キリトは安心感や一種の感謝、賛同のようなものを自然と抱いてしまった。
「‥‥お人好しめ」
「褒め言葉として受け取っておくぜ、キリトよ」
「煩い」
盛大に溜息をつきながら、風林火山の面々と共にキリトは進む。
安全エリアからボス部屋まではぼちぼち距離がある。そこまで遠くはないし、全員が安全マージンをしっかりとっているので道のりはかなり安定していた。
キリトとアスナは共に攻略組の中でも最強に数えられる剣士であるし、クラインも二人に次ぐ手練れだ。ましてや彼が率いる風林火山も立派な攻略組の一角。迷宮区の踏破遅滞を攻略するには十分過ぎる戦力である。
基本的にダンジョンの攻略は、十分な安全マージンをとるために隠し部屋やトラップなどに引っ掛からない限り、殆ど死人の出ない比較的安定したものだ。最も危険なのはボス戦で、それまでの間はレベリングをしている主力隊以外の、探索担当のチームがマッピングをすることが多い。
明らかにレベルがギリギリなのだろう軍の連中ならばともかく、攻略組の中でもボス攻略に参加するような主力隊ならば特に問題なく進めるのも当然だろう。
次々とホップする、剣士姿のトカゲのモンスター。その斬撃を、風林火山の壁戦士《タンク》が力強くがっしと受け止め、その隙を他のメンバーが突いて両側から手際良くダメージを与えていく。
その横では壁戦士《タンク》の後背を突こうとしたモンスターを目にもとまらぬ速さで切り刻む黒の剣士と閃光。野武士面の侍も仲間達の間を動き回り、鋭い一振りで次々と敵を屠っていった。
軍の部隊が進んだ後だからだろう、ホップするモンスターは少なく、道のりは険しくはない。もっとも敵がいつ出現するか分からない状態での進軍なわけだから迷宮区を踏破するストレスは大きく、疲労も溜まる。決してピクニック気分というわけにはいかないが、一行は着着と歩を進めていく。
「‥‥あれ、あの人影は?」
「こんなところに、さっきの軍の連中以外のプレイヤーだと?」
ふと、先頭を進んでいた壁戦士《タンク》が怪訝な声を上げた。
次いで身軽かつ指揮をとるために前の方にいたクラインが眉の上に掌を翳して目を凝らす。確かに彼の言うとおり、前の方の奥まったところ、ちょうど通路に出来た瘤の様な空間に二人ばかりの人影が見えたような気がしたのだ。
軍の連中が無茶な進軍をしてはいたが、この辺りは先程キリトとアスナがマッピングするまで未探査エリアだった。この二人のようにトッププレイヤーかつ特殊な事情か気紛れでもない限り、現状の最上層の未探査エリアにたった二人で侵入するなど無茶もいいところである。
「―――あれって、もしかしてリズ?!」
「え? 嘘だろ?!」
そして一行が近づき、その人影の詳細が確認できるまでの距離になると、最初にアスナが、そして次にキリトが驚愕の声を上げた。
何せその人影は、二人がよく知る友人。中層部分を拠点とする生産系のプレイヤーだったのだから。
「あれ、アスナにキリトじゃない。どうしたの二人ともこんなところで?」
「どうしたのはこっちの台詞よ! こんな最前線で何やってるの?!」
「何って、アタシがわざわざ出かけるんだから素材の調達に決まってるじゃない。最近またレベルアップしたから安全マージンもとれてるし、このあたりで新しい鉱石が採取出来たって話を聞いたから‥‥」
アスナの動揺混じりの問いに応えたのは、迷宮区に潜るには随分と不釣り合いな装備を纏った少女であった。
赤を基調とした、エプロンドレスのような装備。その上から白いマントを羽織っているが、鎧のようなものは身につけていない。もっとも装備のランク自体は高いのだろう。おそらくは鎧に勝るとも劣らぬ防御力があるに違いない。
外側に跳ねた短めの髪の毛はアバターを弄っているのだろう綺麗な桃色。そばかす混じりの目元も可愛らしさを演出していて、美少女と呼ぶには十分な容姿であった。
彼女の名前はリズベット。現在は74層まで攻略が進んでいるこのアインクラッドの、第49層に店を構える武具屋、つまりは鍛冶師。いわゆる生産系プレイヤーである。
攻略組のように直接ゲームクリアに貢献するわけではないが、その攻略組に武器や防具を提供する縁の下の力持ちだ。特にリズベットの武具は非常に出来が良く、彼女の友人を自認する血盟騎士団副団長“閃光の”アスナをはじめとする多くのプレイヤーがお得意様だった。
「素材調達って、それにしたってこんな最前線に来るなんて―――」
「大丈夫よ。いつもフラフラしてる用心棒が、今日はちゃ~んと護衛に着いてきてるしね」
チラリ、と横に立つ少年を見る。ひどく不機嫌というか、ふて腐れたような顔をした小柄な少年だった。
華やかな相方の少女に比べて、まるっきり反対の渋い装いをしている。鮮やかな緑色の、裾の長い中華風の長衣の左肩に甲冑を着け、簡素なデザインの篭手《ガントレット》と脚甲《レギンス》というこれまたかなりの軽装だ。
髪の毛は男としては少し長めで、古くさいロン毛。肩までは届かないが、少々鬱陶しいのか真ん中で分けて後ろに流し、はちまきのようにしたバンダナで留めている。顔立ちはしごく平凡で、どちらかといえば温厚な性格をしているように見受けられた。
「あれ、HiDe君じゃない。お久しぶり、随分と暫くじゃない?」
「アスナこそ久しぶり。麗しの副団長様の活躍っぷりは下層の方でも有名だぜ?」
「もう、茶化さないでよ。それに武器とか防具のメンテがあるからリンダースには結構顔出してたわ。いなかったのはソッチの方よ」
「そうそう、もっと言ってやってよアスナ。コイツったら素材集めもほっぽり出してあっちフラフラこっちフラフラ‥‥。居候の自覚あるのかしらね?」
「別に素材集めがボクの仕事ってわけじゃないだろ。ボクはボクで色々とやることがあるんだ」
「下層でいつものアレ?」
「勿論」
「‥‥飽きないわねぇアンタ」
「飽きるようなことじゃないだろ別に」
おどけたように、それでいながら誠実に。軽口を交わす三人の姿は旧知の仲であるように―――実際そうなのだが―――自然で、様になっていた。
ハイド、と呼ばれた少年を知らないキリトや風林火山の面々は、紅一点がもう一人増えてやけに華やかになった一行の雰囲気を前に目を白黒させている。
「あ、紹介するねキリト君。リズとはもうお互い顔見知りだと思うけど、こっちの彼はHiDe君。リズの同居人で、素材集めとか護衛とかしているの。
それで、こっちはキリト君。攻略組の黒の剣士様」
「お、おいアスナ」
「いいじゃない別に。普段から人付き合い避けてるんだから、こういう仇名がつくのぐらい我慢しなさい」
「そりゃそうだけどさ‥‥」
あんまりにもあんまりな紹介に渋面のキリト。第一層のボス攻略から付いたビーターという蔑称こそ自分で名乗ったものだが、黒の剣士なんて仇名は恥ずかしすぎて名乗れたものじゃない。
もっとも自身の好みとはいえあからさまに、あるいはわざとらしく黒づくめの格好をしている卓越した剣士というプロフィールなのだから、彼の言うところの恥ずかしすぎる仇名がついてしまうのは仕方がないことでもあった。
「はじめまして、キリトさん。お噂は予々聞いています。ご紹介に預かりました
「あ、あぁ、こちらこそ。キリトだ、よろしくな」
和やかに握手を交わす二人。ここまで有効的なファーストコンタクトはどれぐらいぶりだろうかと、キリトは意識の隅で考えた。
しかし改めて近くで少年を見ていると、彼が言えたセリフではないが、渋いながらもかなり特徴的な格好だ。
腰に提げているのは片手剣だろうか。シンプルな護拳がついた其れはキリトが愛用している片手剣に比べて短く、しかし
形状から見て間違いなく片手で使うものなのに、片手剣の使い手のように盾を扱うようには見えず、短剣ほど身軽なわけでもない。ひどく中途半端だ。
あるいは自分のように“
「前にリズの店に来たそうですが、申し訳ない、その時は丁度ヤボ用で出てまして。ご挨拶が出来なくて悔しく思っていたところです。噂の黒の剣士にお会い出来てよかった」
「いや、俺もリズに同居人がいるとは思わなかったからな。‥‥それより、敬語はやめないか。こういう場所だし、お互い知り合いもいる中で余所余所しいのはちょっとな」
「‥‥それもそうか。改めてよろしく、キリト」
「ああ、よろしくHiDe」
少し他人行儀な表情から、自然な微笑みへ。
自分と同じぐらいの身長の小柄な少年からは、実に人懐っこい雰囲気が漂っている。同じ人懐っこい人間でも、どちらかといえば兄貴風でアホでお節介なクラインとはまた違った印象だった。
「そういえばアスナ達はどうしてここにいるの? ていうかキリトと二人きりならともかく、血盟騎士団じゃない人達が一緒だし‥‥」
自己紹介を見守っていたリズが、一区切りがついたと見てとって疑問を発する。
彼女にしてみればアスナは友人ながらも血盟騎士団の副団長。マッピングやレベリングならば同じギルドの部隊と一緒だろうという先入観があるし、そもそもキリトと一緒だというところにも複雑な感情を抱いてしまう。
もっとも本当ならば素材集めとはいえ、生産職の人間がこのように最前線にいることの方が不思議なことであるのだが。
「キリト君とは、その、ちょっと息抜きでパーティ組んだのよ。マッピングでボス部屋まで行ってね、偵察してみたら手強そうだったから一旦退却して来たんだけど‥‥」
「そこで俺達と合流したってわけだ」
「‥‥えーと、どちら様?」
「‥‥だよなぁ。俺達だけ紹介してくれなかったもんなぁアスナさん」
「ご、ごめんなさいクラインさん! 別にそんなつもりじゃ」
「いやぁいいんですよ別に。ほれ、モンスターも湧いてましたし」
見ればホップした数匹のモンスターを、風林火山の面々が手際良く片付けたところだった。
まるで蚊帳の外の扱いではあったが、髭面野武士面の侍は気にしていないと苦笑混じりに掌をヒラヒラとさせる。
「俺はギルド“風林火山”のリーダーやってる、クラインだ。あぁそうだ、ところでお前ら軍の連中に合わなかったか?」
どちらかというと女の子に話しかけることには慣れていないのだろう。クラインは敢えてHiDeの方を向いて問いかけた。
「‥‥そういえば」
「さっきフラフラ先の方に歩いてったわね。隅の方にいたアタシ達には気づいてなかったみたいだけど」
「軍って、確か最前線から退いたんじゃなかったか。なんでこんなところに? というか、どうして軍の連中なんて気にするんですか?」
一応は年上らしきクラインに気を使ってか、部活の先輩に対して使うような礼儀と親しみの入り混じった敬語でHiDeは言った。
アインクラッド解放軍の理念自体は賞賛されてしかるべきものではあるが、現在の軍は組織維持のためか横暴な振る舞いが目立ち、あまり人気はない。第一層の治安維持に貢献してはいるが、やり口に反感を持つものも少なくない状態である。
普通の人間ならばイケ好かない人間だろうと見殺しにするのは趣味が悪いし気が引ける。とはいえ危険を犯してまですることだろうか? 本心かフリか、どちらにしても歳若いHiDeの疑問は理屈に適っていた。
「最初に様子を見に行くっつってたのはこのキリトだぜ? ま、酔狂だとは思うが見捨てるのも後味悪ぃだろ。そのぐらい別に気にする程のことじゃねぇよ。それとも、お前は気にすんのか?」
「人を
「そりゃ悪かったな。そんで、お前らはどうすんだ?」
「どうするって言われても‥‥」
屈託なく笑いながら口にしたクラインの問いに、チラリとHiDeは隣のリズベットを見た。
判断に困ってリーダーを見た、という風に傍目には見える。しかしその視線を受けたリズベットは、意外にもまるで最初から決まっていると言いたげに肩を竦めた。
「行くんでしょ? そんな話を聞いたアンタが黙ってるはずないわ。もう二年近く付き合ってるんだから、覚悟決まってるわよ。それに、どうせこんなところまで来ちゃったんだし、行くのも行かないのも変わんないわ」
「まぁそれもそうだ。ボス部屋、もうすぐそこだぞ?」
「‥‥げ、アタシ達もしかして下手すりゃボス部屋突っ込んでたってこと?!」
「その前に軍と鉢合わせするわよ」
キリトの言葉に思わず大袈裟な悲鳴が漏れる。ボス部屋の扉の演出はあからさまに違うから間違えて突っ込むということはそんなにないだろうが、もしかしたらというのもある。
もし部屋で待ち構えるタイプのボスでなかったら、鉢合わせも起こり得る深さまで入り込んでいたというわけだ。この迷宮は鉱石が豊富で興奮してしまっていたのだろう、実にマズイ。
ボスクラスのモンスターに出くわしても逃げおおせるぐらいの安全マージンはとっているはずだが、それでもなにが起こるかわからないのがボス戦だ。今後は深入りに注意しよう、リズベットは教訓を胸に刻んだ。
「じゃあ進むか。ここまで来て人影がないってことは、もしかしたらアイテム使って帰った可能性もあるけど―――」
結論が出たらしい二人にキリトが頷き、口を開いた瞬間のことだった。
「―――ぎゃああああああ?!!!」
魂から振り絞るような、悲鳴。
幽霊に遭った? ギャンブルで負けた? ゲームでフレンドの裏切りにあった? ホラー映画を見た? そんな日常的なものとは全く違う色を持った声。
乃ち命の危険。死の恐怖。そんなものに相対しなければ上げられない魂の悲鳴。叫び声。
耳にした一行が、一瞬の内に凍りつく。
「―――あっちだ!!」
瞬間、疾り出したのは敏捷に秀でたキリトとアスナ。次いでクラインと‥‥HiDe。
刹那の躊躇いもなく、他のメンバーの出方を伺う様子もなく、飛び出した小柄な影。
その姿に既知の仲であるアスナはもとより、キリトとクラインも思わず口の端が上がる。
この死と隣り合わせの世界で他人のピンチに颯爽と、自然に助けに向かえる。彼がそんな人間であったことが、この危急の時においても不思議と嬉しかった。
「これは‥‥ッ!」
辿り着いたのは、見上げる程に大きな青い扉。
無数の、苦悶に歪む人面のような装飾が施された禍々しい扉は、今は開け放たれていた。中は蒼い炎を灯した燭台によって明るく照らし出されており、かなり広い空間であることが分かる。
その広間の中は、まるで地獄の様相を呈していた。
「う、うわぁぁぁあああ?!!!」
十数人の、重苦しい揃いの鎧を纏った集団。剣や槍、盾を構えた彼らは、一匹の巨大な獣によって蹂躙されている。
身の丈三メートルを超えるだろう体躯。美しい蒼い体毛で覆われ、下半身は獣、上半身は人間。そして獰猛な顔は鋭い牙の生え揃った、犬と山羊と牛の特徴を揃えて凶悪にした悪魔のようなものだ。
片手には身の丈にも届くかという大剣。薙ぎ払えば、重厚な装備に身を包み頑丈な盾を構えた軍の精鋭部隊が木の葉のように吹き飛ぶ。
「ザ・グリーム・アイズ‥‥ッ?!」
目を凝らせば見える、獣の名前。
剣の一振りに吹き飛ぶプレイヤー達の様子からでもありありと分かる、圧倒的な膂力。そして防御力。離れていても感じる威圧感。
キリトとアスナにしてみれば二度目の、そしてクラインをはじめとした風林火山の面々とリズベット、HiDeにとってしてみれば初めての邂逅。どちらも感じた畏れの度合いで言うなれば大した違いなどない。
分かっていたはずの、生半可な攻略を許さぬ強大な敵。なんと己の無力なことか。
「嘘だろ、あんなの俺達じゃ無理だぜ‥‥?!」
思わず漏れた弱音を、誰が責められようか。竦んだ足を、誰が叱咤出来ようか。思わず後ずさる者を、誰が止められようか。
それほどまでに凶悪な暴風とも言うべき敵の前で、軍の部隊は必死の抵抗を続けていた。
「何をしてる! 早く、転移結晶を使って脱出するんだ!」
「ダ、ダメだッ! 転移結晶が‥‥使えないィ!!」
「まさか、結晶無効化空間か?!」
「結晶無効化?! そんな出鱈目、ありえない‥‥ッ!」
絶望を噛み殺すかのようにギリ、と奥歯を軋ませてクラインが叫ぶ。初めて見るボスの姿に、リズベットは怯えを隠せない。
転移結晶は高価なアイテムだが、緊急時の脱出手段としてはコレに勝るものはない。逆に言えば、ここまで危急の状況に於いては、これ以外のモノはないと言っても過言ではなかった。
だからこそ、それが使えないとなると絶望だ。退路に立ちふさがる青眼の悪魔を潜り抜けなければ逃げることは適わず、そしてそれがどれほど難しいことだろう。
「転移結晶が使えないなら‥‥助かるには、俺達が斬り込んで退路を開くしかない」
「マジかよ、あれに突っ込むってのか‥‥ッ?!」
キリトの言葉の通り、彼らだけで青眼の悪魔を突破することは不可能。ならば自分たちが助けに入らなければならない。
しかし当然、それは諸刃の剣。これほど凶悪なボスを前に、この少人数である。本来なら何十人ものパーティを組んで攻略に望むボス戦に、たったの九人。しかも手負いの軍を救助する役目まで。
何人かが囮になるということは、ただでさえ困難な戦闘を短時間とはいえ少数で引き受けなければならない。そして囮がいたところでボスが素直に釣られてくれるとは限らず、部隊を助けている無防備な後背を突かれれば、即死の危険性すらあり得る。
ましてや助けた後には自分たちも脱出しなければならないのだ。一瞬の油断も許さないだろう、あの暴風のような剣戟の向こう側へと。
「‥‥リズ?」
誰もが逡巡する中。腰に提げていたメイスを構え、ふぅー、と長い溜息をつく少女が一人。
一度閉じ、そして開いた瞳には諦めと呆れと覚悟の色。誰よりも意外な少女の誰よりも意外な行動に、アスナも、キリトも、クラインも、風林火山の面々も、目を見開く。
「―――ホラ、なにボーッとしてんのよアスナ。キリトも」
当たり前のようにブン、とメイスを振るって戦闘態勢に入るリズ。
何を言っているのだろう、この子は。まさか誰よりも先に、飛び出そうというのか。まるで当たり前のように。
「早くしないと、バカが一匹飛び出すわよ?」
しゃくってみせた顎で指し示すのは、隣に立つ用心棒の少年。無言でスキルウィンドウを開き、彼もふぅ、と吐息をついた。
見れば、既に腰に提げていた分厚い短刀は外されている。アイテムストレージの中に仕舞ってしまったのだろう。あれでは咄嗟に武器を抜けない。そして、代わりの武器を装備する様子もない。
「‥‥流儀には反するけど、仕方ない」
口にした言葉は、静かでいながらも興奮を含み、あるいは傍目にも分かる喜びの色を持つ。
けれど俯きがちだった視線を上げれば、そこにはこれ以上ない決心と覚悟の表情。敵を貫く鋭い視線。握り拳は力強く、走り出そうとするかのように、脚には力を。
「ここがヒーローの、魅せどころ―――ッ!!」
バッ! ババッ! バババッ!
左に大きく体を捻り両腕でポーズを決める。そして今度は右側へ。最後に空手の構えの如く、前に突き出した左手と腰の辺りで構えた右手。
ソードスキルのモーションでも何でもない、歌舞伎役者のするかのような大見得。
誰もが何かと目を見張る中、はっきりとよく通る声で、彼は叫んだ。
「―――変ッ身ッ!」
勢いよく突き出す右拳、そしてスライドする人差し指。
下半身から順番に、彼の体が眩い光に包まれる。眼を焼くことのない、けれど姿を包み隠す不思議な、雄々しい光。輝きの中で、彼の姿は変わる。
全身を覆う、灰色のスーツ。肩と胸を覆う無骨な鋼の
何より、頭部をくまなく覆うヘルメット。鋭いスリットに合わせた金色の角の下から、二つの眼光の輝きが悪を決して見逃さない。
それはまるで、正義の
あまりにもこの場に不釣り合いな
「―――『アイアン・パァァァンチ』ッ!!!」
「■ォ■■ォ―――ッ?!」
大きく振りかぶった右腕が光り輝き、振り返った獣面の横顔を捉える。
どれほどの力が込められていたのだろうか、あるいは不意打ちだろうか。鋼の拳を受けた悪魔は、体重差など関係ないかのように見事に吹き飛んだ。
「な、なんだありゃあ‥‥ッ?!」
スタリ、と着地を決め、颯爽と立つ後ろ姿。
武器の使用が基本のこの世界に於いて、全く以て異質な徒手空拳。何より目を惹く鮮やかな風体。
その姿を見て得心がいったのだろう、風林火山の一人があぁ!と叫んだ。
「聞いたことがある。街で善良なプレイヤーが悪質な連中に絡まれてる時、ダンジョンで弱小パーティがピンチに陥ってる時、何処からともなく呼びもしないのに現れるヒーローがいるって‥‥!」
「フッ‥‥」
先程までと同一人物とは思えない、ニヒルな笑い声。
いや、まさか本当に別人になってしまったのではないだろうか。そう思えるぐらいの態度の豹変。そして全身から発せられる自信。
「―――鋼鉄の城に叫べ、助けを願う者よ。絶望こそが終焉と知れ」
一歩踏み出し、拳を握る。
仮面の中でくぐもった声が、やたらと渋く広間に響いた。
「―――希望を捨てるな、戦う者よ。勇気は其処に必ず在る」
暴風の前に立つ、突風。其れは勇気と希望を守る影。
ただ、護るため。ただ、救うため。果ての知れない、終わりの見えないこの世界、闇に染まったままで良いものか。決して絶望を許しはしない。それこそ、我が
ならば如何なる苦境であろうと、欠片も躊躇うことはない。
「戦士の勇気に奮える拳、弱者の希望を護る盾! お待たせしました正義のヒーロー!」
大きく振り上げた拳が天を衝く。
あまりにも劇的なその姿に、誰もが驚愕を隠せないままに見つめていた。
「―――『鋼鉄戦士アイアンソウル』只今参上ッ!!」
だからその高らかな宣言は、誰にも邪魔されないままに、広間に響き渡ったのであった。