『オルクセン王国史/二次創作』ラッカーズ・ボランティア 作:karkaroff
これが歌だ!飢えた人々のうめき声だ!
「ハードタック、ハードタック、もう二度と来るな」
何日もあんたは俺たちの胃痛の種だ!
おお、ハードタック、もう二度と帰ってくるんじゃない!
―――星暦八七六年十一月二十六日/ファルマリア港
センチュリースターには忌み嫌われた戦闘糧食が二つある、ペミカンとハードラックである。前者は今やほとんど見る事がなくなった脂身の塊で山登りの友として憎しみと共に語られているが俺たちの目に触れることはめったになくなった。
問題は後者だ、『ハードタック』下手な合板よりも硬い小麦のパンで極限まで焼き固められたそれは
一つかじれば歯がかけ、トマトスープに浸せばスープがまずくなるその食べ物を気取った悪魔は唯一、保存技術がましになった為に虫がわきにくくなって蛆虫に悩まされることがなくなったという点だけは評価できる代物だった。
水分を含まない為非常に長持ちする”携行食”とみなされたそれは当然ながら俺たち義勇兵団にも大量に届けられていた。ファルマリア港にはこれが大量に詰まった木箱が毎日のようにセンチュリースターから届けられ、オルクセン軍の帳簿外の資材としてなめし皮のシートがかかったまま放置されていた。
この『食べれる防弾板』が日の目を見たのは一一月も終盤に差し掛かったころになる。アルトリアの陥落に伴い第三軍に大量の食料が必要になったのだ。俺たちはこれが忌み嫌われた悪名高き食材であることを承知の上で保存食の譲渡を申し出た。
当時、すでに大量の豆缶の調達が決まっていたが現地に届くにはまだ時間が必要であり足しになればと思ったのだ。申し出は受け入れられ、この辛うじて食物カテゴリーに収まった何かはアルトリアの市民や捕虜に調理して供されることになった。
ちょうどその頃、センチュリースターからは開戦当時に地理的な理由でオルクセンにたどり着けなかった一部の所員は到着し、彼らはアルトリアとファルマリア港を往復してハードタックを届ける配送業者兼炊き出し係の料理員としてこの業務に従事する事になった。
彼らによってアルトリアで連日行われた炊き出しで供されたメニューは同様にセンチュリースターから大量に届いた粗悪なトマト缶に少しのベーコンを使ったスープと3×3インチのハードタックが二つ。センチュリースター内戦で歌われた替え歌と共に供されたそれはアルトリアを中心にセンチュリースターからの嫌がらせとして多くのエルフィンドの民に広まる事になった。
飢えと渇きに苦しみ、命をすり減らしている民よ
破れた服に身を包んで。干し草のように乾いた声で 火酒を求めて嘆息してる
「ああ、ハードタックよ、もう二度と来るな!」
顎が砕けるほど堅いその小麦で出来た凶器はほとんど全ての消費者から忌み嫌われたが、それでも食料不足には代えられず配給係のウッドギターと共に彼らの記憶の中に深く刻みつけられた。
今でもアルトリアでは歴史の授業の際に皮肉を込めて歌われたそれを当時の彼らがどんな気持ちで歌っていたか、それは霧の中だ。
「おぉハードタック、ハードタック、戦場の味よ。ドロドロにされた馬の餌よ。輪が地獄にだけは来ないでくれ。あの世にお前の席はない。」
「ハードタック、ハードタック、地獄の悪魔よ、もう二度と姿を見せないでおくれ。」
アラン・ラッカーは晩年、アルトリアで行われた講演会で当時を再現した食事を見てそう歌いしみじみと遠くを見たという。
冒頭の詩は第一アイオワ歩兵連隊がアメリカ南北戦争で歌ったことをきっかけに各地で歌われた当時の替え歌です。
ハードタックがあまりに酷いので皮肉交じりに親しまれました。
なお、どこまで焼き固められるか実証実験を行ったところ36口径のパーカッションリボルバーの弾薬を20mの距離で止めるという快挙を成し遂げました。
ある意味では当時最高の防弾装備として運用できたかもしれませんね、蛆が湧くことさえ無視できれば、ですが。