一つの物語から分岐した、あったかもしれない記憶。
その日、私たちは家族になった。
アイドルをはじめて出逢った、大切なひと。
ぐうたらで何かと無気力な私を引っ張ってくれる、きらきらの太陽のような存在。
彼女を一生大切にすると決めた。
互いにパートナーであり、そして私は母でもある。
「杏ちゃんあれ! あれ取ってにぃ!」
お菓子の棚のまえで、必死に背を伸ばしているこのちいさな子は私の娘。
アイドル、双葉杏と諸星きらり。
私たちは、家族になったのだ。
『GROW・UP -alter-』
ことの発端は、ひと月ほど前に遡る。それはいつもとかわることのない一日のはずだった。
大きなライブイベントを控えて、普段は出来る限りがんばらないようにしている私も流石に働く。現場から現場へと飛び回り合間にはライブのレッスンをこなし、日も沈んだころようやく事務所に帰りついた私は倒れ込むようにうさぎのクッションにダイブした。柔らかビーズ素材に身をゆだね、脱力しながらスマホに目をやる。
現在時刻は19時28分。
今日の予定は残り一つ。20時から公式チャンネルでプロモーションの配信。ライブイベントの日替わりカウントダウンの本日は、出演予定ユニットである『ハピハピツイン』の担当だ。身長差47.2cmの小さい方。つまり私こと双葉杏と、大きい方こと諸星きらりの二名。私はレッスン終わり事務所でスタンバイ、きらりは前の現場から直行予定で……。
とりあえず寝よう。30分あるのだ。他にやることはなかった。
楽園……この、やるべきことをやったうえで許される合法的ぐうたら……。
たださぼることだけを考えて生きていた過去の17年間では味わえなかった甘美なる感覚に私の脳は震える。
「働いたら負け」先人の偉大なる言葉は私の座右の銘でもあり、もちろん今もこの言葉は私にとって胸を張って主張すべきものであることに変わりはない。
だけど、でも。
働くって素敵!
きっと流した汗は美しい!
たくさんの夢があれば
くろうなんて
なんのその!
「いも……」
私の今のこころのなかでは、もう、きらきらのアイドルたちが光を放ってしまっている。
光で、灼かれてしまった。
今の私にとって、もう
やりたくない
何もしたくないなんて
もちろん、言える。
だけど、なんだろう……。
「ポーズ」になってしまっている?
そんなこと気にしたってしょうがないのに、一人脳内でぐるぐると考えて。
心地良いはずのクッションの感触のなか、ちりりとささくれだった感情が何かを捉えたのだった。
そうか。
私は、変わりたくなかったんだ……。
「はー……」
魂ごと抜けてとんでいってしまいそうなそのため息を空中でひょいとつかまえるようにして、ちいさな手が私の口のなかになにかを放りこんだ。瞬間、口いっぱいに甘さがひろがり、舌でとけだした糖分が脳を覚醒させていく。
「遅れてごめんにぃ! 杏ちゃん」
「おつかれー、きらり。そっちこそ忙しいんじゃない? 働きすぎはよくないよー」
いつもハイテンション、だけど優しいその声に、全身の疲れがじんわりとほぐされていくのを感じる。
ぱちりと目をひらくと、そこにいるきらりは小さかった。
頭部に対する身体の割合が小さい。
4等身って感じだ。
「きらりの……妹……?」
186.2cmをただ縮小したわけではないルックス。
身体に対し大きめの頭部。ふっくらと丸みをおびたほお。
「えへへ」
幼い、と表現するにふさわしい姿にかわった彼女が照れたように笑った。
「杏ちゃんとおそろいだにぃ」
「いやー駄目だよ! それじゃコンプライアンス的にほら、さあ」
20時からの配信はディレクターのNGがでてきらりは欠席となった。
それはそう。どうみても児童のきらりをこんな時間に働かせる訳にはいかないのだけど、
双葉杏、年齢17歳、身長139cm。
諸星きらり、年齢17歳(だったはずだが……)身長186.2→130cm。
ふむ、確かに小さい。
……それで?
私と、小さくなったきらりの違いって何。
「なんでなんでPちゃん! きらりもでたいにぃ」
本人の意志もやる気もある。なのに働かせてもらえないなんて。
「ねぇプロデューサー、出してあげようよ。きらり、労働意欲じゅうぶんだよ」
あまりに不憫で思わずポリシーに反し、働くことを推奨してしまう。
だけど、プロデューサーの返答は違った。
そういうことじゃないんだよ。
そうだね、わかってたよ。
きらりの得てしまった幼さは、
私の持つ身体的特徴とは根本的に違う。
理解している限り言えることはもう無かった。
つまり、問題ないプロデュース方針をとればいいということ。
きらりは、この日から時を逆流し、キッズアイドルの道を歩むことになる。
「小さくなったきらりん先生だよぉ☆」
「かわいいー!」
彼女の冠番組『とときら学園』にて初お披露目となったこの件(きらり児童化)は意外なほど好意的に受け入れられた。
元々女性ファンの多かったきらりだが、成人層からは保護欲を、年少のファンからは友だち的な親しみを、という風に距離が近づいたようで、番組の人気も増し、むしろスポンサーなどは喜ぶ始末で……まったく、「かわいい」ということは強い。
面白ハプニング的に処理されて、諸星きらりというアイドルははじめから小さかったみたいな流れで世の中は進んでいった。
いや流石にそんな現実を受け入れがたい人も大勢いただろうけど(そしてその気持ちこそを尊重したい)……だけどともかく、世の中はそんな風に、きらりが小さくなっても表向きには軽く受け入れて進んでいったのだ。
アイドルが愛されるならこともなし。
私としてはいたずら好きが過ぎる神様に文句を言ってやりたい気持ちだったけど、時計の針は止まらない。
昨日と今日。今日から明日へと。今までと変わらない……。
何も変わることはないと思い込むふりをして。
ううん、本当は気づいていた。
だってもう、ぐうたらとさぼっている私を抱きあげて、次のレッスンへと向かわせてくれるきらりは……もういないのだ。
わかってた。私だってとっくにそんな「ポーズ」を取ることをやめてるし。
だってきらりが、笑ってるのに。
私は、笑えない……。
小さくなった今のきらりに、私はどう接すればいい?
それに、何かが引っかかるのだった。
前日に迫ったライブのリハーサル。きらりの所属するユニット『凸レーション』のメンバー三人が揃っていた。
年少アイドル二人を高身長のお姉さんがまとめる身長差ユニット。
そのセンターであるお姉さんが一番小さくなってしまったのだから、見た目的な違和感は当然大きい。
誰が言いだしたか『凹レーション』っていう愛称もそれはそれで可愛い。
みんな笑ってる。笑顔のなか、
きらりは小さな身体で一生懸命に歌い、手も足も、全身で踊って、ステージを駆け回る。
うん、パフォーマンスに問題はない。
ただ一生懸命なだけじゃない。プロとしての歌とダンス。
『楽しい』を全身で表現する、その技術。
きらりが17年生きてきて培った経験値と、生まれもった資質。
何が問題なのだろう? わからないけどもやもやする。
そんな感情をかかえたまま迎えた、ライブ当日。
一万人以上の観客の声がバックステージまで届いている。
会場は十分に暖まっている。
その熱気から受けるのは緊張ではなくむしろ安心感だった。
やるべきことをやってきたのだから当然だ。
だけどどうしてだろう。
いつもと違う。
こころが、少し離れたところにいて、私のことを見ている。
こころを置いたまま、体だけが自動的に動きはじめる。
私ときらりが舞台袖から、ステージに飛びだしていった。
私が、きらりと一緒に二人のユニット楽曲を歌いはじめる。
『正反対』で『対照的』な……。
そう。それは何も見た目だけのことじゃない。
わかってる。でも。
私は、納得できないのだと気がついた。
不寛容、不適切な感情。かもしれない。
だけど……こんなじゃない。
きらりは、もっとできるんだ。きらきらに輝ける。もっと眩しくて、太陽みたいに。
そんなことを考えているうちに、もう二番の歌詞に入っていた。
隣に立つきらりは、ぷくっと頬をふくらましている。
ばつの悪くなった私は、きらりのそばに寄って、そっと声をかける。
「えっと、ごめん……」
はっとした表情のきらりが、小さく微笑んだ。
なんでだろう。自分でもわからないのに涙があふれてきた。
こんなタイミングで……?
だけど、離れていたこころが戻ってきているのを感じる。
熱い。胸の奥、からだがどくどくと脈打つように熱を放出している。
一気に走り抜けるようにラストまで歌い切って、思わずきらりを抱きしめていた。
「この子は私が育てる」
我ながら訳のわからないことを言っているのはわかっていた。
プロデューサーに直談判し、さらには都内にあるきらりの実家にも挨拶に赴き、私はアイドルでありながら諸星きらりの担当プロデューサーを兼任することになった。
といっても本来の担当Pも業務内容を変わらず続けてくれるということで、私のやることは本業とは程遠い、結局自己満足に過ぎないものなのかもしれなかったけど。
とにかく自分の仕事の合間をぬって、以前ならぐうたらさぼっていた時間をきらり育成計画に費やすことにしたのだ。
「アイドルの基本は体力! 休まずいくよ〜!」
「にょわわわー!」
河川敷。夕陽を背にジョギングするきらりに向かってメガホンで呼びかける。
「そして知性! おさかなにはDHAがたっぷり詰まっているんだよ! たくさん食べて賢くなろー」
「むぐー」
おやつは食べるニボシ。頭脳を活性化させるためにばりばりと食べるようにする。
「瞑想! 自分自身と向き合うことが重要なんだ」
「すやや……」
フィジカル、インテリ、メンタルの三つのパラメータをバランスよく伸ばすトレーニングプラン。
朝夕の時間にこれを実践するために、私はきらりと共同生活を送ることとなった。
能力値はゲームのように数字で測れないけど、日々の頑張りと成長は、目に見えている。
きっと私は、安心したかったのだと思う。
一番近く、すぐそばで見て、触れて、成長を確かめたかったのだ。
(あれ、こういうのって、何だろう……)
私のなかにそれまで無かったような感覚が生まれはじめていた。
気まぐれにつけはじめたノートには、毎日のできたこと、がんばったことと一緒に二人の背比べを記録したり。今更だけど、17歳だってまだまだ伸びしろはある。
きっとDNA的に(?)またきらりの方がすぐに追いつく可能性の方が高いけど、
あんず…139cm
きらり…130cm
今のこの9cmのアドバンテージもいつかきっと、笑い話になる。
隣で小さな寝息をたてて眠るきらりの髪を撫でながら、久しぶりに穏やかな気持ちで私も眠った。
「杏ちゃん杏ちゃん! はやく起きなきゃ遅刻しちゃうにぃ!」
きらりの声で目が覚めるのも日常になった。
というかきらり、朝めっちゃ早い。
手さぐりで取ったスマホの画面を確認するけど、
「えーまだ6時じゃん……」
今日の予定から逆算してもまだ1時間は寝られる計算になる。
「ダメダメ! 今日もいーっぱい頑張るんだから、朝ごはんしっかり食べて元気ださなきゃ」
言いながらカーテンをシャーと開けるきらり。まっさらな朝の日差しが目に突きささる。
「まぶしっ」
「ほらほら起きて準備するにぃ」
さらにはお布団まで剥がされて私の聖域は崩壊した。
太陽のような明るさのきらりん怪獣……。
お布団の国を追われた不労の民は冷たい水で顔を洗いしゃかしゃかと歯をみがくとしゃっきりして、これから一日頑張ろうというやる気すら湧き起こってしまう。
私一人だったら絶対にやらないことなのに、悪い気はしない。
これは、私が望んだことなんだ。
(え……?)
『何か』に気づいてはっとしたところでキッチンの方からじゅうじゅうという音が聞こえてきて、あわてて飛んでいく。
踏み台に乗ったきらりが軽快にフライパンをゆらしていてそれはもう可愛いんだけど危なっかしくて思わず後ろから手を添える。
大丈夫だよ、ってきらりはくすぐったそうに笑うし、私だって何をそんなに心配してるんだろうって感じで。
添えた手から力が抜ける。
一人じゃない。こうやって脱力するのってなんか不思議だ。
あくびもしてないのになんだか視界が滲んで、そっと頬をきらりに寄せた。優しい陽だまりの匂いがした。
私ときらりの二人がレギュラー出演している番組『とときら学園』は好評で、スタジオを離れての運動会企画が開催されることになった。
レギュラーキャストの『生徒役』ちびっこアイドルたちがチームに分かれて様々な競技で競い合うスペシャル番組。今日はその収録の日。
本来は先生役だったきらりも、小さくなってからはちびっこ側に入るようになったため、なんとなく流れでサブコーナー担当だった私が先生として司会進行をつとめることになったりして。
番組名的にでしゃばりすぎじゃない私? 大丈夫? って感じだったんだけど……。
とときらの「とと」であるところのもう一人の先生役。彼女がおおらかでいてくれてとてもありがたかった。
収録はつつがなく進行し、各チーム拮抗した状態で勝敗は最終競技のチーム対抗リレーで決まることとなった。バラエティ的にどれだけ差が開いても最終ラウンドで一気に100ポイント! とかなるものだけど、今回は本当に接戦で、だからこそ応援にも熱が入る。
きらりの所属ユニット『凸レーション』のメンバー三人がそれぞれチームリーダーとなった三つ巴の戦い。
誰もが手を抜くことなく全力でぶつかり合い、一人一人に主役の場面がある一日だった。
そんな皆の頑張りが収束するように、自然とこの拮抗したクライマックスを迎えていたのだ。
だから、誰が勝ってもいい。
元々闘争心のあまり無い私だ。
グッドゲーム。楽しむことこそ大事でしょ。
三つのチームはほとんど横並びで、アンカーにバトンが渡る。
きらりが、わずかに遅れて受け取ったバトンをぎゅっと握りしめる。
つられて、私の掌が無意識に握られていた。
(頑張れ、きらり!)
彼女は全身をばねにして、跳ぶように駆ける。
ぐんぐんと、前二人との差が縮まっていく。
だけど、もちろんそうだ。前を走る二人だって、追いあげてくる気迫を感じてさらに速度を上げる。
「がんばれー!」
チームメイトたちが皆一様に声援を送る。
じりじりと、だけど着実にきらりが二人に追いすがる。
「三チーム並んだ! ここからラストスパート……っ」
瞬間、そのあとは声が出なかった。
視界がスローモーションに変わる。
私の息をのんだ音はピンマイクに拾われなかっただろうか、なんてどうでもいい心配が脳裏をよぎって。
「これで、よしっと。ちょっと張り切りすぎちゃったね、きらり」
「えへへ……ばんそうこうありがとね、杏ちゃん」
夕暮れの事務所。
きらりの転んだ擦り傷にぺたりとシール。
もう何も頑張ることはない、全ての頑張りが報われていい世界に向けて放送される今日の成果物。
本放送のスペシャル特番を前にして、とりあえずの収録結果をダイジェストで公開するということで、一応確認しとくかと公式チャンネルを開いていたのだった。
「仕事はや……」
ぽつりとつぶやく声のトーンが思いのほか低かったけど、それは元からで。
「今日もみんなすごかったねぇ」
きらりが笑顔で画面を見つめる、その横顔につられて私も微笑む。
「昨日できなかったことが今日できるようになった子もいたし、小さい子たちの成長は未来に向かってまっすぐだね」
「うんっ! みんな、ぐんぐん成長してる。きっと明日は、もーっとだよ」
「切磋琢磨、ってやつ? 誰よりも努力してさ、人気者になって、トップを目指す。アイドルってそういうものだけど……杏としては苦手だなぁ。もっと楽してアイドルやっていきたい」
「うん……きらりも、ほんとは競うのってちょっぴり苦手……そんなだから、リレーのアンカーも転んじゃって……」
きらりが口をつぐむ。向かい合ってないけどわかる。彼女の瞳に宿った光の粒があふれてこぼれようとしている。
私は彼女の手を取り、掌のなかに包みにくるまれた飴玉をひとつ、そっと置いた。
「転んじゃったけど、最後まで頑張って走ったきらりへ。杏から『がんばったで賞』の贈呈、ってやつ?」
言いながら照れてぽりぽりと頬をかいている私にきらりが飛びついてきた。
小さなからだ全部でぎゅーしてくる。
そのとき私は願った。
願ってしまったのだ。
『かわらなくていい』
彼女がずっと、このままでいてくれる……そんな幻想を。
だからきっと、バチが当たったんだ。
この日、夢は終わらなかった。
ううん、もしかしたらこの時点に世界ははじまったのかもしれなかった。
この時を境に私たちは、さかしまに進みはじめる。
初めに気づいたのは、日々つけていたきらりの記録ノートだった。
一週間に一度くらい、お風呂上がりに二人で背比べをして、その結果を並べて書き込んでいた。
その日も同じように、壁紙に背中をくっつけたきらりの足元からメジャーを伸ばす。頭のてっぺんに位置する目盛は、129.8……?
微妙に足りない。いつもだともうちょっとはっきりと130あるのに。
まあ誤差だろうとその小さな違和感は心の引き出しに一旦しまったのだけど。
やっぱり気になって次の日から毎日たしかめるようになった。
すると少しずつだけど確実に、きらりの身長はなくなっているのだった。
「どうかなぁ? そろそろ杏ちゃんにも追いついちゃうかも?」
背伸びするみたいにして、私を見上げるきらりの身長は、とっくにもう100cmになっていた。
ここ数日の時間感覚が曖昧で、わけが分からなくなってくる。
ただ、そこにいる存在をたしかめるように私はきらりのことをぎゅっと抱きしめていた。
きらりが仕事を続けられなくなるのはもうあっという間のことだった。
昨日できていたことが一つ、日を重ねるごとにどんどんできなくなっていく。
歌やダンスといったパフォーマンスに支障をきたしかねないとの判断をプロデューサーが下した段階で、彼女はアイドルを無期限休業となる。
それなのに、彼女はきょとんとして私と手を繋いだまま、頭を下げるプロデューサーの顔を見つめていた。
この時にはもう、私の心の中は決まっていた。
「普通のニートに戻ります」
もう二度と働かない! 荒稼ぎした貯金と印税で遊んで暮らす!
馬鹿みたいにふざけ倒した引退宣言は各方面からもっと怒られて然るべきだと思ったのだけど、意外にも世間・関係各位に受け入れられて、私のアイドル業は終わった。
確かに貯金は大層あった。だけど生きているかぎり、きっといずれはまた働かなければならないだろう。
しかしそんなことは今はどうでもよかった。
きらりともっと一緒にいたかった。
だから決断したのだ。
実家から飛び出したときも、アイドルになったときも。
私にとってはなんてことなかった。
初めてだった。
こころから真面目に、ただ私は彼女と共にあることを選んだ。
私が母で、彼女は娘。
その日、私たちは家族になったのだ。
「駄目だよきらり、まだお皿に残ってるよ。ほら」
私が差し出したフォークの先のミニトマトから顔を背けながら、きらりは駄々をこねた。
「んゆー、いらない! お菓子! お菓子がいい」
「お菓子はもう食べたでしょ、また明日」
「やだぁぁぁぁ!」
きらりはすぐ泣くようになった。元々感情表現が豊かだった子だ。
「もう……しょうがないなー。じゃあママが代わりに食べるよ」
あれ……? 今私『ママ』って言った……?
動揺して子供用のちっちゃいフォークをぽろりと取り落としてしまう。ミニトマトがころころとテーブルの上を転がった。
きらりが不思議そうに、その物体のはたらきを涙にぬれた目で追いかけていた。
「あしゃんみて!」
私は『あしゃん』になった。
胸を張って右手を掲げている。その手に握られているものは。
「え、何? 本気でわからん……いやちょっと待って……あれだ! う、うさぎ?」
「おあうぅだよ!」
「これがおあうぅだったのか」
きらりはそれを見せて満足したのか、満面の笑みで。
私はたまらなくなって、彼女の身体を包みこむように抱きしめていた。
生命の、あたらしい匂い。きらりという名前の象徴する『そのもの』のような……。
そうして、一年も経たないうちにきらりはいなくなった。
文字どおり、消えてしまった。
その最期のときは、流石に私だけの我儘を通す訳にもいかなくって。
周りの人たちにもたくさん迷惑をかけてしまった。
私は、大人にならなきゃいけないと思った。
働くって、素敵?
そんなことはわからない。
ただ、生きなければならないのだ。
色々と言い訳をして逃げつづけていた高校に真面目に通うようになった。
あきらめて始めてしまうと勉強は面白かった。
化学や物理……理系科目が案外興味深く、好奇心をもって取り組んでいると思いだすのは事務所のアイドルたちのことだった。
怪しい実験をして未知の物質を生成したり、ロボを造ったり……。
皆同年代で、だけどこんな学校の教科書で学ぶような内容を遥かに飛び越えた知識や技術を持っていたっけ。
思えばスペシャリストの多い事務所だった。
そんな中で、私は何が秀でていただろう?
そうか。私は『やりたくない』んだった。
で、そんな私をあのきらきらのステージに連れていってくれるのは、いつだって……。
すぐそばで輝いていた星々の想い出に呼応するように。
私のなかに小さな光が灯った。
「これが、私が御社を志望した理由になります」
最終面接。まだ無名の小さな芸能プロダクションの社長は私の自己アピールを聞きながら深く頷くと、その場で「採用じゃあ!」
と言って隣の面接官の方に叱られていた。
私のやりたいこと。
アイドルを、きらきらの光たちを育てていきたい。
昨日より今日、今日よりもっと。
仕事に生きると決めたとき、他には考えられなかった。
「ということで、早速だけど今日、新しいアイドルの子が来るからよろしくね。君に担当してもらうことにしたから、事務所で待っててね」
そう言うと社長は出かけていった。
事務員さんが資料をデスクまで運んでくれていて、その確認をする間もなくバタバタと午前の就業時間が過ぎる。昼休みも間近になったころ、事務所のドアが開く。
はっと顔を上げると、ドアの向こうからひょこっと覗いた彼女と目が合った。
「きらり……」
思わずその名前を口にしてしまう。
だけど、そんな訳ない。彼女に入室を促しながら、手元の資料を開く。
身長130cm、年齢は……。
あれから、ちょうど9年。
あのときの姿の生き写しの少女が、そこにいた。
「私が貴女のプロデューサーだよ。よろしくね」
「よろしくお願いしますっ! ぷ、ろ?」
「プロデューサー。Pって呼んでね」
「P……はいっ。Pちゃん!」
ぴっと手を挙げたあと、彼女はその手を私の掌に置いた。
ころっと小さな何かが掌の上に乗った。
それは、いつかに願って叶わなかった、想いの結晶だった。
長かった、夢が終わる。
一つの物語から分岐した、あったかもしれない記憶。
『GROW・UP』
The clock of the cinderella never stops.