主人公江沢浩一は高校生クイズ王。彼は実は人間の心を読む能力【インターセプト】を使って、その地位を得ていた。彼が思いを寄せるクイズ研究会の先輩、御船千恵は、江沢が唯一心を読むことができない存在。江沢は彼女の気を引こうとするが……

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Infinite Reference

 わかった気になっているヤツが、嫌いだった。僕のことなんか誰にもわかりっこないのに。

 君はそうだから。だからこうしたほうがいい。

 これはこういうことだから、君はこう思っている。みたいな、そんな。

 そういった的外れなアドバイスは、うんざりするくらいもらってきた。もちろん中には聞くべきものもある。でも大概が単なる思い違いで無駄なものだった。それを鵜呑みにした自分は、何度もがっかりさせられてきた。

 積み重なっていったがっかりはやがて、失望に変わってきた。お前、僕の何を知っているんだ。

 きっとこうに違いない。こうであってほしい。そんな無根拠な願望を断定して、自分の思い描いた世界に制御しておきたい。その傲慢な振る舞いを無自覚に営んでいく。火のないところに煙もたてれば、李下におらず冠を正さずとも泥棒扱い。人っていうのは、そういう生き物なのだ。

 僕がその心根を見透かしていることなんか、全く想像すらしないで。

「さあ、英練高校。優勝までのリーチです。次の問題で決まってしまうのでしょうか」

 張りのある声で高らかに叫んだ司会者とは裏腹に、壇上にいる六人の少年少女たちは神妙な面もちをしている。三人ずつにわかれ、それぞれ別の台の前に収まった彼らの手は、台の上に設置されたボタンに添えられていた。

 緊迫した空気が流れていた。高校生の知力をはかる、年に一度の祭典。その決勝戦だ。

「問題」

 スピーカー越しに、司会の言葉が耳に入る。僕の後ろに控える、チームメンバーの二人が固唾を飲むのがきこえた。僕は心臓の音がバクバクとうるさいのを我慢して、その声に耳を澄ませた。

「超能力実験のために開発され」

 僕は、問読みの途中でボタンを押す。ピンポンという音とともに手元のランプが灯る。

「さあ、英練高校のランプが灯りました。一年生で初出場となる江沢浩一君。ここまで一度もミスすることなく、勝ち上がってきました。彼の答えで、決勝は決まるでしょうか。それではお答えをどうぞ」

 答えなんて、問題を聞く前から分かっている。この問いの確定ポイントはあと三文字先だ。そこに至る直前での押しだった。

「ゼナーカード」

 流れていく静寂。コメンテーターが場を盛り上げようとなにかをまくし立てている。この時間が嫌いだった。結果が目に見えているのに、引き伸ばされる時間。

「超能力実験のために開発された、丸、星、十時、四角、波の五種類の図形が描かれたカードを、なんと言うでしょう? という問題でしたが、正解はゼナーカード。お見事でした」

 司会の宣言が終り、すかさず実況者が声をあげる。

「凄い! 優勝です。英練高校、全問パーフェクトで勝ち上がりました! 三年連続の連覇という快挙です! 凄いですね、江沢浩一君。この問題の答えは、どこで知ったんでしょうか?」

「……常識です」

 わざとらしい歓声が起る。なんの感慨もなかった。

 僕の活躍を祝福してくれる人ばかりなら良かった。けど世の中、優しい人間ばかりではない。

 ――あのガキ、知識はすごいがアホ面してやがる。一生モテなさそうだな、ちやほやされるのも今だけだろ、かわいそうに。

 司会者の男性の思考が頭の中に流れてくる。この手の呪詛はとっくに慣れた。すぐに忘れることにした。

 僕は、他人の思考を、読み取ることができる。クイズの答えをカンニングするなんて、簡単なことだ。先生と僕はこの能力をインターセプトと呼んでいる。

 

「アメリカ、ヴァージニア州のウェード・モリソンによって発明され、彼の失恋エピソードが命名の由来になったという逸話のある飲料はなんでしょう?」

「ドクターペッパー」

「正解っ。かぁーっよく知ってんねえ」

 問読みをしていた上見沢先輩が、問題集を片手におおげさなリアクションをする。

「常識です」

 ほんとはそんな話、初めて知った。何か語ろうとするとボロが出るので考えぬいた末の汎用性の高いコメントだったんだけど、使い始めたころはみんな、僕を中二病だと思っていた。

「さすが高校生クイズ王、ね。来年の優勝も固いでしょうねー」

 その称号で呼ばれるのは、ちょっと気がひけた。別になりたくてなったわけではなかったし、そう呼ばれるために研鑽を詰んできた他校の生徒と違う条件で勝ちをもぎとったことへの負い目もある。それに、来年はもう出場しないつもりだった。

「あたしも三年間クイズに青春をかけてきたけど、一年生にこんな簡単に追い越されちゃうなんて、思ってもみなかったわよ。ねえ、千恵」

 上見沢先輩は、部長の御船先輩の方に向き直った。部長の後ろの壁には、クイズ大会優勝の賞状が三枚、高そうな額に入れて飾られている。この間の大会のものはその一番高くていい位置に飾られていた。

「……まあね」

 御船先輩は、顔をあげなかった。いつも無表情で具合が悪そうな顔をしている彼女だが、今日は一段と酷そうだ。と思うと、彼女は鞄を手に立ち上がった。

「私予備校あるからもう行くね。戸締り頼んだよ」

「はーいお疲れ」

「おつかれっすー」

 部室に残っていた部員が唱和する。僕もそれに倣う。

「部長って、本当に強かったんですか」

 御船先輩が部屋を出たのを待ったかのように、部員の一人が言う。上見沢先輩が遠い目をする。

「そりゃもう最強だったよ。確定ポイントで的確に押してくるし、それより早くで押しちゃっても、択を外さない」

 確定ポイントというのは、問題文の中で答えが一つに絞れるポイントのことだ。たとえば、「にゃあと鳴くことからにゃんこ/とも呼ばれる、主にペットとして飼育される哺乳類の動物はなんでしょう?」という問題なら、/の部分で答えが猫であることが確定する、というわけだ。

「去年と一昨年の大会も、あの子一人でもってたようなもんだからね」

 上見沢先輩が指さした先には、今年の大会の賞状の横に二枚、同じ体裁の賞状がある。どちらも優勝の文字が踊っている。

 英練高校のクイ研はクイズの強豪として知られており、年に一度の大会にも毎年のように出場している。それを去年までの二年連続で優勝に導いたのは、彼女の功績だと言う。

「全知全能ってあの子のことじゃないかしらって思ったものよ」

 それが今はねえ、とは心の声。やっかみなどではなく、彼女が見せてくれるはずだった景色の喪失を純粋に残念がっている。

 御船千恵は、去年までは確かに最強のクイズプレイヤーだった。だが、三年に進学した今年の春に、とたんにクイズの成績ががくんと落ち込んだという。

 今年の春。僕ら一年生がクイズ研究部に入部したのも、その時期だ。僕の学年の生徒は、彼女の凄さを先輩たちの思い出話の中でしか知らなかった。

「知識量が発散して、解析接続しちゃったんじゃないですか」

 お調子者の二年が口をはさんだ。すかさず返す上見沢先輩。

「それじゃマイナスになっちゃうでしょ」

 理系の生徒の間で笑いが起る。数学のジョークらしいことは、ぼんやりと伝わってきた。

「前は千恵に頼りっきりだったものよ。それが今では、江沢君にバトンタッチした、ってわけ」

 視線が集まる。悪い気はしなかったが、あんまり調子にのるのもどうかと思って、無表情を保っていた。どんなに強いクイズプレイヤーでも、僕に勝てるわけがない。なんせ僕は相当酷いズルをしている。

「あれっ、これ、千恵のだわ」

 上見沢先輩が、机の上に残っていたファンシーなマスコットキャラクター柄のペンケースを摘まみ上げた。しょうがないわね、とつぶやいてスマホを取り出し操作をして数秒固まっていたが、無言のままおく。

「出ないんですか、電話」

 ――あの子いっつもそうなの。LINEも既読つけないし。

 上見沢先輩は無言だったが、僕には思念が聴こえる。

 ――どうしよ、予備校って言ってたし、ないと困るわよね。

「僕が届けてきますよ。走れば間に合う」

 すかさず名乗りでると、先輩はあちゃー、という顔をした。――千恵、明らかに浩一君のこと避けてるしなー。

 そんなことは僕も知ってる。

「問答してても間に合わないです。行ってきますよ」

 半ば強引に先輩の手からペンケースをひったくると、僕は部室を出て走り出した。

 

 下校口から外に出ようとして、僕はひるんだ。雨が降っていたのだ。僕は手ぶらで出てきてしまったことを後悔した。鞄の中には折り畳み傘が入ってたのに。

 仕方なく、下校口の横に設置された貸出用の傘に手を出す。生地に大きく「英練高校備品」って書いてある絶望的なダサさ故に、使う生徒はまずいない。

 校門から出て向かいの工務店の脇道を入ると、傘をさしている後ろ姿が見えた。ペンケースのキャラクターと同じ柄だ。先輩だとすぐに分かった。 

「御船せんぱーい!」

 走りながら声をかけると、先輩は立ち止まって振り向く。

「よかった。もっと先行っちゃったかと思った」

「職員室寄ってたから。どうしたの?」

 いつも部室で観るより、おだやかな顔をしている気がして、僕はドキッとした。

「これ。忘れてましたよ」

「あー。わざわざありがとう」

 御船先輩は少し微笑んだ。こんな表情を見るのは初めてだった。っていうか、こんなに近くで先輩と話すのも初めてだ。肌白い、目キレイ、まつ毛なげー。やばい。目線が僕よりちょっと上にある。普段座ってるところを見ることが多くて、知らなかった。

 不自然に見入ってしまいそうになっているのに気が付いて、僕は慌てて目をそらした。

「じゃ、僕はこれで。勉強頑張ってください」

 居た堪れなくなって引き返そうとする僕の眼前に、手のひらを差し出す先輩。

「ちょーい、待ちな坊や」

 先輩はすたすたと雑貨屋の前の自販機に歩き出す。

「お礼にジュースを買ってあげよう」

 えっ、やばい。なんで? 先輩がモノくれるの? 正気? プレゼントじゃん。うわ、心臓がばくばく言ってる。僕このまま死ぬのか?

 頭の中がいっぱいになって、お礼だということに、すぐには思い当たらなかった。

「先輩、予備校は?」

 緊張で吐きそうになって、逃げ出したかったけれど、遠慮する言葉すら出ず、そう言うのが精一杯だった。「そうだった」とでも言って立ち去って、有耶無耶になってくれ〜と僕は天に祈る。

「まだ時間あるから。何飲む?」

 どうやら神も仏もいないみたいだ。僕の必死の抵抗はあっさり打ち消された。

「あ、じゃあコーラ」

 吐き気には炭酸飲料が一番。僕の持論だ。

「ほう、炭酸入りコーラですか」

「?」

 僕にはよくわからなかったが、何か面白いことを言ったらしい。先輩は一人でけらけらと笑っている。

「あ、いただきます」

 差し出された缶を受け取るなり、プルトップを開ける。せっかくの先輩からのプレゼント、一生大事にしたいのは山々だったが、背に代える腹もなし。ぷしゅ、という音とともに、独特の薫りが漂ってくる。コーラって開けたときのにおいが一番うまいよな。

 一口つける頃には、心臓も多少はマシになっていた。先輩はドクターペッパーを飲んでいる。……さっきのクイズを思い出したけど、僕はすぐに考えを振り払った。

「江沢君は、どうしてクイズをはじめたの?」

 僕は答えに詰まった。

「うーん、正解してすごいって言われるのが、気持ちよかったからですかね」

 即興で用意した割には、これは正直な感想だった。逆に言うと、クイズを続けるそれ以上の理由を僕は持たない。

 競技クイズは明確に答えが用意されているし、問読みが正誤判定を兼ねる。心を読む相手の意識には、常に強く問題の答えが浮かび上がっている。それをそのまま、声に出せばいいだけだ。

 クイズは僕にとって手っ取り早く優越できるジャンルだった。

「先輩はどうして?」

「君と同じかな。でも最近はよくわかんないんだよね」

 にへへ、という擬音がつきそうな笑い方にどきっとして、僕はまた目をそらした。気まずさが湧き起こってきたから。

 よくわからなくさせてしまった犯人は、たぶん部活での先輩の地位を脅かした僕だろうから。

 沈黙してしまいそうな気配だった。だが、ここで黙ると不自然になる。なにをしゃべっていいか全くわからなかったが、僕は頭をフル回転させる。

「先輩、今日はなんか優しいっすね」

 きょとんとした顔をしたと思ったら、また笑顔を見せた。

「あはは、そうだよ。今日だけ特別」

 先輩は飲み終わった缶を自販機の横のゴミ箱に捨て、空を見上げると、眉間にしわを寄せた。

「雨、止んできたね」

 嫌がっているような声だった。彼女はそのまま傘を閉じた。雨が、好きなのかな。

「じゃ、お疲れさま。筆箱ありがとね」

 そのまま先輩は、僕のほうを観ないで駅の方向に歩き出した。

「あっ、いえ」

 しっかりと言葉を返せないまま、僕は先輩の後ろ姿が見えなくなるまで、そこにたたずんでいた。

 どきどきが止まらなかった。御船先輩と、あんなにたくさん話してしまった。それだけじゃなくて、めずらしい表情をいっぱい見てしまった。あんな風に、笑う人だったんだ。

 先輩のことを、もっとよく知りたい。どんなものが好きで、普段どんなことを考えているんだろう。そう思った相手は、彼女が初めてだった。

 御船千恵は、僕が心を読むことができない、唯一の相手だった。

 

 ガラス張りのスライドドアを明けると、煙草のにおいが鼻をついた。分厚い眼鏡越しの視線がこっちに向いた。灰皿からシケモクが溢れてる。長い時間いるらしい。

「お待たせしました」

 買ったばかりのコーラをトレーごとテーブルに置いて、僕は椅子に腰かけた。ファーストフード店の椅子ってなんでこんなに固いんだろう。

「待たされすぎて干からびた、そのコーラちょうだい。喉ガラガラなのよ」

「それ、多分煙草のせいですよ」

 ひょい、と先生からコーラを遠ざける。恨めしそうな顔をしながら、先生はまた新しい煙草に火を点けた。ヘヴィスモーカーなのに加えて、酒も相当飲むらしい。あんまり人付き合いをしない僕でも、この人が相当変わってるというのはわかる。少なくとも未成年を喫煙席に座らせるべきではないという常識はあると思うので、ようは僕への配慮が欠如している。

 相変わらずのぼさぼさの頭に、よれよれのパーカーと天然ダメージドジーンズ。近所のコンビニに行くのでももうちょっと気の利いた格好をするよなといつも思うが、以前、女性なんだからもっと見た目に気を使ったらどうですか、と言ったときに、性差別がどうのと言われて丸め込まれてしまってから、二度と言わないことにしている。

 このいかにもダメそうな人こそ、超能力を研究している大学院生で、僕の能力をインターセプトと名付けた張本人、福来智子さんだ。僕は先生と呼んでいる。

 と言っても、知り合った当初は血を取られたり、知り合いの研究室で脳みそ輪切りマシーン(※MRIのこと。先生がそう言ってた)にかけられたり、耳の中に変な機械を突っ込まれたりしたが、もっぱら最近では近況を報告するにとどまっている。長期的な観察は重要だから、とのこと。

 カウンセリングはだいたい騒々しい場所で行われていた。読みたくなくても他者の思考が入ってくる僕にとって、近くに人間がいれば、頭の中は常に雑音で満たされる。こういう騒々しい場所の方が、かえって気が散らないのだ。

 先生はさっきの煙草を吸い終わると、また次のに火を点けた。

「いくらなんでも吸いすぎじゃないですか」

 依存してるとしか思えないペースだ。

「オトナってストレスたまんのよ。うさばらしにあんたのこと公表しちゃおうかしら」

「ちょっと勘弁してくださいよ」

 先生にそんな気がないのはわかっていたが、一応くぎを刺す。

 この能力が公になるのは、とても困る。どう考えても悪用としか思えない使い方をしているのだから。高校生クイズ王の立場は別に惜しくはなかったし、来年はもういらないなと思ってるくらいだが、不正が明るみになって後ろ指を指されるのは避けたい。

「んで、あの子どうなの。インターセプトできないって子」

「あ、こないだいろいろしゃべりました。ちょっと仲良くなった」

「いつ紹介してくれるのよ。お姉さんいろいろ検査したくてうずうずしてるの」

「あー、それはまだ厳しいッスねー……」

 遠い目をする。あの雨の日の先輩は楽しそうだったけど、翌日からはまたいつもの不機嫌そうな先輩に戻っていた。

「青春してるのう若人よ」

 先生だってまだ十分若いと思うけど、まさしくそれを言ってほしがってたので黙っていた。

「でも不思議です。なんで先輩の心だけ読めないんだろ」

 そんなこと、これまでの人生で一度もなかった。そもそも思考の表面にある程度強く意識された思考しか読めない能力だったし、気候条件などでたまに能力が弱まることもあったが、どんな条件でもまったく力が使えない相手は、先輩が初めてだ。

「一応仮説は立てられるけど、興味ある?」

「まあ」

「まず君のインターセプトという能力の有無にかかわらず、人間には思念を発信する能力が備わっ」

「えーっと」

 いきなり置いてきぼりだ。

「スマホを例にして考えてみよう。これはデータを受信したり送信したりする機能が備わってる。ここまではいいよね。基本的に人間は、思念というデータの送信しかできないスマホみたいなものだ。大概のニンゲンには受信する機能はついていないから、送信したデータだけが意味もなく垂れ流されている」

「誰しも思念を送る能力は持っている、と」

「そゆこと。それで君のインターセプトは、送信されたデータを拾うことができる機能だ。これを持っている者は、まあ私の知る限り君一人しかいない」

「送信器官はあるのに受信できないなんて、随分もったいない話ですね。人類が滅んだ世界でラジオ放送し続けてるみたいだ」

「まあ進化の過程で過剰な器官が残っちゃうのは自然界じゃ珍しい話でもない。イカの眼球なんか、その脳で処理できないくらい性能が良いんだ」

 へー。素直に感心した。先生との会話ではよく、こういう気の利いた知識が飛び出してくる。この人クイズをやらせても、かなり強いんじゃないだろうか。

 頭がいい人と会話するのは、楽しい。相変わらず思考は駄々洩れになっているんだが、難しい単語を言われても僕はその概念をそもそも知らない。先生が定義を意識しなければ、思考も理解できない。ようは考えていることがわからないということだ。僕が質問を投げかければ、先生はこちらが引っかかってる場所を探って、的確に教えてくれる。それは、人の心が読めてしまう僕にとって、なかなか味わえない経験だった。

「その子は、おそらくはそのデータを送信する器官を持っていないんだろう。だからいくら君が、受信装置を持っていても、そもそも送信されてないんだから、心の声を聞くことはできない」

「ってことは先輩は余計な器官を持ってない、生物学的に機能的な人ってことになる」

 なんかそういうの、かっこいいなと思った。

「んで、浩一はその子のこと好きなんだ」

「えっばっ、あっ、なんで?」

「私もできるようになったのよ、インターセプト。研究が進んだからねー」

 ――嘘だよ。あんたの顔に書いてある。

 慌てて力いっぱい顔をぬぐったけど、インクかなにかが付着している様子はなかった。

 

 俊子と談笑しながら明けた部室のドアの先には、ほとんどフルメンバーの部員が集まっていた。この光景も久しぶりだ。みんな定期テストが終わって、緩んだ顔をしている。

「御船先輩、上見沢先輩、お疲れッス」

「おつかれおつかれー」

 挨拶してくれた部員に笑顔で手を振り返して、私は部員の顔を見回す。うん、彼はいない。部屋に入る前からいないのは分かっていたが、実際にいないことを確認してとほっとする。

「ねえ千恵、人多いし、久々に一戦やらない? 形式はナナマルサンバツで」

 早押しボタンを出しながら俊子がいたずらっぽい顔でこっちを観ている。答えを聞くまでもなく、やる気マンマンみたいだった。

「どうしよっかなー。私クソザコだから」

「いーじゃん、たまには見せてよ、杵柄ってやつ。テストも終わったんだしさ」

 俊子が甘えた声を出す。私は曖昧な笑顔を浮かべる。

「上見沢先輩もそう言ってるんですから、一回戦だけやりましょうよ」

「そうですよ、御船先輩の早押し、見てみたいっす」

 私は困った顔を見せた。

 ――やっぱり、昔強かったって信じられねえよなあ。

 ――どうせ今日もやらないだろ。

 奥の方にいる一年だった。江沢君とよく一緒にいるのを見たことがある。

 どうしようか。彼もまだ来てないみたいだし、たまにはいいかも知れない。そう思ったときだった。

 頭の中から、ギア比の合わない歯車がきしむような音が鳴る。これが響くと、何も聴こえなくなってしまう。彼が近くに来た合図だ。直後、扉があけ放たれる。入ってきたのは、江沢君だった。

「おっ、エース登場。江沢君もやるでしょ?」

 俊子がなにごともないかのように、彼に声をかける。私は頭の奥の音が大きくなっていくのを我慢しながら、置いたばかりの鞄を持って立ち上がった。

「じゃ、私帰るね」

「え、もう?」

「うん、今日は久々にみんなの顔見たかっただけだから」

 ちょっとあからさますぎる気がしたけど、このままでは巻き込まれかねない。早急に離脱する必要があった。私は一目散にドアの方に向かった。

「あのっ、御船先輩」

 江沢君だった。彼はちょっともじもじしながら、上目遣いにこちらを見ている。瞳がちょっとうるんでいるようで、ちょっと可愛いと思った。

「一緒に帰りませんか?」

 だが、今はそれどころじゃない。申し訳ないけど、私は一刻も早く部室から逃げたかった。

「ごめん、急ぐから。じゃ、お疲れ」

「あっ」

 江沢君の横をすり抜けそこなって、私は体勢をくずした。このままじゃ、ドアにぶつかる。

 だがそうはならなかった。江沢君がとっさに私の腕を掴んでくれて、私は転ばずに済んだ。だが、私は大声で叫んでいた。

「やめて!」

 空気が凍り付いたみたいだった。部員が全員、私を見ている。やってしまった。けど、今ここで取り繕うことは、出来そうもなかった。

「……ごめん」

 小さくつぶやいて、私は走り出した。

 

 昇降口まで降りてきて、息を整える。

 さっきの江沢君のこの世の終りみたいな顔を思い出すと、罪悪感に押しつぶされそうになる。

 それまでの私は、女帝、令和の奇跡なんて恥ずかしい名前で呼ばれてきた。みんなが私に注目して、私の回答に熱狂した。クイズをしているときだけは、皆が私をみてくれていた。

 江沢浩一。彼が入学してくるまでは。その時から、すべての歯車が狂ってしまった。

 彼の近くにいると必ずする、あの音。あの音が頭の中を覆いつくして、私はクイズの答えが分からなくなる。何も、答えられなくなってしまう。

 彼さえいなければ、と何度も思った。あの音がしなければ、私は今でも高校生クイズ界の女王でいられた。みんなが私のことを、認めてくれていた。でも、そんな感情は逆恨み以外の何者でもない。

 雨の日のことを思い出す。コーラを飲みながらぼそぼそとしゃべる彼は、自信満々でテレビに映っていたときからは考えられないくらい、幼かった。

 江沢君は悪い子じゃない。それに、私の不調が彼のせいとはいえ、それを彼がわざとやっているとは思えなかった。そんな彼にむやみにあたるのは、どう考えても、よくないことだ。

 とすると、この現象は全部、自分の問題でしかない。原因なんてわからないけれど、これは私しか知り得ない、私の個人的な問題なんだ。

 いや、原因については、一個だけ思い当たることがあった。

 これはきっと罰なのだろう。ずっとズルをし続けて、実力の伴わない名声を得ることに味をしめた、私へのお仕置き。

 私は懺悔することも許されないまま、苦しみ、もがき続けるしかない。自分の罪の責任を負うしか無い。私の秘密だけは誰にも知られるわけにはいかない。だからこれは、徹頭徹尾、私の問題、私の苦しみでしかない。それなのに、私は自分でこの問題に幕を引くことすらできない。

 校門を抜けて、私はいつもの工務店のわきの道と、反対方向に進んだ。まっすぐ家に帰る気になれなかった。このまま、どこかに消えてしまいたかったのかもしれない。

「そっちは駅じゃないよ、お嬢さん」

 女性の声。他に人影はない。声をかけられているのは私だった。

「やっ、こんにちは」

 瓶の底みたいな眼鏡をかけた、ぼさぼさ頭の女性が立っていた。年齢は読めなかったが、よれよれのパーカーにところどころ破けてるジーンズ。これ多分、こうして売ってるやつじゃなくて単純にはき古したやつだよね……

 女性とはいえ不審者に声をかけられて、私は無視しようか迷ったが、彼女はお構いなしに続ける。

「私は福来智子。御船千恵さん。君の能力のことで、話がある」

 

 今日のカウンセリング場所はカラオケだった。先生は昔は部屋で煙草吸えたのにとぶつくさ言ってる。僕はモニターに流れる映像を眺めながら、ぼんやりしていた。

「浩ちゃん浩ちゃん」

 先生がこの呼び方をしてくるときは、ろくでもない話がある時だ。今はMPが十分じゃないから、可能ならあんまり相手はしたくなかった。

「なんですか」

 ただでさえ雨の日で気が重いのに、昨日のこともあって僕はぐったりしていた。

 いきなり手を掴むのはさすがにイキスギだったなあ……どう考えてもキモいよな。現にあそこにいた人何人かに、うわぁ、って思われたし。あのあと同期から高校生セクハラ王の称号を贈呈されたりとほんとさんざんだった。

 とかぐるぐる頭の中で思い出したくない光景が渦巻いている中で、先生の口から想像だにしない言葉が飛び出してきた。

「御船千恵ちゃんのことだけどさー」

「えっ、なんで先生が名前知ってんの」

 先生には御船先輩の名前は教えていなかった。好奇心旺盛な先生のことだ、強引な接触をしないとも限らない。

 すかさず先生の思念を拾ったが、その理由を読むことはできなかった。別の強烈な思考が邪魔をして、知りたいところに届かない。どうやってるのかはよくわからないが、先生にはこういう小細工ができる。

「浩ちゃんがクイズ始めたの、あの子が原因でしょ」

「なんでそんなことまで知ってんすか」

「君は君が思ってる以上にわかりやすいぞ」

「答えになってませんよ」

 僕がクイズを始めた理由。それは先生の言う通りだった。中学生のころ、暇つぶしに観ていたテレビのクイズ番組に彼女は出ていた。凛とした表情で難しい問題に淀みなく正解を連発する姿がカッコイイと思ったのを、いまだによく覚えている。どうしたらこんな人になれるんだろうという、はじめは単純な興味からで、英練高校に進んだのも彼女がいるからだった。だが、実際に彼女と会っても、僕は心を読むことはできなかった。

「あの子のこと、本気で好きなの?」

 インターセプトしていた字面を、先生はゆっくりと口に出して聴かせた。先生の思考が流れてくる。――心が読めないことで彼女に特別な感情を抱いた。それを浩一は、恋と勘違いしているんじゃないか。

「先生の考えてる通りかも」

 先輩は僕にとって、初めての人だった。心が読めないという意味で。心の底がまったく見えない人との会話。普通の人が人間としゃべるときに味わっているのはこういう感覚なのかと、感動したのを覚えている。

 そして僕は、もっと彼女のことがよく知りたいと思った。話がしたいと思った。でも先輩は、明らかに僕のことを、避けていた。

 僕が大会で優勝しようと思ったのも、そうすれば、彼女が喜んでくれるんじゃないかと思ったからだ。優勝して彼女と同じステージに立てれば、少しは、話をしてくれるんじゃないかと。だが、実際にはそうならなかった。

 どうしたらいいかわからなかった。明確な悪意や敵意が相手にあれば、僕は避けるようにしてきた。こちらが悪いようなら、ケアするようにしてきた。確信はないけど、彼女は僕に、敵意はないと思う。そんな相手にどうするべきかわからないが、どうにかしなくちゃいけないという強い感情だけがあった。それって、きっと。

「……これが恋じゃないなら、どれがそうなの?」

「ふぅん」

 ――あんた馬鹿だけど、大事なところは案外ちゃんとしてる。

 大きなお世話だ。

「もしかしたら、これは恋じゃないかも知れないです。経験のない事態があって、それを恋っていうくくりに当てはめてみただけ……そういうことなのかも知れない。現に彼女が嫌がってるんだったら、これ以上なにもしない方がいいと思ってる。でも恋って多分、そんなに聞き分けのいいものじゃない」

「ほんとは?」

「嫌われるのが怖いし、既に嫌われてるとしてもそれが確定するのが怖い」

「だろうねえ。……彼女、あんたのことを嫌ってるわけではなさそうだ、って言ったら?」

「先生、なんか知ってるの?!」

 ――すげえ食いつきだな。まあ落ち着けって。

 座席から浮いてしまった腰を再びおろして、先生の次の言葉を待つ。

「結論から言うと、彼女もインターセプターだ」

「え」

 意味がわからなかった。

「じゃあ彼女は僕の心を読めるってことですか」

 いつものように適当な嘘でからかってるんだと、思いたかった。そうじゃなかったら、先輩と一緒にいるときに考えてた、あんなことやこんなことも、全部バレてたってことじゃないか。僕は顔から火が出そうになった。

「その心配はないから落ち着きなさい」

「えっと」

 なにがなにやらわからなかった。他者の心が読めるっていうことは、僕の心も全部筒抜けってことじゃないのか?

「僕が彼女の心が読めないように、彼女も僕の心が読めない……ってことですか」

「うん。原理もだいたい分かってる。無限参照バグ、って、聞いたことないよね?」

 慇懃にうなずく。

「X=X+1を考えてみて。左辺のXに仮に1を入れてみると、右辺が1+1すなわち2になる。すると左辺のXは2ということになる。困ったことに今度は右辺が2+1に変わって……永遠にXが確定しないよね。これは数学的には矛盾律って言って、解はないんだけど、計算機科学において」

「先生、お願いします。日本語で、お話ください」

 僕の顔色を見て先生はやれやれと肩をすくめ卓上のマイクのスイッチを入れると、スピーカーの方に向けた。あっ、そんなことをしたら。

 キィィィィィーーーーーン。

 思わず耳をふさぐ。雑音が周りに響いたのを確認して、先生はマイクのスイッチを切った。

「スピーカーから出た音をマイクが拾って、それがまたスピーカーから出る。ダブったデータが無限ループして起る現象」

「ハウリングってやつですね」

 耳に指を突っ込んで残響をごまかしながら、そのくらいは知ってますよとアピールする。先生との会話で知ってる概念が登場するのは、嬉しい。

「彼女の脳でも同じことが起ってるのよ。インターセプター同士が干渉圏内に入ると、相手の思考が自分に入ってくる。その思考を相手が読んで……、っていうのを繰り返すと、さっきのハウリングみたいなことが、彼女の脳でも起こってる」

「僕には、そんなこと起きてませんよ。先輩と一緒にいるとき」

「浩一の場合は、無限参照が起る前に不具合のあるチャンネルを脳が自動でカットしてくれる、ってとこかな。喧噪の中でも自分の名前だけ聞き分けられたりするでしょ? 脳ってそういう便利な補正をしてくれることがある。でも彼女はそれができないんでしょうね」

「先輩と僕とは、同じ能力だったんじゃないんですか」

「結果は同じだけど、処理の仕方が違う、ってとこね。発生過程が違うでしょうから。なんせどっちもおそらく突然変異だしまったく同じ仕様で発現するとは限らない。同じ地面を踏みしめる器官でも、人間の足に蹄はないでしょ」

 僕の能力は人間の進化の一種だ、と教えてもらったことがある。進化にも多様性がある、とも。長い長いスパンの中で様々な突然変異が起こるのが進化であり、さらに長い長い年月の中で、結果的に生存に有利だった変異が生き残る、と。

「あ、じゃあ、先輩が僕といると機嫌が悪かったのって……」

「ご明察。君が近づくと、ノイズが頭の中でキンキンになってるそうよ。気の毒に」

 いつもの部室での表情の理由がわかって、少し安心した。先輩は僕のことが嫌いってことではなかったのだ。先輩の態度、何かがおかしいことには気づいていた。誰にでも人当たりのいい先輩が、僕の前では嫌そうな顔をしていたのは、僕のことが嫌だったわけではなかったんだ。

 安心したのもつかの間大変なことに気づいてしまう。僕といる限りその現象が起こるってことは。

「つまり御船千恵ちゃんは、ノイズを受けることを自分の意思で避けられない。あんたが近くにいると必ず、その苦しみにさいなまれるってこと」

 目の前が真っ白になった。それは、僕自身……僕の存在そのものが、先輩を苦しめる原因だということ。

「それでも浩ちゃんは、あの子と一緒にいたい? それがあの子にとって辛いことになるとしても」

 僕は先生を恨んだ。なんでそんな酷い現実を突きつけてくるのだ。知らなければ、何も知らずに要られたのに。土俵に立つ資格すらないなんて、普通に嫌われてフラれるより、よっぽどつらいじゃないか。

「好きかどうかと言えば、好きなのは間違いない」

 クイ研は休部すればいい。先輩が卒業するまでの数カ月の我慢だ。先輩と接触さえしなければ、彼女がこれ以上僕のことで苦しむことはない。

 これは実をつけることなく終わる恋ですらないのかもしれない。それでも。

「僕は先輩の笑顔が観たいよ」

「よう言うた!」

 ――いい顔するのよね、この子。

「さてさてさて。手前ここに取りいだしたるは当家に伝わる家宝」

 先生はポケットから、昔の音楽プレイヤーみたいな装置を取り出した。なんかどっかで見たことがある気がする。

「えっ、なんですかこれ」

「彼女を救うことができる装置だよ」

 先生はニヤリと笑った。

「インターセプトするとき活発になる部位は特定が済んでる。特定の周波数のマイクロウェーブを照射すると、その器官の機能が止まるってこともね。……要するに、インターセプト器官をぶっ壊すことができる」

 僕がついていけないと判断してか、先生はかいつまんでくれた。そんな装置が出来てたなんて、先生は今まで僕に気取らせなかった。

「ぶっちゃけ非臨床試験どまりで人体での実験はしてないから他にどんな影響があるかはわかんないのよ」

 ――まー私が自分に試しても、今のところはなんにもないんだけどね。インターセプター以外には、たぶん無害。

 今のところ、というのが気にはなったが、先生が自分で使うくらいだ。安全性については自信があるのだろうと思った。

「ちょっと待ってください。これ、見たことある気がしてきたぞ」

「いや、そんなことないんじゃないかなあ、あれ~? いやあ」

 先生の心に浮かび上がってきた思念で、すべてが分かった。ちょうど一年くらい前だろうか、実験と称して、僕はこれを耳に突っ込まれたことがある。その時は何事もなかったはずだが、ということは……

「僕の脳が、先輩みたいにハウリングを起こさなかったのって、もしかして……」

 ――あの時、インターセプト器官の増幅実験だったんだけど、マイクロウェーブの照射方向がズレてて、受信器官をちょっと破損しちゃってたみたいなのよね。すぐ気づいて大事にはならなかったけど。

 実験後の数日、やけに先生が優しかった気がしたが、全部がつながった。何が進化の多様性だ、まんまと丸め込まれるところだった。

「うっさいうっさい、いーじゃんかよ能力には影響なかったって言うか、結果オーライだったんだから」

「まあいいですけど、そのお蔵入りにしてた機械で先輩のハウリングを取ってあげるってことですか」

「それはできない。あれは幸福な事故だったからね。この装置を使ったら、ハウリングはインターセプトごと消えると思って」

「そういうことっすか……」

「さて、お膳立てはここまで。浩ちゃんはあの子のこと、どのくらい好きなのかな?」

 

「千恵~~~愛してる~~~」

「ちょっと、静かにしなさいよ」

 完了したデータを渡した私に、俊子が抱きついてきた。図書室にはまばらに生徒が残っているが、高校の図書室で大声出すやつなんて珍しくもない。突然の雨で暇を持て余した運動部の生徒がそこかしこで談笑しているし、誰も気にしていなさそうだった。

 俊子はパソコンに表示されたデータを眺めてふんふんと頷く。

「ジャンルもいい感じにバラけてるし、ベタ問の割合もちょうどいい。さすが千恵。最高。結婚して」

 部内大会の問題の準備をしているところだった。図書室のパソコンは司書に申請すれば自由に使える。本来は問題の用意は部長の仕事ではなかったが、俊子は根っからのクイズプレイヤーで、気を付けないと難問ばっかりになってしまうから、私が丁度いい難易度の問題をピックアップして、俊子が出題順序を整えることになっていた。

「お疲れさま。あとはうまいことちょちょいっとやっとくから」

 手伝うよ、と言おうとしたが、特に私に投げられるタスクは残っていないようだ。ちょっと様子見たら帰ろうかなと思って俊子の横に腰をおろすと、彼女は回転椅子をくるりと回して背を向けさせると、私の肩に手を置いた。

「あう」

「凝ってるねー」

「いたいいたいいたいいたい」

 あ、でも肩甲骨のあたりきもちいい。

「最近疲れてんじゃないの、千恵」

「どしたの急に」

「ほらいろいろあるでしょ。部長って意外にやること多いし、受験生だし」

「んー……まあね」

「クイズ大会の成績で推薦入学できたらいいのにね」

「そんなん意味ないよ。それにあたし今ザコだし」

 笑ってくれると思ったが、俊子は何も言わなかった。

 上見沢俊子には、裏表がない。読みたくなくても心は読めてしまうが、読まなくても、彼女の思考と発言の間にブレを感じたことはないの。余計なことを考えないで話をすることができる数少ない相手だった。

「なんかさ、あった? ほら、最近なんか」

「悩み?」

 先回りしてみる。俊子はゆっくりとうなずく。

「あんた昔はよく笑ういい子だったのに、最近の……特に部活してるときは、ちょっと心配」

 私は、なにも言えず黙っていた。本当のことを言うことはできない。彼女には嘘をつきたくない。ならば、黙っているしかなかった。

 何も言わない私に対して、いらだっているのが伝わってくる。俊子がこんな感情を私に向けるのは初めてで、私は慌てて返答する。

「うん、ちょっと疲れてるかも」

 嘘ではない。が、こんな姑息な会話を続けるのは、つらい。

「江沢君とさー、なんかあったの? なにかされた?」

 江沢、という単語を聞いて私の顔がこわばったらしい。うわ、露骨に反応してしまった。俊子の頭の中にはずっと彼のことが念頭にあったので、いつ切り出されてもいいと覚悟していたんだけどな。

「違うの。そういうことじゃないの」

「じゃあ」

 その先は、言葉にはならなかった。俊子は続きを飲み込んだ。

 ――新入生がいきなり自分より活躍したのが、嫌だったの?

 私の顔、再びこわばったようだ。

 ショックだった。俊子が、私を、誤解している。彼女だけは、私のことを理解してくれると思っていた。だから、そんな嫌なことを思う人間だと思われたことが、本当に悲しかった。

 でもこれはどうしようもない。他人の心を読んでいたなんて、どうやったら説明できる? 私は親友とだって、心を読まないと会話できない、嫌な人間なんだ。

 全部おかしくなったのは、あの子が入学してからだ。それまで俊子は、私が心を読んでいる負い目を感じさせない接し方をしてくれる相手だった。でも、今は、彼女の中で私に言えないこと、言いたくないことが、たくさん積み重なっている。他の人たちと同じように。

「ごめん。わかってるんだ」

 すべてぶちまけてしまえば楽になれるのかな。それで俊子は全部理解してくれて、また前みたいに他愛ないことで笑いあって、ハッピーエンド。

 でもそんな都合よく進む自信がなかった。失敗して彼女を失う方が怖いのかもしれない。他人の心は読めても、心の働きまでは予測できない。彼女がすべてを受け入れてくれるか、想像もつかなかった。

「分かった。もう何も言わない」

 ――なんでも話せる親友だと思ってたんだけどな。

 俊子の中で、いろんな感情が渦巻いている。悲しさ、辛さ、やりきれなさ。

「ごめんなさい」

 私には、それくらいしか言うことが出来なかった。

「帰るね。問題の選定、ありがとう」

 他人の心はわかるのに。私は、自分の心すら理解できなかった。

 

 部室には誰もいない。もう結構遅い時間で、もうすぐ警備員が施錠を確認しに回ってくる。

 帰らなきゃいけない。でも、外に出るのが怖かった。他人がそばにいれば、嫌でもその心を読んでしまう。誰もいないところにいさせて欲しかった。

 壁にかけられた賞状。去年の日付のものは、俊子ともう卒業した先輩の三人で出場したときのものだ。

 いい、思い出だった。移動中や宿泊先での練習問題は私にとっては退屈だったけど、何日も仲間と一緒に過ごすというのは、私にとって得難い体験だった。

 でも、その大切な思い出も、私は不正をして手に入れた。

 窓ガラスを、大粒の雨が叩いていた。いつのまにか降ってきていたらしい。雨の日は嫌いだった。能力が弱まるから。でも今日だけは、それを歓迎した。

 雨音の一定したリズムに耳を傾けながら、学校帰りに彼と二人でジュースを飲んだ日のことを思い出す。

 あの日は、あの子と一緒にいるときの頭痛も、いつもより和らいでいた。お天道様が見てない日は、神様の罰も弱まる、ってことかしら。世界的に太陽神が主神であることが多いのと、何か関係あるのかな? なんてね。

 人の心が読めることはそこまで万能の能力でもなかった。ペーパーテストでは周りの人間が誰も答えをわからなかったら使い物にならないし、電話やビデオ通話など、リモート環境では相手の思考を読むことはできない。

 囲碁や将棋などのいわゆる二人ゼロサム有限確定完全情報ゲームでは、相手の手を読むことはできても、それに勝る手は自分で考えなくちゃいけない。

 スポーツをやったら相手の手が読み放題と思ったこともあったが、これもそうもいかない。人間の思考は行動より後に発生するという。ようは私が思考を読む頃には、相手の行動は既に終わっている。

 その点クイズは良かった。この能力との相性のよさを最も実感できるジャンルだった。

 野外で行われることもまずないから、雨で力が弱まることもない。インターセプターにとって、理想的な競技だ。現に、すべてがうまくいっていた。彼が現れるまでは。

 もう限界だ。私のしていることは、しちゃいけないことだったんだ。いい子になるから。この罰を、終わらせてほしかった。

 私はスマホを取り出した。電話帳に半ば強引に登録された福来さんの番号を眺める。あの人は、この能力を消す方法を知っているという。その気になったら、いつでも連絡をくれとも言ってくれた。それなのに、私はまだ発信ボタンが押せないでいる。

 彼女が信用できないわけではなかった。怪しむのに伴い、彼女の心はじっくりと読んだ。なぜ私のことを知っているのか、何を考えているのかは読み取れなかったけど、出自も研究内容も科学的で、格好以外に不審な点は特になかった。それに、もし彼女が私の能力の裏をかいてなんらかの嘘をつくことができて、私の身になにかが起きたとしても、この力の上で甘んじてあぐらをかいていた私には、まるで寓話みたいにお似合いだ。因果応報ってやつ。

 それに。私の身の上話を聴き入ってくれた彼女がかけてくれた言葉を思い出す。

「あまり能力のことで気に病むんじゃない。クイズ大会のルールで、読心能力が規制されているか? 君は自分の個性で、その座を勝ち得たに過ぎない。陸上競技で足が長いことは、反則か?」

 納得はできなかったが、嬉しかった。そんな風に考えたこともなかった。何より、彼女自身詭弁を弄する罪悪感を自覚した上で言ってくれたのを感じて、悪い人ではないことが伝わった。

 私は、意を決して、発信ボタンをタップしようとして――やっぱり、怖かった。

 決断できない。これは失うことへの恐怖だ。クイズの女王の地位にはもう未練はなかった。それでも、人の心が読めないというのは、例えるなら視力や聴力を失うのと同じくらい怖かった。

 躊躇しているところで、遠くから、何かが走り寄ってくる音が聞こえる。なんだろう、と思うまもなく。突然、部室の入り口が、乱暴にあけ放たれた。

 

 びしょびしょになりながら走った。傘なんか、さしていられなかった。冬の雨が服を塗らす。重くて、寒い。そのくせ息はあがってくる。端的に申し上げてしんどい。

 だけど、走らなくちゃいけなかった。理由なんかない、心が、走らなずにいられなかった。

 先輩のことが好きだ。

 他人の心を読むことは、自分の気持ちの整理には応用できないらしい。だから僕には、それがいつからなのか、はっきりとしたことは言えない。

 けど、先生の話を聞いてから、あの日ーーそれほど昔でもない、あの夏の日のことが思い出される。

 そういえばあの日も、こんな風にぐしょぬれだった。あの日は、雨じゃなかったけれど。胸糞悪くなるくらい、普通の夏の日だ。

 廊下でぼーっとセミの脱皮を眺めていると、後ろから同級生に声をかけられた。クイ研の部員だった。入部してすぐの頃はよく話していたが、最近では挨拶くらいでしかやりとりがない男だった。

「えざわー、放課後の選考会、部室集合だってさ」

 選考会とは、秋の大会に向けて出場する選手を決めるための部内大会だ。ここで好成績を出した三人の生徒が、大会に出場する権利を得る。

「そう。わかった」

 ありがとうは言わない。言う理由がないから。

 同期は、嘘をついていた。本当は近所の公民館に集合してそこで予選をすることになっている。

 ――こいつがいるとまともにクイズできねえからな。

 とのことらしい。僕にはどちらでもよかった。参加する意味すらあるのかはわからない。既に部内評価で僕の出場はほぼ内定しているし、時間になっても現れなければ、上見沢先輩あたりが携帯に連絡をしてくれるだろう。ようは、単なる嫌がらせだった。こんなのには慣れっこだ。

 ――どーせ絶対大会行けると思って余裕ぶっこいてるだろーし、困ればいい。

 まーたはじまった。これだから人類は。僕は嫌な気分になる。予選に出なくたって、僕は別に困らない。僕のやる気は、すっかり萎えてしまっていたのだから。

 その時の僕には、大会に出る意味すらあるか分かってなかった。選手になれば、共有する時間は格段に増える。そこで御船先輩と仲良くなれないかなと入学当初は思っていたが、おそらく彼女は立候補すらしないだろう。

 僕の大会へのモチベーションはかなり下がっていた。出場できなくなるなら、それでも良かった。

 いっそ大会になんか出てやるか、とすら思う。目の前のこいつのような、根拠もないのに勝手に勘違いしてわかった気になってしょうもない策を弄して、優越感に浸っている様を眺めるのはうんざりだった。

 HRが終わると、他の部員と出くわさないようにトイレで時間を潰す。その後、図書館に向かおうとしたのをやめて、部室に向かった。もし僕がいないことに気づいた誰かが呼びに来たら探させるのは気の毒だと思ったからだ。

 とりあえず時間になるまではここにいて、誰かから連絡があったら顔を出すくらいの感覚でいいか、と思っていた。無断で欠席するより、その方が角は立たない。

 部室に入ると、先客がいた。御船先輩だった。

「あ、きた」

 相変わらず、機嫌は悪そうだった。えっ、なんで先輩? やば、なにしゃべったらいいのかわかんないってかなんでここにいんの? 部長不在で選考会はさすがにやらないよな?

「集合場所、公民館に変更になったの。呼びにきた」

「え、変更って……」

 そんなはずはない。部室集合というのは嘘で、もともと公民館集合のはずだった。

「いいから来たまえ、時間ないから」

 混乱して頭のなかがぐちゃぐちゃになっている僕の方を見ずに、先輩は部室を出て行った。慌てて追いかける。先輩は走り出していた。

 学校から公民館への五分弱の間、僕たちは無言で走り続けた。ワイシャツが汗でへばりついて、腕を振るたびに皮膚が引っ張られる。ズボンの股あてがこすれて、太ももの内側がじんわりと痛い。ローファーに押し付けられた脚の小指の外側も。

 だが、不思議と悪い感覚ではなかった。

 公民館につく頃には、どうして先輩が部室にいたのか。相変わらず心は読めなかったけれど、想像はできた。たぶん先輩は、どこかで僕が嘘の集合場所を教えられたことを知って、呼びにきてくれたのではないだろうか。

 それも、僕だけのために。

 でも、なんで? 僕には先輩が、わからなかった。

「じゃ。がんばって」

 公民館に着くと先輩はそっけなく言った。下駄箱で靴を脱ぎながら、スリッパに履き替えて先に行こうとする先輩の背中に声をかける。

「先輩、ありがとうございます。呼びに来てくれて」

「気にしないで、部長だし」

「僕のこと嫌ってると思ってました」

 なにかしゃべらなくちゃ、と思って、つい自分でもそれとわかる地雷を踏み抜いてしまった。複雑な顔を見せた。何か、言いかねてるみたいだった。

「どうして」

「だって避けてるし」

「んーまあ避けてる。それは認める。でも嫌ってるわけじゃないから安心して」

 こういうのなんて言うんだっけ。歯に絹着せる……いや、奥歯に物が詰まったみたいな? 混乱してくる。嫌ってるわけじゃないって……それって、嫌ってるやつとことを構えないためによく言うやつじゃないか。

「嫌いじゃないのになんで避けるんですか?」

 思わず声に出してしまった。先輩の顔色が少し変わった。もともと機嫌が悪そうな顔の上で、眉毛が困ったような形に上がった。

 その表情を見ても、いや見てなお余計に、いろんな気持ちが僕の中でないまぜになって、抑えることができなかった。僕は続けた。

「なんで避けてるのに、僕のために部室まで……なんでですか?」

 明確な戸惑いが見えて、しまった、と思った。先輩は僕のために、わざわざ嘘までついてくれていたというのに、心遣いを無駄にしてしまった。

「人を誤解するのも、されるのもいや。ってだけ、だから」

 言葉に詰まった。その隙に先輩は、「英練高校クイズ研究会」の札がかかった会議室の扉の奥に消えた。

 意味を諒解しかねた。でも、その気持ちは、常に僕が持ってる気持ちと同じだった。

 公民館のスリッパにはきかえて扉を潜ると、会場の設営をしているところだった。

 ――重役出勤とはさすがだねぇ。一年のくせに、何様なんだ?

 名前もよく知らない部員の心ない中傷も、耳には届いていなかった。 

 上見沢先輩とじゃれつきながら会場の設営をしている先輩を目で追っていた。

 この人を、誤解したくない。強くそう思った。彼女のことを、もっともっと、よく知りたい。大会で優勝したら、もしかしたら。

 その時僕は大会への出場を――いや、優勝を、決意したのだった。

 

 学校の校門をくぐった。下駄箱で上履きに履き替えるのももどかしくて、僕は靴を脱ぐとそのまま駆け出した。

 一刻も早く、先輩に会いたかった。

 先輩がまだ学校に残っている保証はなかった。先輩がいる場所の心当たりなんて、ここしかなかった。

 根拠も確信もない。僕はここに来るしかなかった。

 あの日僕を呼びに来てくれた先輩。頭の中にガンガン鳴る、無限参照のハウリングを聞きながら、学校から公民館への短くない道のりを一緒に走ってくれた先輩。

 今なら、なんとなくわかる気がする。

 先輩はきっと、心が読めない僕という存在が、怖かったんじゃないだろうか。今まで心を読んできた先輩は、人を誤解することなく暮らしてきた。それができない相手が現れるまでは。

 僕という存在を誤解することを、彼女は恐れた。

 そしてあの夏の日、僕がハメられそうになるのを知った彼女が僕を迎えに来たのは、僕が他の部員のことまで悪く考える可能性を消したかったからで、そのために一芝居打ったのではないか。それは、頭の中でやまないハウリング以上に、彼女にとって我慢できないことだったのでは。

 これは誤解だろうか? 都合のいい解釈だろうか。僕は三船先輩を、わかった気になっている?

 そうかもしれない。でも、僕はこれまで目を逸らしてきた。心が読めるということを隠している以上、僕たちに誤解されないという道はないということを。

 人間は数多くの誤解にさらされながら生きていくしかない。僕も、これから、たくさんの誤解をしていくだろう。それが常識なんだ。僕にできることは、なるべく誤解しないように、相手に誠実に向き合うだけ。

 彼女が、僕にそうしてくれたのと同様に。

 それに、大切なのはそこではない。誤解を恐れることと、その結果先輩が苦しんでいるのを見過ごすこととは、話が別だ。

 僕は先輩が好きだ。大好きだ。

 部内の雑事を率先してこなす先輩。忘れ物を届けてくれたお礼にジュースを奢ってくれる先輩。常にみんなのことを考えてくれる先輩。

 そんな人が苦しむのは、ダメだ。

 だから僕は走った。滑る廊下で何度も転びそうになる。自分の身体からしたたる水滴がびちゃびちゃと派手な音を立てる。部室は、すぐそこだ。

 僕は勢いよく、その扉をあけ放った。

 

「先輩!」

 突然の大声に、私は身体を震わせた。今、一番会いたくない相手の声だった。

 ゆっくりと振り向くと、彼は、肩で息をしていた。制服がびっしょり塗れている。雨の中、傘も差さないできたみたいだった。

「どうしたの。みんなもう帰ったよ」

 早くこの場を去りたかった。整理はまだ終わってなかったけど、慌てて鞄の中にしまう。

 彼が近づいてきた。やめて、私のことはほっておいて。頭の中の雑音が大きくなっちゃうから。

「こないで」

 彼はそれ以上近づいては来なかった。おびえた小動物みたいに、手が小刻みに震えている。目を泳がせたのは、一瞬のことだった。彼は、震える手を拳に握りしめて、私を見据えた。

「先輩。好きなんです」

「……私はあなたが嫌い」

 また目が泳ぐ。天才クイズ王と言われても、精神は普通の少年なんだな、と思ったのも束の間、彼はもう一度真っ直ぐ私を見据えた。

「そういうことだから。早く帰りな、風邪ひくよ」

 無理やり畳み掛けて、彼の横をすり抜け部屋を出ていこうとして、彼に行く手を阻まれた。

 あの時のことがフラッシュバックする。やめて、とまたそう叫びそうになった。だが、今度はその言葉が口から出る前に、彼が叫ぶように言った。

「先輩。僕の頭の中、のぞけるでしょ」

 言われて、はっとした。どうして気づかなかったんだろう。彼の心が、私の頭の中に流れてきている。

 こんなの初めてだった。いつも頭の中で鳴っているあの雑音がない。どうやっても、今まで彼の心の中だけは、読むことができなかったのに。

 私は、彼の思考をさらい、そして知った。彼も人の心を読めたと言うこと。そのせいで幼少期から気味悪がられたこと。自分と他人の違いやそして力の使い方がわかってきて、やがてクイズと出会い、難問を正解することで称賛されて、はじめて人から認められた実感が湧いたこと。

 江沢君、私とソックリだったんだ。何から何まで、私がたどってきた人生をトレースしているみたいだった。

 気が付いたら、涙が出ていた。記憶はまだ続いている。

 彼の記憶に、福来智子が出てくる。インターセプトという能力のこと、そして、それを打ち消す装置のことも。

「先輩、あの……」

 一通りの記憶。きっと、私のために、順序だてて思考にのせてくれたものだったんだろう。見終わった頃に、江沢くんは口をもごもごさせていた。

 彼はもう普通の少年だった。クイズ王でも超能力者でもない、照れ屋でちょっと抜けてる、普通の子。

「付き合って、ください」

 彼の頭の中は真っ白だった。最初は、私への興味だった。それがいつしか、興味以上の感情に変わっていった。俊子としゃべってるときの雰囲気。他の、特に後輩への気配り。面倒見の良さ。イベントの議事進行をてきぱきとこなす姿。

 現物よりだいぶ美化されていて気恥ずかしくなってくるが、目をそらせなかった。彼の意識が、猛烈になだれ込んでくる。

 私とのちょっとした思い出が、着実に、彼の中に溜まっていた。そしてあの雨の日の、しょうもないことでけらけら笑っている私のことを、彼は。

「……ごめんなさい」

 私の口をついて出てきた言葉に、彼は目を伏せた。泣きだしそうなのを、我慢している。

 口惜しさが伝わってくる。すべてを失ったのに、と。後悔と絶望が、彼の心を塗りたくっている。フラれてもともとなのは分かっていた。気持ちを伝えれば、それでいい。これは能力を失った彼なりのけじめでもあり、私のために能力を失った彼の、わがままだった。

 ――でも、これ以上先輩を苦しめないですむ。

 それは、納得だった。最大の目的は達成したという。彼の思念は、そこで途切れた。考え疲れたようだった。

 彼は、心情のわからない相手と対話するという経験が、あまりに乏しかった。

「違うの……」

 私はきっと、彼を、誤解していた。悪い子じゃないなんて、大きな間違いだった。とてもズルい子だ。

「一日だけ、待ってほしい」

 

 ブッブー。

 早押しボタンから鳴る誤答ブザー。また誤答してしまった。

「おいおいおい、今の結構ベタ問だぜ。どうしちまったんだよ、たるんでんじゃないの」

 ガヤの同期が偉そうなことを言う。僕はへらへらと笑みを浮かべたが、腹の底は悔しくて仕方なかった。

「次! 次! お願いします」

「はいはい」

 上見沢先輩は、プリントをめくった。彼女の問読みは、発音も抑揚もはっきりしていて、プレイヤーとしてかなりやりやすい。前は、そんなことにも、全然気づかなかった。

「問題、仏教の六神通のうち、三番目に得られる境地であり、他人の心の中をすべて読み取る力のことをなんというでしょう」

「他心通!」

「正解!」

「よっしゃ」

 今度はとったぞ。自分の知識から正解を導きだすのは、本当に気持ちがいい。この気持ちよさを、もっと早く知りたかった。

「江沢君お見事です、この問題の答えはどこで知りましたか?」

 わざとらしい顔をしながら、対戦相手の同期が問う。

「同じ問題をテレビで観ました!」

「うわ、つまんないコメント」

 ひと笑いが起きる。早いもので、天才クイズ王のメッキが剥げてからこういうキャラが定着するまで、大して時間はかからなかった。

 あのスカしたコメントは、能力を失ってから封印していた。クイズの参考書を買い、アプリも入れて、本格的にクイズの勉強を始めた。ユーチューブで過去のクイズ番組も山ほど観ている。嫌いであると公言していた数学の勉強もするようになった。

 すべては、来年の秋の大会に出場して、優勝をするためだ。

 だが、これまでのズルのため回ってきたつけを清算するのは、まだまだ先になりそうだった。僕の実力は部内でも中の下、といったところだ。なにせあんな非常識な能力を持っていたんだ、僕に常識がないのも当然の結果といえた。これからもっともっとがんばらなくちゃいけない。

「こっちの調子が落ちても、あんたも復活しないとはねえ」

 上見沢先輩が、意地悪な顔で横で見ていた千恵を小突いた。

「カップルそろって色気づいて力を失うとは嘆かわしい」

 憎まれ口をたたいても、上見沢先輩は僕らを一番祝福してくれている。

「やあ、恋は人を狂わせるとは、よく言ったものですなあ」

 すっとぼけたことを言う千恵。モテないキャラの男子部員があげた「ちくしょー」という声を聞いた瞬間、いたずらっぽい顔をした彼女と目が合った。

 あの後、千恵も装置を使った。僕に一日待つように告げたあとで、先生のところに行ったらしい。

 そうしてインターセプターでなくなった千恵と僕は、正式に交際を開始した。まわりには驚かれた。僕と彼女の因縁は、部員だけでなく学校全体と、学外のコアなクイズファンには有名な話だったらしい。付き合ってすぐに僕らは天才カップル、ともてはやされて、二人して苦笑いを浮かべながらほとぼりが冷めるのを待った。

 あれから先生とは会ってなかった。曰く僕らに観察する意義がなくなったから、とのことだが、困ったことがあったら、恋のお悩み相談以外ならいつでも連絡してくれとも言われている。とはいえこちらからも特に連絡することもなかった。今のところ副作用もないし、能力が再発するとかならともかく、あの人に人生相談するほど僕も頓狂ではない。

 あの人、最初から最後まで僕たちにめちゃくちゃ都合よかったけど、もともとよくわからない動きをする人だ。あの人なりに思惑があって、それで先生にとってもこれでよかったんだろうと思う。いつか、何かの形で恩返しはしたいが、今はなにも思いつかない。

 さておき。千恵は上見沢先輩と同じ国立大学への進学が決まった。僕と違って彼女は予備校にも行ってちゃんと将来のために勉強していたので、それほど大変ではなかったらしい。あんまりハードルを上げられると、追いかける方は大変なんだよな。

 あの力が惜しかったと思うことはままある。インターセプトできなければ、自分の気配りも生活能力も、年相応どころかほとんど使い物にならなかった。おかげで友達も減った。

 でも僕は満たされていた。力と引き換えに、僕はかけがえのないものを手に入れた。それは千恵のハート……っていうのもなんだか照れくさいけど、それだけの話ではない。

「はいはい、次が最終問題だよー。今日はなんの日でしょう?」

 随分ざっくりした問題だなと思った。記念日系の問題はマイナーな団体が認定しているものなど、作問者が想定していない回答も含まれてしまう可能性があるので、問題文で過不足ないように限定しないと問題不備になる。

 それはそれとしても、今日って代表的なのなにかあったかな。

 ピンポン。

 誰も押さなかったので鳴らしてから考えようとボタンをつけたが、答えの見当はまだついてなかった。制限時間の五秒の間に考えて、とりあえず何か言わなければ。

「ショートケーキの日?」

 カレンダー上で、15(イチゴ)が上にのってるのが22日だ。我ながらあんまり納得感のない回答。もっと明確な答えがある気がする。

 正誤判定を生唾を飲みながら待った。上見沢先輩が、固く目を閉じて絶妙な表情を浮かべている。

「ファイナルアンサー?」

「先輩、それさすがに古すぎッス」

 つっこんでも、先輩は表情は崩さない。この人プロいな。

 じっと僕の目を見ていた挙見沢先輩に気おされて「ふぁ、ファイナルアンサー……」としぶしぶ答えた。彼女が目を見開いて大きく口を開いたその瞬間だった。

 周囲で、爆発音が響いた。目の前を紙吹雪と細い紙テープが舞うのが、スローモーションで見えた。

「浩一くん、誕生日おめでとー!」

 クラッカーだった。

 部室のドアが開き、ショートケーキを持って入ってきた同期。16本の蝋燭が乗っている。

「驚いた? 千恵が何週間も前から企画してたのよ」

 白い星をあしらったアングルハットが僕の頭にのせられる。えっこれテレビでしか見たことないけどどこで買ったの? このへんダイソーもドンキもないぞ。

「……」

 あまりのことに、多分僕は今かなりヤバい顔をしているだろう。半開きになっていた口を閉じて、先輩の方に向き直ると、僕が観たかったもの、彼女の笑顔が、そこにあった。

「驚かせたくて」

 悪くない。と改めて思った。あの力がなくなっても。僕は満足している。

 だってこれから、こんなに予測不能で刺激的な毎日が、常識になっていくんだから。

 


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