何度も転生する主人公が、死ぬたびに周りを曇らせていく話。 作:ルヴレ
「フリーナ殿!」
ヌヴィレットが、珍しく少々慌てた足取りで、フリーナの部屋までやってきた。フリーナは、そんなヌヴィレットの様子に驚きながら、水神としての威厳を保つために、平然としたフリをして、尋ねた。
「ヌヴィレット、どうしたんだい?」
「ティカ殿が……」
ヌヴィレットが「ティカ」と言う単語を発した途端、フリーナは顔を明るくした。
それはもう、限定のケーキを食べたときよりも、何をしているときよりも、嬉しそうな顔をした。
「ようやく、ティカが来てくれたんだね? 全く。この僕を何百年も待たせるなんて、無礼だと思わないかい?」
「それは……」
ヌヴィレットは、ティカ殿は死んだのだから、来ないのは当たり前だ、と言いそうになった。
けれど、フリーナの喜びようを見ていると、何も言えなかった。
ヌヴィレットがここに来たのは、喜んでいるからではなく、全く同じ顔をした少女が、ここに来て驚いているからだ。けれど、フリーナはヌヴィレットも喜んでいると、解釈したらしい。
「ヌヴィレット。早くティカの居たところに案内してくれ! 僕が直々に迎えにいってあげるからね! ティカも喜ぶことだろう!」
フリーナは、そう言って得意そうにふふんと笑った。
ヌヴィレットは、その少女がティカではないことは分かっているが──あそこまで似ていては、完全に否定はできない。
ラベンダー色の髪に、失礼ではあるが、可愛いわけではない、割と平凡な顔立ち。そこそこ小さめな身長に……まな板のような胸部。
目だけは、見ることが叶わなかったが、あそこまで似ていて、完全に別人というのは、中々ないことだろう。
もしかしたら、ティカの血縁かもしれない、と思い立つ。
確か、彼女の両親は長く生きていたはずだから、そこの血筋かもしれない。
「本当に、ここにティカがいるのかい?」
「ここにいたはずだが……彼女も移動したようだ」
彼女がいた場所は、千織屋の近くだったはずだが……。やはり、服を買い終えたのか、近くに彼女は居ない。
フリーナはあからさまにガッカリしたが、急に顔を輝かせた。ぴょこん、とフリーナのアホ毛も感情を表すように、立ち上がった。
「ち、千織さん、その、えっと……ありがとうございます。いつかこの借りは返します」
「私は私のやりたいことをしただけ。見返りなんて、求めてないわ」
千織屋の店内から、二人の女性が出てきたのである。
一人は、有名なファッションデザイナーの、千織。そして、もう一人は────。
「ティカ!」
「え?」
フリーナは、居てもたっても居られず、ティカに駆け寄った。その姿は、いつもかろうじて保っている、水神の威厳など、かけらもない。ただ、仲の良い友達に駆け寄っている、普通の少女のような姿だった。
「遅かったね! 随分待ったんだよ? 全く。すぐに、許してあげられる、寛大な友人を持ったことを誇るがいい!」
「……え。ほ、本物!? あ、えっと、すみません。その、と、友達って何ですか……?」
こてんと首を傾げたティカは、千織に仕立ててもらったらしい、おしゃれな服を着ていた。そして、その目はティカらしいキラキラとしたものではなかった。
見ていたら巻き込まれそうな、暗さ。まるで、その薄暗さから、こちらが目を背けたくなる。────ティカの瞳は、絶望に満ちていた。
フリーナは、一歩だけ後ずさった。
「あ、あぁ! この僕が、水神フリーナだ! どうしてそんな当たり前のことを聞くんだい? 君は、僕の専属道化師だろう?」
「……わ、私、フリーナ様のこと、覚えてません。えっと、ごめんなさい」
「え……いや、……そ、そんなわけ…………あ! あぁ、そうだ! わかったよ! つまり、ティカは、記憶喪失なのかい?」
一瞬、脳裏に「この人は、ティカじゃない」と言う考えが浮かんだが、フリーナは慌てて取り消した。
ティカは、うーん、と悩ましげに首をまた傾げた。
「あ、えっと、私は、ここ数千年の記憶が飛んでいます。その、あまりにも、文明が発達し過ぎてますから。それを記憶喪失と言うなら、私はフリーナ様の言った通り、記憶喪失だと思います」
ティカらしい、あのおかしな話し方など、かけらもない。それどころか、目の前のティカは、どこか大人しく、聡明だった。
フリーナは記憶喪失だったことに安心しつつ、ティカの話し方に違和感があって、ぞわりとした。
「そ、それなら僕が一つ部屋を貸してやろう! 僕と過ごしていたら、記憶が戻るかもしれないだろう? それから、特別に敬語はやめていい!」
「え、へ、部屋を貸してくれるんですか? そ、それなら、遠慮なくお願いします。正直、ティカ? その人に興味はないですけど、あなたには興味があるので」
じ、とティカはフリーナの顔を見つめてきた。そこまでわかりやすく顔を見られると、神ではないと見抜かれていないか、心配になる。
フリーナは、気まずくて、ティカから目を逸らした。
そういえば、ティカは敬語をやめてくれなかった。やはり、まだフリーナを信用していないのだろうか。
「敬語は外してくれないのかい?」
「あ、えっと、その、ご、ごめんなさい」
かつてのティカの子供っぽい、明るい太陽のような雰囲気は、微塵もない。目の前にいるティカは、かつてのティカより、よほど大人びていて、暗くて、何より嫌な意味で変わっている。
「フリーナ殿。つまり、ティカ殿をまた専属道化師に戻すと言うことか?」
「いや、違う! ティカは元から専属道化師の位は剥奪されていないからね! ただ、元の生活に戻るだけさ!」
「道化師? 私が? 想像できないです……」
ティカは、悩ましげにうんうんと唸りながら考えている。フリーナは、そんなティカのようすに、ほんの少しだけ過去の面影を感じて、ホッとした。
────ただ、ヌヴィレットだけは、ティカに懐疑な目線を向けていた。そのことに、フリーナは気づかなかった。
「ケーキ! 本物? わぁ、夢みたいです! その、わ、私、ケーキは食べたことがないのですが、フォークで食べるので合っていますか?」
「あぁ、合っている。ところでフリーナ殿。なぜ私までここに呼んだのだろうか? ティカ殿と二人で話せばいいと思うが……」
「そ、それは……」
ティカは、ケーキをツンツンとフォークでついている。そして、てっぺんに乗っている小さくカットされたバブルオレンジを食べて、ほおに手を当てて顔を輝かせた。
ティカが楽しそうにケーキを食べている中、フリーナはヌヴィレットに問われた質問に対する答えを、素直に返せないでいた。
ティカのあまりの代わりように、まるで違う人物と接しているようで苦しい……とは、言えなかったからだ。
あそこまで仲良くして、再会を待ち望んでいたのに、会ってみたら、余計に辛くなるばかりだった。
忘れられている側とは、案外辛い立場なのだと言うことを、フリーナは強く実感していた。
「ティカ、その、本当に何も覚えていないのかい?」
「わ、私は草神様の従者でありますが、水神の道化師ではないです。えっと、つまり、何も覚えていないです。ご、ごめんなさい……」
ティカは、淡々とそう言ってケーキを食べた。あまり表情の変わらない、その姿は、どこかヌヴィレットを彷彿とさせる。
さっきまで、ケーキではしゃいでいたのに、ものすごい切り替えようである。
「あの、私はあなたに興味がありますが、その、現実は私にとって、あなたは他人も同然です。そして、それはあなたも然り。だから、えっと、もし「ティカ」を望むなら、早々に私から離れた方が、賢明な判断だと思います」
「それは、何故だろうか?」
ヌヴィレットは、ティカの抽象的で曖昧な表現が理解できず、尋ねた。ティカは、紅茶を飲んで、息を吐き出してから、次はゆっくりと答えた。
「あ……えっと、私があなたたちの言っている「ティカ」に戻る可能性は、限りなく低いからです」
「そ、それはどうして? 記憶喪失が戻ることなんて、少なくはないはずだ!」
「た、確かに少なくはないです。でも、恐らくあなたが言うティカと、今の私は、随分と性格に差があります。まるで別人なくらいに。
そして、ティカと私は、根本的な考え方が違います。あなたたちの様子を見るに、一言で言えば、ティカは優しすぎるんです。それはもう、私と記憶を融合なんて、できないくらいには。
その、つまり、別人すぎて同じ人に戻るのは不可能ってことです。私が消えたら戻らなくはないですが、そんなの嫌ですし、私だけが消えるなんて、難しいです。順当に行けば、私とティカの中間くらいの人間になるとは思いますが……」
あっけらかんと、一息でティカはそう言い切る。フリーナは、認められずに首を横に振った。
「そ、そんなの、ただの予測に過ぎない! もしかしたら、ティカが戻ってくる可能性だって……」
「あるには、あると思います。あなたが、その小さな可能性を信じたいなら、そうすればいいとは思いますが……」
ティカは、冷たくそう言った。フリーナは、ぐっと強く手を握りしめた。
諦めきれなかった。ティカは、フリーナにとって親友だ。そんな親友が戻ってくる可能性が少しでもあるなら……フリーナは、諦めることができない。ティカの、友達として。
だって、また会うと、そう約束したのだから。
「ティカ、僕は諦めないよ」
フリーナの決意のこもった、オッドアイの瞳に射抜かれて、ティカは一瞬呆けたように固まった。
小さく、どこか小馬鹿にするように笑い、ペロリと唇を舐めた。さっきの大人しいティカらしかぬ表情を浮かべ、それから、ポツリと呟く。
「どうやら、昔の私は随分と好かれていたらしい」
それから、フリーナは時間があればティカに話しかけた。一緒に(もちろんヌヴィレットも、強制的に巻き込んで)すごろくをしたり、ケーキを食べながら話したり。
とにかく、昔したことを思い出させるように、たくさん遊んだけれど、ティカが記憶を取り戻す様子はない。そして、不思議とフリーナが「今のティカ」に惹かれることはなかった。二ヶ月も、あれから経過しているにも関わらず、である。
「……つかれた」
逆に、ティカと話すだけで、フリーナのメンタルを削っている。昔のティカを無意識のうちに求めてしまうのだ。
「僕は、間違ったことをしているのかな……。でも、ティカと約束したんだ。また会おうって」
ふかふかのクッションに、顔を埋める。信じたくなかった。ティカがもういないだなんて、そんなこと。
ティカは、まだいる。確かに今は記憶がないけど、記憶を取り戻したら、いつものティカに戻る。
フリーナは、そんな幻想を抱いていた。
そして、その幻想はこの瞬間だけ、現実に変わった。──ティカの部屋から、悲鳴が聞こえたのだ。
まるで、死の直前の……断末魔のような、そんな悲鳴だった。
その声を聞いて、フリーナは慌ててティカの部屋まで向かった。ティカが記憶を取り戻したかもしれないと、淡い期待を抱きながら。
「あ…………。しんで……ない。なんで。あれ、じゃあ、今の……」
「ティカっ!」
ティカが、床に倒れ込んで、頭を抱えていた。まるで、何かを急に思い出したとばかりに。
フリーナは、もしかして、と一瞬希望を抱いた。
「私は……いま、かぶっち……え? いや? なんで……でも、散兵に殺されて……あれ、なんでフォンテーヌにいるっすか……いや、違う。私、は、コレイちゃんと一緒に……で。あれ? なんで?」
「ティカ!? どうしたのかい!?」
「フリーナ……?」
ティカは、ひどく混乱しているようだった。目から絶えず涙を流している。けれど、その瞳はいつもの死んだような目ではなかった。キラキラと輝く、太陽のような、星のような、そんな目。
「ふりー……な……」
ティカは、ズルズルと体を引き摺りながら、フリーナに近寄った。フリーナは、体が自然と震えるのを感じた。恐怖や悲しみからの震えではない。
喜びからの、震えだった。
「久しぶり……っすね? えへへ……ごめん。ごめんね、ごめん……。私、フリーナを傷つけちゃうっす……」
「ティカっ! ティカっ! 遅いぞ! どれだけ待ったと思ってるんだ! 全く……」
そう言ったフリーナの瞳からは、歓喜の涙が流れていた。この数百年もの間、ティカのことだけを支えに生きていた。
それがようやく、報われたのだ。
「私、最悪っす。業障が、増えたせいで、脆くなったから……本当にごめんっす」
「僕は、ティカに会えて嬉しいよ! だから、そんなに謝ることはないさ! だって、明日からはまた一緒に居られるんだろう?」
フリーナは、謝るティカを慌てて止めた。ティカは、苦しそうに頭を抱えた。
「……私、もしかしたら、また……はは……ダメっすね。マイナス思考は」
ティカは、頭を横に振って力無く笑った。
「一旦……寝る……ね」
ティカは、疲れているのか、そのまま眠ってしまった。
けれど、フリーナはその少しの間で十分だった。
だって、明日からはまた、辛いけれど、それを覆い隠してくれるくらいの、幸せが待っているから。
けれど、次の日のティカは、また元に戻っていた。
「あ、その、フリーナ様。おはようございます。……えっと、何かありましたか? その、随分と私の目を眺めてきますが……」
「ティカ……! もしかして、覚えてないのかい?」
「あ、え? な、なんのこと……ですか?」
フリーナは、冗談だと思った。ティカは、よく冗談を言っていた。きっと、今回もそうだ。
そう言い聞かせても────ティカの瞳は、フリーナの顔すらも映さないほど、濁りきっていた。
「もしかして、夢だったのか?」
「夢?」
「い、いや、なんでもない」
なんだ、全部僕の妄想か。そう気づいたフリーナは、まるで、天国から地獄へ落とされたような気持ちになった。目から涙がこぼれ落ちそうになる。フリーナは、目に力を入れて、涙を堪えた。
ティカは、少し顔色を悪くさせたフリーナを見て、不思議だとばかりに、首を傾げた。
ヌヴィレットは、夜中にそっと部屋を抜け出した。誰にも見られていないか、厳重に辺りを見渡す。
そして、誰もいないことを確認して、墓の場所まで速やかに移動した。
ヌヴィレットは、水元素で墓を洗って、花を置いた。墓には、ローザ・エグランティエ・セルヴァーティカ────つまり、ティカの名前が刻まれていた。
ヌヴィレットは、ティカの墓を作ってから、毎月こうして足を運んでいる。
フリーナのように、ティカと友達だったわけではない。けれど、本来ならこの墓はフリーナが、足を運ぶべきだった。それなのに、ヌヴィレットはフリーナに、ティカの死を隠し続けている。
それなら、ヌヴィレットが代わりに行かなくては、あまりにもティカが報われない……そんな罪悪感で、毎月足を運んでいるのである。
一通り終えて、ヌヴィレットは墓から離れて、静かにその場を立ち去った。もし、誰かに見られたら、大変だからだ。
「ふー、行った……かな?」
けれど、そんなヌヴィレットを見ていた者が、一人いた。
ティカである。
ヌヴィレットが毎回どの方向に歩いていくのか観察して、ようやく今日、ここにたどり着いたのだ。
「へぇ、ろーざえぐらんてせるばーてぃか? ……長くない? 昔の私の本名、なんでこんなに長いの?」
本人も度々言っていた文句を、やはりティカも口にした。
「でもフリーナは、昔の私が死んでるって知らないみたいだし、これはいい曇らせになる!」
くるりとティカはターンして、その勢いのまま、墓を蹴った。
意外に頑丈に作られているのか、墓は倒れなかった。ティカは、ぱちぱちと瞬きをしてから、隠し持っていたスコップを使って、墓を掘り出した。
……完全なる、墓荒らしである。
「私の骨、あるかな。確かめたいことがあるから、一個だけほしいんだけど……」
「そこで、何をしている」
もちろん、独り言を言いながら、そんな不審なことをしていたら、見つかるに決まっている。
偶然通りかかった、決闘代理人のクロリンデは、迷わずティカに銃口を向けた。
「ひっ、く、クロリンデさん、こんばんは。その、あ、いい夜……ですね。あ、あと、自分の骨を取り出そうとしてるだけなので、怪しいことはしてないんです。その、えっと、だから……」
「……ヌヴィレット様から、既に聞いている。ティカは、もう死んでいると」
「……あなたがここにいるのは、ヌヴィレットに何か吹き込まれたから……ですね。確かに、死者そっくりの姿の私が居ることって、変ですもんね。
あの、私、この墓気に入らないから、荒らしてやろうと思って」
ティカは、クロリンデに銃口を突きつけられていると言うのに、墓を掘ることをやめない。怯えた様子は見せたが、それだけだ。話し方も、明らかに一人の時とは変わっている。クロリンデは、眉を顰めた。
けれど、クロリンデは銃口を突きつけてはいるが、水神であるフリーナの友人を殺すことは、できない。
「かなり古い……か。
────私は何度転生を繰り返していたんだ。この感じを見ていると、そこそこはあるか」
結局、ティカは骨を一本取り出してしまった。そして、その骨を月の光に当てて、じっと眺める。
「────フリーナ様から聞いた話では、ティカはふざけはするが、不謹慎なことはしないはずだ。
あなたは、本当に、ティカか?」
クロリンデがそう問いかけた途端、ティカは目を細めて口角を上げた。にこりと人の良さそうな笑みのティカだが、全く持って人の良い行動をしていない。そして、笑みによって持ち上げられた口角は、どこか歪だった。
「え? わ、私は私ですよ。不幸が大好きな、クソみたいな人間です」
クロリンデは、その言葉の意味を、よく理解できなかった。
「ティカ……?」
ティカが、いくら呼んでも、返事を返さなかった。いつもなら、朝一番にフリーナに挨拶をしてくると言うのに。
「ティカ。もしかして、体調が悪いのかい?」
昔、ティカは意外にも体が弱く、よく痛みに苦しんでいた。よく考えたら、今のティカだって体が変わったわけではないのだから、きっと痛みに苦しんでいることだろう。
「僕にできることがあったら、言ってほし……」
「嘘……ついたんですね。フリーナ様」
ティカは、ようやく口を開いた。
────嘘? フリーナは、心当たりがありすぎて、ぎくりとした。
もしかして、僕が水神じゃないって、気づかれた?
冷や汗が、背を伝う。
「その、ティカって人、死んでるのに……どうして、記憶喪失なんて、言ったんですか……?」
「え?」
思いがけない言葉に、フリーナは動きを止めた。
ティカが、フリーナをじっと見つめてきた。緑色の死んだような目と、目が合う。
その目は、どこか泣きそうな目をしていた。
「死んでる……? ティカは、死んでなんかいないさ! 何を言っているんだい?」
「そ、それなら、お墓は? どうして、お墓があるんですか? ふ、フリーナ様だって、知っていたんでしょ?」
「…………え……墓?」
フリーナは、言葉の意味が理解できなかった。
何度か呟いて、ようやくその意味を理解する。そして、知ってはいけないものを知ったような、そんな、とてつもない不安に襲われた。
胸に元から開いていた風穴に、冷たいものが吹き抜けていく。
「……誰……のだい?」
「え? ティカに決まってる…………。も、もしかして、フリーナ様、知らなかったんですか……!?」
フリーナは、顔色を悪くして、震えていた。目は限界まで見開かれ、その目からは涙が流れかけている。呼吸をするのを忘れていたのか、一度小さく咳き込んだ。
その様子は、ティカの問いの答えを、明確に示していた。
「ご、ごめんなさい。知らなかったのに、一方的に怒っちゃって。その……」
「────ティカの墓に、案内してくれないか?」
フリーナは、発言を取り消そうとしたティカに、そう言う。
ティカは……目を少し見開いてから、こくりと静かに頷いた。
ティカの墓は、わかりにくい場所に作られていた。それはもう、フリーナが気づかないのも当たり前のような場所だった。
ひとつだけ、寂しく墓がぽつんと立っている。
ヌヴィレットが毎月手入れしているおかげで、墓は古くはあるが、綺麗だった。
墓には、もちろんティカの名前が刻まれている。
「………………あぁ」
フリーナは、ストンと力が抜けて、その場に座り込んだ。ティカの墓に、縋り付くように触れた。
「死んだ……のか。死んでいた……んだね」
重苦しい空気の中、フリーナはポツリとそう呟いた。目からは涙が絶えず流れている。フリーナは、泣いていることすら気づかないくらい、放心していた。
「僕は……現実逃避して、何百年経っても────ティカは人間なのに、寿命で少なくとも死んでいるはずなのに、生きてるって信じて……。友達として、失格だ」
薄々、心の底では気づいていたのだ。ティカが生きているはずは、ないと。人間は、長くて八十年くらいしか、生きれない。人間のティカは、絶対に死んでいる。
けれど、ティカと会いたかった。
会って、話がしたかった。一緒にまたケーキを食べたかった。他にも、やりたいことなんて沢山ある。
「…………わ、私、もう行きますね」
「うん」
フリーナは、遠くへ去って行こうとする、ティカ────いや、名も知らぬ少女に、小さく頷いた。
もうきっと、この少女は二度とフォンテーヌに帰ってくることはないと、なんとなく察しながら。
「僕は、これから何を希望にして生きればいいんだ……? 予言はどんどん現実になっているし、ティカだっていない。ひとりぼっちで、寂しいよ……。
だれか、たすけてくれ…………」
どれだけつぶやいたとしても、フリーナを支えたティカはもういない。
その現実が、ただただ苦しかった。
「ティカ殿、出ていくのか?」
「えっと、そのつもりです」
ヌヴィレットがフリーナを探しに行っているとき、荷物をまとめて、出て行こうとしているティカに遭遇した。
「ティカ殿。墓を荒らしたとは……本当のことか」
「…………あぁ、クロリンデさんから聞いたんですね。あなたは最初から、私を疑っていたから、当たり前ですね。正直に告げます。墓を荒らしたのは本当ですよ?」
ティカは、ぺらぺらと捲し立てて、そのままフォンテーヌ邸を出て行こうとした。そこで、クロリンデがティカの前に立ちはだかった。
「……えっと、まだ何かあるんですか?」
クロリンデは、ティカに銃口を向けていた。ヌヴィレットは、立ち止まったティカに厳かな声色で尋ねた。
「なぜ、墓を荒らした」
「……そう。そこまで踏み込んでくるんだ。そこまで聞きたいなら答える。確かめたいことがあった。
ただ、それだけ」
じ、とティカはまっすぐな目でヌヴィレットを見た。その瞳は相変わらず濁りきっている。
「記憶があった私は、何年前にここに来ていたのかを、確認しようと思ってたんです。
──それじゃあ、今度こそさようなら。お騒がせしてすみません。私はもう来ないと思うので、安心してください」
「ティカ殿、それはつまり、本当に記憶喪失なだけだと言うのか。本当に、ティカ殿なのか」
「……」
次こそ、ティカは立ち止まらずにフォンテーヌ邸を去って行った。ヌヴィレットは手を伸ばしかけたが、静かに手を下ろした。
きっと、ここで止めてもお互いにとっていいことなんて、一つもないと分かりきっていたから。
フォンテーヌから遠ざかったところで、ようやくティカは足を止める。そして、うっとりとつぶやいた。
「あぁ、フリーナ様の表情、最高だったなぁ……! ヌヴィレットの反応もよかった……!記憶が戻ったふりをして、会いに行ったら、どんな顔をするかな。ああ、でもそれをするには、もう少し時間を空けないと。
次はどこに行こうかな?」
ティカは、フォンテーヌの方へ振り向いて、恍惚とした笑みを浮かべた。
けれど、その恍惚とした笑みは、不思議そうな顔へと変わる。
「なんか、胸が痛いんだけど、変なもの食べたかな……?」
────その日、フォンテーヌは大雨が降った。
そして、一枚の新聞がスチームバード新聞社から発行される。
堂々とした一番大きな見出しには、こう書いてあった。
「フリーナ様、体調不良で全ての公演取り消しか!?」
その大きなニュースは、フォンテーヌ中の不安となって広がった。
記憶喪失になって、昔の人格を取り戻させようとして、周りが曇っていくのも好きです。
前回の投稿から、もうそろそろ一年。かなり時間が経ってしまいました。この作品を見てくださっていた方、ありがとうございます。これからは、前のようなペースは難しいと思いますが、のんびり投稿して行こうと思っています。引き続きよろしくお願いします。