漆原カグヤの尋問をしていた近衛ミナはふと、付近からブツブツと呟く声が漏れるのを聞いた。
『門主様にたとえ幾千幾万の家族がいてその愛を束ねたとしても、私一人の愛には到底及ぶまい』
記憶を手繰ったミナは『ああ、そういえば隣に収監されていたのはこいつだったか……』とげんなりした。
ちらりと隣の牢を覗くとそこには自作した竜華キサキ人形に頬擦りする女の姿。
申谷カイに利用され萬年参密輸に関与した玄龍門の幹部である。長い山海経の歴史においても前例のない不祥事であり、また玄龍門の看板に泥を塗りながら反省の色を一切見せなかった事もあって今日まで牢にぶち込まれていたのだ。
「なんとお可哀想な門主様……日々身を粉にして働いているというのにこのような痴れ者が現れるなんて。私が執行部長であったなら門主様に怖い思いなど決してさせなかったものを」
女は左腕に人形を抱えたまま立ち上がると鉄格子の前まで移動して隣のカグヤの牢を睨む(位置関係からして両者の視線が交錯する事はないが)
「おい、京劇部の! 諫言だなんだと言って本当は門主様を拉致して不埒な真似をするつもりだったんだろ!? あのたおやかな肢体を汚すなど私の目が黒いうちは許さない!」
声を張り上げる女に対してミナは(それはお前がしたいだけなんじゃないか?)と内心でツッコんだ。
一方、あらぬ疑いをかけられたカグヤの眉間には皺が寄る。
「……私は山海経の未来を案じて決起したのであってそこに邪心はない」
「どうだか。門主様の行動が伝統に反しているというなら昨年の3年生が慣例を無視した時に動くべきだろ!? 今になって動いたお前達が門主様の体目当てなのは明白なんだ!」
カグヤの方から何かがブチ切れる音を確かにミナは聞いた。
異例の就任だからこそ伝統や法を尊重した正しき統治を行う。賛同するかは別として発想そのものはミナにも理解出来るが目の前の女には違ったらしい(そもそも曲がりなりにも満場一致で決まったキサキの門主選出と彼女の独断による追放処分は同列に語れるものではないのだが)
門主を愛していると嘯きながら梅花園の子供を利用するという特大の慣習破りを犯してキサキの立場を危うくした女に道理を説くのは無益だ。まだ馬に念仏を唱える方が技術向上の余地があるだけマシかもしれない。
「嘆かわしい。このような誠も志もない奸臣が侍っていたから門主様は道を誤ったのだ」
静かに毒を吐くカグヤ。
此度の一件、内部の意思統一すら満足に出来ていない段階で交流会を開いたキサキにも非はある。カグヤが他校の要人を巻き込んだのは過失であるが、それを言うなら来訪初日の歓迎の段取りさえ不十分だったキサキもまた糾弾されて然るべきであろう。
カイに唆されたのは事実であるものの、遅かれ早かれ噴出した問題であり、山海経全体で乗り越えるべき課題だ。
それを勝手に矮小化された挙げ句に異常性愛者の謗りを受ける。カグヤでなくとも怒って当然である。
門主が間違っているという部分については反論したいミナであったが、玄龍門から犯罪者が出たのは事実(内々に処理されたがミレニアムの自治区で闇オークションに関与した者もいる)
やぶ蛇になりかねなかったので口を噤むのだが……
「おいちょっと待て! 門主様は無謬にして至上のお方だ! 誤りなど精々近衛ミナを側近にしたくらいで……」
「お前は黙っていろ」
威嚇として鉄格子を叩くミナ。これがなければ中に入ってノワール映画を見て練習した格好良い蹴りを実演していた所だ。
「いいや黙らない! 私はそこの不届き者が二度と門主様を害そうと思わないよう啓蒙する義務がある!」
門主を支える玄龍門の義務を放棄した女が何か言う。
「まずは私と門主様が初めて出会った日の事からだ。私はトリニティから白い粉を……」
「……別の牢に移動させてくれない?」
耳を塞ぐ仕草をしながら溜息を吐き、疲れを感じさせるカグヤの懇願。
「……」
ミナも流石にカグヤが憐れになったが、とはいえキサキを危険に晒した彼女への憤りも未だに燻っている。
「罪人の要望を易々と聞き入れるのはそれこそ伝統に反する。だろ、カグヤ部長?」
「……っ」
苦虫を噛み潰したような渋面になるカグヤと独演会を始めた女を残し、ミナは愛用のリコーダーを吹き鳴らしつつ牢を後にした。